”待て”ができない男
エスノムの街の北にある平原にて、人間と魔族の軍が対峙していた。
いつ戦端が開かれてもおかしくないくらい空気がピンと張りつめている。
人間の軍勢約千五百人に対し、防衛側の魔族の軍勢は五百人程度と、互いの人数には三倍の差があった。
単純なな数の上では人間の方が圧倒的に多い。
さらに言えば、魔族側は様々な種族が混じっていて統一感がなく、連携を取るのが難しそうだ。
統率の取れた人間の軍ならば、簡単に蹴散らせるように思えるかもしれないが、人間達はそう簡単に攻め入ることはしなかった。
それはなぜか?
魔族の軍の中に、人数の差なんて簡単にひっくり返してしまうような一騎当千の兵がいたからだ。
その者の前に戦略や戦術なんてものは意味を成さず、たった一人いるだけで戦局を左右してしまう。
そんな一騎当千の兵を倒すためには、人間達も一騎当千の兵を投入せねばならない。
人間側の将軍であるアンドレ・フォン・ヴェルツは、その一騎当千の兵の一人だ。
ただ、敵の兵を倒す前にいたずらに自軍の兵を消耗するわけにもいかないため、どのタイミングで攻め込むのかを慎重に見計らう必要があった。
まだ全然時間が経っていないのかもしれないが、長時間にも感じるにらみ合いの後、この緊張状態にしびれを切らして魔族の軍の兵が一人飛び出してきた。
それにつられたのか、二人三人と魔族の軍の中から続々と兵が飛び出してくる。
「…フン、所詮は個人頼みの寄せ集めの軍勢か…全軍!飛び出してきた魔族を迎え撃て!」
アンドレは大声で全軍に向かって指示を飛ばす。
こうしてエスノム防衛線の戦いの火蓋は切られた。
「ウオオオォォォォ!」
魔族の軍の中から先陣を切って飛び出してきたのはベルだった。
ベルは人間の兵達の前に躍り出ると、大きな雄叫びを上げて大斧を真横に振り回す。
大斧の軌道上にいた人間達は体が上下真っ二つに分かれ、その半身が宙を舞いドサリと地面に落ちてくる。
人間側の陣形が局所的に崩れ、その隙をを突くようにどんどんと魔族の兵たちがなだれ込んでいった。
「なっ…!」
その姿を後方から見ていたアンドレは、驚きのあまり絶句してしまう。
「ヴェルツ樣!どうやらいの一番に飛び出してきた兵が例の男のようです!」
アンドレの部下は、最前線からの情報を元に今の状況をアンドレへと報告する。
まさかいきなりベルが飛び出してくると思っていなかったアンドレは、想定外の出来事に面食らってしまったが、部下の声を聞いてすぐに冷静さを取り戻した。
「…待てもできん愚か者め…私が出る。奴をこの近くまで引き込め!」
アンドレは部下に指示を出すと、自分も前線に出る準備を始めた。
しばらくすると辺りは乱戦の様相を呈してきた。
右を見ればサキュバスに翻弄されオーガやリザードマンの猛攻を横から受ける人間達がいて、左を見れば三倍の人間の兵に取り囲まれる魔族がいて…
数の力で攻め込む人間側に対し、個の力でそれを抑え込む魔族達。
どちらが優勢とも言えない拮抗状態が続いていた。
人魔両軍が入り乱れ、死傷者の数もどんどんと増えていく。
そんな中、ベルの周りには不自然な空白地帯が生まれ、人間の兵が彼の相手をせずにじりじりと退却していくという異様な光景ができあがっていた。
「なんじゃお前らあ!ワシと戦おうという気概のある者はおらんのかあ!」
なかなか自分に斬りかかってくる様子はなく、ただただ後退していくだけの人間達の姿に、若干苛ついたようにベルが叫ぶ。
だが、それに応える者はいない。
ベルがそのまましばらく前進し、人間の軍がいるところの奥深くまで切り込んだところで、紋章の入った鎧を着た男が後退していく兵の後ろから馬に乗って現れた。
アンドレだ。
「ヌウウゥゥゥン!」
アンドレの姿を視界に収めた瞬間、ベルは反射的にアンドレへと跳びかかった。
渾身の力で振るわれたベルの大斧による一撃を、アンドレは手にしていた大剣で受け止めた。
二人の大斧と大剣が完全に拮抗する。
「コイツは私が相手をする。お前達は前線に戻れ。」
馬上のアンドレはベルを見下ろしながら味方に指示を出す。
周囲にいた兵たちは、それに従ってこの場から離れて別の戦場へと向かって行った。
「あの時貴様が出て行ってから随分と経った…まさか魔王なんぞに与しているとはな。だが、その悪行も今日でしまいだ。このアンドレ・フォン・ヴェルツが今ここで貴様を斬る!」
アンドレがベルに向かって宣言する。
ベルはそんなアンドレの言葉を、額に青筋を立てながら聞いていた。
「ハン…大したことはしとらんのにあくまでもワシは悪人ってか?…まあええわい。悪は悪らしく、好き放題やらせてもらおうかの!」
ベルは手にしていた大斧から力を抜き、アンドレが乗っていた馬を力いっぱい蹴り飛ばす。
アンドレを乗せていた馬は大きく後方へと吹っ飛んでいった。
いつの間に馬の背を蹴って上空へ逃げていたのか、アンドレは宙返りをしながら距離を取ってベルから離れた位置へと降り立つ。
「【木霊の悪戯】」
ベルが呪文を唱えると地面から無数の植物の蔓が生え、着地直後のアンドレへと向かって伸びてく。
蔓がアンドレに到達しようかというその瞬間、アンドレもまた魔法を使った。
「【荒廃した大地】」
アンドレの目前にまで迫っていた蔓は、突如としてその成長を止めたかと思うと一瞬にして枯れてしまった。
「…チッ!」
ベルは思わず舌打ちをしてしまう。
「基礎もなっていない未熟な魔法など、この私には効かんわ!」
アンドレはそう言うと、大剣を両手に持って駆け出す。
数歩でベルとの距離を詰めると、大きく振りかぶって真上から大剣を振り下ろした。
「オオオオラアァァァ!」
ベルは大剣に合わせるようにして下から大斧を振り上げると、数瞬の拮抗の後に真上に大剣を弾いてこの攻撃を防いだ。
「枯れて空っぽになっちまった年寄りの干からびた剣なんぞ、大したことないのう!」
ベルはそんな言葉でアンドレを煽り返す。
アンドレはギロリという音が聞こえてきそうな鋭い視線でベルを睨みつけた。
人間と魔族が衝突する戦場の中に、サキュバス達の指揮を執るリリスの姿があった。
「ううん…どれだけ倒しても数が減らないわねぇ…」
彼女は剣で斬りかかって来る人間の一撃を避け、掌底で殴り飛ばしながらそんなことを呟く。
最初は個の力で勝る魔族の軍が押しているように見えたこの戦場だが、倒しても倒しても次々と現れる人間達の人海作戦によって均衡状態を保っていた。
そんな中、別の場所から応援に駆けつけてきた人間の兵達の姿を見つける。
「あれは…マズいわねぇ…」
リリスは心の中で舌打ちをする。
今はなんとか均衡状態を保っている戦場が、下手をすれば数の力で人間達に押し込まれてしまうかもしれない。
だが、種族がバラバラで連携が難しく、数も少ない彼女達にが今からできることといえば、少しでも人間達に押し込まれないよう耐えることくらいだった。
「そうなると…やっぱりベルちゃんのとこの結果待ちかしらぁ?」
リリスはこの戦場の中にある異様な空白地帯の方をチラリと見る。
そこからは二つの大きな力がぶつかり合って、ヒリヒリと肌が焼けるような空気が漏れ出ていた。
「みんなぁ!ベルちゃんが向こうの大将を倒してここに来るまで耐えきるわよぉ!」
ベルが敵の将軍を倒せば戦況は一気に自分たちの方へ傾く。
それがこの戦場の唯一の勝ち筋だと判断したリリスは、近くの魔族達に聞こえるよう大きな声でそう宣言した。




