12
「はあ〜行くぞ。」
もう何軒目だろうか。
日が落ちて、ネオンで賑やかな街並から一本逸れた静かな道を私は通称クニさんに言われるがまま後ろをついて歩いていた。
「ここで待ってろ。」
そう立ち止まってクニさんが入るビルは、古びていて窓がなく、やけにこじんまりとしていた。
しばらくして出てきたかと思えば、またため息をついて歩き出す。
かかってきた電話に、
「17だけど、3月には18。……あー、だめ?ごまかせない?……あー、いいよ。」
そう言って電話を切っていた。
クニさんをビルの横で待っていると、スーツの男が一緒に出てきて、私の爪先から頭のてっぺんまでを舐め回すように見た。
「うわーマジっすか。クニさん、18になったら絶対ウチでお願いしますよ。」
「給料次第。」
そう言ってクニさんはまた左頬だけを上げて笑う。
コートを着ているのに、彼等の眼は私を見透かしているようで寒気がした。
賑やかな通りに入り、次はビルの中まで私を連れて行った。
先ほどとは違う、綺麗な女の人たちの写真が大きく張り出されているビルだ。
エレベーターに乗り、開かれたその場所は薄暗かった。
「いらっしゃいませ。おお、クニさん!こっち戻ってたんですか?」
入口近くに立っていたスーツの男性は、どうやら顔見知りのようだ。
「ああ、急で悪いけど店長いる?女の子入れて欲しくて。」
「はい!すぐ呼びます!」
そう言って通された店内は異次元だった。
大きなシャンデリアの下で、派手なドレスで着飾った綺麗な女性達が客であろう男達をもてなしている。
ニコニコと笑いながら、膝がくっついてしまいそうな距離でカラコロと酒を作るのだ。
ソファに浅く腰掛ける彼女達のほとんどがミニスカート。
細く長く伸びる足を辿れば下着が見えてしまいそう。
惜しげもなく大きく開かれた胸元には、柔らかそうな谷間が寄せられていた。
コツコツと高いヒールで器用に歩くすれ違った女性は、大人の香りを纏っていた。
唖然にとられながらもクニさんの後ろを着いて歩く。
案内されたのは、さらに煌びやかな個室だった。
クニさんは慣れたようにソファに座り、タバコを咥えた。
ライターで火をつけようとしたが、棒立ちになっている私を一瞥してライターを差し出してきた。
「お前がつけろ」
ライターを触ったことがない私は戸惑いながらも試みたが、親指でザラザラと撫でるだけで一向に火がつかない。
見かねたクニさんが、私の手を掴んだ。
「もっと強く押すんだよ」
そう言ってライターをつけて見せた。
見様見真似で右手で試みたが上手くつかない。なんとか両手で着火したライターで、クニさんのタバコに火をつけた。
クニさんは吸い込んだ煙を口から出しながら横目で私を見たが、何も言わなかった。
ノックをして入ってきた店長は、オールバックで髪を固めた40代くらいの男だった。
今までネックだったような私の年齢だが、店長は
「大丈夫ですよ。クニさんのお願いなら断れません。」そう言って笑っていた。
人ごとのように隣にただ座って聞いていたが、私の話だ。
店長が席を外した時、
「お前は今日から18になるまでここのキャバクラで働け。そのあとはさっき回ったソープで1番高い給料を出せるとこに行く。ここの店には期間が決まってることはまだ言うな。」
そう淡々と話した。
キャバクラやソープは聞き馴染みのない言葉でピンと来ないが、「はい。」と、一言だけ返した。
そもそも断る選択肢など与えられていなかった。
「終わりにまた来る。」
そう言って、私をこの店に残してエレベーターを降りていった。
店長について外に出た私は、少し歩いた先にあるビルの中へ入った。
突き当たりのドアが開かれ、カランコロンとドアにかかっていた鐘が揺れる。
「はーい!」
と、奥から金長髪の男性が出てくる。
「もう閉める?まだ大丈夫?」
「大丈夫ですよ!一体さんですか?」
「ああ、とりあえず。アイザワさんって確かメイクもできたよね?」
「できますよ〜」
「じゃお願い」
と、その男性と短い会話を交わして、すぐに出ていった。
「こちらにどうぞ!」
と、案内されて座った席の目の前には大きな鏡があった。
顔を上げた先で見た私の顔は酷くやつれていて、目はクマで真っ黒だ。
長年ポニーテールで結い上げていたロングの黒髪は、手入れを忘れられてボサボサに広がっていた。
思えば、しばらく鏡を見ていない。
髪に櫛を通すこともせず、お肌の手入れをすることもせず、非現実的な現実をただただこなしていたのだ。
呆然としながら自分の姿を見ていると、後ろから先ほどの男性がひょこっと現れた。
「こんばんは!私のことは、“アイちゃん”って呼んでね!」
アイちゃんはニコッと可愛らしく笑う。
鏡越しでもぱあっと花が咲くようなアイちゃんの笑顔につられて、自分の口角も上げてみるが酷く重い。
すぐに目線を下に落とした。
「どんな髪型がいいかな?」
そう言って、ボサボサの髪を櫛でといた。
「大丈夫よ。ここに来たら必ず可愛くしてあげるからね。嫌なことがあっても、気が進まなくても、泣き腫らした顔でも、とりあえずここにおいでね。」
私の髪に触れる手の感触で、これが紛れもない現実であるということがわかる。
アイちゃんは笑顔を絶やさない。
右頬にだけできるエクボが、可愛らしさを強調していた。
「ん〜おまかせでいいかな?ふふっ実はね、私、魔法使いなの!今からあなたをこの街で1番可愛い女の子にしてあげるね。」
そうイタズラに笑うアイちゃんは、本物だった。
信じられないほどの速さで、手際よく髪の毛が巻かれていく。
綺麗な筋盛りのハーフアップだ。
メイクもあっという間に仕上がった。
蝶の羽のように長く伸びるつけまつげが視界を邪魔する。
鏡の前に座る私は、綺麗なピンク色の紅をひき、まるで大人の女だった。
先ほどまでの情けない顔の女の子はどこに行ったのか、自然と背筋が伸びるようだった。
「綺麗…」
つい、自分の口から漏れてしまった。
目の前の女性が私と同一人物であることに違和感がある。
「ほんっとーに綺麗よ!自信持って行ってらっしゃい!」
アイちゃんは、何も持っていない私に「もう使ってないから!」と、最低限の化粧道具を持たせた。
「ねえ、源氏名もう決まってる?」
「…源氏名?」
「そう。この街で生きていく名前のことよ。」
「いえ、まだ何も…」
「ふ〜ん。あ!凛ちゃんなんてどう?“凛”とするって、なんだかあなたにピッタリ!」
なんだか私には相応しくない名前な気がしたけれど、悪くない。綺麗な響きだ。
お店を出るとき、アイちゃんがとびっきりの笑顔で手を振りながら送ってくれるものだから、私もついつられてしまう。
先ほどまで重かった口角は、自然と上がるようになっていた。
頭上で鳴る鐘の音は、私の始まりの音。
姿勢を正して歩き始めた私の後ろ姿には、アイちゃんが一輪の花を咲かせてくれた。