血
「ハァッ…!」
サラの下へと駆けてくるパトリックに対し、彼女は流れるような動作で鞘に収まっている刀を抜き、居合い切りを見舞った。
その鋭い一閃はパトリックの腕を、大した抵抗もなく通り抜ける。
肉と骨を斬った感触が刀を通して伝わってきた。
だが次の瞬間には、パトリックの腕は何事もなかったかのようにくっついており、腕を斬られたことなど意に介した様子もなく彼はサラへ剣を振るう。
サラを守るように、リリスが横からパトリックの腕を蹴って剣の軌道を逸らした。
パトリックはさらに攻撃を仕掛けてくるが、サラが彼の剣を受け流し、その隙にリリスがパトリックの鳩尾を蹴りつける。
「グッ…!」
パトリックは蹴られた衝撃で軽く後ろへ吹っ飛ばされた。
一瞬の間ができたところで、リリスとサラはパトリックから距離をとる。
「…これだけやっても傷一つついてないなんて、自信無くしちゃうわぁ。」
面倒くさそうな声でそんな言葉を口にするリリス。
先程からパトリックへ何度も攻撃を繰り返してはいるが、その全てを無傷で切り抜けられ、焦りを感じ始めていた。
「ならばそろそろ諦めて、大人しくその首を差し出したらどうだ?」
リリスの言葉にパトリックは挑発で返す。
そのしたり顔からは、相当な余裕があるように見えた。
「ハァ…ハァ…だがそういうお前も、私達へまともに傷をつけられていないじゃないか!この状況で誰が諦めると言うんだ!」
サラとリリスは細かなかすり傷こそあるものの、彼女達もまともにダメージを受けていない。
だが武器を持つ都合上、パトリックの攻撃を捌く機会の多かったサラは、疲労の色が表に出始めていた。
手応えはあるのにパトリックが無傷だという事実も、彼女の疲労を余計に増幅させているのだろう。
「無駄に抵抗しなければ、余計な痛みを感じなくて済むというのに…よかろう。ならば、せいぜい苦しんで死ぬがいい!」
そう言ってパトリックは、剣を振り上げながら二人の下へ突撃してきた。
それを見て前に出るサラ。
パトリックの振り下ろす剣に、横から刀を添えるように当ててその一撃をいなす。
剣は地面へと突き刺さった。
そしてサラをブラインドのように使い、後ろから勢いよく飛び出してきたリリスがパトリックの頬を殴る。
だがその直後、地面に刺さっていた剣から手を離したパトリックが、リリスの腕を掴んできた。
そして彼はもう片方の手でリリスの首元を掴み、彼女を地面へと叩きつける。
「アガッ…!」
美しいサキュバスらしからぬうめき声を上げた彼女の体は、肩から落ちて小さく跳ねた。
さらに追撃を仕掛けようとするパトリックを、サラは体当たりで止める。
パトリックがよろめいている間に、サラはリリスを回収してその場から大きく離れた。
肩を押さえながら立ち上がるリリス。
骨が折れたのか関節が外れたのか、左腕がプラプラと力なく揺れていた。
「【治癒】」
サラは治癒魔法を使っていリリスの腕を治療する。
「ハァ…ありがとう…助かったわぁ。」
痛みが引いて、苦しそうな顔を緩めながらリリスは礼を言う。
「ああ。…しかし、あの【女神の祝福】という魔法、本当に厄介だな。このままではジリ貧だ。何かあの魔法を打ち破る方法は…」
サラはそう言ってパトリックを睨みつける。
何度も彼の重い攻撃を受けてきた腕は疲労とダメージで痺れ、感覚が麻痺してきた。
早く何か対抗策を見つけなければ、いずれあのパワーで押し切られてしまうと、焦りで鈍った思考を働かせる。
リリスに頬を殴られた時に口の中を切ったのか、パトリックは口の中に溜まっていた血を吐き出した。
何気ない仕草だったが、その姿にサラは小さな違和感を感じた。
「何故奴は口の中から血が出ているんだ…?」
今までパトリックは、【女神の祝福】の効果で血が体外へ飛び散るよりも速く傷を塞いでいた。
だというのに彼は血を吐き出したのだ。
それは偶然なのかそれとも…
「もしかしてぇ…あの騎士様も結構魔力がいっぱいいっぱいで、細かな傷を治している余裕がないのかしらぁ?」
リリスの言葉に、パトリックの眉がピクリと小さく動く。
どうやら図星のようだ。
「…そうとわかれば話は速い。魔力が切れるまで押し続ければいいだけのこと!」
希望が見えて心理的な疲労が減ったからか、焦りの消えた顔でそう言い放つサラ。
「フン…ならば魔力が切れるまでに押し切ればいいだけのことだ!」
パトリックは平静を装って剣を構えるが、その肩には力が入っていた。
「…この一撃に全てを懸ける。」
彼はそう言うと、身体強化の出力を上げた。
パトリックの限界を超えているのか、顔は赤く目は充血し、体中から所々血が出ては【女神の祝福】で傷口が塞がっている。
足に力を溜めてパトリックが動き出す。
その速さはそれまでと比べ物にならないくらい速く、サラに匹敵するほどだった。
「魔法は得意ではないのだけれど…【魅魔の色香】」
リリスはサキュバスが使える数少ない魔法の内の一つを使った。
リリスの目が妖しく光り、フワッとした甘い香りがパトリックの鼻腔をくすぐる。
「…!」
その甘い香りに当てられ、勢いよく駆け出していた彼の動きがわずかに止まった。
【魅魔の色香】はサキュバス固有の魔法で、本来ならば相手の行動を完全に阻害する効果がある。
だが、パトリックの魔法に対する抵抗力が高く、一瞬だけしかその動きを縛ることができなかった。
それでも彼女にとってはその一瞬だけで充分だった。
「【身体…狂化】…グッ…!」
小さく呪文を呟いたサラは、体の奥底からとてつもない力が湧き上がってくるのを感じた。
それと同時に激しい鈍痛が体中を襲ってくる。
サラが使ったのは、激しい痛みの代償として強烈に身体能力を向上させる魔法だ。
彼女では恐らく持って数秒といったところだろう。
その間に決着をつけなければならない。
サラは足を止めたパトリックへと駆け出した。
「ハアアアあああああぁぁぁぁ!」
【魅魔の色香】をレジストしたパトリックは、自分に向かってくるサラを見て体勢を変え、上段から剣を振り下ろした。
サラはパトリックの前へ左足を強く踏み込み、両手で握っていた刀を思いっきり振り上げた。
剣と刀は二人のちょうど中間地点で交錯する。
ここから鍔迫り合いに転じ、純粋な力勝負になるかと思われたが、そうはならなかった。
折れた剣の先が回転しながら宙を舞い、地面へと突き刺さる。
サラが振るった刀はパトリックの剣を根本から切断し、真っ二つに斬り裂いていた。
そしてサラは刀を返すと、パトリックの胸を大きく切り裂く。
魔力不足で【女神の祝福】による回復が間に合わず、パトリックの胸から少しばかりの血が流れ出たが、その傷はすぐに塞がった。
彼は奥歯を噛み締めながら大きく後ろへ飛び退く。
滝のように流れ出ている汗が、彼の今の状態を表していた。
「ハァ…ハァ…」
【身体狂化】の効果が切れたサラは息を切らしながら、それでもパトリックからしっかりと目を切らずに片膝をつく。
この中で唯一リリスだけが涼しい顔を作ることができていた。
パトリックは少しの間折れた剣の柄を眺めると、剣の残っている部分を鞘に収めた。
「…この戦いは私の負けだ。」
不意にパトリックはそんな事を言い出した。
「あらぁ、潔いのねぇ。」
意外そうな顔をしたリリスが言った。
「フン…!」
パトリックは不快そうな顔をして鼻を鳴らす。
腕を組んでいる彼に、これ以上抵抗の意思はないようだった。
「そういうことならあなたの首、貰っていくわよぉ?」
リリスが腰からナイフを取り出してパトリックに近づく。
「…好きにするがいい。騎士である以上、命を落とす覚悟なぞできている。」
ゆっくりと歩いていたリリスは、パトリックの前でその足を止めた。
そしてナイフの柄を両手で握りしめる。
「何か最後に言い残すことはあるかしらぁ?」
「…ないな。」
リリスはパトリックの心臓がある辺りをナイフで一突きした。
「ガフっ…」
赤い鮮血がナイフを伝って滴り落ちる。
パトリックはそのまま地面へと倒れ伏した。




