奥の手
魔法の炎が消えて動けるようになったフィリップは、案の定俺とベルの方を追ってきた。
冷たい氷柱を首筋に押し当てられたかのような鋭いプレッシャーが、後ろからものすごい勢いで迫ってくる。
「このままじゃあ追いつかれちまうぞ、大将!何か策はあるんか?」
ベルが俺に問う。
別に策と呼べるほどのものではないが、アイデアはある。
「ああ。だが、ここじゃあ場所が悪い。走るぞ!」
俺達は人気が殆ど無いエスノムの歓楽街を駆け抜けた。
しばらく走り続けると、少し開けた通りへと出る。
それなりに人通りがあり、小さな路地から全力疾走で出てきた俺達は奇異の視線が注がれた。
少し遅れてフィリップが同じ路地から出てくる。
ここまで順調に逃げ続けてきたが、人が邪魔で先へ進めずとうとうフィリップに追いつかれてしまった。
「さあて…鬼ごっこは終わりだ、少年!今度こそ観念するんだな!」
俺達を避けるように人混みが割れて楕円形の空間ができ、その中で俺達とフィリップが向かい合う。
騎士の捕物が珍しいのか、街の人々は遠巻きに俺達のことを見ていた。
「ハン!こんなとこでやられてたまるかってんだ!」
俺は懐から球状の物体を取り出す。
「おめえ…さっきはコイツに手も足も出なかったよなあ?」
俺はニヤリと底意地の悪い笑みを浮かべる。
「ここでコイツをぶち撒けたらどうなるだろうなぁ?」
俺の言葉に一瞬だけフィリップが固まる。
先程の魔法爆弾の威力を思い出し、野次馬達への被害を危惧したのだろう。
この場にいる野次馬たちはいわば人質だった。
「…いや、その前に君の動きを止めればいいさ!【凍結】」
さっきはベルを完全に凍らせた【凍結】の魔法だが、今回はそこまで魔力を込めていなかったのか、俺の上半身だけが凍る。
だが、そのせいで腕の力が抜け、手に持っていた物を落としてしまう。
それは地面にぶつかると、乾いた音を立てて俺の足元へ転がってきた。
「ハッ!引っかかったな!」
「…!」
それはただの石ころだった。
俺はさも魔法爆弾かのように石ころを握っていただけで、ただの囮だ。
そのことを理解したフィリップは目を見開くと、俺から少し離れた位置に立っていたベルの方に視線を移す。
「オラァぁぁ!」
球状の物体をベルが全力で投擲した後だった。
それは一直線にフィリップ目がけて飛んでいく。
「クッ…【氷球場】」
ベルが投げた物を囲うように、ドーム型の分厚い氷の壁が現れた。
かなりの魔力が込められていることがわかる。
これはちょっとやそっとの衝撃じゃあびくともしないだろう。
ベルが投げた物はドームの中で地面に落ちると、その中身をぶちまける。
ドームの中は瞬く間に灰色の靄で満たされた。
これも魔法爆弾なんかではなく、ただの煙幕だった。
フィリップが警戒した魔法爆弾の行方はどこかというと、氷のドームのさらに上の方にあった。
火傷を負いながら魔法で無理やり上半身の氷を溶かした俺は、フィリップが俺から視線を外した隙を見て魔法爆弾を投げ上げていた。
「上だ!騎士様!」
野次馬の一人がフィリップに向かって叫ぶがもう遅い。
魔法爆弾は放物線を描きながらゆっくりとフィリップの前に落ち、地面にぶつかるとその反動で軽く跳ねる。
地面にぶつかった衝撃で魔法爆弾が起動し、凄まじいまでの魔力が外へと放出される。
あの位置では自分の身を守るのがせいぜいで、分厚い氷のドームなんて作れまい。
フィリップは魔法爆弾から出てくる炎の対処に追われることになり、俺達は逃げ切れるだろう。
だがその瞬間、苦々しい顔をしたフィリップが短く魔法の呪文を呟く。
「【停止】」
魔法爆弾から放出された魔力が、魔法へと変換されることはなかった。
何だ?
何が起こったんだ?
「ハァ…ハァ…」
俺が状況を飲み込めずに呆然としていると、呼吸が荒くなったフィリップが膝をつく。
魔法爆弾は地面から跳ねた状態で静止しており、放出された魔力はそこに固定されたかのように佇んでいた。
「ハァ…間に合ったか…」
そう言ってフィリップはゆっくりと立ち上がる。
フィリップが使った魔法は恐らく、空間ごと"凍らせ"てそこにあるもの全ての動きを止めるというものだ。
時間を止めたわけではないのだろうが、彼が凍らせた空間内では疑似的に時間が止まったかのようになっていた。
まさかこんな奥の手を隠し持っていたとは…
だが、この魔法の維持にはかなりの魔力を消費するらしく、今のフィリップはの動きはかなり緩慢なように見える。
そんなことを考えていたら、遠くの方で大きな爆発音が聞こえ、天にも届きそうなほどの火柱が上がる。
爆発音の音源はリリス達が逃げた方角にあった。
恐らくリリスに渡した魔法爆弾が爆発したのだろう。
ここにいる者達は皆、突然の出来事に何事かと火柱の方を見る。
「フン!残念だな!そいつが起動すれば、今頃ここらも火の海だったってのに!」
野次馬達にも聞こえるように俺は叫んだ。
野次馬達のざわつきが大きくなった気がする。
「だが…まあいい。ベル!逃げるぞ!」
「あいよ!大将!」
戦闘と魔法の維持によって疲労の色が濃いフィリップを倒すチャンスではあったが、俺達は逃げの一手を選択する。
いくら弱体化したとはいえ、同じように満身創痍の俺達では良くて五分五分くらいの勝負になってしまい、勝てたとしても時間がかかってしまう。
その間に騒ぎを聞きつけた別の騎士がやって来て、そいつらにやられてしまっては元も子もない。
それよりも、当初の予定通りダンジョンに戻って態勢を立て直すのが得策だろう。
「ハァ…ハァ…待て!【氷弾】」
フィリップが俺達を制止しようとするも、【停止】の魔法を維持しなければならないので彼はこの場所を動けないし、あまり魔力消費の激しい魔法も撃てない。
申し訳程度の氷の弾を俺達に向かって放ってきたが、この程度なら簡単に対処できる。
せっかくだから、少しばかりおまけをつけてやろう。
「燃やせ!【荒れ狂う炎】」
今使える魔力のほとんどを込めた魔法を放つ。
俺の目の前に出現した炎は前方へと飛んでいき、氷の弾丸を飲み込んで溶かす。
それで勢いが弱まることはなく、そのままフィリップへと襲い掛かった。
「クッ…【氷壁】」
フィリップは氷の壁を出して、俺の出した炎を上空へと逸らした。
炎は勢いを落とすことなく点まで昇っていく。
その様子はまるで、先程遠くで立ち上った火柱とよく似ていた。
一部始終を見ていた野次馬達からどよめきが起きる。
「キャーッ!」
子供か女か、あるいは怖がりな男か。
最初に誰が叫んだのかはわからない。
だが、その悲鳴はここにいる皆がはっきりと聞き取っていた。
群集心理とは不思議なもので、自らの意志とは無関係に、わかりやすい感情に思考が支配されてしまう。
その悲鳴は野次馬達に不安を植え付け、さらにその不安が伝播して人々の心に恐怖が生まれ、恐慌状態が出来上がった。
【荒れ狂う炎】を使った直後、俺達はフィリップとは逆方向へと走り出していた。
その先にいた野次馬達は我先にと逃げ出す。
あちこちで絶叫と怒号が飛び交い、規律も秩序もないこの集団は混沌という言葉がよく似合う。
俺達は混沌とした集団の中に紛れ込んだ。
こうなればもうフィリップにはどうすることもできまい。
そのまま流れに乗って俺達はエスノムの街を脱出し、ダンジョンへと向かった。
その道中、リリスのいるサキュバスの一団に出会う。
リリスは俺達を見つけると、満面の笑みを見せて手を振り近寄ってきた。
その側にはソフィアもいる。
「無事たったのねぇ、魔王様ぁ!よかったわぁ!」
そう言って俺のことを抱きしめるリリス。
ソフィアは俺の肩に乗って、頬をペシペシと叩いていた。
「ああ。」
おれはいつも通り短く返事をする。
少ししてリリスから開放された俺は、サキュバスの一団の方に目を向ける。
…数が増えてないか?
サキュバスの館にいたのは十数名程度だったが、今では三十人程の集団になっている。
「なあ…お前んとこのサキュバス、増えてねえか?」
「うちの本店の子達も回収してきたからねぇ。あ、その時に騎士と出くわしたのだけれど、魔王様からもらったアレが役に立ったわぁ!」
そういえば俺達がいた店は、サキュバスの館の2号店だったな。
だからこれだけの数になったのか。
魔法爆弾も実戦でうまく機能したようで何よりだ。
しかし、この数のサキュバスを養うとなると、大量の食糧が必要だな。
ベルが腹上死しないことを祈ろう。
ベルの方をチラリと見ると、涎を垂らしながらサキュバス達の事を見ていた。
「サキュバスちゃん達があんなに…夢のようじゃ!ガハハ!ワシゃぁ大将について来てよかった!魔王様バンザイ!」
なんか大丈夫な気がしてきた。
それにしても、こんな時だけ俺を持ち上げるとは現金な奴め。
「さて、いつ追手が来るとも限らねえし、こんなとこで立ち止まってる暇はねえ。行くぞ。」
その後しばらく歩き続け、俺達は無事ダンジョンへと逃げ帰った。




