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第二十八話 シェリルの覚悟

 馬車に揺られること数日、シェリルは久方ぶりにエイルーン国の城下の町を見た。見渡すかぎり人間だらけの状況は何日ぶりだろうかと、そんなことを考える余裕もなく自身の実家へと向かう。


 馬車が走る中、隣には髭面の汚い笑みを見せる男、フィランダー公爵が座っている。探しましたぞと心配していたといった様子でシェリルを抱きしめたのだ、彼は。きつい体臭と香水の混ざった匂いに顔を顰めたのは言うまでもない。


 フィランダー公爵はシェリルの腰に手を回しながら言う。



「本当に心配しましたぞ、シェリル嬢。お母様もお父様も大変心を痛めておった」


「そうですか」



 会話もしたくないのだがそうはいかない、今の自分は相手よりも下の存在だ。迂闊なことを喋って機嫌を損なうことはしたくなかった。できることなら何事もなくマーカスに会ってさっさと事を終わらせたいとシェリルは我慢する。



「逃げたくなる気持ちも分かるけれど、両親を心配させてはいけませんな。もちろん、わしも心配したのですぞ」


「申し訳ありませんわ。どうしても此処にはいたくなかったものでして」


「相談してくださればよかったでしょう。わしならば問題を解決できたというのに」


「その気持ちだけで十分です」



 何が解決できるだ、元々妻にするためにマーカスと組んだのはお前じゃないか。苛立つ心を押さえながらシェリルは笑む。


 フィランダーはシェリルの気持ちなど気付くわけもなく、にやにやとした表情を浮かべながらシェリルの足を摩った。


 したくもない話をしながら馬車に揺られて少し、シェリルは屋敷へと到着した。エントランスへと入れば父と母が血相変えてやってくる。娘の様子を見るやいなや目を釣り上げ怖い表情をした。



「この馬鹿娘! お前が此処まで馬鹿だとは思わなかった!」



 父は怒鳴り上げるとシェリルの頬を思いっきり叩いた。その勢いに倒れると今度は母が声を上げる。



「王子だけでなく、フィランダー様にまで迷惑をかけて! この恥晒しが!」



 お前は馬鹿だ、阿呆な娘だ。他所様に迷惑をかけて、恥を晒し、のうのうと帰ってきて謝罪もないと罵詈雑言の嵐だった。シェリルは黙ってそれを聞いていた。何を言うでもなく、言い返すでもなく、ただ。


 だって、何を言っても聞く耳を持たないのは見て取れるじゃないか。シェリルは頬を押さえながら唇を噛み締める。



「これはこれはいけませんよ。シェリル嬢だって傷心して逃げたくなることもあるでしょう」



 そう言ってフィランダーはシェリルの手を取って立ち上がらせる。甲斐甲斐しく世話をするようなその下手くそな演技に笑いそうになった。



「けれど、彼女もこうして戻ってきたのです。此処は広い心で迎え入れようではございませんか」



 人良さそうな笑みを見せてそう言えば、父と母は「貴方様がそう言うのなら」と引き下がった。なんと簡単な事だろうか、フィランダーの言葉一つで治るのだから。


 フィランダーは「痛かったでしょう」とシェリルの頬を撫でる。その手をシェリルはさりげなく払い除けて「大丈夫ですわ」と返す、彼に触られたくはなかった。


 そんな態度に気づいていないのか、フィランダーは無理をしなくていいと的外れな事を言ってくる。それがおかしかったけれど、シェリルは黙ったまま視線を逸らした。



「シェリル嬢は私に任せて頂ければいい」

「よろしくお願いします」



 両親が深々と頭を下げるのを見てシェリルは呆れてしまった。期待などはしていなかったけれど、少しは娘がいなくなって気持ちも変わったのではないかと夢を持っていた。だが、現実は非情だ。


 自分がいない間にフィランダーは両親に近づき、少しずつ落としていったのだ。もう完全に彼のことを信じ切っている。自身にはもう逃げ道など残されてはいなかった。



「それでは王子の元へと向かいましょうか。一言、非礼を詫びればきっと許してくださいますよ」


「その前に少しだけ、自分の部屋を見てもいいでしょうか?」



 シェリルがそう問うと「何故?」とフィランダーは首を傾げた。すぐにでも行くべきだろうという彼に「これでは申し訳ない」と苦笑して見せる。



「王子へお詫びしに行くというのにこの服装では申し訳ないですわ」



 そう言って自身のスカートの裾を持ってみせた。地味なブラウスにスカート、黒のケープ。それを見てフィランダーは納得したようだ。うんうんと頷いて「どうぞ着替えてらしてください」と道を開けてくれた。


 シェリルが自室までいく間、黒服の男が見張っていた。着替えるのでといえば部屋までは入ってこなかったが、窓をちらりと覗いてみると下にも見張りはいたので此処から逃げるのは不可能だ。期待はしていなかったが、残念な気持ちになる。


 シェリルは適当なドレスを引っ張り出して着替えた。久しぶりにドレスなど着るなと姿見に映るその姿に変な笑いが込み上げてくる。


 そうして暫く姿見を見てからシェリルは化粧台の方へと向かって引き出しを開ける。そこから一つ取り出した。それは刃物のように鋭くなった細長い棒状のものだった。


 ナイフの刃のようなそれは何かあった時のために護身用に持っていたものだ。それを手袋の中に忍ばせる。



「いざとなれば……」



 いざとなれば、王子の目の前で。シェリルは覚悟を決めたように深い息を吐いてから部屋を出た。




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