対決、少年と叶
秋津さんがいない。
となりの席が無人のままというのは、落ち着かないものだ。
無言であるじ不在の机をじっと見詰めていると、死地から生還したかもしれない友人(暫定)が珍しく上機嫌で教室に入ってくる。
普段と何ら変わりない無表情だが、僕にはわかる。親友ですから。
「何がそんなに嬉しい」
椅子を傾けて不謹慎をなじる僕に、やつは「べつに普通」と口答えした。
それから、僕のとなりの空間を見るともなしに見て、はっとした。
なんだ、その反応は。
僕は、席を蹴って立ち上がった。腕を組み、しまったという表情で後ずさるマキを、冷然と見下す。
「…………」
さらに言葉でいたぶろうと口を開き掛ける僕に、瀬波さんが「こら」と学級日誌で頭を叩いて制止してくる。
彼女は、やれやれと右手を腰に当て、朝からお勤めご苦労さまです、存在意義が定かでない黒い台帳を教卓の上に置いた。
「マッキーに八つ当たりしないの」
「悪かったな、マキ」
「早っ」
僕の中に点在する用途不明の隠しパラメータのひとつが、瀬波さんに叱られることで、ぎりぎり通常値を取り戻したのだ。
日常生活を送る上では支障のない数値だが、大は小を兼ねるという。多きに勝ることはなし、だ。仕方ない。
僕は、秋津さんのことを瀬波さんに尋ねてみることにした。
いかにも優等生然とした副委員長と、お騒がせなトラブルメーカーという、一風変わった組み合わせだが、彼女たち二人は仲がいい。
「瀬波さん、」
「ごめんね、みっちーには言わないでってメグちゃんが」
「早っ」
そんな、まさか僕に心配を掛けまいと?
黙秘権を行使中の瀬波さんは、決死の眼差しで僕の挙動を観察している。
(弱ったな……)
そんな健気な瞳で見られると、僕の庇護欲がうずいてしまう。
おそらく秋津さんは風邪をひいたのだろう。先日の説明会に姿を現さなかったことと、瀬波さんの態度から、僕はおおよその事情を察した。
わざわざ女子の家までお見舞いに行くのもどうかと思うのだが、秋津さんと瀬波さんは僕という人間を誤解しているようだった。
ならば、その期待に応えたい。
そして何より、僕に隠し事が出来ると思っているなら、その勘違いを正してあげたかった。
「そうか、残念だな」
ぼそりと独りごち、席に腰掛ける。
すると瀬波さんが、すかさず食い付いてきた。
「なにが」
「いや、べつに。こっちの話だよ」
彼女の追及をいなし、そうかそうかと頷く。
隠しきれないと悟ったか、瀬波さんが切り札を出した。
瀬波さんは、頭の回転が早い。無駄な努力をする人ではない、何かあるとは思っていたが。
彼女が突き出した携帯電話のディスプレイには、金髪の少女と会食する牛の着ぐるみ(瀕死)が克明に映し出されていた。
瀬波さんが、必勝の笑みを口元に浮かべる。
「どう?」
その手には乗らない。
「狂気の沙汰だね」
とぼける僕に、瀬波さんは哀しげにかぶりを振った。
「女の子のためにここまで自分を捨てれる人を、わたしは他に知らない」
「本当に? おれはひとり知ってる」
僕は、タイミング良く登校してきた委員長をスケープゴートにする決意を固めた。
「おはよ~。って、うわ、朝から対峙してはる。なんなのこのクラス、もお~」
両手で顔を覆って嘆く彼に、僕は心で詫びた。すまない級長。
着ぐるみの配送は任せてくれ、せめてもの償いだ。
しかし二の矢をつがえているのは、僕だけではなかった。
「証拠」
「なんだって?」
「見たい?」
はったりだ。そんなものがある筈ない。
ひるむな。僕は自分に言い聞かせた。
クラスメイトが病の床で苦しんでいるのだ。
だが、彼女のこの自信は何だ?
僕が迷っている間に、瀬波さんは素早く携帯電話の画像を切り替えた。
「どん」
「……!」
僕は絶句した。
そこに映っていたのは、過日の文化祭の一幕だった。
『今年の干支』という腕章を巻いた牛さんが、学園の平和を守るために治安維持活動へと身を投じている、決定的な場面だ。
(まずい……!)
僕は焦燥に胸を焦がす。当日はアリバイトリックを用意していたものの、こちらまで調査の手が及ばなかったため、今となっては証明できない。どうする。
硬直する僕に、とどめとばかりに瀬波さん。
「ちなみに、あなたのアリバイは崩し済み。マッキーを捨て駒にする、使い古された手口。二年前のわたしなら騙されたかもしれない」
どうやら、彼女に隠し事は出来ないようだ。勝敗は決した。
僕はがっくりと机に突っ伏して項垂れる。
無念。そう、無念だ。
ごめんよ、秋津さん。きみのためにりんごをすりおろしてあげることが、僕には出来ない……。
そして委員長のコメント。
「みっちーはさ、なんていうか、案外底が浅いよね」
だまれ。