親子喧嘩
アンドレ・フォン・ヴェルツはエキナセア王国の中でも軍務系の有力な貴族だった。
彼には二人の息子がいたのだが、兄の方は不慮の事故で二十年以上前に亡くなったことになっており、現在は弟が跡取りとして貴族としての執務をこなしている。
その兄は、ベルナルド・フォン・ヴェルツという名だった。
「ヌウウゥゥゥン!」
ベルが大斧を振るう。
それだけで彼の周りには大きな風が起こり、土埃が舞い上がる。
アンドレは下から大剣を振り上げ、大斧の軌道を無理やり上に逸らした。
何もない空間を通り過ぎる大斧を見送ると、彼は小さな声で呪文を唱える。
「【木霊の悪戯】」
ベルの【木霊の悪戯】よりも二回りほど太い蔓が地面から飛び出し、ベルの足へと絡みつく。
「クッ…このっ…!」
ベルは全力で足を上げて強引に蔓を引きちぎった。
だがそのせいで体勢が悪くなったところに、アンドレの大剣が襲い掛かる。
ベルは咄嗟に大斧を構えてガードするも、アンドレの一撃を受け止めきれずにその衝撃で吹き飛ばされてしまった。
アンドレから離れた位置までゴロゴロと転がっていった彼は、すぐに立ち上がって体勢を立て直す。
「【種子弾丸】」
アンドレの前方に大きな紫色の蕾のようなものが現れ、破裂するように花弁が開くと中から種子の弾丸が飛び出してきた。
種子の弾丸は先が尖っていて、まともに当たれば体に風穴が空いてしまうかもしれない。
「【樹の盾】」
ベルは魔法を使って木でできた大盾を組み上げる。
大盾が飛んできた種子の弾丸をガードするが、そのうちのいくつかは衝撃を受け止めきれずに貫通し、ベルの二の腕に軽く傷をつけた。
それを見たアンドレは小さく鼻を鳴らす。
「フン…【樹の盾】でこの程度の攻撃も防げんとは。」
アンドレの冷たい視線がベルに突き刺さる。
「…別に死なんかったらそれでよかろう。それに、ワシには魔法よりもこの強靭な体がある!」
ベルはそう言うと両手で大斧を握り、アンドレのいる方へと駆け出した。
「【木霊の悪戯】」
アンドレは蔓でベルの足を止めようと、再び同じ魔法を唱える。
「ウオオオオオォォォォ!」
だが、ベルが大斧を軽く振るだけで彼の手前まで伸びていた蔓が切り裂かれ、その体を拘束することはなかった。
ベル地面に落ちた蔓を踏みつけながらアンドレの前まで走り抜けると、握っていた大斧を全力で真横に振る。
「【樹の盾】」
アンドレが使ったのは先程ベルが使ったものと同じ木の盾を生み出す魔法だ。
だが、ベルのそれとは比べ物にならない程練度が高く、種子の弾丸よりも威力の高いベルの渾身の一撃を完全に受け止めていた。
大斧を受けられて動きの止まったベルに、アンドレは大剣を横に薙いで返しの一撃を入れる。
斬るというよりも叩きつけると表現する方が適切なその一撃は、ベルを大きく吹き飛ばした。
「ハァ…チッ!」
重たい一撃を食らったベルの脇腹には鈍い痛みが残り、彼は舌打ちをしながら立ち上がると、忌々し気にアンドレの方を見る。
「…あの時と同じだな。」
アンドレが小さく呟く
あの時とは、ベルがヴェルツ家から逃げ出した時の事だ。
冒険者として街の外に出ては魔物を犯している事が明るみになったベル。
エキナセア王国の国教であるイリサイ教において、魔物は邪悪な生き物とされ忌み嫌われており、その邪悪な生き物と交わうことは禁忌とされている。
ヴェルツ家の力ではかばいきれないような禁忌を犯した結果、彼は秘密裏に殺されることになっていた。
しかし、ベルの暗殺にあたって一つだけ問題があった。
当時まだ成人したてのベルだったが、その特異な体質によって既に普通の騎士くらいなら一捻りにできる程に力があったのだ。
なので、数少ないベルに対抗できる人間である当主自ら暗殺を実行することになっていた。
ある夜、アンドレはベルを人目につかない場所へと呼び出す。
この時ベルも、アンドレが何をしようとしているのかについてはなんとなく理解していた。
他に誰もいない場所で二人が向かい合うと、どちらからともなく戦闘が始まった。
その戦いは一方的なものだった。
アンドレの魔法がベルを寄せ付けることなく放たれ続け、ベルは全く歯が立たなかった。
このままではアンドレに敵わずただただ死んでしまうと悟ったベルが選んだのは逃走だった。
アンドレに背を向けて全力で走る。
後ろから飛んでくる魔法を何発も食らい、深手を負って死の寸前まで追いやられるベル。
それでも彼は無我夢中で走った。
意識が混濁して何があったのかはもうほとんど忘れてしまっていたが、命からがらベルは奇跡的にアンドレから逃げ切ることに成功した。
そしてここからベルの逃亡生活が始まった。
アンドレの言葉に当時の事を思い出したベルだったが、すぐに頭を切り替える。
「なら本当にあの時と同じか…もういっぺん試してみるか?」
ベルはそう言うと、大斧を握りなおして駆け出す。
「何度やっても同じだ。【樹の盾】」
アンドレは再び木の大盾を前方に出した。
「オオオォォオオオ!」
一度止められていることなどお構いなしにベルは大盾へと大斧を叩きつける。
今度は大斧が木の大盾に深く食い込むも貫通させるまでには至らず、やはり彼の攻撃は止められてしまった。
それを見てアンドレは先程と同じようにベルへ一撃入れようと、大剣を大きく振りかぶる。
「そんなに死にたくばとっとと…」
「ほらよっ!」
ベルは大斧から手を離してポケットから素早く何かを取り出すと、アンドレの足元へと投げる。
それを見たアンドレは、急遽大剣の軌道を変えて投げられた何かを弾き返そうとする。
大剣と何かがぶつかった瞬間、轟音と共に大きな爆発が起こった。
ベルが投げた物は、魔王が【爆発】の魔法を込めた魔法爆弾だった。
衝撃波の後に炎が広がり、辺り一面が真っ赤に染まる。
「う…ガハハハハ!ワシゃあもうあの時とは違うんじゃ!」
燃え盛る炎の中で、火傷を負ったベルの大きな笑い声が響き渡る。
彼の視線の先には、同じように火傷を負って片膝をつくアンドレの姿があった。
「ゲホッゲホッ…ハァ…ハァ…」
彼は咄嗟に魔法で木の壁を作って爆発の衝撃を弱めたのか、木の破片が足元に散らばっている。
しかし相当な魔力を消費したようで、肩で息をしていた。
「…これは使うつもりがなかったが仕方ない。」
アンドレはそう呟いて立ち上がる。
「木の聖霊よ、怒りのままに暴れつくせ。【木霊の怒り】」
彼が呪文を唱えると、アンドレの後ろから木が生えてきた。
その木は三メートルくらいの大きさになると、まるで魔物であるかのようにその枝や根を自由に動かし始める。
「木よ、アイツを捕らえよ。」
アンドレが指示を出すと、木の枝が何本かベルの方へと伸びてきた。
ベルは大斧を軽く薙いで自分へと迫ってくる木の枝を切り落とす。
それからアンドレに斬りかかろうと一歩踏み込んだ瞬間、彼の足元に何かが絡みついて動きを封じられた。
「…!クソッ!」
木の根だ。
土の中を通って木の根がベルの足元に絡みついていた。
足を止められたベルに向かって、アンドレが手に持っていた大剣を振るう。
最初は大斧を盾にしてアンドレの剣をガードしていたベルだが、木から伸びてきた枝や根が絡みついてさらに動きを制限され、次第に受けきれなくなってくる。
「ガッ…!」
大斧によるガードが間に合わなくなり、とうとうアンドレの一撃がベルの脇腹に入った。
その衝撃でベルの体が吹っ飛ばされそうになるが、彼の体に絡みついている木の枝や根がそれを許さない。
そしてその一撃を皮切りに、アンドレの大剣が何度もベルの体へ叩き込まれる。
さらに木から伸びてきた枝が、ベルの体を何度も打ちつけた。
「ウ…ハァ…ハァ…グッ…」
普段はとてつもないタフさを見せるベルの体からは大量の血が流れ、息も絶え絶えになっていた。
「ハァ…ハァ…これで終わりだ。」
そう言ってアンドレが大剣を大きく振りかぶる。
どうやらこの一撃で決めにくるようだ。
それを察知したベルの生存本能が残った力をかき集めて、体に絡みついていた枝や根を引きちった。
そして、大剣による一撃をガードしようと大斧を持つ手に力を入れる。
だが、少しだけ遅かった。
ベルが体の自由を取り戻した頃、既にアンドレの大剣は振り下ろされており、回避もガードも不可能なところまで迫っていた。
大剣による一撃がベルの頭に叩き込まれようとされたその瞬間、
「…っ!」
アンドレは幼い頃のベルの幻影を今の彼に見た。
ベルをヴェルツ家から追放する前のまだ普通の家族だった頃の光景が脳裏に浮かぶ。
ほんの一瞬だけ、アンドレの大剣を振り下ろす手が緩んだ。
「オオオオオォォォ!」
たった一瞬だけできたごくわずかな隙を、ベルは逃さなかった。
ベルに止めを刺すはずだった大剣に大斧を下から叩きつける。
ベルの馬鹿力にアンドレの大剣は真上に弾かれ、彼は大きく体勢を崩した。
「ラアアアアアァァァァ!」
そしてベルは真上に振り切った大斧を返し、斜めに振り下ろす。
大斧は無防備になったアンドレの肩口から腰を通り抜け、彼に致命傷を負わせた。
「ガッ…!」
全身から力が抜け、大量の血を流しながら膝をつき倒れこむアンドレ。
魔力もほとんど残っておらず、治癒魔法で自分の体を治療することもできなかった。
彼は薄れゆく意識の中で、顔を上げてベルを見る。
「ベ…ル…モン…ド…」
アンドレは久しく口にしていなかったその名を呼ぶと、それ以上何も言うことなく事切れて地面に突っ伏した。
「…チッ…」
それを聞いていたベルは小さく舌打ちすると、踵を返して後ろを振り返ることなくこの場を去っていった。
その後、味方の魔族から治癒魔法を受けて戦線に復帰したベルは、単騎で戦場を駆けまわり、人間達の軍勢を大きく押し返した。
そんな中、アンドレの死亡という情報はこの戦場に瞬く間に広まった。
その結果人間側の軍の士気が大きく下がり、彼らは退却を余儀なくされた。
こうしてエスノムの防衛戦は、魔族の軍が辛くも人間達を退ける形で終結した。




