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「おはよー」


同伴を終えて店に着いた私に、瞳さんが話しかける。


「おはようございまーす」


あれから瞳さんとは、ずっとこの距離感だ。

挨拶は交わす。特段仲が良くも悪くもない。

ご飯に連れていってもらうことはないが、同伴とアフターで食にありつけるので困ってはいない。

入店して2年。

知る限りでも売上をキープし続けている瞳さんはすごい人だ。

おそらく私が入るずっと前からなのだろう。

その凄さは、きっと同じ職を経験した者にしかわからない。

客はすぐ飽きるのだ。色恋はもって大体3ヶ月。

仕方のないことだった。

金を払って飲みに行くのに、より良い相手を指名するのは当たり前なのだから。




「あれ、もしかして凛ちゃん?」


席につこうとした私に、客が話しかける。

雑誌でも見たのだろう。


「嬉しいー!知ってるんですか?お隣失礼しまーす。」


いつも通りの笑顔で隣に密着する。


「もう!忘れちゃったー?ま、仕方ないか。送り指名しかしてもらったことないもんね。」


送り指名…ホストのセオリーのことだ。

私はホストクラブに一度しか行ったことがない。

ということは、


「え!曇りのち晴?うそー!ずいぶん変わったね?」


私の知っている曇りのち晴は、派手な盛り髪をした金髪だった。

営業を学ぶためにしばらく連絡を取り合っていたが、店に行くこともないのに失礼かと思い随分前にった。

目の前の男は、サイドに刈り込みのある短い黒髪だ。


「お!覚えてくれてた?俺半年前に夜上がったんだ。今日は昼職の先輩に連れられてきたんだよ。ていうか、凛ちゃんこそ、ずいぶん変わったね?」


「あー、たしかに。あの時はこっち来たばっかりで夜のこと何も知らなかったからさ。実はハルくんのこと営業の勉強にさせてもらってた。ごめんね、店も行かないのに。」


「ぜーんぜん!俺で勉強になった?ちなみに俺“曇りのち晴”って源氏名だったけど、本名は雪也ユキヤなんだよね〜」


「雪?私大好き!良い名前だね。」


「ははっ本名は雪かーいってくだりでワンセットだったんだけど!これからは雪也って呼んでよ。指名する。」


そう言って、また八重歯を覗かせた人懐っこい顔で笑うのだ。

この男はホストを辞めてもなお、人たらしなのかもしれない。

友達のように他愛もない話をして、出会い方が出会い方だったために気を使って営業することもなかった。

心地が良い。あっという間に時間が過ぎていった。


雪也との関係が変わったのは、3回目の指名の時だった。

その日の私は、自分の卓でもシャンパンを飲み、他の卓でもシャンパンを飲み続けていた。

閉店1時間前に来た雪也の前に現れたのは、ベロベロに酔っ払ってヘラヘラと笑う出来上がった私だった。


「えっ、大丈夫?」


「だいじょーぶ!のも!」


「いやいや、とりあえず水飲んで…」


そう心配する雪也をよそに、私はボトルの酒を並々に注ぐ。

雪也は私の酒を次々に奪い取り、私には水を飲ませようとしてくるのだ。

膨れながらも、私はまた酒を作る。


「俺さ、実はめっちゃ酒弱いんだよね…」


そう言った、私が注いだ5杯目の酒を飲み干した雪也は、右前に項垂れていた。

理由はわからないけれど、笑いが込み上げてくる。

いつも見ていた雪也が、あまりにも完璧だったからかもしれない。

弱みを見つけて、この人も人間なんだと思った。


「ねえ!なんで笑うの!いやー久しぶりにイッキしたら回るわ…」


そう言って、雪也もケラケラと笑っていた。

あっという間の1時間が終わった時、


「もう一件、飲み行く?」


そう言った雪也の言葉に、私は笑顔で頷いた。

私もちょうど、楽しい時間が終わることに少し寂しさを感じていたところだったのだ。


アフターで行ったバーでも飲んで、さらに出来上がった私たちは、どちらから誘うこともなく一緒にタクシーに乗り込んだ。




頭の痛みとともに目を開けた先に見えた天井は、私の部屋のものではない。

横には温かい人肌の感触。

時間を確認しようと携帯を探す私の動きで、隣で眠る雪也が目を覚ました。


「ん?…起きた?」


掠れた声を出しながら、起き上がる。


「あ、ごめん。時間見ようと思って。」


「いーよ、てか頭いてー。水飲む?」


「あ、うん。」


雪也は立ち上がり、クローゼットから出したスウェットを着て、のそのそと歩いて冷蔵庫を開ける。

ここはどうやら、この男の部屋のようだ。

ペットボトルを2本持って戻ってきて、ベットに腰掛ける。


「ねえ、刈り込み好きなの?昨日ずっと触ってた。」


そう言って、水を飲みながら私を横目で見る。

私は丁寧にキャップを外されたペットボトルの水を少し飲み込んで、むせた。

この男と致したのは、状況から理解できる。

けれど、酒のせいでほとんど覚えていないのだ。

刈り込みを触った記憶もない。


「ご、ごめ…覚えてない…」


「覚えてない!?まじ?…めっちゃよかったのに。」


なんだかその言葉が生々しかった。

むせる私の背中を直でさする手の温もりが心地良い。


「もう少し、ここにいてもいい?」


「いーよ。俺もまだ眠いから一緒に寝よ。」


そう言ってクローゼットからもう1着スウェットを出して、私に手渡した。

受け取ったスウェットを着る私の横で、もぞもぞと布団の中に入り込む。

雪也は、服を着て横になった私を抱きしめた。

温かい。すぐに睡魔が襲ってくる。

雪也の体温に包まれて、私は深い眠りに落ちた。





「凛ちゃん、愛がないよ。」


そう呆れたように言ったのは、半年ぶりに現れた芝さんだった。

この人はいつもそうだ。

私に何を求めているのかわからない。

入店したばかりの頃は毎日のように来てくれたが、急にパタリと姿を見せなくなった。

その時も同じことを言っていたのだ。

初々しい私がよかったのだろうか。

それなら違う子を指名すればいいものを、Lacisに来る時はやはり私を席につける。


「芝さんなんでそんなこと言うの〜?楽しくない?」


「ははっ凛ちゃん、女だね。」


芝さんは、膝に乗せられている私の手を一瞥したあと、いつものワインを口に運んだ。

この手もダメ。

芝さんの来店は、私の売上に大きく影響する。

あの手この手を試すが、いつも“愛がない”と言われてしまうのだ。

またしばらく来ないだろう。

芝さんをアテにするのは、とうの昔に諦めていた。

たまに来店してくれればラッキー程度の感覚だ。





20歳の誕生日は、初めてバースデーイベントをした。その日から堂々と飲酒と喫煙ができるようになり、少し心が軽くなった。

クニさんはお金を置いていかない代わりに、私の家にタバコを置いて帰る。

私は家に置かれたクニさんと同じ銘柄のタバコを日常的に吸うようになった。


私は人よりお酒が強いみたいだ。

それでも、記憶がなくなるまで飲むと決まって自分の家ではないところで目が覚める。

またやってしまった。と、起きた時は思うものの、人の肌の温かさに心地よさを覚え、また目を瞑る。

堕落していくことにも、見ぬふりをした。

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