新たなる脅威
少年がフライパンを返している頃、静乃はアルバイトに勤しんでいた。(公務員)
彼女は、市内の中学校で教鞭を執っている教師だ。担当科目は現代国語で、現在は三学年の主任を務めている。
校内きっての美貌で知られる静乃は、一方で校内随一のスパルタ教師として名を馳せている。
例えば、道を踏み外しかけている少女を補導するために得体の知れない銃器を突き付ける程度には厳格だ。
「観念なさい」
その氷のような眼差しに、真水慶はたまらず待ったを掛けた。
「タイム!」
両手で×印を示して、一時休戦を申し出る。
脱色した髪を肩口で切り揃えた、勝ち気そうな少女だ。
静乃の返事を待たず、肩でクスクス笑っている小人に約束が違うと食って掛かるものだから、成績表に落ち着きがないとよく書かれる。
「ちょっと、あの玩具みたいな銃はなに? 撃たれるとどうなるの? もしかして死んじゃう?」
すると小人が、背中に生えている二対の羽を小刻みに震わせて言う。
青み掛かった光沢のある髪が特徴的なピクシーだった。
ちなみに、頭頂部から伸びているウサギの耳は触覚をイメージしている。
彼女は、慶の不運に笑いが止まらないようだった。
「あれはポインター。簡単に言うと、撃った相手を弁護士まで直行便でご案内してくれる。とても環境に優しいのよ」
「…………」
慶は妖精の言葉をしばし吟味してから、お手上げというように肩をすくめた。
いささか学力に難がある契約者に、妖精はウサ耳をひくつかせて謝罪した。
「ごめん、ケイには少し難しかったわね。結論を言うと、今日から前科一犯よ。おめでとう」
今度は理解できたらしく、冗談ではないと慶が言う。
「え、意味わかんない。未成年なんだけど」
「ほいほい契約するからそういう目に遭うのよ」
「あんたが言うな」
仲違いをはじめる少女と妖精に、静乃は呆れた。
「シズノ」
傍らのマドカが注意を促してくる。それにひとつ頷きを返し、
「わかってる」
静乃に憑いているマドカの能力は未来視だ。
より正確に言えば、高精度な演算能力である。
常に先手を取れる強力な能力だが、その反面、後手に回ると弱い。
いかに未来を見通せようと、肉体的な限界があるからだ。
「タイム終わり!」
慶が律儀に戦闘再開を告げて、その場を飛び退く。
普段は往来が激しい駅前の通りだが、いまは無人だ。
人間の意識から半歩外れた世界を慶は渡り歩ける。
もちろんそれだけではない。
「おいで」
慶が虚空に片手を差し出すと、彼女の影が異形の群れと化して押し寄せる。
ワールドポーターと、そう呼ばれる能力だ。
「タイム!」
今度はマドカが一時休戦を申請する番だった。
彼女は慶の承諾を待ってから、静乃に詰め寄る。
「シズノ、なぜ撃たない」
ラプラスの前では、奇襲も回避行動も意味を成さない。
撃てなかったのではない、撃たなかったのだ。
静乃はポインターをおろして、呟いた。
「まだ子供だわ」
「いや、それはそうなのだが……」
そんな身もふたもない。マドカはうなった。
たしかに子供で、そして静乃は教育者なのだ。
しかも相手は契約者としての日が浅いらしく、何ら脅威にならない。
それを言えば静乃も初心者同然なのだが、彼女には支給された数々の装備と、何より得難い聡明さがあった。
慶の肩に止まっている妖精が「カッコイイー!」と喝采を上げる。
「そうそう、前途ある若者のためにもここはひとつ」
茶々を入れられて、マドカががなる。
「だまれっウサ耳!」
「フェアリーキック!」
「ぐはあっ……!」
どうやら禁句だったらしい。飛来した妖精の飛び蹴りをまともに食らって、悶えるマドカ。
本来この世界に属していないワールドポーターと、ラプラスは相性が悪い。
掴み合いの喧嘩をはじめる精神優位種族たちの骨肉の争いを、静乃と慶は温かく見守るのだった。