少年、素敵な午後の過ごし方
素敵な一日になりそうな予感がしていたのだ。
先日とうとう我が家のマルマルに友達ができた。
待望のマルマル社会復帰計画第二段である。
マキとのコンタクトがほぼ最悪の結果に終わったのは、つい先月の出来事だ。一時期はその存在自体を危ぶまれたマルマルの対人コミュニケーション能力だが、やはり同性というのが大きかったのか、秋津さん瀬波さんとは普通にお話できたようである。
やたらとマルマルに構ってくる秋津さんにはらはらしたものの、当の金髪少女はちやほやされるのに慣れているらしく、終始堂々としたものだった。
瀬波さんに関して、僕は心配していない。秋津さんをうまく隠れ蓑にしているようだが、実は可愛いものに目がないことを知っているからだ。
その点で言うなら、むしろ警戒すべきは秋津さんだと思っていたのだが、この難敵を前にして、なんとマルマルは天性の愛嬌で撃破して見せた。
後日、僕は瀬波さんから同居人の件に関してお説教されるらしいのだが、これは逆にチャンスだと自分に言い聞かせたのでまったく問題ない。
瀬波さんに連行されていく秋津さんの憐れみを誘う悲鳴が耳にこびりついて離れない。
おかげで今日は朝から絶好調、問題集がすらすら解ける。
朝食の席でニュースを観て世を憂う父も、マルマルに友達ができたと聞いて未来は明るいと感じたらしい。意気揚々と出社する父の背には、働く大人の気概が満ち満ちていた。
食器洗いを済ませたら、次は掃除機と洗濯機が僕を呼んでる。我が家を縁の下で支えてくれる力強いパートナーたちだ。
彼らの助けを借りて午前中に細々とした家事を片付ける。
何もかもがうまく回る。身体中を駆け巡る全能感に僕のテンションはうなぎ登りだ。
「まだだ、まだおれは動ける……!」
「…………」
デジタルオーディオとケータイを両手で同時に操作している現場をお目覚めマルマルに目撃されるも、僕は止まらない。
「おはよう、マルマル。いい朝だな。ほぼ昼だが!」
「どうしたの、この子……」
気味悪がる母の肩を揉み、本日の自分は言うなれば過去最高の出来であることを述べると、マルマルが抜け目なく欲しい服があるとねだってくる。
「試してみたいことがある」
僕は自嘲して立てた親指を突き出す。あとで後悔することはわかっていたが、それでも今というこのときを大切にしたかったのだ。
「仕方ないな。だが、僕はきみが思っている以上に金欠だぜ?」
「案ずるな、せいぜいみっちゃんの財布にとどめを刺すくらいだ」
「まじかよ」
母と連れ添ってデパートへ出掛けるマルマルを見送る。さようなら、僕のお年玉。
だが、綺麗に着飾ったマルマルを見るのも悪くないと最近の僕は思うのだ。
近頃の僕は心が広くなった、成長したということだろう。破滅の入り口に立っていることは自覚しているが、いつの世も滅びは甘美な囁きをともなって人をいざなう。
歴史は繰り返すというなら、それは人間のサガなのだろう。運命に逆らうのは英雄だけでいい。
と、ここまでは良かった。
全世界の祝福を浴びているような気分で散歩に出掛けた先で、僕はいま。
「天使さまぁー!」
路上で見知らぬおっさんに崇拝されている。
「…………」
ここはどこだ、奈落だ。
春には満開の桜が臨める
桜並木通りを散策している最中の出来事だった。
市内に数あるデートスポットの定番のひとつだが、人通りが異様に少ないのは枯れ木の寂しさゆえと信じたい。
唯一の観客が、担任教師とその妹さんというから、その悲劇に拍車を掛けている。ここで僕の学園生活に終止符が打たれるのだろうか。
ひざ丈スカートから伸びる脚線がお美しい平川先生、サバイバルゲームがご趣味とは知りませんでした。
遠目にもはっきりと玩具とわかるモデルガンを油断なく構えたまま、先生は困惑した眼差しを僕に向けている。
「マドカっ?」
傍らの妹さんを問い詰める声も切迫している。
答えるまどかちゃんも戸惑った様子である。
「わからん。分配機は正常に作動している。まさか、あの少年が宿主なのか? いや、しかし」
だけど、わかって欲しい。一番混乱してるのも、泣きたいのも、可哀想なのも、ぜんぶ僕なのよね。
その悲しみの元凶たるおっさんが、狂気を宿した目で二人を振り返る。
「馴れ馴れしいぞ、連合の犬ども。神の使いの御前だ、控えろ」
そのお犬さんとやらに僕の進学が懸かっている、この現状。
よほど僕に恨みがあるらしいおっさんは、立ち上がると思ったよりもすらりとしていて上背がある。髪を後ろに撫で付け、びしっとスーツを着こなしている。こんな大人になりたいと思っていた時期が僕にもありました。
働き盛りのご年齢とお見受けしますが、お仕事の方はいいんですか。
平坦な声で尋ねると、知らないおじさんは嬉々として言った。
「私は、あなた様と出会うために生まれたのです」
なんて憐れな人生なのだろう。僕はうめいた。
この国では宗教の自由を憲法として掲げているが、これはあまりにもひどすぎる。
ひざまずき、僕の手を取ろうとする迷える羊を、平川先生が制した。
「その子から離れなさい」
モデルガンを男性に突き付ける、その姿が勇ましい。せめて、もう少しリアリティーを追求して欲しかったと願うのは、僕のわがままなのだろうか。銃身すらないなんてあんまりだ。
リボルバー拳銃でいうところの撃鉄が機械的な動作音を立てて斜め上後方に伸びても、何の慰めにもならない。
まどかちゃんの最終通告が寒空に虚しく響く。
「抵抗しても無駄だ。きさまの能力ではわたしには勝てんぞ。署で洗いざらい喋ってもらう」
シチュエーション的には追い詰められている企業マン、法的には問題ないのが難しいところだ。
彼は何かつらいことでもあったのか、大仰に両腕を広げて笑い出した。
僕もつらい。マルマルさん、今どうしてますか。僕はおうちに帰りたいです。
平社員とは思えない堂々たる口調で、日本経済を支えるビジネスマンが言う。
「貴様たちは何もわかっていないようだな。私を捕らえたところでどうにかなると思っている」
引き金に掛かっている平川先生の指に力がこもる。
「わたしには関係ない話ね」
「関係ない」
帰りを妻子が待っているかもしれない男性は、おうむ返しに呟いた。
笑いはぴたりとやんでいた。
「関係ない、そうかもしれない。その表現は的確だぞ。なぜなら、この時空の支配者は明白だ……」
そう言って、囁くように付け足した。
「驚くほどに」
すると、まどかちゃんが弾けるように反応した。
「まさか、特異型か!?」
空が青い。どうして青いんだろう。
「宿主などいるものか。まだわからないのか?
この方は分配された『こちら側』にいる。導かれてだ!」
雲が白いのは、なぜなんだろう。
「人間の、未知の能力……! それが狙いだったのか!?」
慄然としたまどかちゃんの悲鳴を合図に、事態は動いた。
「マドカ!」
叫ぶと同時に平川先生が引き金を絞り、
「ラプラスか」
知らないおじさん人員増加、
「遊びが過ぎるぞ」
更に追加。
まどかちゃんびっくり。
「タイムトラベラー……!」
平川先生は困ったように、
「時の流れって残酷ね」
僕もあっち側に行きたい。
おじさん三人にひざまずかれて、僕は異性の存在を恋しく思う。
「可能性には敬意を払う。だが、俺はあんたを認めた訳じゃない。覚えておけ」
ひとり、ツンデレが混ざっていました。
颯爽と駆け去るダンディズム三人衆。
「待てっ」
追う、まどかちゃん。
それに付き添う平川先生が、脇を通り抜けざま、労るように僕の肩をぽんと叩いた。
「悪い夢だったのよ。忘れなさい」
ひとり取り残された僕は、とぼとぼと帰宅し、マルマルのひざの上で、少し泣いた。