サキュバスの実力
サキュバスの館のロビーは騒然としていた。
サキュバスが並ぶショーケースのようなガラス張りの部屋の中では、マジックアイテムで魔法を封じられ、手足を縄で縛られたサキュバス達が床に転がっている。
その近くには、センスのないヘンテコな服を着た男女が立っていた。
ベッドのシーツに頭と手足が出る穴をあけたみたいで、珍妙な格好だ。
そしてロビーでは、鎧を着て剣を持った戦士風の人間が四人と、やはりヘンテコな服を来た女が二人、そして少し豪華なヘンテコな服を来た中年の男一人が入り口を立ち塞いでいる。
そしてその反対側では、リリスが青筋を浮かべながらヘンテコ服の集団を睨んでいた。
「どなたかは存じ上げないけれど、そろそろうちの子たちを解放してくれないかしらぁ?」
間延びしたような口調は変わらないが、俺と喋っていた時の甘ったるさが消えた剣呑な声で、リリスが男に要求する。
彼女の目元には魔力が溜まっており、どうやら男に向かって魔法を使っているようだ。
「ワハハハハハ!この俺には効かんなあ?愚かなサキュバスの【魅了】なぞ!」
男が高らかに笑う。
どうやらアレがサキュバス固有の【魅了】という魔法らしい。
「まったく、誰の許可を得てこのエスノムの街で、このような汚らわしい商売をしているのか。あまつさえ2号店なんて建ておって…」
男は鼻息荒く捲し立てながら嫌悪の表情を浮かべる。
ヘンテコな服を着た者達も、サキュバスに侮蔑するような視線を向けていた。
「誰って…この街の領主様だけどぉ?」
エスノムの街で商売をするためには領主の許可が必要だった。
基本的に商業ギルドが街の商業の管理を代行して許可を出しているが、ギルドの判断は実質的に領主の判断だというのが商人たちの認識だ。
サキュバスの館も、当然ながら領主の許可を得て営業している。
リリスは男の謗り言に正論で返した。
「フン、汚らわしい淫魔が。まあいい。ここはお前たちのような淫魔が堂々と暮らしていい街じゃないんだ!わかったらおとなしく捕まって、主の裁きを受けるがいい。」
旗色が悪かったからか、男は無理やり会話を打ち切ってサキュバスを非難する。
そして戦士達とヘンテコ服の女達に指示を出すと、女達は魔法の杖を構え、戦士達は剣を構えてリリスに相対した。
「あらぁ…物分かりの悪い子は嫌いよぉ…でもこれならわかりやすくていいわね。」
いつの間にか目元から発する魔法を解除していたリリスが、拳を構えて戦闘態勢を取る。
サキュバスと言えば、その魅力で男を篭絡する搦手が得意な魔族というイメージがあるかもしれないが、実はその戦闘能力は低くない。
【魅了】以外の魔法がほぼ使えない代わりに、魔族の中でも身体能力が抜きんでている。
いざ戦うとなれば、決して油断できるような種族ではなかった。
「【氷槍】」
女がリリスに向かって氷の槍を放つ。
「ハッ!」
リリスは真正面から氷の槍に軽く掌底を放ち、粉々に砕き割った。
そして何事もなかったかのように、次の攻撃に備える。
「っ…!」
それを見て戦慄する女。
恐らくジャブ代わりの一撃だったのだが、それなりの魔力が込められていた。
それをいとも簡単に破られたのだ。
今の一撃でリリスとの実力の差をわからされたのだろう。
「【加速】」
もう一人の女が呪文を唱える。
すると、四人の戦士達の足元に魔力の塊が纏わりついた。
恐らく動きを速くする魔法なのだろう。
「行け、カルロス!」
男が指示を出すと、カルロスと呼ばれた戦士はリリスに向かって走り出す。
そしてリリスに一撃を加えようと、剣を振り上げた。
その時、リリスが一瞬でカルロスの懐へ踏み込み、勢いそのまま体重を乗せた拳を突き出す。
彼女の拳が鎧を着たカルロスの腹へと入る。
「ガハッ…」
カルロスは肺にあった空気と共に、大量の血を口から吐いた。
俺は一瞬何が起きたのかわからなかった。
鎧に傷やへこみは見当たらないのに、カルロス本人に直接ダメージが入っている。
このリリスというサキュバス、相当な格闘技術の持ち主だ。
これだけ強ければ、この状況でも何とかなるだろう。
そんな事を考えていたら、男がニヤリと嫌らしい笑みを見せて口を開いた。
「フン、貴様!ここで抵抗するとは、状況がよくわかっていないようだな。あのサキュバス共がどうなってもいいのか!」
男は拘束されていたサキュバス達に視線を向ける。
そこにいたヘンテコ服の男女は、いつの間にかナイフを手にしており、刃先をサキュバスに向けていた。
人質だ。
それを見てリリスは一瞬だけ苦虫を噛み潰したような顔をした。
もし人質が同じ部屋にいれば、彼女はナイフを持った男女の隙をついて、一瞬で無力化することも可能だろう。
だが残念ながら、サキュバス達はガラスの向こうだ。
必然的に、部屋に突入するためにガラスを割るというワンアクションが増えてしまう。
さすがのリリスもこの状況では、サキュバス達を無傷で救出する事は難しかった。
「あらぁ、わかってないのはあなたの方よぉ?うちの子達を傷つけでもしたら、私は今すぐあなた達の事を拘束するわぁ。それで指の骨を一本一本砕いて、その次は爪を剥いで…地獄を見せてあげるわよぉ。」
「なっ…!」
そう言い放ったリリスの妖艶で蕩けるような笑みは、この場の空気が冷たくなったのかと錯覚する程の迫力があった。
彼女の脅しはただの強がりだ。
人質さえいれば何もできまい。
ここにいる皆、それは理解している。
だがリリスには、それを実行できるだけの力があった。
説得力が違う。
力を持つ者の言葉というのはこの上なく重いのだ。
リリスの言葉に男は冷や汗を流し、女達は見るからに顔色が悪くなった。
戦士達は思わず剣を強く握り込み、半歩もないくらいの距離ではあるがリリスから後退る。
サキュバスにナイフを向ける男女の手は若干震えていた。
誰も動けない、誰も言葉を発することすらできない膠着状態が続く。
まるで時が止まってしまったかのようだ。
このままでは決着がつきそうにない。
せっかくサキュバスの館へ来たというのに、何もできずに終わってしまう。
俺はこの戦いをさっさと終わらせるために、介入することを決めた。
「捕らえろ【木霊の悪戯】」
男とその仲間たちの地面から蔓が生える。
蔓はグングンと伸びて彼らの足に絡まった。
「クッ…何だ!この蔓は!」
男が叫ぶ。
その間も蔓は伸び続け、男達の腹に巻き付き、腕を絡め取り、完全に彼らの動きを封じた。
「クソッ!何だ貴様は!」
俺の姿を見つけた男がツバを飛ばして叫ぶ。
その顔は茹でダコのように真っ赤だ。
「あらぁ?あなたは…うふふ、助かるわぁ!」
一瞬俺の方を見てそう言うと、リリスは急いで拘束されているサキュバス達の下へ向かう。
サキュバス達に着けられたマジックアイテムを壊し、縄を引きちぎっていった。
これで後はどうとでもなるだろう。
ふと、俺の後ろから何かがやって来る気配がした。
「ううむ、巨乳のネーちゃんか…いや、あのスレンダーなネーちゃんも捨てがたいのう。そうじゃ!いっその事四人で…む?」
振り返れば俺をほったらかして自分だけ楽しんでいたバカがいた。
しかも全裸だ。
せめて何か履けよ。
「なんじゃ大将?こんなとこで。あ、さては一瞬で搾り取られちまったんか?ガハハハハハハ!」
俺は全力でベルの股間を蹴り上げたい衝動に駆られた。
いくらタフなコイツでも、急所への攻撃なら効くはずだ。
息ができなくなるくらい思いっきりやってやろうか?
そんな激情を抑え、俺はベルに言葉を返す。
「…見ての通りだよ、バカヤロウ。」
俺はロビーの方を顎で指す。
ベルは俺が示した方に目を向けた。
「む…?なんじゃ…?ふむ、これは…」
ベルは入り口付近で陣取っている男達の事を見て、次いでサキュバス達のいるショーケースへと目をやり、再び男達の方へ視線を戻す。
ベルの体内を駆け巡る魔力の波動を感じた。
「お前さんたちか…ワシのカワイイサキュバスちゃんたちにあんな事をしおったのは…」
ベルは怒りの感情を隠しもせず、モロ出しの股間を隠すこともせず、蔓でぐるぐる巻きになった男達に向かってそう言った。
サキュバスはお前のもんじゃねえ。
あと股間の汚えものを隠せ。
「許せん…ワシのサキュバスちゃんたちに手を出したらどうなるのか、今ここでわからせてやるわい!」
身体強化を使って男達の方へと走り出すベル。
一歩足を前に出す毎に、彼の股間のゾウさんが上下左右に激しく揺れ、その度に俺を不快な気分にさせる。
「おおおおおおおおおおおおお!」
ベルは戦士の目の前まで近づくと、全力で拳を振りかぶって殴りつける。
殴られた戦士はその後ろにいた二人の戦士を巻き込み、ボウリングのピンのようにはじけ飛んだ。
やはりこの男、何度見てもとんでもないパワーを持っている。
リリスのような格闘技術はないが、純粋なパワーだけで鎧の防御を貫いてしまった。
三人の戦士達は、男の足元へどさりと落ちる。
「さて、次はお前さんらじゃ…」
拳を振りぬいた勢いで斜め下を向いていたベルは、首を上げて男達の方を見た。
「ヒッ…!」
男の後ろにいた女の一人が短く悲鳴を上げる。
もう一人の女は唇を震わせており、あまりの恐怖に声も出ない様子だ。
男はというと、血の気が引いたような真っ白な顔でベルの事を見ていた。
「ま…待て!この…」
「むうん!」
命乞いでもしようとしたのだろうか?
何かを言おうとしていた男の言葉を無視し、ベルは男の顔面を全力で殴りつけた。
その衝撃で、男は頭から地面に打ち付けられる。
そして床に転がった男をベルは両手で持ち上げ、男の仲間である女達の方へと投げ飛ばした。
「ギャッ…」
まるでボールのように飛んでいった男な体は、二人の女にぶつかると、彼女達の意識を刈り取った。
これでロビーにいた敵はいなくなった。
リリスの方を見ると、彼女の足元にはナイフを持っていた男女と、サキュバス達を拘束していた縄やマジックアイテムが落ちている。
無事にサキュバス達を救出できたようだ。
助け出されたサキュバス達は、ガラス張りの部屋を出てロビーへとやって来た。
そして、仁王立ちで男達を見降ろしているベルの下へわらわらと集まる。
「ありがとう、お兄さん。かっこよかったわぁ。」
一人のサキュバスがそう言いながらベルの腕に自分の腕を絡ませ、その豊満な胸を押し付ける。
「うふふ!私たちサキュバスって、強いオスが大好きなのよねぇ。」
また別のサキュバスはそう言いながら逆側の腕にキスをして、ベルを上目遣いで見る。
「こんな状況だけど、私たちともう一戦どうかしらぁ?」
「あ、私も!」
「抜け駆けはナシよぉ!」
サキュバス達に取り囲まれて、ベルはご満悦の様子。
なぜあいつだけあんなモテてるんだ…?
「ガハハハハハハ!そんなに言われちゃあ仕方ないのう!お前さんたち!ヒイヒイ言わせてやるから覚悟せえよ!」
これ以上ないくらいに締まりのないニヤケ顔を見せるベル。
殴りたい、その笑顔。
こんな奴、サキュバス達に搾り取られて干からびればいいんだ。
そして数体のサキュバスを引き連れたベルは、店の奥へと消えてゆく。
ベルの去り際、ふいに彼を取り巻いていたサキュバスの一人が振り返って俺の方を向く。
「そこの小さいあなたもかっこよかったわぁ。リリスお姉さまのお気に入りじゃなかったら、私が手を付けていたかもしれないわねぇ。」
俺にウィンクをしてサキュバスはベルの後を追っていった。
またあのバカに置いて行かれた。
呆然と立ち尽くしている俺の後頭部に、何やら柔らかいものが押し付けられた。
「うふふ…!」
リリスだ。
彼女は後ろから俺の事を抱きしめるように手を回していた。
「ありがとうねぇ。助かったわぁ、ちっちゃい魔法使い様!」
そう言った彼女の声に甘ったるさはなく、純粋な感謝の念と俺に対する敬意が感じられた。
そこで俺はようやくる振り返って上を向くと、リリスは優しく微笑みかけてきた。
ロビーの方へと目をやる。
さっき倒した男達の姿はなくなっている。
一体どこへ消えたのかと辺りを見回すと、全員店の外へと放り出されていた。
「お片付けも終わったことだしぃ、私たちも行きましょうか!」
俺の手を取って、店の奥へと連れていこうとするリリス。
「…いいのか?あいつらを放っておいて。」
男たちが目を覚ましたら、またこの店を襲ってくるんじゃないだろうか?
それよりも、店の前に放置しておくのはマズいんじゃなかろうか?
「ああ、いいのよぉ。誰に焚きつけられたのか知らないけど、よくあることだしぃ。そのうち誰かが回収してくれるわぁ。」
そういうものなのだろうか?
この状況をよくあることと片付けられるサキュバスは逞しいというかなんというか…
俺は考えるのをやめた。
俺はリリスに手を引かれ、最初よりも広い部屋へ通された。
ベッドはかなり大きくなっていて、タンスや本棚などの家具も置かれている。
テーブルに置かれた間接照明が部屋中を薄く照らし、妖しい雰囲気を醸し出していた。
「私は自分の部屋に人を入れるのはあまり好きじゃないのだけれど…あなたは特別よぉ。」
どうやらここは彼女の自室のらしい。
どおりで鏡の付いた化粧台なんて置いてあるはずだ。
リリスは俺をベッドへと座らせた。
「ええと…お楽しみの前に少しだけ話があるんだけど…いいかしらぁ?」
リリスはベッドに腰かけ、俺の手の上に自分の手を重ねてそう言った。
「ああ。」
話とは何だろうか?
「あなたたち、ここで用心棒をやってみない?」




