第1話
───「本日の天気は昼から夕方にかけて、広い範囲で雨となることが予想されます。お出かけする際は、傘を忘れずに──────、ピッ。
テレビの煩わしいアナウンサーの声を中断させると同時に、やっとの思いでベッドから立ち上がった矢先、頭がズキズキと痛むことに気がついた。天気が変わりそうになるとすぐこれだ、全く鬱陶しい。
ベッドから離れてテーブルの上の偏頭痛の薬を手に取る。
そして水を飲むために冷蔵庫を開け、ペットボトルに手を伸ばすと、長方形の箱のような物体に手が触れた。
そうだ、これは今からちょうど一年前に、自ら命を絶った長男がその日の一週間ほど前に買っていたチョコレートだ。食べるのを忘れていたらしい。
私はこれに、何も手をつけることができず、食べることも捨てることもできないまま、丸々一年が過ぎてしまったのだ。 ...........息子の顔が頭に鮮明に浮かぶ....。
あの日の前日、息子は大学受験に失敗した。携帯で不合格の文字を見た途端に表情が固まり、携帯の画面に向けられた目線も全く動かさなくなってしまった。
私もどう声をかけたらいいのか分からないまま黙り込んでしまった。
その内、息子は無言で自分の部屋に入っていった。その後ろ姿を未だ私は忘れられていない。
何時間か経った後だろうか、部屋から出てきた息子はさっきのような悲壮感が消え、いつものような調子に戻っていた。
「お母さん、今日の夜ご飯なにー?」
「んー、じゃあ今日は張り切ってハンバーグ作っちゃ
おっかなー!」
こんな会話をしたのを憶えている。
そんな日の翌日に亡くなってしまった。家から少し離れた人気のない公園で、首を吊っていると知らせが入った。
受験の失敗による自殺...というのはよく聞く話だが、まさか自分の愛する息子が、と思った。もうその先のことは思い出すことはできない。それに、思い出したくもない。
少しだけ雨が弱まってきたので、レインコートを着て自転車に乗り、パートで働いているいつものスーパーへ向かう。そして到着したところで、またいつものように商品を棚に並べる。
しかし、周りの同僚の話し声で集中ができない。
中でも一番耳に入ってくるのは、棚の向こう側で二人で話している、自分より少し年上の女性達の話だ。
意識がそちらに傾く...。
「ねえねえ聞きました?佐藤さんとこの娘さん!
西谷大学に合格されたんですって!」
「あら、本当ですか!?頑張ったんですねー!でーも聞い
てくださいよ!うちの息子も大稲大学に進学することに
なったんですよ!」
「大稲!?息子さん賢いじゃないですか!」
「有難うございますぅ、ですけどもね、学校内推薦で
決まったもんですから入った後に周りについていけるの
か心配なんですよぉ〜!」
\アハハハハハ/
大稲大学.....そうだ、思い出した、息子が行きたかった
大学だ。複雑な気持ちを抱え込んだまま黙々と作業を続ける...。
やっと今日の分の仕事が終わったので帰宅の準備をして、家に向かう。明日、中学の卒業旅行がある娘はさすがにもう寝ているだろうか。そうだ、家に帰ったら明日の為に娘のお弁当を作らねば。まだ今日やるべきことは終わっていないという事実に、思わず大きいため息が漏れる。
家に着いた。娘が起きないようゆっくりとドアを開け、鍵を閉める。
お弁当に何を入れようか...。ああそういえば、枝豆があった気がする。確か冷蔵庫だ。
これまた、ゆっくりと冷蔵庫を開ける。
───────おや、?──────────
見間違い?、それとも寝ぼけている?はたまた流石に疲れているのだろうか?、冷蔵庫の中にあったチョコレートがなくなっている。しかし、その代わりに、元々チョコレートがあった位置に見た事もない"ビデオテープ"のような物が置いてあるのだ。まるでチョコレートと入れ替わったかのように。
この家には私と娘しかいない。娘のいたずら?いやいや、そんないたずらをする意味は全くと言っていい程ない。
そもそもそんな事をする程、馬鹿な子でもない。
一応それを取り出し、よく見てみた。かなり変わっているビデオテープだ。これまで生きてきた中で触ったことのない質感に独特の模様、おまけに匂いも生まれて初めて嗅ぐ匂いだ。一体これはなんなのだろう。そんな風に考えていると、夜中の12時をもう既に回っていることに気がついた。
まずい。娘を起こす為に私も明日、朝早く起きなければならないのに。そうして、そのビデオテープらしきものをベッドに放り投げ、急いでお弁当を作った。完成した後、まるで私は倒れるかのようにベッドに倒れ込み眠りについた。
「お母さん、今日の夜ご飯何ー?」
「んーー....あ!!久々にハンバーグでも作っちゃおっ
かなーーっ!」
「やったー!!じゃあ俺も今までお母さんが仕事頑張ってお
金貯めてくれたこととか、夜食作ってくれたりしたお返し
にさ!! これ!!あげるよ!!
「なーにこれー?」
「へへ!まあいつか分かるよ!!」
「ふーん...。ありがとね...!なんだかわからないけど...
今...すっごくうれしい.....!!」
「あ!あと言いたいことあったの忘れてた!
お母さん、あのさ!!」
────────「ママー!起きてー!ママー!!」
随分ぐっすりと眠っていたようだ。枕がヨダレで濡れている。私が娘に起こされる羽目になってしまった。
「もう!私が運良く起きてなかったら旅行行けないところだ
ったよ!きをつけてよね!てかなんで泣いてんの!」
泣いてる...?.........本当だ。涙が出ている。そして右手には、なぜかあのビデオテープを握りしめている。いや、理由はなんとなく分かる。
娘を送り、私はようやくこのテープを再生する決心をした。今朝見た夢がそんな気分にさせたのだ。
さあ、果たしてそれが正常に機能するかも分からないし、何も起こらないかもしれない。それでも、私はテレビの画面をまじまじと見つめた。
テープが再生される
なんだろう、この風景は。
ゆらめく木々、爽やかに吹く風、遠くにはこの国には到底
ないような大きな城に街、おとぎ話のような世界が、
そこには広がっていた。
青年が一人入ってきて、こちらを向いた。
━━━━━━━━━━━━衝撃が走った。
服装や装飾に違和感こそあるものの、その顔は
絶対に忘れることの出来ない
死した、我が子の顔だった
お読みいただき本当にありがとうございます