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新学期が始まって少しした頃、宮坂くんの就職先が決まった。


次いで、私の高校入試も無事合格に終わった。

母も先生も友達も「おめでとう」と言ってくれた。

相変わらず角の教室以外ではそっけない宮坂くんが、廊下ですれ違い様に私の制服の裾を引く。

予想外の行動で驚いた私に、


「少しだけ、いい?」


ぶっきらぼうにそう言って、人気のない場所に進む彼の後ろをついて歩いた。

立ち止まった彼は振り返って、


「どうだった?」


と、真剣な顔で聞いてきた。


「え?…あ、合格したよ!」


主語がなくて一瞬なんのことかと思った。

私の答えを聞いた彼は、目を大きく開いて、


「ほんと?わーよかった!たくさん練習してたもんな〜。そっか、おめでとう!」


そうやって、誰よりも嬉しそうに言った。

私よりも喜んでいたかもしれない。

受かって当然、落ちると失望。周りもそう思っていると感じていたし、私自身そう思い込んでいた。


「うん!私結構頑張った!」


彼の笑顔を見て、今までの自分が報われた気がした。

どうしてわかるのだろうか。

何度も夢に出てくる失敗も、脳に焼きつく鍵盤も、結果を待つ震える心臓も、彼には伝えていないのに。


「頑張ったよ!本当にすごいよ!」


彼はしきりに私を褒めた。

他人のことでこんなに嬉しそうに笑ってあげられる人が存在するのだ。

彼の未来も、私の未来も、この世も明るいものになる気がした。




卒業まで数えるほどになっても、角の教室でピアノを弾き、公園でたわいもない話をして、変わらない日々を過ごした。

出会った頃とは見違えるほど、彼はよく話しよく笑う。

たまに口調が少し雑になる時もあって、心を許してくれたようで嬉しかった。

変わらず学校では、無口で無表情。

でも、本当の彼はきっと私が知っている方だ。

明るくて、優しくて、「ハル」という名前にぴったりの人。

永遠に続いてほしいこの放課後には、もうすぐ終わりがくる。

進路は違うけれど、家は変わらないのだからまたいつでも会えるはずだ。

高校生になったら携帯電話も買ってもらえて、会いやすくなるかもしれない。

なんて、呑気なことを考えていた。



卒業式の日、角の教室で最後のピアノを弾いた。

「もう帰ろうか。」という私に、「もう一度だけカノンを弾いてほしい。」と、彼は言った。

弾きながら、ふと考える。

卒業してしまうと、ピアノを弾く場所がない。

ピアノがなければ、彼は私と会う理由がないのではないだろうか。

“卒業しても、たまに会えるかな?”この言葉を聞く勇気がないまま、結局2人で歩いて公園まで辿り着いてしまった。

ぐるぐると考えながら歩く私に、談笑してたはずの彼が、


「俺さ、就職するのやめたんだ。」


突然そう告げた。

言葉が脳内で反芻はんすうする。


「…えっ?」


驚いて顔を上げた。

見上げた先で彼は、どこか吹っ切れたような清々しい顔をしていた。


「挑戦してみようと思う。自分の人生をやり切りたい。」


彼は、1ヶ月ほど前に芸能事務所にスカウトされたらしい。

最初は所属する気なんてなかったが、名刺に書いてある事務所を調べると興味が湧いたそうだ。

なにせ、本当に色々な人が活動していた、と。

俳優や歌手、アイドル、ダンサー、キャスター。中には有名な人もいたらしい。

まだ何になりたいかは明確ではないけれど、音楽に携わってみたいと思ったそうだ。


「上京するよ。たぶん、もうしばらく帰ってこられないと思う。何年後になるかわからないけど、必ず胸を張って君に会いに行くよ。俺には後がないからね。選んだからには必死になって自分を探しに行ってくる。」


予想外だった。

彼がここを離れることになるとは。

寂しくて胸が締め付けられるようだった。

けれど、彼の前向きな姿を見て応援しないわけがない。

1年前よりも背が高くなり、スラリと伸びる四肢。

この1年で顔つきも少し角張って大人になったように思う。

変わらず綺麗な瞳に長いまつ毛。

ああ、見つかってしまったのか。

こんなに格好いいのだから仕方がない。

私は彼を笑顔で送り出した。

こんなに素敵な人なのだから、彼の未来は明るいものになるはずだ。

私の役目は、一歩を踏み出した彼の背中を押すことだった。

別れを告げてしばらく歩いたところで、大きな声で名前を呼ばれた。


「花音!ありがとうー!」


初めて名前を呼ばれた気がした。

声の掠れももうほとんどない。

彼は大人になったのだ。

彼が私の名前を呼ぶこの音を、耳に焼き付けて忘れたくなかった。

涙が出そうになるけれど、もう拭ってくれる人はいないのだから笑わなければ。


「こちらこそー!」


私も負けじと大きな声で叫んだ。

彼の綺麗な笑顔が、手を振る姿が、どんどん滲んでいく。

それでも私は精一杯手を振り返した。

次会えた時は、きっともっと格好良くなっているのだろう。

私も、胸を張って彼に会いたい。

あの日見た星のように綺麗になるのは難しいけれど、少しでも近づけるようになりたかった。

彼の未来が、どうか笑顔溢れる日々でありますように。

そう強く強く願った。

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