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嬉しい誤算

ヒロインの嬉しい誤算〜こんな幸せもありだよね〜season2

作者: パル

お読み下さりありがとうございます。

嬉しい誤算シリーズ第二弾になります。

※ご都合主義作品となりますので、

あしからずご容赦下さい。

※誤字脱字報告ありがとうございました。

ヾ(*’O’*)/




 あっという間に過ぎ去ったジーンダス国立高等学院での3年間。学院での日々は、明日の卒業式で最後の日を迎える。


 授業のあと、学生最後の昼食を学食にて皆で食べ終えると、午後から行われる卒業式の予行練習の時間を待てずに早々と席を立つ。長い渡り廊下を進み会場となる大講堂へと向かう途中で、私は空を見上げた。


 連日続いた雨も上がり、久しぶりに雲の隙間から眩しい光が降りそそいでいる。雲の動く様子に視線を奪われ、ふと立ち止まる。大講堂を出る頃には、澄み切った空になるだろう。


 空を見上げた私に、前を歩いていた第二王子であるレイシュベルトから「ルシア、行こう」と声を掛けられる。そう言われ、私は視線を戻すと彼の後ろに続いて重い足取りで歩みを進めた。





 私に背を向けて大講堂の扉をくぐった第二王子であるレイシュベルトは、会場内をぐるりと見回す。その後で、直ぐに視線で捉えた方へと歩みを進め、彼の婚約者であるユリエル・シフォンガイ侯爵令嬢の前に立った。


「ユリエル・シフォンガイ侯爵令嬢。私は、貴女との婚約を破棄する」


 そう彼女に向かって告げたレイシュベルトの口調は、とても冷ややかだった。

 突然、婚約破棄を言い渡されたユリエルは、普段の会話のワンシーンかのように驚く様子もない。そればかりか、彼女は口角を上げた。この後で、どんな言葉が続くのかを分かっていたかのようにニヤリと嗤い言葉を返す。


「皆様の前で口にしたからには、撤回もできませんわ。婚約破棄をお受けいたします」


 反省し心を入れ替えるならばと、レイシュベルトは彼女に猶予を与えるつもりでいた。でも、それは叶わなかった。

 即答した彼女は、直ぐに背を向け、その場から立ち去ったからだ。


 彼は時が止まったかのように、ユリエルの後ろ姿が見えなくなっても視線が離せずに佇んでいる。

 彼女のことが大好きだった彼は、彼女も自分のことを慕っていると思っていた。そのため、彼が婚約破棄の話を持ち出したところで、縋って許してほしいと彼女が言うと思っていたのだ。


――ユリエルの本心を見抜けなくて残念ね


 後悔先に立たず、だ。

 悔やむことがないように事前に熟考すべきだったのに。

 そもそも、今までのユリエルの言動に、レイシュベルトを慕っているという要素があっただろうか?


 彼女が告げた言葉で、肩を落とした彼の後ろ姿は哀愁が漂っている。

 私はその姿を見て、口角を上げると心の中でほくそ笑んだ。


――ヒロインの私を蔑ろにした罰ね


 この先、ユリエルはこの世界でどう生きて行くのだろう? といっても、彼女のことより自分のこの先を心配しなきゃだわ。



 乙女ゲームには無かった、この婚約破棄の新たな結末の話の続きに、私は期待と興奮で心が弾んだ。

  

 

◇◇



 私は、この世界にパン屋の一人娘として生まれた。

 ふわりとしたウェーブがかった珍しいピンク色の髪に、澄んだ紫色の丸いパッチリとした瞳。名前はルシア。

 そしてここは、私が転生前にハマっていた乙女ゲーム『花の乙女』通称『花乙』の世界。


 ここが乙女ゲームの世界だと……自分がヒロインのルシアに転生したのだと思い出したのは、13歳を目前にしたある日の恥ずかしい出来事が引き金だった。


 その日、私はいつものように自宅のパン屋の手伝いで、ご近所さんにパンの配達へと回っていた。


「おばちゃん! パン持ってきたよ! 今日は丸パン3個だったよね? あと、サービスでパンの耳も少し置いてくね!」

「ルシアちゃん、いつもありがとう」

「明日は金曜日だから2個でいいんだよね? じゃぁ、また明日ね」


 配達のパンを全部配り終わり、気分よく鼻歌を歌いながら家路に就く。その途中、花屋の角を右に折れたところで、前方から身なりの良い人が歩いてくる。その姿に、道路の端へと避けるようにして歩く。徐々に、小洒落たハットを被ったその人との距離が近づいてくる。すると、私まであと数メートルという所で、突然その人が前屈みに倒れ込んだ。


 私はギョッとして、辺りを見回した。けれど、誰もいない。貴族に声をかけたら駄目だと両親からは言われている。でも、帽子が外れたその人は、白髪交じりの髪をしていてた。お年寄り? かも知れない。だって、直ぐに起き上がれないみたいだし。お年寄りならば、助けてあげなくちゃだめよね? そう考えを変えると、私は直ぐにおじいさんらしきその人の下へ駆け寄った。


「大丈夫ですか? 手をお貸ししましょうか?」

「大丈夫だ。手を借りなくても立てる」


 そう尋ねると、返ってきた言葉に胸を撫で下ろす。 代わりに、道に転がった帽子を取って差し出した。


 立ち上がった白髪交じりのおじいさんは、老人ではなくまだオジサマ位の年齢だ。


「急に倒れたみたいでしたが、具合が悪くなったのですか? 誰か呼んできますか?」

「ハハッ、大丈夫だ。恥ずかしいが、転んだだけだから……」


 転んだだけだと言って「イタタ」と、手を見たおじさんは、どうも怪我をしたらしい。


「おじさん、手が痛いの?」

「大丈夫。ちょっとした切り傷だ」


 手を見ると、指先に数ヶ所切れてしまった傷がある。


「このくらいなら、すぐに治るわ」

「あぁ、酷くならなくて良かっ……たよ……」


 私は、おじさんの指先に手をかざし、小さな淡い光を当てる。ゆっくりと傷が塞がっていくとすっかり元通り。


「もう、痛くないですよね?」

「あ、あぁ。ありがとう」


 おじさんは大きく目を見開いて、自分の指を不思議そうに眺めながら丁寧にお礼を告げる。


「お嬢さんは平民なのに魔法が使えるのか。それも、大変珍しい治癒魔法だ」

「あっ、な、内緒にして下さい。魔法は使っちゃだめなんです」

「どうして使っちゃだめなんだい?」

「平民だから、魔法は間違えたら大変なことになるって、両親から言われていて――」

「なるほど、そうだね。ご両親の言う通りだよ。魔法はきちんと勉強してからじゃないと使ってはいけないね。……うん、ならば魔法を使えるように勉強をしたらいいよ」


 優しく微笑んだ後で、おじさんはシャンメルンだと名乗って挨拶をしてくれた。怪我を治したお礼に、国立高等学院の資料をプレゼントしてくれると言うシャンメルンさんに家の場所を聞かれ、「その先のパン屋よ」と答える。

 後方から現れた馬車にシャンメルンさんが乗り込むと車窓から彼が微笑む。その後で、ゆっくり馬車が動き出すと、私はそれが見えなくなるまで、ずっと手を振り続けた。


 『勉強すれば、魔法を使える』嬉しくて、スキップしながら家へと急ぐ。うきうきと胸を弾ませ調子に乗りすぎた。スキップする足がもつれると、今度は私が転んでしまった。「イッターい!」叫んだあとに、地面にぶつけた頭を抱える。どうしたことか、頭の中に色々な映像が浮かび上がる。


 見たこともない光景?

 ……いいえ、私は見たことがある。

 知らない人達?

 ……いいえ、私は知っている。


 これは……私の記憶だ。


 記憶の中に見える私は、私のことを知っている。

 あっ、ピンク色の髪をしたヒロインのルシアだ。


 ……ルシア?

  ピンク色の髪のヒロイン?……私だ。


 スキップしながらすっ転んで前世を思い出すなんて恥ずかし過ぎる。小っ恥ずかしいが、そうして私はこの世界が乙女ゲームの世界だと認識した。


 シャンメルンさんは、約束通り8日後に我が家にやってきた。両親に挨拶をするシャンメルンさんは、元シャンメルン子爵当主だと告げた。どうりで、聞いたことのある名だと思った。シャンメルンとは、隣の領地名だった。


「ジーンダス国立高等学院の資料と、特別枠の学生になる為の条件。それと過去の試験内容だが、ルシアちゃんにどうかと思ってな。先日のお礼に、学院から取り寄せたのだ」


 シャンメルンさんが、両親にパンフレットの入った封書を渡す。そこには、特別枠の試験に合格すれば、誰でも無料で学院へと通うことができるという、とてつもない申込み用紙が入っていた。


 その後も、日々を過ごしながら緩やかに次々と思い出されるゲームの記憶。しかし、思い出した記憶は、今の私と少し違っているようだった。


 どうして? ゲーム通りじゃないの?

 ……治癒魔法は行使できるのに

  チャーム(魅了)が発動しない。


 ゲームでは、チャームを発動していたから子爵家の現当主であるシャンメルンさんの息子夫妻の養女となれるのに。その後で、子爵家の令嬢として学院へと入学する流れだったはず。

 それなのに、チャームが発動できないって、どうしてよ?


 そもそも、子爵家の現当主は平民の私を嫌っている。それは、ゲーム内でも、この世界でも同じで。シャンメルンさん夫婦が暮らす別邸へと遊びに連れて行ってもらったときに、現当主と会ったことはあるが……。ギロリと睨まれ「平民が、近づくな」と言われる始末。ということは、子爵家の令嬢として学院へ通いたいとシャンメルンさんにお願いをしたところで、現当主を頷かせるのは無理だろう。

 それならば、私が学院へと進める道は一つだけとなる。神殿で治癒魔法を披露し、後ろ盾となってもらうこと。


 ならば、気持ちを切り替えて、確実に学院へと入学するために動き出すしかない。そうして私は、記憶の中の子爵家令嬢としての入学を諦めて、神殿へと通うようになった。


 受験当日。特別枠の試験は、通常の入学試験会場とは別の建物で行われた。3人しかいないのに。

 シャンメルンさんから頂いた、過去の試験問題を見ていたので分かってはいたが、簡単すぎだ。この試験、やる意味あるの? 日本での小学生高学年くらいの問題だったと思う。結果、満点入学で特待生として学院へ入学できたが。特別枠で満点だったのが私一人だったと知り、これには驚いた。






 晴れ渡る空の下、私は空を見上げる。

 今日は、ジーンダス国立高等学院の入学式に行くことが出来なくなったのだ。

 早朝、母さんが火傷をした。お湯を被ってしまったらしい。見れば全身の5分の1程度の火傷を負っていた。

 真っ赤に腫れている皮膚は、所々がぐじゅぐじゅとして皮膚が破れた状態だ。私は泣きながら手をかざす。母さんは、魔法を使わなくていいと言っている。でも、私は治癒を掛け続けた。だって、こんな時に使わないで、いつ使えっていうのよ。母さんの、痛くて辛い顔を見ているだけだなんて、私には出来ないよ。

 火傷はみるみる治っていくと、私の魔力はどんどん減っていく。きれいな皮膚に戻ると、私は外出できる体力も無くなり立っていることでさえ辛くなった。

 母さんは自分のせいだと言って泣く。火傷を負ったときの方が泣きたいほど痛かっただろうに。私が入学式に出る事ができなくなっただけでだ。

 母さんを治せてよかった。死んでしまうかと思った。

 ヤカンを持ったときに軽く目眩がしたのだと言っていたが、過労だと思う。

 毎朝早くから起きて販売するパンを焼き、朝食の準備や店の開店準備をした後で、洗濯物や家のこと。午後の店番では、空いた時間に縫い物の内職をしていた。体を休める時間もなかったのだろう。

 母さんの体に火傷の跡が残っていないのを確認すると、私は部屋へ移動した。

 入学式へ行けなかったから、オープニングイベントは諦めたけど。どうせ、チャームが発動していないのだから、イベントが起こったとしても今の私にはクリア出来なかったし。


 これからの学院生活に不安を募らせながらベッドに横になると、瞼はいつの間にか下がり眠りに落ちていた。







 初登校の日。

 いよいよゲームの本編に突入できる。まずい、緊張してきたわ。

 正門前で深呼吸を繰り返し、最後に息を吐き出すと、気合を入れて正門をくぐる。


 教室に入室すると、攻略対象者の一人であるスターリンド伯爵家の令息の姿があった。

 彼がどうして一般クラスに居るのかしら? ゲーム内で攻略対象者の人物達は、専攻科。いわゆる、上位貴族達のクラスだったのに。

 実は私も、ゲーム内で一般クラスではなかった。珍しい治癒魔法を使え、貴族令嬢だったことで専攻科のクラスだったのだ。


「貴女がルシア嬢? 入試で満点だったと評判だよ。俺はマクウェルズ・スターリンドっていうんだ。これからよろしくね」

「マクウェルズ・スターリンド様ですね。私は平民ですが、よろしくお願いします」


 ふわりとした薄茶色の髪に薄紫の瞳の彼は、少年らしさがまだ残る柔らかな表情でニコリと笑みを浮かべる。

 マクウェルズ? 彼の名前を聞いて思い出したのは、攻略対象者のスターリンド伯爵家の令息の名前。彼の名は、リックウェルズだったし、瞳の色は薄翠色だったはず。そういえば、リックウェルズには双子の弟がいたわね。なるほど、マクウェルズは攻略対象者ではない弟の方だったのね。


 かなりストーリーが変わってしまったが、それでもまだゲームは始まったばかりだ。これから挽回していけばいいだけ。何度もやり込んだ『花乙』。私には知識がある。プレイヤーの意地を見せてやる! 絶対、ラストには最高のエンディングを迎えてやるんだから!





 学院に通い始めてから10日後、大講堂で交流会が行われた。

 そこで私は歓喜した。『花乙』の登場人物を初めて生で全員見ることができたからだ。


「うわぁー。スッゴイイケメン!生キャラ最高!」


 第二王子のレイシュベルトだ! 金髪碧眼の彼は、素晴らしいルックスをしているではないか。ライトの光にキラリと輝く金の髪に魅惑の碧眼の瞳。あの眼差しは犯則ね。制服姿なのに、存在感が半端ない。彼がチラチラと視線を送っている先を見ると、彼の婚約者であるユリエルの姿がある。今は、まだ彼女とレイシュベルトの関係は良好なはずだわ。しかし、悪役令嬢であるユリエルの美しさは桁外れね。背が高く細身なのにスタイル抜群! 制服の上からでも分かる体のラインに私は目が釘付けになる。艶のあるストロベリー色の髪をサラリと手で払う彼女の顔は「めっちゃ顔小さっ」微笑んでいる彼女の蜂蜜色の瞳は細められ、蕩けるような艶めかしさが放たれる。あんなに美しい人が悪役令嬢? 女神の間違いではないの?

 その後も、レイシュベルトの側近3人を見ては感動し、放心状態に陥りそうだ。


「ルシア! レイシュベルト殿下のこと見すぎだよ。不敬罪になるぞ、ハハッ」

「それなら、伯爵家の令息である貴方をマクウェルズと呼び捨てにしている時点で罰を受けるのでは?」


 マクウェルズが私の様子に茶々を入れる。

 だって、やっとゲームの登場人物達と会えたのに。私だって、本当ならば専攻科の人達の集まる方にいるはずだった。


「なぁ、騎士仲間がルシアを紹介してくれって言うんだ。皆いい奴だからさ、ちょっと付き合ってよ」

「平民の私を? 平民なんて、珍しくもないでしょうに」

「何言ってんだ? 平民とかじゃなくて、ルシアをと言われたんだ。自分で自分の価値を下げるなよ」

「あっ、ごめん。そんなつもりじゃ……。気をつけるね、ありがとう」


 学院での友人は、おもに貴族の令息令嬢だ。そして、その彼らが私を学院の仲間だと言ってくれる。そんな友人達に言われたのが、自分を卑下するなということ。実力で学院に入学したのだと胸を張れと。


「ルシア、ランチに行きましょう」

「はい。行きます」

「今日は、冷菓の新作デザートが発表されるのですって! 楽しみだわ」

「そうですね。紅茶味のアイスクリームと書いてありましたよ」


 そう言って、私が平民でも気にもせずクラスの友人らは仲良くしてくれる。伯爵家の令息であるマクウェルズと親しく会話していることもあるが、満点入学と治癒魔法が使えるからだろう。それは一人の人間としての私だけの評価点だ。

 勉強を教える代わりに貴族社会を教えてくれる友人達のお陰で、ツンケンしている貴族令息令嬢たちとの揉め事も日に日に回避出来るようになってきた。チャームが無くてもやっていけていることがこんなに嬉しいだなんて、入学前の不安が嘘のようになくなっていた。


 最近思い出したのは、前世での私は高校1年生だったこと。それと、私がこの世界に転生する直前。決まったばかりのアルバイト先へ、ドキドキしながら向かうとき。青になった歩行者の信号機。横断歩道を歩き出して数歩。そこからの記憶がない。多分、私の命はそこで終了したのだと思う。


 今回は、学院を卒業できるといいな。ゲーム通りではないけれど、せっかく生まれ変わった2度目の人生でもある。それならば、この世界を楽しもう。そう思い、始まったばかりの学院生活に胸を躍らせるようになった。


 特待生であることから、学院の授業料と寮代はお金がかからなかったが、毎日の食事代は有料だ。

 我が家からの仕送りだけでは、三食の食事代には追いつかない。その為、学院が休みの土日でアルバイトをすることにした。

 入学前に通っていた神殿で紹介していただけた場所は、王都にある治療院。私は、治療をするのではなく、裏方の薬作りをしてお金を稼ぎ始めた。


「乾燥した薬草の茎をもう少し細かく剃って」

「練りながら治癒魔法を3分間かけ続けて」

「煮詰めたものを瓶に入れて蓋をして」


 やることが沢山ある。それでも、空き時間には治療師である院長先生が、魔法の使い方を丁寧に教えてくれるため、私はアルバイトというより弟子として扱われている。週に2日しか出勤できないが治癒魔法を使うので、給金もかなり高額を貰えるのだ。

 この治療院に来るようになって知ったのだが、王都でも治癒魔法が使える人は私を含めて4人だけ。ここでは、院長先生と私だけだ。王城にも1人しかいないと、一緒に薬を作っている医院長補佐が言っていた。


 バイトの帰り道、辻馬車乗り場に向かって歩いていると後ろから私を追い越した馬車が前方で停車した。馬車の扉が開かれると、中からマクウェルズが降りてきた。


「ルシア!」

「あら? マクウェルズ。どうしたの?」

「今日は、騎士団の訓練が早く終わったんだ。ルシアは、バイト帰りなのか?」

「えぇ、今日は早く終わったの」

「じゃぁ、この後で用事はないんだな?」

「うん。寮に帰るだけよ」


 私の返答に、馬車の扉前にマクウェルズが戻る。


「リックウェルズ、先に帰ってくれ。ルシアと王都を回ってから帰るからさ。帰りは辻馬車を拾うから……」


 そう言って、彼は停車していた馬車の扉を閉めた。


「ルシア、行こう!」

「何処へ? っていうか、どうしてマクウェルズがこの後の予定を勝手に決めるのよ」

「久しぶりにゆっくりする時間ができたんだ。付き合ってくれるだろう?」

「ふーん。仕方がないわね」


 こうして、初めて王都巡りをすることが出来たのは、授業の休憩時間に私が話したことをマクウェルズが覚えていたのだろう。

 王都の外れにある学院に入学したが、私はまだ王都を見て回ったことがない。この3年間で王都を堪能できる日が楽しみだと、皆に話したのだ。見て回ることはできるだろうけど、高級店が並ぶ王都の店内に一人で入る勇気を持ち合わせてはいない。その為に、足が遠退いていたのだ。


 マクウェルズは、優しい。平民の私にも平等に接してくれるし、クラスの皆から慕われているのが分かるわ。……でも、人気者なのに攻略対象者ではないのよね?


「何か食べたい物は? あっ、女子達が騒いでいたカフェに入ってみるか?」

「うん。行ってみよう!」


 その日は、カフェ自慢の特大パンケーキを存分に味わい、その後で雑貨屋と可愛いワンピースが飾られた洋裁店に入店することが出来た。


「マクウェルズ、今日はありがとう。スッゴクたのしかったわ。……それと、ごめんね。私なんかと一緒に居たから、好奇な目で見られちゃったわよね」

「だからさぁー、自分を卑下するの辞めろって」

「うん。今だけ、もうしないわ! じゃぁ、また明日ね」

「あっ、ま、待て! さっき雑貨屋で買ったんだ。パンケーキご馳走になったからな。お礼だ」


 掴まれた手の平に載せられたのは、アメジスト色の目をした小さなウサギのホルダーだ。私の目の色と合わせてくれたのだろう。


「いいの? 可愛くて、買おうか迷っていたのよ! ありがとう、大事にするね」


 誰にでも優しい彼だが、こんな事をされると違う方向に考えてしまうのが女の子なのに……。悪い言葉で言えば、天然のタラシだわ。でも、気分はとてもいい。今回は、素直によろこんで頂戴することにした。


 楽しい学院生活を送っていた為に、この世界がゲームの世界だとすっかり忘れて日々を過ごすようになっていた。

 いつの間にか暑い夏がやって来る。夏の長期休暇では、友人が別荘へと誘ってくれたり、仲の良い寮の皆でバーベキューをしたり。マクウェルズから王都散策に誘われて、数人であちこち歩いて色々食べ尽くした。

 知らず知らずのうちに時が流れ気温が徐々に下がってくると、あっという間に冬の長期休暇が訪れた。学院の図書館で魔法の本を読むのが楽しくて、覚えた魔法を修練場で試してみたり。年の瀬には、学院に入学してから初めて自宅へと帰ることが出来た。久しぶりの我が家の食事は素朴だが、焼き立ての両親のパンは最高に美味しくて温かな味に癒された。


 桜の花がぽつりぽつりと咲き始める。

 ……ゲームの世界でも卒業式には桜なんだ。明日は、最高学年である3年生達の卒業式。教室の窓の外を眺めると、何だか日本の四季と同じだなーと、ぼんやりしながら光景を眺める。


「どうした? 具合でも悪いのか?」


 後ろから、心配そうにマクウェルズが声をかけてくる。


「いいえ。ただ、眺めていただけよ」

「考え事でもしてたのか?」

「……2年後の私達の卒業式にも桜の花が咲いているといいなーって、思って見ていたの」

「2年後か。あっという間なんだろうな」

「うん。マクウェルズは、卒業後はそのまま騎士になるの?」

「あぁ、そのつもりだよ」

「ルシアは? 卒業後は何になる予定?」

「私? そうね……花嫁になるわ」

「はっ? 花嫁? って、ルシアは婚約者がいるの?」

「ん? いないよ。卒業したら直ぐに結婚相手を見つけるわ」


――ゲーム通りのエンディングならね!

  なんて、言えるわけないけど


 あっという間に1年が過ぎたけど、何もせずに終わったわ。いまだにチャームも使えないし。登場人物たちと話したくても、会うこともない。そもそも、専攻科とは1年間、建物が違かった。2学年になり建物が一緒になっても、階が違う。攻略対象者達と会う機会はほとんどない。

 学院卒業後に花嫁になるなんて言ったけど、就職先を選んだ方が早く決まりそうだな。だって、嫁ぐ先はチャームが発動していないと。そう思っていたのに――。








 春の長期休暇で実家に帰省する。

 この時間、母さんは店番をしているわね。そう思い、店の扉を開く「カランカラン」と扉に付けられている鈴が鳴る。「ただいま」と声をかけるが返事はない。母さんは席を外しているみたいだ。いつもと違う様子の店内に首を左右に動かしてみる。小さい店の中に並んでいるはずのパンがほとんど無い。どうしたのだろう? 店の様子が可怪しい。

 そう言えば、冬の長期休暇に帰省したときにも異変を感じてはいたが、ここまでパンが少なくなかったわよね。時間帯を考えると、まだここまでパンが売れているとは思えないのだけど。


 並んだパンを見ながら、そう考えているとパンに付けられている値札に視線が止まる。えっ? パンの値段が……どうしてこんなに高いの? 値札には、今までの1.5倍の金額が書かれている。だからといって、パンが大きく作られている訳でもないし。


「あら? ルシア? おかえり!」


 店の奥から顔を出したのは、母さんだ。

 母さんは、いつもと変わらない柔らかな笑顔を浮かべる。


「ただいま。どこに居たの?」


 洗濯物をしていたのだと言ってお茶を淹れ始めた母さんに、店の様子について尋ねる。


「昨年は、日照りで雨が降らなかったからね。小麦が不作だったのよ。その為に冬から小麦粉が高騰して、パンの値段を上げたのだけど――」


 値段が上がったのはパンだけではなかった。小麦粉を使った食材の高騰は、平民の食卓に並ぶ食べ物を変えた。パンの代わりに芋粉やトウモロコシの粉を使った料理が主流になっているのだと母さんが困り顔で話す。高い値段のパンを買う人が減ったため、自ずと作る量が減ったのだ。


 テーブルの上に置かれたお茶に視線を落とす母さんの姿を見ると、少しやつれた顔をしている。その姿にチクリと胸に痛みが走る。


 私は、特待生として学院に通えているが、学費と寮の使用料が免除されているだけで寮で使用する光熱費や食費は自己負担となっている。学食での昼食代は、アルバイトのお金で支払っている。それでも、我が家には、かなり痛い出費である。


「そんな、しょげないで頂戴。心配しなくて大丈夫だから、ルシアは頑張って沢山学んできなさい」


 そう言われても、私が学院へと通うようになってからは、父さんは私の代わりにパンの配達をするようになったし、母さんだって店番をしながらレース縫いの内職をしている。これ以上、両親には負担を掛けたくはない。学院の入学式の日みたいに、母さんがまた火傷を負ったらと思い、私は身震いがした。


 両親の負担を少しでも減らせるようにしたい。そう考えると、土日の手伝いの時間を長くしてもらえるように治療院で話をしてみようと思う。

 私の我儘で、両親に大変な思いをさせているのが心苦しいから。






 休暇を終え2学年へと進級する。いつもと変わらない学院での日常が始まった。


 入学してから毎朝思うのは、クラスの皆と仲良くしたい、嫌われたくはないということだ。クラスのほとんどが、下位貴族の令息令嬢のため、みんなとは何事もなく仲良く学院生活を送りたいのだ。

 そんな中、今まで私を毛嫌いしていたクラス内の下位貴族の令嬢たちの様子が今までとなんだか違う。いつもなら、蔑んだ瞳を向け嫌味を告げてくる人たちが私に話しかけてくるようになったのだ。


――なんか変な感じね

   でも、これって……


 この雰囲気は、ゲーム内でのチャーム発動中のときの場面に思える。

 日に日に会話が増えて来ているし、和気あいあいとほんわかした雰囲気。やっぱり、可怪しい。

 そうした中で、私は驚愕の話を耳にする。

 令嬢達の会話の中で、先日行われたという茶会の話を聞いていたときのこと。その茶会には、ユリエルが珍しく参加していたという内容が話されていた。話の中で「ユリエル様の次の婚約者は誰になるのかしらね」そんな言葉を耳にしたのだ。


……次の婚約者とは? どういうこと?

  不可解な内容に私は首を傾げる。


「ユリエル様は、幼少期の頃からレイシュベルト殿下と婚約を結んでいますよね?」

「いいえ。ユリエル様が幼い頃から婚約していた方はマービラウス・グロウェル様ですわ。といっても、今ではその婚約は解消されたみたいですが」


――えっ?


 レイシュベルトとユリエルが婚約していない? ゲームでは、幼少期にレイシュベルトがユリエルに一目惚れして婚約を申し出たということだった。

 入学して直ぐに行われた交流会での様子でも、レイシュベルトが彼女のことを好きなのがありありと感じ取れたのに? なのに、どうして婚約していないの? 申し込まなかったわけ?


 考えたところで埒は明かない。それならば、本人に直接聞いて見た方が早い。そう思うと、放課後に昇降口でレイシュベルトを待ち伏せすることにした。


 階段を側近達と降りてくるレイシュベルトの後ろには、高位貴族の令嬢達が連なっている。だからといって、ここで怯むわけにはいかないわ。


「レ、レイシュベルト殿下。私は一般クラスに通う、ルシアと申します。不躾ながら、お尋ねしたいことがございます」


 殿下の前でそう告げると、後ろから先に声を上げられる。


「一般クラスのルシア嬢といったら、特別枠で満点合格して入学したという……」

「俺も知っているよ。ルシア嬢は、入学してからも満点以下を取ったことは一度もない勤勉な令嬢だと」

「ルシア嬢のことは、マクウェルズと仲の良い友人だと聞いてるよ」


 ナルビニア侯爵家の令息ガーディル。ヴィンテン伯爵家の令息ロイド。スターリンド伯爵家の令息リックウェルズの側近の3人が、興味津々と笑顔を向ける。


「この3人が笑うとは、ルシア嬢は随分と高い評価がされているのだな。それで? 俺に尋ねたいこととはなんだ?」


 令嬢達の視線による圧が凄まじく、その様子に側近達が場所を移すことを提案すると、私達は学院の中庭へと移動した。


「突然で、申し訳ありません。失礼を承知の上でお聞きしたいのですが、レイシュベルト殿下がユリエル様と婚約を結んでいらっしゃらない理由をお尋ねしたかったのです」

「……。ユリエルとは、婚約しているが? なぜ? ルシア嬢に関係ないだろう?」

「えっ? 婚約している?」


 私の疑問に答えたのは、側近の3人だった。


「殿下は、シフォンガイ嬢と婚約したばかりだよ」

「前回は、ちょっとの差で掻っ攫われたからな」

「そうそう。今回は、間に合ってよかったよ。やっと、彼女と婚約出来たんだ」


 しかめっ面でレイシュベルトが3人を見る。余計なことを言うなと言わんばかりの表情だ。


「そうだったのですね。ユリエル様も、さぞお喜びでしょう。レイシュベルト殿下の事が大好きですからね。羨ましいです」

「……ユリエルが俺のことを?」

「はい。そうです」


 驚きの表情を向けて尋ねてくるレイシュベルトに、私は首を傾げる。


 ゲーム内でのユリエルは、レイシュベルトと仲の良いルシアに嫉妬して虐めるくらい彼のことが好きだった。『大好きですからね』なんて言葉にしたが、多分それ以上だと思う。彼女は、執着する程にレイシュベルトしか見えていないのだ。


 でも、直接聞いてよかった。二人が婚約したということは……。やっぱり最近の違和感は、既にチャームが発動していたのだと知ることが出来た。


 

 それからというもの、レイシュベルトとはかなりの頻度で会話をするようになった。といっても、内容はユリエルの事ばかり。

 彼と会う度に側近達の表情は、チャームによって甘い表情へと変わってきている。それなのに、レイシュベルトには効果があまり見られない。だからといって、普段の口調で会話を楽しむことを許されているのは、紛れもなくチャームの効果だとも思う。

 ありったけの記憶を引っ張りだしたところで、ゲームの内容と今の状況は全く違うし、どうしたら彼は私に堕ちるのだろう。

 ゲーム内では、レイシュベルトがルシアに堕ち始めたのはチャームの力だけではなかった。イベントでの魔法試験中、ユリエルがルシアを押しのけてレイシュベルトの腕に抱きついたとき、ルシアが怪我をした。そのとき、彼はユリエルへの気持ちを完全に捨てたのだった。そして、その出来事の後から彼の気持ちは一気にルシアへと向いていった。


 ……となると、今解るのはユリエルがレイシュベルトと私の仲を嫉妬すればするほど、チャームの効果が現れるということだけだ。


「レイシュベルト殿下は、ユリエル様とデートするときはどんな場所に行くのですか?」

「いや、まだ何処にも出かけたことはない」

「では、舞踏会とかで一緒にダンスを踊る程度なのですね」

「いや、まだ催しに一緒に参加したこともない」

「えっ? ユリエル様が可哀想! 好きな人からドレスを贈られて、そのドレスを着て一緒にダンスが出来るって、最高のプレゼントなのに!」

「そうなのか?」

「そうですよ。愛されているって実感出来るし、ますます好きになっちゃいますね」


 まさか、婚約しただけでまだお茶もしていないとは。レイシュベルトは、忙しくてだなんて言っているが……どうだか?

 好きな人との時間は、何としても必要だと私が言えば、側近の3人も何度も頷く。



 その後、やっと夜会で一緒に踊ることが出来たが踊り終わるとユリエルが泣きそうな顔で会場から姿を消したと相談される。嬉しさと恥ずかしさで感極まったのだろう。やっとこ、二人の仲は進展し始めたのかと私は胸を撫で下ろす。


 でも、ちょっと気になる事がある。

 レイシュベルトと私が会話をしているときに何度もユリエルに見られている。それなのに、注意すらされない。いや、それ以前の問題なのかも知れないのは、彼女が無表情で素通りして行くこと。何とも思っていないような素振り……多分、彼女は嫉妬しているのだが、悪役令嬢にならないように平静を保っているのでは? それなら辻褄が合う。でもこれは、由々しき問題だ。彼女が悪役令嬢として動いてくれないと、私のフラグが立たないじゃん。


 このまま、急ピッチで二人には熱々の仲になってもらわなければ。

 学院は、もう少しで夏の長期休暇に入る。となれば、その間にユリエルのレイシュベルトへの恋心を育ててもらいたい。そうなれば、長期休暇後からは私がレイシュベルトに付きまとうことで彼女に嫉妬させ、チャームの効果が上げられる。これしかない。そう思うと、私は急いで筆を執った。


 次の日、ピンク色の可愛らしい封筒を、マクウェルズに渡す。


「……えっ? 俺に?」

「ユリエル・シフォンガイ様に渡してほしいのだけど」

「な、なんだ。ビックリした。でも、シフォンガイ嬢に?」

「うん。上位貴族の友人は、マクウェルズだけだから。他に頼める人が思いつかなくて」

「渡すのはいいが……まさか、シフォンガイ嬢とレイシュベルト殿下を取り合うとかの内容じゃないよな?」


 不審そうなマクウェルズの表情を前に、私の表情は固まった。

 手紙の内容のことではなく、彼の口から出た言葉『レイシュベルトを取り合う』。そんな風に、マクウェルズに見られていたのかと思うと、胸が締めつけられるように痛む。

 確かに、私はレイシュベルトを攻略するつもりだ。


 ……だって……私はヒロインだから





 授業が終わると鞄を持って教室を出る。深呼吸を繰り返しながら廊下を過ぎると校舎裏へと通じる扉を開く。

 外に出ると温かな風が頬をかすめる。同時に、私の口から「ふぅ」吐き出された吐息は風にかき消された。


――ユリエルは来るだろうか?


 真っすぐ前を向いて、待ち合わせの場所へと足を進める。数歩、歩いたところで美しい彼女の姿を視界に捉える。


――やはり、彼女も転生者だったのね


 マクウェルズに渡してもらった手紙。それを読むことができた彼女は間違いなく転生者だ。手紙に書いた文字は日本語だったのだ。


 彼女の前まで来ると、私は足を止めた。


「平民である貴女が、侯爵家の令嬢であるわたくしを呼び出すとは、何のお話でしょうか?」


 ストロベリー色の艶のある髪が風に揺れ、美しい彼女の表情は私を睨むかのように見据える。こんな状況だけど、彼女の美しさに見惚れてしまう。

 でも、今はそれどころではない。今後の人生が懸かっているのだ。私は覚悟を決め、大きく息を吸った後で想いを吐き出した。


「どうして入学するまでに、レイシュベルトと婚約していなかったのよ! 悪役令嬢に転生したアンタには、不幸しかないんだから!」


 あっ……。

 彼女を傷つけるような、酷い言葉を吐き出すつもりじゃなかったのに。こんな言い方をするつもりはなかった。それなのに……なぜか、先ほどのマクウェルズの表情が脳裏にちらついたとたん、酷い言葉を口に出していた。

 ユリエルがゲーム通りに幼少期からレイシュベルトと婚約していれば、マクウェルズにあんな表情をされなくて済んだのに。そんなことを考えていたから……八つ当たりのような言葉で彼女を傷つけてしまった。


 驚いてきょとんとしている彼女に、気まずさを感じると、ふわりと温かな風が頬を撫で私の気持ちを落ち着かせる。


「ごめんなさい。口に出してしまった言葉は本心ではないの。色々あって、モヤモヤしちゃって。ユリエル様を傷つけようとしてお会いしたかったわけではないのです。……ユリエル様は、ここが『花乙』の中って知っていますよね」

「色々あって、ですか。わたくしも、色々あるので分かりますわ。謝罪を受け入れます。ルシア様のお陰で、ゲームの題名が『花と乙女』だったと思い出せました」


 彼女は、そう言って表情を和らげる。


 しかし、思い出せた? ということは、覚えていなかったということよね? まさか、プレイしたことがない……なんて言われたらどうしよう。もしそうなら、内容なんて全然解らないはずだし。 


「どこまで進めてから、こちらに来ましたか?」

「どこまでと聞かれても……よく覚えておりませんが、途中までかしら」

「えっ? 途中までしかやってなかったの?」


 最悪のプレイしたことがない、という返事ではなかったが、途中までとは……曖昧な言葉に唖然とする。途中って、どの辺までが途中なの?

 仕方がない。それならば、ざっくばらんに『花乙』を語るしかないわ。その後で、彼女の考えを聞き出してみよう。


 そう考えると、私はプロローグからエピローグまでの流れを簡単に話した後で、イベントなどの発生条件を説明した。


「凄いわね。とても物知りだわ。……でも、ゲームの世界に転生したからといって、ゲーム通りに生きていかなくてもいいのよね」


 悪役令嬢としてユリエルとなった彼女にはゲームの内容なんてどうでもいいようで、彼女はこの世界で好きに生きているようだ。ユリエルだけど、ユリエルじゃない。その様子に私は苛立ちを感じた。

 それなのに、なぜか彼女が羨ましいとも思う。


「悪役令嬢としてゲーム通りにしてくれないと、私がヒロインとして進めなくなるわ」


 そう告げると、彼女は上瞼を落とした。

 次に開かれた瞳は優しい眼差しで、彼女は私を包み込むように微笑む。


「今は、チャームが使えるようになったのでしょうか?」

「も、もちろんよ! レイシュベルトを落としてみせるから覚悟しときなさい」

「それならば、頑張ってゲームを進行して下さい。私も頑張って悪役に徹しますわ」


――はいぃ? 悪役に徹する?

  やっと、レイシュベルトの婚約者に

  なれたのに?

  今、私はゲームの内容を

  教えたばかりよね?


 彼女は、私を利用すればいいと返答してきたのだ。願ってもいないことだけど、ユリエルはそれでいいの?


 彼女はそう告げると、口角を上げ悪役令嬢らしい薄ら笑いを見せた。


 髪を泳がせながら去っていく彼女の姿が見えなくなると、その場で動けずに佇んでいた私は空を見上げる。


「ルシア。……帰ろう」


 後ろから呼ばれた声に顔を向ければ、なぜかマクウェルズの浮かない表情があった。


「……うん」


 私がユリエルに暴言を吐くとでも思っていたのだろうか? その場に居るはずのない彼と、何も問いたださない私の間に、うっすらと肌寒い空気が流れたように感じる。


 こんな話になるとは思わなかった。ユリエルは、多分だけど……私をヒロインにする為に「悪役に徹する」と言ったのでは?


 何がなんだか分からなくなってしまった。それに、マクウェルズの浮かない表情を見て思い出した以前の私『ゲーム通りではないけれど、せっかく生まれ変わった2度目の人生。それならば、この世界を楽しもう』そう思う日もあった。チャームが発動されていなくても、友人ができ楽しい日々を送っていた。それなのに、今私はこの世界を楽しんでいるのだろうか。






 ユリエルと話をしてから彼女のことも分からなくなった。ゲームと同じで、彼女はレイシュベルトが大好きなのだと思っていたが、そうではないような。ゲームの中のユリエルになるつもりはないのだろう。

 彼女に会うことで、気分が晴れるはずだった。なのに、モヤモヤとしながら時間だけが過ぎて行く。

 何度か彼女と話をしたくて昇降口で待ち伏せしてみた。でも、色々と考えてはいるものの、話す言葉が見つからない。

 最近の私は、『花乙』のルシアと、ルシアじゃない私が混ざっているような。こんなこと、宣戦布告をしたユリエルに相談なんかできないよ。

 「やるしかないよね」口癖となった独り言は、せざるを得ない事柄だと自分自身に言い聞かせているかのようだ。


――前世で『花乙』は

  「やりたい」からプレイしていたのに

  ゲームの中の世界では

  「やるしかない」と思うなんて



「……ルシア? 最近、元気がないな。悩み事があるなら言ったほうがいいぞ」


 美しい顔で覗き込むレイシュベルトの心配そうな表情を見ても、全然ときめかない。


「もしかして、あの噂の事じゃないのか?」

「ルシアから相談されるまでは何も言わないでいたが、そうだろうな」

「信じられないことでしたが、本当のようですね」


 側近の3人が、口を揃えて訝しげな表情で話をしている。


「噂って? 私から相談されるまで? とは、何のこと?」


 彼らが言うには、度々昇降口でユリエルを待っていた私が、どうも彼女に謝る機会を見計らっているらしいと、皆が噂しているというのだ。しかし、虐められていた様子など誰も見たことはない。そのため、ユリエル本人からの言動ではなく、彼女が第三者を使って私を虐めているのだろうという内容だった。


「俺との仲を嫉妬してだと?」

「レイシュベルト殿下とルシアが笑いながら会話しているのが許せないって、俺は聞きましたよ」

「俺も、そんな感じで聞いたよ」

「平民の分際でって、言ってるらしいね」

「ちょっと待って! 私は、ユリエル様に虐められたことなんてないわ」

「じゃぁ、どうして昇降口で彼女を待っていたりしたんだ?」

「そ、それは……」


 答えられない私に、彼らは噂の話は本当だと思ったようだ。


「ルシアは優しいから、虐められてもユリエルの事も庇えるのだな」

「ち、違うわ」

「大丈夫だ。分かっているよ」


 何が分かっているというのだろうか、私の言葉が彼らには届かない様子に、これ以上何を言っても無駄だと思うと私は口を閉じた。


 正直、ユリエルをどう思うかと考えれば、私は彼女が嫌いではない。この世界に転生してきた同士なのだ。ただし、対抗者としてだが。こんな立ち位置でなければ、彼女と友人になれただろうか。


 彼女は「悪役に徹する」と言ってくれた。それなのに、いつまでもグダグダしているなんて彼女に申し訳ない。ならば、私もヒロインとして一貫した態度でいよう。

 そう心で秘めた思いが、最後に粉々に砕かれることになるとは、このときは夢にも思わなかった。








 ある日の下校時のこと。昇降口でレイシュベルトと笑顔で話をしていると、ユリエルが階段から降りてきた。

 ゲームの場面が私の頭をよぎる。この場でのヒロインの言動とは……を瞬時に脳内の引き出しからチョイスする。……これだ。


「ユリエル様、ごめんなさい。レイシュベルト殿下に近づかないようにって、注意されていたのに、私ったら……」


 泣き真似をして、彼女の出方を待つ。ユリエルは一瞬驚いたようだったが、瞬時に悪役になりきった。


「あら? 謝るのであれば、次回からは言動に気をつけて下さいね。注意だけでは済まなくなりますわ」


 私を睨むかのような表情を作り、そう告げてきたのだ。彼女は、悪役に徹してくれている。そう思うと感極まった。

 それからというもの、私のアドリブでの言動にどう対応してくれるのかと思うと楽しくて、彼女が現れる度に私はイベントの脳内引出しを引っ張った。


 急ごしらえのイベントを阿吽の呼吸で乗り切る彼女に、私は心が弾む。彼女とこの世界に転生出来たことを、心から嬉しく思う。


 反面、レイシュベルトは何も変わらずだ。

 どんなに可哀想なルシアを見せても逆効果。彼女が悪役に徹すれば徹する程にユリエルの愛が伝わってくるらしい。

 側近の3人が何を言っても聞く耳持たず、脳内お花畑になる始末。

「嫉妬してくれている姿も愛らしい」などと、私に伝えてくるようになったのだ。


 そんなに、ユリエルのことが好きなのに、私はレイシュベルトと彼女の仲睦まじくしているところを見たこともない。

 レイシュベルト曰く、幼い頃にユリエルが婚約していたことが原因だという。どうも、婚約の申し出をする前に、タッチの差でユリエルが公爵家の令息と先に婚約してしまったのだとか。

 悔しさと嫉妬を今でも引き摺って、ユリエルには歪んだ対応しか出来なくなったみたいだ。

 だからといって、好きな女性にする態度ではないと思う。あれはないよね。ユリエルがレイシュベルトとの婚約破棄を望んでいるのが、手に取るように分かるよ。最近のユリエルとのやり取りで、彼女の考えていることが解ってきた。恐らく、彼女はレイシュベルトが嫌いだ。彼女は、ユリエルという登場人物としてここで生きていくつもりはないのだろう。彼女は、彼女らしく生きているのだ。


――やっぱり、彼女が羨ましい

  私も彼女のようになりたいな


 ユリエルとの即席イベントをする度に、そう思うようになった。好感を持てないレイシュベルトに、私は何を望んでこんなことをし続けているのだろう? もしも、彼がユリエルからルシアに乗り換えたら? いや、あんな男と一緒になるのは願い下げ。見た目が良くても、お金持ちでも……無理だわ。


 ここに来て、グダグダしていた私の意思もようやく固まってきた。3年間の学院生活の幕が閉じるのは残りわずかだというのに。でも、まだ間に合う。卒業式までに、彼女が彼女らしく生きて行けるように。そして、私も私らしく生きて行けるように。最後まで、足掻いてみせる。






 明日の卒業式を前に、今日は午後から予行練習が行われる予定になっている。

 教室では、皆が最後のクラスでの時間に寂しさを感じているようだ。


「ルシア、明日の卒業式の後でクラスのみんなで集まろうって話になってるのよ」

「そうそう。ちょっとした記念にしようって!」

「だから、卒業式が終わったら絶対に教室まで来てくれる?」

「うん。分かったわ! 絶対に来るね」

「約束よ! 皆で最後に盛り上がろうね」

「うん」


 教室内を見渡せば、今更だけどクラスの皆と3年間を過ごすことが出来てよかったなと、しみじみ思う。平民にも手を差し伸べてくれる貴族の令息令嬢がいるのだと、入学したての私は驚愕したっけ。


 視界の端でカーテンがふわりと揺れ動く。教室内の熱気を逃がそうと誰かが窓を開けっ放しにしていたのだろうかと視線をずらす。すると、窓枠にもたれ掛かってこちらを見ている視線と私の視線が重なり合った。

 柔らかな笑みを作った彼の眼差しに、私は全身が発熱したかのようになる。こんな私じゃ、その甘い視線には応えられない。『お願い私を見ないで』そう心の中で呟くと、私は顔を背けて席を立ち、早々に教室を後にした。


 レイシュベルトに誘われ、学食の個室で昼食を終えると、彼はこの後の予行練習が始まる前に、ユリエルに婚約破棄を言い渡すと言い出した。突然の事に驚くが、続けて目論見を話す彼の言葉には呆れて物申す気にもなれずだ。側近の彼らは、前もって知らされていたようで表情も変えずに話を聞いている。

 ユリエルは、どう出るのだろう。彼女の真意までは分からない。ならば、今から私は傍観者に徹しようと決意した。


 学食を後にすると、私達は会場となる大講堂へと歩みを進める。全く以て気が重い。本当ならば、両手を叩いて嬉しがるところだと思う。だって、婚約破棄だよ? 婚約破棄の場面の後でエンディングが始まるのに。


 大講堂へと向かう渡り廊下で空を見上げると、雲の隙間から眩しい光が私に降りそそぐ。視線をレイシュベルトへと戻すと、私は小さく息を吐き出し大講堂の扉をくぐった。

 






「ユリエル・シフォンガイ!」


 私に背を向けて立つレイシュベルトが、大きな声でユリエルを呼ぶ。

 大講堂内でも彼女がどこに居るのか、髪の色で直ぐに分かる。

 彼女の下へと歩みを始めた殿下の後ろに付いて行けば。彼はユリエルの前で歩みを止めた。


「ユリエル・シフォンガイ侯爵令嬢。私は、貴女との婚約を破棄する。理由は、平民だからといってルシア嬢を虐めたことと、王族である私への横柄な態度だ。上位貴族の令嬢だというのに、謙虚さがなく私を小馬鹿にしているような貴女は、私の隣に立つ資格がない」


 レイシュベルトが冷ややかな口調でそう告げると、彼女は口角を上げニヤリと嗤った。

 私は小さく息を吸い込む。『悪役に徹する』彼女の真意が、その表情一つで理解できてしまったのだ。


――やっぱり、彼女は

  これを望んでいたのね


 彼女の視線の先は、レイシュベルトではなく、私に向けられている。彼女は、ゲーム通りに婚約破棄をされるのではなく自らの意思で婚約破棄をされるのだ、と言わんばかりの表情をしている。

 

「大勢の令息令嬢の前で婚約破棄を言い渡すとは、国王陛下の了承を得ているのでしょうか?」


「勿論だ。今までのシフォンガイ令嬢の罪とその行いに相当する処罰は、後日言い渡す。しかし、反省し心を入れ替えるならば――」


「皆様の前で口にしたからには、撤回もできませんわ」


「な……」


「婚約破棄、お受けいたします」



 完敗だ。彼女はこの世界で、ユリエルという悪役令嬢として生を授かったが、ユリエルという人物ではなく自分を尊重して生きてきた。

 彼女は、王子妃となる未来を選択しなかった。多分、彼女が私に向けた笑みは、私へのエールだ。その表情からは『あなたも、この生を楽しんだら?』そんな言葉が聞こえたような気がする。


 彼女に向けられた視線に、私はそれに応えるかのように満面の笑みを作って見せた。






 太陽がキラリと輝く青空の下。卒業生らが次々と大講堂前に集まる。

 昨日の事は、忘れ去られたように口に出す者は誰一人いない。

 そんな中、ユリエルは彫刻のように美しい令息にエスコートされて登場した。

 艶のあるシルバーアッシュの髪に、切れ長の澄んだ薄紫色の瞳? ゲームの登場人物には居なかった。友人達に、彼が誰だか聞いてみる。


「マービラウス・グロウェル様よ。グロウェル公爵家の令息で、二人は幼い頃から婚約していたのですわ。グロウェル様は、ずっと留学していらしたのですが、戻って来たのですね。お揃いの衣装だなんて羨ましいわ」

「本当に、美男美女の二人は絵になりますわね。お揃いの衣装を身に着けての登場とは、グロウェル様の贈り物なのでしょう。ユリエル様が羨ましいです」


 友人がもたらした情報に、私は胸を撫で下ろす。なんとなく、昨日のことが気になっていたのだ。本当に、婚約破棄を望んでいたのかと。


 二人の下にレイシュベルトが加わって何かを話しているようだが、ユリエルの表情はとても晴れやかだ。


 レイシュベルトの前だというのに、グロウェル様がユリエルの額に唇を落とす。

 その勇気ある行動に、私は開いた口が塞がらない。


 すると、ユリエルが私に視線を送ってくる。口を動かし何かを告げられたけど、その後で見せた彼女の満面の笑みを見れば自ずと分かる。


 卒業式が始まると、私はチャームの発動を停止した。ヒロインでなくなる私には、もう必要がないからだ。

 やっと、自分が自分でいられるような安堵感が押し寄せてくる。涙が溢れ出る。これからの人生は、私であり続けられる。ゲームのヒロインになろうと必死だった私はもう居ない。


 卒業式が終わりを迎えると、直ぐにレイシュベルトの下へと急いだ。

 彼は、国王夫妻と学院長が話をしている場に一緒にいたが、私に気づくと柔らかく微笑む。


「父上、以前に話をしていたルシア嬢です」

「はじめまして、ルシアと申します」

「ふむ。学院長からも話は聞いている。学院を特別枠で満点入学しただけでなく、卒業まで首席を貫いたお嬢さんだとな」

「ありがとうございます。……国王陛下。私は罰を受けなければなりません」


 私の言葉に、国王夫妻と学院長が眉間にしわを寄せる。そして、レイシュベルトと側近の3人は交互に顔を見合わせた。私は、固唾を飲むと勇気を出して次の言葉を口にした。


「私には、魅了の力があります」


 更に、しわを深める国王陛下の顔に、私は一気に血の気が引く。でも、これだけは最後まで伝えなくてはならない。


「学院の2年生へと進級して、しばらくしてから魅了の力が使えるようになりました」

「ふむ。して、それからどうしたのだ」

「先ほど、卒業式が……始まると同時に……停止しました」

「そうか。自ら停止出来たのだな。……レイシュベルト、そなたの意見を聞くが、在学中このことに関するような何かしら問題が発生したことは?」

「ありません」


 レイシュベルトの返答のあとで、学院長が国王陛下になにやら耳打ちすると、次に陛下はレイシュベルトの後ろにいる側近3人に問いかけた。

 しかし、彼らの返答もレイシュベルトと変わりなく、今の気持ちの状態も式の前とは何も変わらず変動していないと返答した。


「ルシア嬢は、何を思って魅了を発動しましたか?」


 国王陛下の後ろから問われた声に私が視線を向けると、王妃殿下が微笑みながら私の前までくる。


「はい。……私は平民なので、貴族の皆と仲良くしたいって思って……嫌われたくないって思っていたと同時に発動していました」


「ふふっ。友情を望んでとは、可愛らしいお心をお持ちなのですね。魅了は、神から与えられたギフトで、一度停止してしまうと二度と発動が出来ないことはご存じですか?」


 俯いてしまった私の視線の先にある、王妃殿下の右手に持っている閉じた扇の先が左手の上に置かれる。

 顔を上げ王妃殿下を見ると視線が重なり、それを合図にしたかのように、彼女は魅了が使えなくなったことを告げてくる。


 私だって、分かっている。百も承知で停止したのだ。それに、私には必要ないんだって思ったから。魅了の力があったから、情緒不安定になることが多かったんだと思うし。何よりも、この世界の人生が楽しめなくなったんだもん。ユリエルを見ていて気がついたんだ。私もこの世界で、私らしく生きて行きたいって。


「はい。知っています」


「さすが、学院を首席で卒業された方だわ。物知りなのね。しかし、発動したからといって、そんな理由では罰を与えることなど出来ないわ。ねっ、陛下」

「罰を受けることをしていない者に、罰を与えることは出来ん。罰よりも、ルシア嬢には褒賞を与えたいと思うのだが。ルシア嬢は在学中の3年間、学院に通いながら治療院で薬を作っていたというではないか。それも、出来上がった薬に治癒魔法を行使していたと学院長から聞いたのだ」

「はい。でも、治療院に通っていたのは学院内での食事代を稼ぐためだったので、自分のために働いていただけです」

「ふむ。そうか。それでも、ルシア嬢の行いは国民のためにしたことと同じ意義である。褒賞が欲しくなったら城まで来るように」


 国王陛下は、柔らかな笑みを見せると王妃殿下と腕を組み、その場から去っていった。

 二人の後ろ姿に、私は何かを忘れているような気がしてならなかった。

 その後を追うように、学院長とレイシュベルトたちも居なくなると、私は体を震わせる。冷や汗をたくさんかいていたらしい。身体中が汗でびっしょりだ。







 遅くなってしまったが、急いで教室へと向かう。「卒業式が終わったら絶対に教室まで来てくれる?」クラスの友人に誘われていた言葉が頭の中に響き渡る。


 教室の扉を開くと、人の気配は感じられなくシーンと静まり返っている。

 来るのが遅くなったから?

 それとも……チャームを停止したから?

 皆が離れてしまったのかも。そんなことを考えながら教室の中へと足を踏み込む。


「ルシア」


 名を呼ばれ振り返る。

 扉脇の壁にもたれかかっているのは……。


「び、びっくりしたわ! もう、マクウェルズったら、驚かさないで!」


「ルシア、話したいことがある」


 真剣な表情を向けて、マクウェルズが私の腕を掴んだ。


「ど、どうしたの? 貴族の令息が女性の腕を掴むなんて……」

「ずっと、ルシアのことが好きだった」

「あ、ありがとう。私もマクウェルズのこと大好きよ。一番最初に友人になってくれたのは貴方だった。平民の私と仲良くしてくれてありがとう。とても嬉しかったわ」

「友人としてじゃない。卒業後も、ずっとルシアと一緒に居たいんだ。卒業したら、花嫁になるんだろう? 俺の花嫁になって欲しい」


 ふわりとした薄茶色の前髪をかき上げる彼は、茹でダコのように真っ赤な顔でそう言った。


「な、何言ってるのよ! マクウェルズは伯爵家の令息でしょう? 平民の私なんかが結婚していい相手ではないわ」

「だから、自分を卑下するのは止めろって。それに、心配しなくても大丈夫だ。伯爵家の令息だとしても俺は三男だし、ルシアと結婚出来るよ。俺じゃ駄目か?」

「マクウェルズ。貴方には幸せになって欲しい。だから、貴族の令嬢を見つけ――」

「見つけない! ルシアは俺をどう思ってるんだ? 好きか嫌いかどっちだよ。今、大好きって言ったよな。俺の顔を見て、もう一度答えてくれ」

「だって、貴方の騎士になる夢は? 貴方の夢はどうなるのよ」

「平民の騎士だってたくさんいるよ。ルシア、俺の質問に答えてくれ。好きか嫌いか……だ。……泣くなよ」


 そう言って、マクウェルズは私を抱き寄せた。

 

 俺の顔を見てと彼は言ったが、彼の胸に顔を押し付けられてしまった。

 彼に回された腕が心地良く、私も彼の背に腕を回し力を込める。

 私の行動に、驚いた彼の体がピクリと動く。


「こんな幸せもありだよね」


 小さな声で呟けば、「幸せにする」と言って彼は私の頭上に唇を落とす。どうにか顔を上げ「大好き」と想いを告げると、薄紫の瞳が細められ彼の顔が私に近づく。そうして、私は瞼を下ろし彼の唇を受け入れた。


 手を繋いで教室から出ると、クラスの皆からの歓声に驚愕する。


「「「ルシア、おめでとう! お幸せに!」」」


 目の前には、卒業式を終えたばかりの一般クラス全員の顔が見受けられる。

 3年間の友情は、チャームの力がなくなった今も存在していた。


「みんな、ありがとう! 幸せになります!」

 


 目の前では、クラス全員からの祝福の言葉。

 隣には、手を繋いでいる大好きな未来の旦那様。


 私は……今、とても幸せだ。






 

最後までお読み下さり

ありがとうございました。


次回、嬉しい誤算シリーズ第三弾

ユリエルとルシアの

その後の話になります。

season3↑↑↑は

ヒューマンドラマのジャンル

にて投稿しました。


言葉足らずの内容など、シリーズ内で

解決していけたらなと思っております。


誤字脱字がありましたら

申し訳ございません。m(_ _;)m


いつも、誤字脱字報告をいただき

ありがとうございます。(人•͈ᴗ•͈)♡

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― 新着の感想 ―
なんだこのクソ女。自分の意志で火種ばらまいておきながら上手くいきそうになかったら責任転嫁って。時系列的に最後の方である卒業式での「ヒロインの私を蔑ろ~」という独白が本心だろうし(お互いの立場から考えた…
前作ではたぶんマクウェルズは出てきてないですよね? 前作ではルシアの落ち着き先がどこなのかはわからなかったから、気の無い元殿下とくっつけられちゃったのかな…と心配しましたが、マクウェルズと幸せを掴んで…
ルシアにもやる点はありますし王子が可哀想という面もなくはないですが、このコミュニケーションの下手さではどのみち厳しかったかな…と思わざるをえません^^;
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