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第七話 ずっと触ってみたかったんです!

 彼は林檎のパイを気に入ってくれたようで、パイを作った日はしっかり完食してくれる。自分から言っておいて全部食べてくれないと困るのだが、それでも自分の作ったものを気に入ってくれるのは嬉しいものだ。


 シェリルは鼻歌混じりに林檎のパイを作っていた。窯から出したそれは綺麗に焼き上がっている。少し小さめだが半分にすれば二人分はあった。皿に移して切り分けてから残りを別の皿に移す。


 これは私が食べようとフォークと紅茶の準備をしていると玄関が開く音がしたので、振り向けばラルフが顔を覗かせていた。今日は早いというよりは初めて彼が朝帰りをしなかったのではないだろうか。



「今日は早いですね」

「あぁ、すぐに済んだからな」



 ラルフはそう返事をしてから弓と矢、それから腰につけた小袋を下ろした。焼きたての匂いに気付いてか、彼はテーブルの上を見遣った。


 切り分けられて皿に盛られた林檎のパイは美味しそうに焼けている。



「作っていたのか」

「えぇ、丁度できたところですよ」



 食べますかと皿を指差すとラルフはそれに頷いて、椅子を引いて腰を下ろした。紅茶を淹れてフォークを差し出せば、彼は林檎のパイを口に頬張る。シェリルはそんな様子を眺めながら自身も林檎のパイに口をつけた。


 こうやって一緒に食べるのは初めてでシェリルは少しだけ緊張していた。ラルフは何を言うでもなく食べている。不味そうには食べていないので、味には問題がないのだろうけれど感想が聞きたくて「あの」と声をかけた。



「美味しいですか?」

「あぁ、うまい」



 好きな味だと答えるラルフにシェリルはほっと胸を撫で下ろす。直接こうやって感想を言われると安心できた。彼は林檎のパイを気に入ってくれたのだと。



「ラルフさんは林檎のパイが好きなんですか?」

「……思い出の味だ」

「思い出」

「別に大したことではない。幼い頃に母と食べた思い出があるんだ」



 母はよく兄弟を集めてお茶会を開いていた。その時に決まって出されていたのが林檎のパイだった。母が一番好きなケーキでそれだけは何を言われても自分自身で作っていた。そんな林檎のパイを兄弟で食べて母と会話を楽しんでいた思い出があった。



「別に大したことではない」

「……その、もしかして」

「母は病で亡くなっている」



 まだ自身が子供の頃だ、母は流行病で亡くなってしまった。だから、林檎のパイは思い出の味なのだ。


 それを聞いてシェリルは林檎のパイを作ったのは余計なお世話だったのではないだろうかと思ってしまった。大事な思い出を、それは寂しくも思える出来事を呼び覚ますようなものを食べさせてしまったのだ。


 まだ子供の頃だったのなら尚更、辛い思い出でもあるのではないだろうか。そう考えると何だか申し訳ない気持ちになる。



「その……」


「気にしていない。別に避けていたわけでもないし、もう吹っ切れていることだ。ただ、お前の作る林檎のパイは似ていたんだ」



 母の作った林檎のパイの味。私の大好きなものだからと自分の手で作って我が子に振る舞っていた、母の味に似ていたのだ。


 他の人に作ってもらっても微妙に味が違っていたというのにシェリルの林檎のパイは似ていた。



「店で売っているものも食べたことはあるがあまり美味しいとは思わなかった。シェリルの作った林檎のパイは美味しかったんだ」



 ラルフは「母の味を恋しくなるなど、なよなよしいだろうか」と眉を下げたのを見て、シェリルは首を左右に振る、そんなことはないと。


 思い出の味をまた食べれるのであれば、それは嬉しいことではないだろうか。もう食べれないと思っていたのなら特にそうだろう。



「私でよければ作りますわ」



 そう難しいものでもない。それに誰かに美味しいと言って食べてもらえるのならばそんな嬉しいことはないのだ。シェリルの言葉にラルフはありがとうと笑む。それがまた綺麗なものだから見惚れてしまった。



「しかし、作ってもらってばかりでは申し訳ないな」

「いえ、こちらは雇ってもらっている身ですし」

「いや、これに関しては追加業務だろう」



 家政婦の仕事とはまた違うのではないかと言うラルフに、そうだろうかとシェリルは首を傾げた。そういうのも込みで家政婦ではないだろうかと思わなくもない。それでも彼は思うところがあるようだ。



「シェリル。何かしたいことはあるか?」

「何か?」

「あぁ。それを報酬にしたい」



 別に気にしなくてもいいのにと言うが、彼はそうではないらしい。何かしたいことと言われても特にないのだがなぁと思いながらラルフを見て、あっと一つ思い当たることがあった。



「あの、それってちょっと変わったことでもいいです?」

「なんだ?」

「その、耳を触らせてほしいなぁと……」



 前々から思っていた、ウルフス族の狼の耳と尻尾について。毛感触良さそうだなとか、もふもふしてそうだなとか。ちょっと触ってみたいなとか色々と実は思っていた。


 何せ、エイルーン国で半獣人族と会うことなど公爵令嬢時代にはそうなかったのだ。あったとしても相手も偉いお方でおいそれと頼めることではない。前々から触ってみたかったのだと言えば不思議そうにされてしまう。



「人間は気になるものなのか?」


「そうですね、獣耳と尻尾は気になります。半獣人の方って見た目は人間なのに獣の耳と尻尾があるじゃないですか。それがその気になりまして……」



 見た目は人間なのに耳が違う、獣の尻尾がある。それは人間からしたら不思議なものだし、気になるものだ。そう答えればラルフは納得したらしい。



「まぁ……耳ぐらいなら触っても構わないが……」

「本当ですか!」



 ぱぁっと表情を明るくさせる様子にそんなにかとラルフは少しだけ驚いたふうだ。シェリルが「今、いいですか!」と手をわきわきさせていると、ラルフが「構わない」と答えたので嬉しそうに立ち上った。


 ラルフの隣に立つとではと頭にくっついている獣耳に触れた。彼の獣耳はふわふわでもこもこだった。それはもう毛感触の良い触感に思わず頬を綻ばせる、想像以上にふわもこだ。


 これは犬だ、毛足の長い犬の耳を触っているような感覚だ。あまりの触り心地の良さにこれはクセになってしまうと思った。それほどに破壊力と中毒性がある。


 ふにふにと無言で触っているシェリルをラルフは見上げながら可笑しそうにしていた。



「お前、そんなに触りたかったのか」



 耐え切れなくなったのか、ラルフは笑いながら言う。「顔がだらしなくなっているぞ」と言われてシェリルは少しばかり恥ずかしくなるも、それでも触る手を止めなかった。それがまた彼を笑わせたようだった。



「いや、もう結構前から気になっていたんですよ!」

「そんな素振りはなかったが」

「見せませんよ、失礼じゃないですか」



 そう返されてそれもそうかとラルフは納得する。これだけでいいのかと問われたのでシェリルははいと頷いた。



「欲がないな」

「だってあと気になるのっていつも持ち歩いている小袋ぐらいですよ?」

「あぁ、あれは宝石の屑石が入っている」



 宝石になり損なった屑石、それを触媒に魔法を使っているのだという。屑石はただ捨てられるだけなので割とすぐに手に入るらしい。ふーんとシェリルは相槌を打ってまたふにふにと耳を触る。



「まだか」

「もう少し」



 シェリルはもう獣耳の虜になっていた。触れる時に触って堪能しておこうという様子に、これは暫くこのままだなとラルフは苦笑しつつも止めることはしなかった。


          *


 彼女が楽しそうにしている表情をラルフは初めてみたものだから、少しくらいはいいだろうとそう思った。その笑顔が良く似合っていたものだから。




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