あの時とは違う
「地下ホールで魔族の反乱が起こった時以来だっけ?」
以前あった時と変わらぬ軽い口調で、しかし絶対に逃さないと強い意志を感じる声でフィリップはそう言った。
魔族の反乱という言葉にピンとこなかったが、おそらく奴隷オークションの事だろう。
するとフィリップの言葉を無視して、俺の隣にいたベルが一歩前に出た。
「許せん…お前さん、ワシのサキュバスちゃんたちを…!」
頭に血が上っているのか、額の血管が浮き出る程顔を真っ赤にさせたベルは、怒りのままにフィリップへ向かって走りだす。
そして拳を振り上げると、渾身の一撃をフィリップに向かって放った。
「まあまあ、落ち着きなすって、旦那!」
フィリップは剣の腹を使ってベルの拳をいなすと、大勢が崩れたベルの腹を蹴りつけた。
宙を舞い、後方へと吹き飛ばされるベル。
彼は店の壁にぶつかると、ようやくその勢いを止めた。
「まったく、手が速すぎるだろ…まあいいや。」
再びフィリップは俺に話しかける。
「いやあ…君の事を探し出すのに苦労したよ、少年。何たって、あの時の事を上に報告しても握りつぶされる上に、『魔王に関する誤情報を吹聴する者がいる』なんて上から睨まれちまってねえ?動きづらいったらありゃしねえ。」
コーニーから聞いていたが、本当にあの時の事は情報が握り潰されていたようだ。
そしてフィリップは、あの時からずっと俺の事を探していたのか。
「そんな時に面白い話を小耳に挟んでね。エスノムの街にできたダンジョンの魔物が異常に強くて、冒険者の帰還率が下がって困ってるって。しかも、ウチから派遣した騎士も帰ってこないときた。…そこで俺はピンと来たよ。確か君のところに剣士の女の子がいたよね?なーんか見覚えがあると思ってたけど…あの子、ウチから派遣した騎士だよな?」
フィリップは確信を持っているかのように俺へ問いかける。
どうやらこの男がここへ来たのは偶然ではなく、俺の居場所に当たりをつけての事らしい。
「だったらどうしたってんだ?」
開き直って挑発するように俺は返事をした。
フィリップはここまで来てしまっているのだ。
今さらサラとのつながりを否定しても仕方ないだろう。
「ハハハ、開き直ってくれると話が早くて助かるよ。…それでこの街に来た時に、イリサイ教の信者からサキュバスの娼館で用心棒をしている少年の噂を聞けたのは運がよかった。それで俺はここまで来たっていうわけだ。」
イリサイ教の信者とは、この店を襲ってきた変な服を来たあいつらか。
何て間の悪い奴らなのだろう。
「できるだけ平和的に君の事を聞き出したかったんだけど、ここのサキュバス達は協力してくれそうになかったし…仕方ないよな。」
一瞬だけ地に付しているリリスの方を見てそう言うフィリップ。
どうやらリリス達は、俺の事をかばった結果こんな状況に陥ってるようだった。
フィリップに釣られてリリスの方へ目をやると、血だらけではあるが、かすかに息があった。
どうやらまだ生きているようだ。
「あの時から2カ月くらいだっけか?たったそれだけの期間だって言うのに、目に見えてわかるくらい魔力量が増えてるねえ。」
この男に殺されかけてから約2ヵ月、その間ダンジョンコアの力で俺の力は急速に上がり続けていた。
そしてレモリーとの訓練によって、魔法や戦闘に関する技量も着実に上がっている。
あの時の俺からしたら、別人のような強さだろう。
それでも目の前の男に勝つビジョンが見えなかった。
「本来だったら未来ある若者の成長を喜ぶところなんだけど、なんたって君は魔族の王様だからねえ。最初に魔王だなんて言われたときは半信半疑だったけど、あの強いデーモンの女と君の異常な成長の速さを見て考えを改めたよ。…改めて言おう、君は俺達にとって危険な存在だ。」
フィリップはそこで初めて真剣な顔を作る。
さっきまでの飄々とした雰囲気は消え去り、目だけで人を射殺せそうな鋭い視線だ。
その猛獣のような殺気に、俺は自然と冷たい汗が噴き出る。
そしてフィリップは剣を構えてこう言った。
「上からの命令を無視してでも、たとえどんな犠牲を払ってでも、俺はお前の首を取って帰る。」
次の瞬間、フィリップの体を駆け巡る魔力が急激に増え、この場の気温が急速に下がっていく気がした。
相変わらずなんというプレッシャーなのだろう。
思わず足が竦んでしまいそうだ。
「フン…やれるもんならやってみろよ!」
俺は自らを鼓舞するようにフィリップの言葉を鼻で嘲笑った。
一瞬だけベルの方へ視線を向ける。
「…おい、いつまでそこで寝てんだ、バカ!さっさと起きろ!出番だ!」
俺の言葉に反応して、フィリップにやられてのびていたベルが立ちあがる。
「すまんのう、大将。なんせここ最近は日が昇るまで忙しくてのう。寝不足で起きるのが遅くなったわい。」
特に大きなケガはないようで、服に付いた瓦礫を払いのけながらベルは答えた。
これで頭数の上では2体1だ。
王都で戦った時と似たような構図ではあるが、あの時よりも俺は力をつけたし、ベルはジャンよりも遥かに強い。
それに、俺の懐には治癒魔法が使えるソフィアが隠れている。
状況は全く違っていた。
「灼熱の砂漠の如き熱でこの地を包め【熱波】」
まずはこの氷をどうにかしないといけない。
そのために俺は、前回と同じように【熱波】を選択した。
俺を中心とした熱い空気の波が放射状に広がっていく。
「やるねえ…魔法の練度も上がってる。」
以前は近くの氷を溶かすだけだった【熱波】も、今回はサキュバスの館のロビー全体に張った氷を溶かす程の威力を発揮した。
サキュバス達を覆っていた氷が溶け、彼女たちは体の自由を取り戻す。
「これで動きやすくなったな。」
足元の氷も溶かし、俺達が暴れるのに十分な足場を確保する。
これで滑りにくくなったし、あいつも思いっきり踏み込めるようになったはずだ。
「うおおおおおおおおおおおおおおお!」
ベルがフィリップに向かって突進していく。
そのスピードは先程よりも断然速い。
フィリップの前でこぶしを握り上半身を軽くひねると、再び渾身の一撃を放った。
「ッ…!」
先程と同じように剣の腹でいなそうとするフィリップだが、思いのほかベルの拳のスピードが速かったのか、いなしきれずに剣で拳を受け止めるような形になる。
純粋な力勝負はベルの得意とするところ。
「オオオオラアアァァァァァ!」
この勝負はベルに軍配が上がった。
力いっぱいベルが拳を振りぬくと、フィリップは後ろへと吹っ飛んだ。
フィリップの体がロビーの壁へとぶつかる。
だがたいして痛がる様子もなく、すんなりと立ち上がった。
どうやらベルの拳の軌道を逸らせないと悟り、インパクトの瞬間に後ろへ飛んでダメージを軽減したようだ。
いい一撃が入ったと思ったのに、やはり王国最強の騎士は侮れない。
だが、今のでフィリップをリリスから引き離した。
俺はローブの中にいたソフィアに指示を出す。
「ソフィア、リリスに治癒魔法だ。」
ソフィアは急いでリリスの下へと飛んでいき、その小さな手に魔力を溜める。
「………!【――】」
声の出ない口をパクパクと動かし、呪文を唱える。
するとソフィアの手が眩い程の光を放ち、彼女が触れた部分からリリスの傷が癒えていく。
「…う…あ…!」
傷が癒えて多少痛みが引いたのか、リリスが弱弱しく目を開ける。
床に手をつき彼女は辛うじて立ち上がった。
その姿を見て、俺は少しだけ肩の力が抜ける。
リリスはこの場を切り抜けるための戦力になると思って治療させただけだ。
しばらく戦えなさそうな彼女に特別な価値があるわけではない。
だというのに、リリスが無事であるとわかった瞬間、不思議な安堵感が俺の心の中に生まれた。
たったの数日間共に過ごしただけだというのに、情でも湧いてしまったのだろうか?
「【氷弾】」
そんな呟きが聞こえた。
フィリップの方から氷の弾丸が放たれる。
いや、弾丸なんて優しいものじゃない、人の顔くらいの大きさがあるあれは氷の塊といってもいい。
氷の塊は高速で回転しながら俺達に向かって飛来する。
「クッ…【灼岩壁】」
俺はこの魔法にかなりの魔力を注ぎ込む。
俺達の目の前に硬く熱い岩でできた壁が出現した。
魔法には相性というものがある。
例えば氷を熱で溶かしたり、炎を水でかき消したりなど、相性の悪い魔法をぶつけると一方的にやられてしまう。
だがそれはあくまでも、練度や魔法に込められた魔力量が同程度の場合の話。
練度や魔力の暴力で、魔法の相性というものはいとも簡単に破られてしまう。
フィリップの魔法は、大量の魔力がすさまじい練度で練りこまれている。
練度で劣る俺が対抗するためには、膨大な魔力量が必要だった。
「【木霊の網】」
ベルは俺が作った岩の壁を補強するように植物の網を張り巡らせる。
氷の塊が岩の壁に激突した。
氷の塊は少しだけ溶けて体積を減らしながらも、高速で回転してガリガリと岩の壁の表面を削っていく。
拳大のサイズになった氷の塊は岩の壁を貫通して飛び出してきたが、今度はベルが作った植物の網に絡めとられる。
「ぬうううん!」
勢いが弱まった氷の塊ををベルが殴りつけると、何かが割れるような音と共に氷の破片が勢いよく飛び散った。
これでフィリップの魔法を防いだと思った瞬間、岩の壁が切り崩される。
マズい。
奴が来る。
ゾクリと底冷えするような寒気を感じた俺は、一瞬で体中に魔力を巡らせ、限界を超えた身体強化を使う。
あまり長時間戦えないが、この男にはこれくらいしないと対抗できないので仕方ないだろう。
切り崩された壁のスキマから、案の定フィリップが突っ込んできた。
拳を振りぬいた状態のベルには目もくれず、一目散に俺の方へと向かって来る。
「よっと…!」
フィリップは逆袈裟に剣を振りぬいた。
俺は後ろへ跳んでなんとか躱したかと思えば、今度は真上から強烈な一撃が落ちてくる。
横へ転がるようにしてそれを避けた。
すると今度は鋭い突きが俺を襲ってくる。
俺はフィリップの剣を下から殴りつけて上に逸らし、辛うじて攻撃を受けずに済んだ。
フィリップの目にもとまらぬ速さの連撃、そのどれもが俺の命を刈り取らんとする、正に必殺の一撃だ。
一撃たりとも食らうことはできない。
俺はフィリップの攻撃を防ぐのに精いっぱいで、防戦一方だった。
「【木霊の悪戯】」
フィリップに隙を作ろうとベルが魔法を使う。
地面から蔓が生えてきて、フィリップの方へと伸びていった。
「………」
フィリップは自分に向かって来る蔓に一瞬だけ視線をやると、無言で魔法を使って蔓の先を凍らせた。
蔓は成長を止め、魔力に変換されて霧散していく。
「大将!立ち位置が逆じゃ!ワシが前に出るから下がっとくれ!」
ベルが叫ぶ。
異常なほどのパワーがあるベルは、近接戦で最も力を発揮する。
そしてベルよりも魔法が使える俺は、後ろに下がって魔法をメインにして戦った方がいい。
ベルの言っていることは理解できる。
「グッ…!」
だが、フィリップの苛烈なまでの連撃を前に、後ろへ引く余裕などなかった。
少しでも引き下がってしまえば、フィリップは一瞬で距離を詰めて俺の首を刎ねてしまうだろう。
「チッ…!」
それを察したベルは、無理やりフィリップに近づいて俺と立ち位置を入れ替えようと距離を詰める。
「そんな面倒そうなこと、俺がさせると思ったかい?」
突如空中に氷の弾丸がいくつも現れ、ベルに向かって飛んでいく。
「クソっ…【木霊の網】」
ベルは自分に向かって来る氷の弾だけを植物の網で絡めとり、拳でたたき割る。
だが、2発3発と絶え間なく射出される氷の弾丸に、ベルはフィリップへ近づくことができない。
「ハァ…ハァ…」
限界を超えた身体強化に、俺の息が上がり始める。
俺が戦える時間はあまり残されていない。
「おっ、息が上がってるけどどうした?もうおしまいか?」
軽い口調でフィリップが煽るが、相変わらずその剣筋は鋭い。
今はまだかすり傷程度で済んでいるが、身体強化が切れたらすぐにやられてしまう。
どうすればいい?
何かこの状況を打開する手はないのだろうか?
どれだけ考えてもいいアイデアは出てこず、焦る俺。
焦りは頭の回転を鈍らせ、集中力をかき乱す。
それは一瞬だった。
ほんの僅かな反応の遅れ。
横薙ぎに振るわれた剣への対処が遅れ、脇腹を切り裂かれる。
「ガッ…!」
その衝撃で、足が完全に止まってしまった。
「それじゃあ…これで終わりだ、小さな魔王。」
その間にも、フィリップは次の攻撃を繰り出してくる。
俺の喉元へと迫る刃が、やけにスローモーションに見えた。
この一撃は受けることも避けることも敵わない。
終わった。
俺はもうここまでなのだろうか?
まだ生きてやることがあるというのに…
そんな事を考えていたら、俺の頭の横を何かが通り抜けたような気がした。
「…ッ!」
フィリップは咄嗟に剣を引き、斜め後ろに跳躍して飛んできた物体を躱す。
それはナイフだった。
一瞬だけフィリップの攻撃と魔法が止む。
よくわからないが、これで引き下がるための隙ができた。
こちらに走ってきたベルと入れ替わるように、俺は大きく後ろへ跳んだ。
「おおおおおおおおお!」
ベルがフィリップへと襲い掛かる。
状況が好転したとは言えないが、さっきよりはマシになった。
後ろへ下がって視野が広がった俺は、ナイフを投げた状態で立っているリリスの姿を視界の端に収めた。
「ハァ…ハァ…」
呼吸は荒いが、その目は戦意を失っていない。
ギリギリ戦力として数えられそうだ。
「ハァ…魔王様ぁ!私達サキュバスはこれから魔王様のダンジョンでお世話になるわぁ…うちの子たちは避難させたから思いっきりやってちょうだい!」
リリスは俺に向かってそう叫んだ。
なぜかその言葉を聞いたベルの攻撃がより苛烈なものになる。
恐るべし煩悩の力。
ベルの攻撃はフィリップに軽く受け流され続けおり、相変わらず状況は良くない。
だが、曲がりなりにも3体1という構図ができた。
俺はこの窮地を脱するための策をめぐらせた。




