面影
「おはようございます、魔王様!どうかなさいましたか?」
朝、レモリーを見ていた俺の姿に気づき、彼女が声をかけてきた。
「…いや、何でもねえ。」
そう言って彼女から逃げるように目をそらす。
レモリーは「そうですか…」と言って、この場を去っていった。
レモリーの目が覚めてから数日が経つ。
元々持っていた魔力を全て失った影響なのか、彼女の魔力量は一般人レベルまで落ちていた。
それに伴い戦闘の能力も落ち、普通の魔物と戦うことすら怪しいレベルになっていた。
それでも彼女は命を救われた恩を返そうと、このダンジョンで懸命に働いていた。
俺達の身の回りの世話や雑用など、自分ができることを見つけて献身的に働くその姿は、ある意味で記憶を失う前の彼女とあまり変わらなかった。
そして今では、以前と形は違えどこのダンジョンの一員として溶け込んでいた。
けれども、何気ない言葉や仕草に昔のレモリーの面影を感じる度、何とも表現し難い哀しさと物寂しさが押し寄せ、俺の胸が締めつけられるように苦しくなる。
それが嫌で、できる限り彼女との関わりを減らすよう距離を置いていた。
その事はレモリーもなんとなく察しているようで、俺達の間には微妙な空気が流れていた。
しばらくしてダンジョンの整備を始めるためにコアルームへと向かう。
ダンジョンの改修作業に没頭しているこの時間だけが胸の苦しみを麻痺させ、忘れさせてくれた。
すると、後ろから人が近づいてくる足音が聞こえた。
「よぉ、大将!今日もやっとるのう。」
このやかましい程に大きな声の主はベルか。
後ろを振り返ると、ベルが右手を上げた状態で立っていた。
「おう、ベル。何かあったのか?」
彼が朝からこんなところに来るなんて珍しい。
何か用事でもあるのだろうか?
「うむ…まあ…なんじゃ…」
いつもバカみたいに元気なベルにしては珍しく、歯切れの悪い返事が返ってきた。
彼は近くにあった椅子に腰を下ろすと、頭を掻きながら黙って悩み始めた。
どうせ大した用じゃないと思ってテキトーに聞き流すつもりだったのだが、こんな反応をされると気になってしまう。
改めて何をしに来たのか問いただそうとしたところで、彼は小さく息を吐いてポツリと話し始めた。
「レモリー殿のことなんじゃが…」
「…!」
レモリーの名が出てきた瞬間、反射的に肩の力が入り、心臓がドクンと跳ねたような気がした。
「その様子じゃと、どうやら彼女とうまくいっとらんようじゃのう。」
俺の反応を見たベルがそう推測した。
図星だった。
今のレモリーとの関係性を言い当てられてしまい、なんとも心地の悪い気分になる。
「レモリー殿もその事で悩んどるらしく、陰で嘆いとったわい。…やはりまだ受け止めきれんか、彼女が記憶を失ったことを…?」
「………」
ベルの問いに、俺は目を合わせずに沈黙で返した。
「そうか…」
ベルもそう言ったっきり黙りこくってしまう。
互いに何一つ喋ることなく、気まずい沈黙がこの場に流れた。
「ワシは…」
先に沈黙を破ったのはベルの方だった。
「正直レモリー殿が記憶をなくしたくらいで、大将が何をそんなに気にしとるのかがわからん。」
「なっ…!」
ベルの無神経な物言いに、一瞬で頭の中が沸騰したように怒りが湧き出てきた。
『記憶をなくしたくらい』なんて、何でそんな言葉で片付けられるのだろうか。
思わず握り込んだ拳に力が入った。
「大体、二度と意識が戻らんかもしれんかったんじゃから、目が覚めただけでも御の字じゃろう。」
ベルの言い分は間違っているわけではない。
むしろ、客観的に見れば彼の言い分が彼の言い分が一番正しいのかもしれない。
けれども、そう簡単に割り切れるものではなかった。
気がつけば俺は、こみ上げてくる衝動を抑えきれずに無言でベルの胸ぐらを掴んでいた。
「…ワシはのう、大将。行くアテもなく頼る者もいない孤独なワシを、このダンジョンで大将とレモリー殿が受け入れてくれたお陰で独りじゃなくなったことに感謝しとるんじゃ。」
そんな俺に怯むことなく、ベルは話を続ける。
「それでふと思ったんじゃが、記憶を失った今のレモリー殿はあの時のワシと同じように不安だったんじゃないのか。自分が何者なのかもわからず、目が覚めた時たまたま近くにいただけで、顔も覚えていないワシらの事を本当に信用していいのかもわからず孤独だったんじゃないのか…なんてのう。」
俺はベルの話に聞き入ってしまい、いつしか彼の胸ぐらを掴んでいた手が緩んでいた。
「もしかしたら大将にもこの孤独は分かるんじゃないんか?」
ベルの言う通り、俺も孤独である事の苦しみは知っていた。
前の世界で俺は孤独だった。
この世界に召喚されてレモリーと出会わなければ、今でも孤独を抱えたまま生き、自分が孤独である事にすら気づかなかったかもしれない。
俺もベルと同じように、自分の抱える孤独を和らげてくれたレモリーには曲がりなりにも感謝していた。
今のレモリーもあの時の俺のように孤独なのかもしれない。
ベルに言われて初めてそのことに気が付いた。
「まあ…なんじゃ。回りくどくなっちまっったが、ワシは別にレモリー殿が記憶を失ったことを無理にでも受け入れろなんて、そんなしょーもない事を押し付けたいわけじゃないんじゃ。…ただ、大恩のあるレモリー殿と大将が、辛そうな顔をしているのが心苦しくてのう…」
そんなことを言うベルの声には、悔しさと優しさが込められているように思えた。
その声を聞くだけで、ほんの少しだけ胸の苦しみが和らぐような、それでいてさらに締め付けられるような不思議な感覚がやってきた。
「…だ。」
「うん?なんじゃ、大将?」
俺のつぶやきが聞こえなかったのかベルが聞き返してくる。
「わかんねえんだ…どうすればいいのか…」
俺は胸の内に秘めていたものを素直に吐露する。
「俺だってレモリーの目が覚めた時は嬉しかったし、アイツが生きていてくれることがどんなにありがてえかなんてわかってる!…けどどうしても…昔の姿がチラつくんだ…!今のアイツを受け入れてやりてえけど、記憶があったころの…初めて俺の事を受け入れてくれたレモリーの姿が…クソっ!」
奥歯をかみしめた俺の口から出て来る言葉を、ベルはただ黙って聞いていた。
俺は自分が思っていたことを全て吐き出すと、わずかばかりの沈黙が走る。
すると突然ベルの口元が緩み、彼は顔をほころばせて快活に笑い始めた。
「フッ…ガハハハハハハ!」
俺は訳が分からずに口を開けてポカンとした表情でその様子を見ていた。
「いやあ、安心したわい。あんたの口から今のレモリー殿も受け入れたいなんて言葉が聞けて。」
そう言ってベルは大声で笑い続ける。
「お前…ハァ…」
あまりのバカ笑いに調子を狂わされてしまった。
なんだか自分の悩みが小さくて馬鹿馬鹿しいものに思えて、小さなため息をついた。
「で、お前は何かいい案でもあるのかよ?」
ベルが安心したところで現状は何も変わらない。
わざわざこんな話をしに来たということは、何かいいアイデアでもあるのだろうか?
「ない!」
「は?」
「そんなもん、ここに来るまでまともな人付き合いの無かったワシに思いつくわけがなかろう。」
コイツの頬を思いっきり引っ叩いてもいいだろうか?
今なら許される気がする。
「まああれじゃの。ようわからんがこういうのは当の本人と話し合って、自分の想いをぶつけてやりゃあいいんじゃないのか?」
鼻でもほじってるんじゃないかというくらい、興味のなさそうな声でそんな事を言うベル。
けれども、確かに彼の言うことは尤もだ。
ただレモリーを避けているだけでは、この問題は解決しない。
いつかどこかで今の彼女と向き合う必要があった。
「またいい加減な事を…」
なんとなく気恥ずかしくて憎まれ口を叩いたが、こうしてベルと話す前よりも少しだけ心が軽くなった気がする。
これなら…
ため息をついて彼の膝を蹴りながら、心の中で感謝の言葉を送った。
その日はダンジョンの改修をしながらベルに言われたことについてずっと考えていたが、結局何もせずに一日が終わってしまった。
夜が明け、いつも通りの朝を迎えようとしていたところで、人間の軍勢がこのダンジョンへ侵攻しようとしているとの情報が舞い込んできた。




