マルマル、雪上を舞う
朝から随分と冷え込むと思っていたら、やはりというか案の定、雪が降った。
初雪だ。
部活に顔を出した帰りである。コートのポケットに両手に突っ込んで帰路を急ぐ少年。
例年通りなら、本格的に積もるのは少し先になるだろうが、近頃はとみに日の入りが早いと感じる。
(もう、すっかり冬だな)
夕焼けに照らされて、庭先でくるくると回っている少女も、そういうふうに感じることがあるのだろうか。
「みっちゃん!」
満面の笑顔で駆け寄ってくる同居人を、いつもの癖でスルーしようとした少年は、ぎょっとして立ち止まった。
「ばかっ、なんて格好してる」
普段、暖房が利いた環境で自宅警備に励む少女に、季節感は皆無だ。
民族衣装らしき服は、大きな袖がひもで吊ってある構造をしており、それこそ雪のように白い二の腕が露出している。
どれだけの時間を舞い降る雪とたわむれていたのかは知らないが、ぱちぱちと瞬きをするたびに、意外と長いまつげを彩る粉雪がはらりと散る。
慌てて脱いだコートを肩に掛けてやりながら、きょとんとしているマルマルにもう一度「ばか」と
ため息をつく。
「まったく、風邪をひいても知らないぞ。あまり世話を掛けるな」
だが、興奮したマルマルにとっては些事に過ぎなかった。
「みっちゃん、雪だ!」
ばたばたと袖を振ってはしゃぐ少女に、少年は「そうね、白いね」と生返事をして彼女の手を引く。大自然のパノラマもいいが、まずないだろう外敵の襲撃に備えるという職務を忘れてもらっては困る。
未成年でありながら閑職に追いやられている窓際マルマルは、そうと知らずに手のひらで溶ける雪に感動している。
彼女の母星モモルは、物質的に存在している訳ではないため、このような自然の産物とはとんと縁がない。
冷気を自在に操るタイプの異星人と矛を交えたことはあるが、もちろん二度と歯向かう気を起こさないよう一族郎党に相応しい末路を用意してやった、あの連中が生み出す雪の結晶は殺傷力ばかり高くて芸術性に欠ける。
世界は美しい。いまなら、ペンタモール討伐を謳う身の程知らず共の気持ちが少しはわかる気がした。
「かき氷のファンタジーだな」
それが気のせいだと気付く日はやって来るのだろうか。
「雪を見るのははじめて?」
少女の髪に掛かっている雪を払ってやりながら、少年はさり気なく彼女の出自を探る。
ぱらぱらと土間に落ちた雪は、たちまち溶けてなくなる。
「うん。わたしの母星には、そもそも自然現象という概念がない」
箱入り娘というやつか。少年はひとつ頷き、大切に育てられたんだな、とまだ見ぬご両親を思う。
マルマル自身は彼女の両親について実の娘を放逐した人でなしのように言うが、そう言う当の本人からして、あまり気に病んでいる様子がない。
醒めきっているようで、しかし確かなきずながあるように思えてならない。
口ではどうあれ、きっと愛娘を心配していることだろう。
母に任せると言った以上、出過ぎた真似はすまい。だからといって責任を免れることが許されるのは、せいぜい小学生までだろう。自分に出来ることといえば、彼女の健康を気遣う程度のことだけれど。
「風邪、ひくなよ」
ぽんぽんと軽く頭を叩いて促す少年に、マルマルはふと気付いたように言う。
「わたしは小さな子供ではないぞ」
残念ながら、大人は雪を見てはしゃいだりはしないものだ。少年は苦笑して、「そうだね」と口先だけで納得してみせた。
(それで、なんでおれが風邪をひくんだ。納得行かねえ……)
翌日のことである。
昨晩から「あれ?」と感じる症状は二、三あったものの、まさか熱が出るとは思わなかった。
久し振りに正当な所有権を取り戻したベッドは、少女の残り香が気になって落ち着かない。すっかり僕の手を離れてしまったようで物悲しい。
「あれしきで体調を崩すとは不甲斐ない」
鬼の首を取ったとばかりに看病してくれるマルマルがいまいましいことこの上ない。
天才的な嫌がらせの手腕を発揮した少女は、今日に限って早起きだった。
本日のマルマルは、薄手のトレーナーの上からどてらを羽織り、下はキュロットタイプのスカートという出で立ちだ。
彼女が室内を行き来するたびに、ニーソックスで覆われた足がとてとてと音を立てる。
風邪が感染るといけないと言って遠ざけようとしたのだが、マルマルは頑として聞き入れなかった。
僕は、ベッドの上で熱っぽい吐息を漏らす。
「悪かったな、軟弱で」
熱を出して寝込むなんて何年ぶりだろう。普段から体調管理には気を使っていた筈なのだが、やはり受験勉強の疲れが知らず知らずのうちに蓄積していたと見える。
喉が腫れているらしく、かすれた声しか出ないのがいかにも情けない。
「しょせん有機生物の限界だ、そう気に病むな」
マルマルはそう言ってくれるが、病人を写メっている輩を気にするなという方が無理がある。
いつの間に携帯電話などという文明の利器を、と思ったが、なんのことはない、僕のケータイだった。
カチカチと通話履歴をチェックする指さばきが熟練の域に達していて、今日から携帯電話と寝食を共にしなければいけないのかと憂うつになる。
いい機会だと思ったのか、その精神構造がすでに僕の理解を越えている、マルマルは日々の不満を口にする。
「誰が誰かわからん」
僕は、電話帳機能に名称ではなく呼称で登録するタイプだ。人の名前を覚えるのは得意なので、それで差し支えがあった記憶はない。まさか友人らのプライバシーを守ることにつながる日がやって来ようとは、夢にも思わなかった。
いよいよメールボックスの開封に着手したマルマルが、ぼそりと呟く。メールなんて、せいぜいマキとの近況報告くらいでしか使わない。べつに見られても構わないが。
「倒錯的な遣り取りだな。ご主人の危惧も頷ける」
それは違う。僕は反論した。
やつが送ってくるメールは、徹頭徹尾が下らないのだ。いつだったか、『実は俺、宇宙人なんだ』などと訳のわからないことを相談された日には、真剣に腕利きの医師を紹介しようかと悩んだほどである。
マルマルが感心したように言う。
「仲がいいんだな」
「まあ、そこそこ」
反発する気力もわかず、僕は認めた。
いちいち燗に障るやつだし、価値観もまったく異なるのだが、それでも生まれる友情がこの世にはあるのだ。それは本当に不思議なことだった。
「例えば、こんなことがあった」
修学旅行で本当にあった怖い話を聞かせているうちに、風邪薬が効いてきたのだろう、眠気が僕を間断なく襲ってくる。
視界の端で揺れ動く金髪を最後に、僕の意識は閉ざされるのであった。