少年、黒いものを白いと言う
心配事が何もなくなって、少年の心は今にも飛び立たんとばかりに軽くなる。
学生服を脱ぎ、ハンガーに掛けると、てきぱきと着替えを用意して、うきうきした足取りで風呂へ向かう。その様子を、マルマルは哀れなものを見る目で眺めていた。
現在の少年は、催眠状態にある。心配無用と暗示を受けて、ああまで人格が変わるのは、つまりそれほどまでに日々を憂えて暮らしているということの裏返しだ。哀れな少年である。
存分に羽を伸ばすがいい。マルマルは、一時の幸福に身を委ねた少年に心の中でエールを送ると、少年のベッドに潜り込み、さっそく漫画の続きを読みはじめた。
しかし五分ほどで、それもままならなくなる。
ペンタ星系の惑星モモルに誕生した知的生命体、ペンタモールは、「擬態」という手法で有機生物の内面に自らを投影し、姿形を得る種族だ。天敵を打ち倒すために獲得した強大な能力だったが、それゆえ代償も大きい。
ふらりとベッドから身を起こしたマルマルの瞳には、怪しい光が宿っている。金色の髪がざわざわと波打ち、彼女を構成する輪郭が幽かにぶれはじめた。
少女は無言のまま宙を浮き、室内を睥睨する。最初に目に付いたのは、少年がこの春に両親から買ってもらったパソコンだった。
思い入れのある品だったが、少女が手をかざしただけで、それは内側からひしゃげるように潰れ、今や奇妙なオブジェと化した。
しかしそれらの「可能性」は、カラスの行水を終えた少年が部屋に戻ってくることで破棄された。
破壊活動を行ったという現実を、マルマルが選ばなかったからだ。意思を持つ確率と、ペンタモールはそう評されることもある。
「はい」
と、みっちゃんが差し出したのは、柔らかそうな枕だった。
「客間用のやつ。おれ、枕が変わると寝付けないんだ。修学旅行のときに痛感した」
そう言って、交換した愛用の枕を片腕に抱く。寝間着代わりらしく、ジャージ姿だ。ゆったりとした服から覗く健康的な鎖骨が妙に色っぽい。
普段は折り目正しい少年が、ふとしたときに垣間見せる無防備な姿に色気を感じるのだろう、とわたしは冷静に考察した。
「だめだ、おまえはわたしと一緒に寝ろ」
ひとりになると理性が働かない。わたしは、彼に当然の要求をした。おそらく彼は頷かないだろうが、わたしとていちいち可能性の取捨選択などやっていられない。面倒だ。
しかし、みっちゃんは意外にも理解を示した。
「一人は不安なのか?」
その声に気遣うような暖かみがある。それが彼本来の気質なのかどうかは判断が付かない。だが、利用できるものは利用するべきだ。わたしは頷いた。
「そうか」
みっちゃんは眉根を寄せて、しばし黙考する。
「わかった。客間用の布団持ってくる」
「ベッドで一緒に寝れば良いではないか」
ただでさえ狭い部屋だ。わたしの提案を、しかし彼はあっさりと否定した。
「この世でもっともあてにならないものは、自分の理性だ」
やはり、美しさとは罪であるらしい。わたしは大いに納得した。もっとも、彼にわたしをどうこうできるとは思えないが。
まあ、べつにそうしたいなら構わない。耳目の届く範囲にさえいれば、わたしに文句はなかった。