表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
20/20

20

午後11時。

営業時間の真っ只中に、携帯が震え出した。

知らない番号。…いや、見覚えがある。

これは彼の番号だ。


「ちょっとお手洗い行ってくるね」


隣の客の肩に触れながら耳打ちをして、席を立った。


「もしもし、どうした…」


「凛ちゃーん、星見える。」


発信音が途切れるのを待ち構えていたかのように、彼が話しだす。


「星…?もしかしてベランダにいる??」


焦りから語気が強くなってしまった。

無意識に更衣室へと方向を定めた足元が、コツコツと音を立てる。


「うん。あ、大丈夫だよ。意識もあるし、飛び降りたりしない。」


私の心配をよそに、彼は機嫌が良さそうに笑っていた。


「また薄着でしょ?上着は羽織った?」


「んー、寒くないよ?」


「だめ。風邪ひくでしょ。」


「ははっ。わかった。中に入る。ごめんね、仕事中に電話しちゃって。星が綺麗に見えたからどうしても凛ちゃんにも見てほしくて。」


カラカラカラと、電話の奥からベランダの引き戸の音がした。

ほっと胸を撫で下ろす。


「うん。今帰るから一緒に見よう。」


ロッカーの鍵を開けて、履いていたパンプスを脱ぎ捨てた。


「え、だめだよ。仕事中でしょ?ちゃんと帰ってくるまで待ってるから。」


彼の言葉に動作が止まる。

店内は混雑し、私も3卓被り。

決して暇ではない状況だが、今の私には帰るという選択肢以外すっかり頭になかった。

…選択する権利など持ち合わせていないくせに。

私は働かなくてはいけない。

途中で帰ることなど、誰からも許されていないのだ。


「…大丈夫なの?」


大丈夫じゃなかったとしても、彼の言葉を信じるしかない。


「うん。大丈夫。帰る時間だけ教えて?」


閉店して、着替えて走って帰る最短の時間を瞬時に計算した。


「2時半には帰れるよ。」


「うん、わかった。」


「…本当に大丈夫なの?」


「うん、大丈夫。電話出てくれてありがとう。またあとでね。」


そう言って、彼は電話を切った。

目を瞑り、深呼吸をする。

今にも走り出して帰りたい衝動を必死に抑えるためだ。


「凛ー!凛ー!」


ドアの向こうから黒服が私を呼ぶ声が聞こえる。


「凛ー!入るよー!」


ノック音と共に勢いよく扉が開けられた。

目を開けて、床に脱ぎ捨てられたパンプスを履き直す。


「凛、なにしてたの。また指名来た。行くよ、来たとこ挨拶行って今の卓戻って。すぐ抜くから。」


忙しさに殺気が立っているようだ。

早口で私を捲し立てる。


「ごめんごめん。すぐ行く!」


心では申し訳ないなどと思っていないのに、表情を作るのが上手になった。

淡々と説明しながら早足で歩く黒服の後ろを走ってついて行く。

仮面を装着し直して、また働かなければいけない。

今は、彼に頭を支配されてはいけない。

どうせ閉店まで、この店から出ることはできないのだから。





閉店1時間前、雪也が店に来た。

タイミングの悪い男だ。


「凛ちゃん!」


八重歯を見せながら、歩いてくる私に手を振る。

この男は歪みきっているくせに、外面だけは完璧だ。


「いつものでいい?」


にこやかに頷く雪也の隣でボトルの酒を注ぐ。


「来てもらって申し訳ないんだけど、今日一緒に帰れないんだよね〜。ごめんね?」


「ん?…あー、そうなんだ。全然いいよ!」


視線をグラスに向けながらも、雪也の動揺が見えた。

雪也とアフターに行かないのは初めてのことだった。

アフターが被っていたとしても、最後は雪也と帰るのが当たり前だったからだ。

まあ、私が断ったとて、この顔なのだから一緒に帰る女には困らないだろう。

ぜひとも今晩は他を当たってほしい。


「ねえ、それって今日だけ?」


雪也の視線がグラスから私へと移る。

口元では笑顔を作りながらも、目は凍えるように冷たい。

思わず目を逸らした。


「うーん。今日だけだと思うけど…」


「…そっか!じゃあさ、今日は俺の仕事の愚痴聞いてくれるー?」


先ほどの違和感は気のせいだったのだろうか。

雪也はいつも通り、面白おかしく話を始める。

私は雪也の笑い声につられて、一緒にケラケラと笑いながら酒を飲んだ。

それでも、いつもはあっという間に感じる1時間が長い。

時計の針は見るたびに数分しか進んでいなかった。




店が閉まってすぐ、私は更衣室に駆け込んだ。

よりによってラストで4卓被り。

お見送りに想定より時間がかかってしまった。

ピンヒールを履きながら、小走りで家に向かう。

冬だからかやけに寒い。骨身に染みる寒さだ。


息を整え、アパートの外階段を登りながら時刻を確認した。

2時50分。

立て込んだ割には随分と早く帰れた。

左手には急いで買ったケチャップと卵の入ったビニール袋。

これで昨日彼が呟いた“オムライス”を作ってあげられる。


鍵を開けてドアノブを回すと、施錠されてしまったのか開かない。

おかしい。家を出る時、確かに鍵をかけたはずだ。

急いでもう一度鍵を回してドアを開けると、彼が玄関で靴を履いたまま丸くなって座っていた。

どこかへ行ってきたのか、またはどこかへ行くつもりなのか。

ゆっくりと顔を上げた彼の瞳が微かに揺れ動く。


「どこか行ってたの?」


前にしゃがんで彼と目線を合わせる。


「…行ってない。」


「そう。じゃあどこか行くの?」


「いや…行かない。」


「…じゃあ中に入ろう?見て、オムライスの材料買ってきた。」


私はビニール袋を見せて微笑んだ。

彼は少しだけ口角を上げてゆっくりと頷く。

彼に手を差し伸べて、部屋の中へ連れて行く。


「遅かったから、心配だった。」


後ろで彼が小さな声でそう言った。

私の帰りが予定より遅かったから、彼は外へ出ようとしたのだろうか。

たったの20分。

彼にとってはとてつもなく長い時間に感じさせてしまったのかもしれない。


「ごめん。次はちゃんと連絡する。」


彼からの返事はない。

私も、彼の反応を確認することはなかった。




初めて作ったオムライスは、なんとも歪な形。

具材は昨日買ってあった米と玉ねぎだけ。

そういえば鶏肉を入れた方が良かったかもしれない。


「ごめん、初めて作ったからボロボロなんだけど…」


店で見るような卵がとろけるようなものとは正反対。

しっかりと両面焦げ付きのオムライスだ。

これは食べられないかも…と、苦笑いしながら彼を見ると、彼の喉が少しだけ動いた。

驚いたことに、すぐにスプーンを持って勢いよく食べ始めたのだ。

笑いながら夢中で食べ進める彼の瞳から涙が溢れ出る。

そんなことを気にもせず、あっという間に完食した。


「すげー美味しかった。母親が作るオムライスとおんなじ。ごめん、嬉しくて。」


そう言って、満足そうな笑みを浮かべながら涙を拭った。


「また作るよ。卵もケチャップもたくさんあるから。」


「うん。ありがとう。」


そう言って笑った彼の顔は、やはりアイドルだ。

儚くて綺麗で心臓を鷲掴みにされてしまいそうになる。

彼の視線を避けるように、急いで食器を下げに立ち上がった。


まただ。部屋の中でも身震いしてしまうほどの寒気がする。


「今日、すごく寒いね。」


私は彼の体に布団を巻きつけた。


「そう?」


彼は寒さに疎いのだろうか。

いつも薄着だから心配になる。

それとも、これも病の症状なのかもしれない。


食器を洗い終えた私は、布団に横たわった。

今日は日付が変わった日曜日。

待ちに待った週に一度の休みの日だ。

なんだか頭が重い。

最低限の連絡だけして、あとは何もせずに過ごしたい気分だ。

目を瞑った私に、彼が優しく布団をかける。

薄目を開けた隙間に、ベランダが入り込んだ。


「あ、星…」


数時間前に、彼が今日は星が綺麗だと教えてくれたことを思い出した。

明かりが多い繁華街では全く見えなかったけれど、少し離れたこの家からは見えたのだろう。


「ああ、お店からは見えなかったよね。東京でもこんなに綺麗に星が見えるって知らなくて、つい誰かに教えたくなった。ごめん、仕事中に。」


「ううん。私も見たかったな〜。」


もう明かりが混ざってしまった空には、星は浮かんでいないだろう。

中学生の彼が星を眺めていた姿が瞼の裏に蘇る。

彼はあの日、私を星のような存在だと言っていた。

幼い私は、星のように綺麗でいようと、正しくいようと、純粋に誓った。

それが今はどうだ。

外見だけ着飾って、中身は薄汚れて何もない。

皮肉にも、彼は正真正銘のスターになったというのに。


「星,好きなの?綺麗だもんね。」


現実から目を背けるように、目を瞑りながら彼に尋ねた。


「俺にとっては、綺麗っていうよりも“いつも必ずそこにあるもの”なんだ。」


「“そこにあるもの”?手の届かない、綺麗なものじゃなくて?」


「うん。俺から見えなくても、見ててほしい。難しいな…見守っててほしい、存在なんだ。」


予想外の答えに、慌てて起き上がった。

私は今まで全く違う解釈をしていたのかもしれない。

彼は私に“綺麗でいてほしい”と、十字架をかけたわけじゃない。

ただ、見ていてほしいと、そう思っていたのだ。

それなのに私は、何年も彼から目を逸らしてきた。

彼は色々な場所で、私にも見えるように活動していたというのに。

呆然と見つめる私の視線に気がついて、彼が不思議そうに眉を上げた。

見てあげればよかった。

私も本当は見たかった。

でも、見るのが怖かったんだ。

弱い人間だった。

頭の中で色々な感情がぐるぐると回る。


「ねぇ…」


不意に彼が動き出して、私のおでこに手を当てた。


「凛ちゃん、たぶん熱あるよ。」


熱?どうりでやけに寒いと思った。


「ああ、だから…」


「病院行く?」


「ううん。風邪なんて寝てれば治るから。今日休みでちょうどよかった。あ、移しちゃうかな?ごめん…」


「いいから、もう寝て?」


優しく布団がかけられる。

私は襲ってきた睡魔を受け入れて、すぐに目を閉じた。


ふわふわと懐かしい景色の夢を見た。

雪が積もったあの公園で雪だるまを作っている。

手袋もはかずに雪を触っていたからか、手が冷たい。

急に吹雪が私を襲う。コートも羽織らずに遊んでいたからか身震いするほどに寒い。


「寒い…」


そう呟くと、手元が急に温かくなった。

ふと手を見ると、顔よりも大きな手袋が装着されている。

いつのまにかダウンジャケットも羽織ったらしい。

笑ってしまうほど大きな手袋でまた雪だるまを作り始める。

すごく大きな雪だるまがあっという間に完成した。

なんだか面白くて、もう一つ、もう一つ、と何度も作った。

気がつけば空は晴れ渡っていて、気持ちがいい。

たくさん作った雪だるまの横に仰向けに寝転んでみる。

温かい。目を閉じて、瞼の裏で光を感じた。




どのくらい寝ていたのだろうか、目を覚ました時、あたりはすっかり暗くなっていた。

身体は随分と軽く、寒気ももうない。


静まりかえった部屋を見渡した。

彼の姿は、もうここにはなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ