叶、マルマルの身を案じる
長いようで短かった冬休みが終わり、今日から三学期がはじまる。
と言っても初日は始業式とHRだけなので、昼前には解散だ。
帰りの支度を整える少年に、委員長がぎこちなく話しかけてくる。
「みっちー、午後ひま?」
「ひまで悪いか」
わら半紙のプリントを整頓していた少年は、その手を止めて委員長を振り返った。
「どうしたの、改まって」
ときどき忘れそうになるが、自分たちは受験生だ。
高校受験を一ヶ月後に控えたこの時期、遠出する予定なんてある訳がない。
「そう、ひまなんだ……」
落胆を隠せない様子の委員長に、少年は念のために言う。
「とくべつ用事はないって意味だよ?」
その声に労るような響きがあって、委員長は悲しくなる。
「気のせいだったら、ごめん。おれたち同級生だよね?」
「それじゃ、また明日」
「え、今じゃ駄目なの」
ひらひらと手を振って教室をあとにしようとする少年だったが、
「みっちー、午後ひま?」
廊下で待ち伏せに遭う。
硬直した少年に、にこりと微笑みかけたのは、副委員長の瀬波叶だった。
少年の友人に勝るとも劣らないポーカーフェイスの使い手で、所作は大人びているのだが、たまにぼんやりしているというか、ひどく幼く見えることがある。
何を考えているのかいまいちわからない、ぶっちゃけ怖いんよ、というのが敬愛する級長の言である。
近年まれに見る笑顔で返事を待つクラスメイトに、少年は頭の中で素早く逃走経路を組み立てながら、
「忙しいと言ったら……」
「内容によるかな。でも」
叶は間髪入れずに答えた。
「ひまで悪いか、でしたっけ」
「図ったな委員長っ」
烈火の如く教室を振り返ると、ロッカー側の出入り口から今しも裏切り者が脱出せんとしている。
「待てっ貴様……!」
これを好機と見てあとを追おうとする少年の前に、叶の相棒が立ちふさがる。
「先日はどうも」
トレードマークのポニーテールが頭の後ろで跳ねる。
秋津萠。屈託ないクラスメイトが、今や復讐に燃える女豹と化していた。
「しまった……!」
退路を絶たれた少年が、無念の声を上げる。
前門の虎、後門の狼とはこのことか。
叶の笑顔は鉄壁、崩れない。
(虎は無理、虎は無理)
即座に決断を下し、少年は狼さんの懐柔にいちるの望みを懸ける。
「秋津さん、おれはね、きみのためを思って」
「あ、そうなの?」
手応えあり。うんうんと頷く少年。ゆっくりと伸びてくる叶の手に、嫌々と後ずさる。
背中越しの説得だけが頼りだ。
「そう、心を鬼に。甘さと優しさは違うんよ」
「それじゃあ、そういうことで」
「え、そういうことってどういうこと。あ、そういうことか。駄目じゃん」
説得は失敗に終わった。
しかし少年は諦めなかった。
「マキくん! 助けてくれないかっ」
自分は一人じゃない。いつだって頼れる親友がそばにいてくれる。
肩越しに振り返れば、ほらそこに、
「いねえっ!」
どういうことだ。なぜいない。狼狽する少年に、萠の悲痛な宣告が突き刺さる。
「マッキーは妖精さんを探しに行きました」
「え、おれの親友、そんなに遠くに行っちゃったの?」
親友との距離感が一気にぼやける少年。いったい何があった。
しかし叶は言うのだ。
「その妖精さんは、これからわたしにお説教されます」