激情
モンスターハウスでロベールの腕を落とした俺は、エルヴィンという少年と対峙していた。
ロベールと戦った後で俺の疲労はそれなりに溜まっていたが、エルヴィンは俺の敵ではなかった。
猛攻を仕掛ける俺に対して、エルヴィンは攻撃を受けるのが精一杯という様子だった。
俺達が戦っている間に回復を終えたのか、途中から片腕のロベールとハンナが参戦してくる。
だが、こちらも負傷していた三体の魔物達をソフィアが治療し、戦線復帰させていた。
互いに味方が増えたことで力のバランスが変化し、戦況は拮抗し始めた。
そんな中、ダンジョンが大きく揺れたかと思うと、ガラガラと音を立てて壁が崩れ落ちた。
「は…?」
あまりにも突然の出来事に、モンスターハウスの中にいた誰もが崩れた壁の方を見る。
そこにはだだっ広い空間が広がっており、大量の瓦礫が積もっていた。
首を少し横に向けると、俺達と同じく驚いたように壁の方を向くサラ達と、地面に転がっている騎士の姿があった。
どうやら二人は無事に勝てたようだ。
彼女達も俺がいるモンスターハウスと部屋が繋がった事に気づいたらしい。
リリスは走って、サラは疲れた顔でゆっくりとこちらにやってきた。
「そっちも無事だったのねぇ、魔王様ぁ。…一体何が起こったのかしらぁ?」
「さあな。なんとなく予想はつくが…」
俺達が言葉を交わしていたら、積もっていた瓦礫を押しのけて人が出てきた。
見覚えのある無精髭に無造作なぼさぼさの頭をした騎士、フィリップだ。
「アイツ…!」
それを見た俺は心の中で舌打ちをした。
恐らくダンジョンの壁は、フィリップとレモリーの戦闘の余波を受けて壊れたのだろう。
頑丈なはずのダンジョンの壁が壊れる程激しい戦闘を繰り広げていたというのに、彼はまだ戦えるようだ。
すると、フィリップから離れた場所で瓦礫の中から出て来るもう一人の人影があった。
銀色の髪を持つ魔族、レモリーだった。
彼女は崩れた瓦礫の上に立ってフィリップの方を向くと、彼に向かって薙刀を構えた。
「…まだ立ち上がりますか。」
レモリーに普段のような余裕はなく、息を切らして険しい顔をしていた。
しかしそれはフィリップも同じようで、肩で息をしながら剣を構えていた。
「ハァ…ハァ…ま、お互い様ってやつさ。」
レモリーの言葉に軽口で返すフィリップ。
不意に彼はポケットに入っていた小瓶に手を伸ばすと、その中身を飲んだ。
「グッ…ゲホッ…!」
フィリップは苦しそうに咳き込んだかと思うと、口から血を吐いた。
だがその辛そうな顔とは逆に、彼の魔力はどんどんと高まっていく。
彼が飲んだのは、体に多大な負担をかけながらも魔力を増幅させる薬だった。
「我が魔力を糧に…時が止まるが如くこの場の全ての動きを封じよ…」
フィリップが詠唱を始める。
それを聞いたレモリーが魔法を止めようとフィリップへ突っ込むが、一瞬だけ間に合わなかった。
「【停止】」
フィリップが呪文を唱えた瞬間、レモリーの薙刀がフィリップの首筋でぴたりと止まる。
それだけではなく、時が止まったかのようにこの場に居合わせた全ての者の動きが止まった。
「ハァ…ハァ…」
その中で唯一フィリップだけがこの空間を自由に動いていた。
息を切らしながら彼は片膝をつく。
そして懐から、柄の部分に緑色の魔石がはめ込まれたナイフを取り出した。
「ハァ…これは…魔封じのナイフ。こいつで刺された者は魔力を全て失う。こいつは昔、俺の知り合いから貰った世界に二つとない一点物でね。効果は一回こっきりしか発動しないから、使い時を見誤るなって話だけど…間違いなく今だよなあ?」
術者にのみ動くことを許された空間の中で、フィリップは誰に向かって言うでもなく独り言のように呟いた。
そしてナイフの柄をしっかり握り込むと、レモリーの腹部へとその刃を押し込んだ。
「…今まで俺が戦ってきた中で、間違いなく二番目に強かったよ、君は。でも残念だけど、今日は俺の方が運が良かったみたいだ。」
フィリップはそう言いながら数歩後ろに下がって疲れたように膝をつく。
次の瞬間、フィリップが掛けていた魔法が解ける。
すると、止まっていたこの場の時が動き出した。
「ガフッ…!」
レモリーは手にしていた薙刀を最後まで振り切ることはなく、吐血しながらナイフが刺さった腹を抑え、地面へと倒れ込む。
ナイフが刺さった場所からは血と共に、彼女の魔力が流れ出ていた。
レモリーはすぐにナイフを抜いて刺された箇所を治療しようとしていたが、力が入らないようでナイフを抜くことすらできなかった。
一瞬だけ彼女と目が合った気がした。
そしてとうとう全ての魔力を失ったのか、レモリーはゆっくりと目を閉じて気を失った。
フィリップはレモリーにとどめを刺そうと剣を振り上げる。
リリスがレモリーを助けに行こうとしているが、恐らく彼女の足では間に合わないだろう。
サラならば可能性はありそうだが、力を使い切ってしまったのか満足に動けないようで、歩くのがやっとという様子だった。
すぐにフィリップの刃が振り下ろされて、レモリーは死んでしまうのだろう。
俺の脳がそのことを認識した瞬間、名状しがたい程の怒りにも似た激情が心の奥底から湧き上がってきた。
今までに感じた事の無いようなその感情は、俺の心を一色に染め上げる。
気が付けば俺はレモリーのいる方へと駆け出していた。
間に合うわけがないと頭では理解していながらも、動き出さずにはいられなかった。
フィリップは振り上げた剣を真っすぐに振り下ろす。
俺にはその姿がやたらとスローモーションに見えた。
無機質な鋼の刃がレモリーの首を斬り落とそうと襲い掛かる。
その瞬間、俺の中で何かが弾けたような気がした。
信じられないような力が体の奥底から湧き出てくる。
この力を使うのはなんだか危険な気がしたが、俺はためらうことなく自分の心に従った。
「ああああああああ!」
強く地面を蹴り出して一瞬でレモリーの横に出る。
レモリーの首に振れるか触れないかというところまで迫っていた剣は、彼女の首を斬り落とすことはなかった。
フィリップがレモリーの首を斬り落とす前に、俺がフィリップを殴り飛ばしていた。
フィリップの体が宙を舞う。
空中で身動きが取れないフィリップへ、俺はさらに右の拳を全力で振り抜いた。
度を超えた力に右腕の骨が折れた気がしたが特に痛みはない。
地面へと叩きつけられたフィリップを、今度は右足で蹴る。
力を伝えるべく踏ん張っていた左足がイカれてしまったが気にしない。
俺は満身創痍でろくな抵抗もできないフィリップへ、一方的に拳を振るい、蹴りを入れ続けた。
フィリップを攻撃する度に自分の体にもダメージが入り、気がつけば俺は全身から血を流し、骨はボロボロになっていた。
だが不思議なことに、痛みは全く感じなかった。
その間、エルヴィン達が俺を止めるべくこちらへ向かってこようとしていたが、リリスと魔物達に阻まれていた。
俺は虫の息と化して地面に這いつくばるフィリップを見下ろすように立つ。
彼は俺の顔をじっと見つめていた。
「ハァ…ハァ…あぁ…そうか…君も…」
フィリップの言葉はそれ以上続かなかった。
俺はレモリーが使っていた薙刀を、フィリップの心臓へ突き刺し、彼の息の根を止めていた。
フィリップの胸元から、ドロリとした赤い液体が流れ落ちてくる。
死の間際、彼が何を思い何を言おうとしたのかはわからない。
それを知ることも永久にできなくなった。
「隊長!」
ロベールが叫ぶ。
だが、その呼びかけに応える者はもういなかった。
俺は残った敵を処理するべく後ろを振り返る。
すると突然、とてつもない疲労感や倦怠感、全身の痛みが俺の体を襲ってきた。
それに抗う事ができず、俺はそこで意識を失った。




