春の恋の告白は過去形で
・香月よう子様主催「春にはじまる恋物語」参加作品です。
** 冒頭に爽やかバナー、文末に美麗イラストがあります。挿し絵表示不要な方は設定変更ください。
by 楠木結衣さま
卒業式も終わって、みんな賞状筒を手に教室に戻った。
名残惜しい机の並びも窓からの風景も今日で見納め。
仲良しグループや担任と、ケータイでバシバシ写真を撮る。
泣き腫らした目も赤い鼻も知ったこっちゃない。
もう会えないかもしれないから。
街に出よう、カラオケに行こうなどという元気な声も聞こえる。
でも、あたしは……。
二度と会えないだろう男子に話がある。
ほら、教室を出た、とっとと家に帰ろうとしている。
肉体労働系バイトで鍛えられているらしい逆三角形の背中が消えていく。
来島は一匹狼で誰ともつるまない。
高校3年間そうだった……。
周囲の友人を振り切って、あたしは来島を追った。
「待って、聞いてほしいことがある……」
振り返って見下ろした男は、そう「男子」じゃない、来島は恐ろしいほど大人の男で、面倒くさいことこのうえないと顔を顰める。
「図書館の裏、まで来て」
ふう、何とかついて来てくれた。
卒業証書の筒を手元でくるくる投げては取りしながら。
「で?」
足半分だけ後ろにずらした右足に重心をかけて振り返った人は、腕組みしてふんぞり返って見える。これは身長差のせいばかりじゃない。
「あ、あの……」
「何だよ? 金借りた記憶もねぇし、なんか迷惑かけたか?」
……文句言われると思ってるんだ。
「あ、あたし、来島くんのことが好きでした! それだけっ!」
あたしの足とは比べ物にならない大きさの上履きを見ながら叫んでしまった。
今日この後、下駄箱で履き替えたら焼却炉行きなんだろうか?
下駄箱に置き去りになるんだろうか?
などと頭の片隅で考えながら。
おそるおそる顔を上げたら、上履きの所有者は頭を掻いた後、腕を組みなおすところだった。
「過去形かよ?」
……一応告白なんだから、もう少し動転してくれないかな?
バレンタインにチョコを渡す勇気が出せず、最後の日に聞くだけ聞いてもらおうと頑張ったあたしの決心は何だった?
いや、いいのか。それ以上を望むほうがおかしい。
「今さらだな」
「ごめんなさい……」
「で?」
「でって言われてもそれだけ……」
「それだけかよ……」
じゃあなと言って来島は立ち去ると思っていた。
射るように尖った目が離れない。
左こめかみに5センチくらいの傷跡。小6の時、お姉さんに絡んだ高校生とケンカしたと聞いている。
そのせいか知らないが、来島はあたしたちより1つ年上だ。
「いつか……子どもに自慢して。お父さんモテたんだって」
相手はハッとあざけるように息を吐き、そっぽを向いた。
「オレの可哀想な高校生活に最後くらい思い出をってか?」
そんなこと言われても。
来島は東京の大学へ行く。あたしは地元だ。
クラス中の男子に協力してもらってやっと聞き出した来島の進路。
両想いだったとしても、「あたしと遠恋して」だなんて、言えやしない。
……大学に行けばいかつい見かけや傷跡、年齢差なんて何でもない。無口でもぶっきらぼうでも周りに合わせなくていい。来島なら友達どころか、きっとオシャレな彼女ができる。
上履きが半歩前に動く。
次はくるりと反転して去っていくのだろう。
背に当たっている図書館の壁が温かい。
想いを告げることができた、この温もりだけは覚えておこう。
と、思ったら来島に間合いを詰められていた。
壁ドンではない。まだ左右に逃げる余地はあるけど。
「思い出くれるなら、キスぐらいさせろよ」
「はぁ? キ、キ、?」
両手を後ろ壁について縮こまった。
「いいだろ? 好きなら」
「そ、そういう問題じゃ……」
来島がもう半歩近づいてあたしは両手を躰の前で握り合わせていた。拳でちょうど、唇が隠れるようにして。
……怒らせちゃったんだ、憐れんで告白したって。
目が泳ぐのが自分でもわかる。
だって、キスは、ファーストキスは両想いの人と、したい。
いくら好きでも、告白の代償みたいに、もらいたくはない……。
「わかっただろ? オレの何見て好きだと思ったのか知らんが、幻想だ」
来島はにゅっと手を伸ばしてあたしの髪をわしゃわしゃした。
「いい思い出にしな。それがいい」
来島が背を向けた。行ってしまう。
イヤ、まだ行ってほしくない。
「待って、あたし返事聞いてない!」
「バカか、おまえは!」
振り向いた来島は本当に怒っていて、ぐいっと近づくと、左手を壁に当て、右手であたしの顎を掴んだ。
……恐い。
「過去形で告られて返事も何もあるか?」
「はっふぇ」
だってが発音できない。
「思い出にしますって意味だろ?」
語気が荒い。見かけによらず優しく話す人だと思ったことがあったのに。
「大学始まるまでに虜にする、くらい言ってみろよ」
こういう意志のはっきりしたところ、グレーゾーンのないきっぱりとした性格に憧れたはずなのに、すぐ近くにある顔がぼやける、きっとあたしは泣いてしまってる。
「どうしろってんだよ? 泣きたいのはこっちだ」
……なんでよ、来島が泣くわけないじゃん。
虜にできるほどの自信があったら、1年半前に告白してる。
クラスマッチのミックスバドミントンでペアを組んでくれた時に。
準決勝まで勝ち上がって、バイトがあるからって帰っちゃって決勝戦棄権したけど。
……そういえば迷惑かけられてた、あの後、「優勝逃した」って騒ぐクラスのみんなを宥めたのはあたしだ。
でも敵のシャトルがどこに返っても、後ろで回り込んでスマッシュしてくれるあの安心感は、生まれて初めてで。
あたしがミスしても何も言わずこくりと頷くだけ。
「キスしていいって言えよ」
……どうしてそんなにキスにこだわる?
オレも好きって言ってくれて、涙を指で拭って、さっきみたいに髪撫でてくれて、キスなんてその先のもっと先!
こっちは高校時代にファーストキスも済ませられないオクテ女子なんだから。
「時間切れだ」
「ん、む、ぐ……?」
キス、されていた。痛いほど顎を掴まれて、かなりの圧で。
キスされて涙する場面は少女マンガによくあるけれど、あたしは、キスされて、涙が止まった。
「ひどい……」
抗議しようと睨んだら、来島の骨ばった手が両頬を包んだ。額にキスが……降りてくる。
「子どもチャンはこっちがいいか?」
そう言われると泣き笑いしてしまいそうになるあたしもぬるい。惚れた弱みなのだろう。
来島は両手を壁についてあたしを囲い込んだ。
「明日、電話する予定だった。番号昔、くれただろ? クラスマッチの練習で……ラインしてないって言ったらえらく怒られたが」
男の人の胸が目の前にあって、少し息が上がっていて、心拍数が早そうで。
来島は焼けた砂の匂いがする。砂漠なんて行ったことないからどこで嗅いだんだろう、広々とした夏の砂浜?
「バイト入らなかったら練習に参加する、場所教えてもらうからって言ったくせに電話なかったよ?」
「入ったんだよ、バイトが」
「優勝できそうだったのに、棄権って」
「バドミントンでほんわかほんわかラリー続ける他の奴らが悪い、時間切れにもなるだろ」
明日くれるはずだった電話の内容を確かめるべきなのに、口にできない。
「いつも……忙しそうだよね」
「バイト先がな、わがままなんだよ。親戚だから」
「そう……」
あたしはうつむいてしまって、来島は腕を外して一歩遠ざかった。
「おまえ、まだわかってないだろ?」
「わかるって、何を?」
「オレが何を怒ってるか」
高校最後の思い出にお情けで告白したと誤解されてるんだと思うけど、その誤解を解こうとしたら、「来島くんはぼっちで淋しそう」とかって言わなくちゃ説明できなくない?
「明日電話したら、おまえはもうオレを好きじゃないのか?」
「へ?」
「過去形ってそういうことだろ? 大学行ったら新しい男探すつもりか?」
来島の言葉がわからない。日本語が頭に入って来ない。
「オレのバイト先はな、母方のじいさんが興したイベント運営会社だ。既にバイト以上の責任を持たされてるし、明日からは経営サイドに絡まされる。どっちかと言ったら大学のほうが片手間だ」
だから、何?
それ、あたしと関係ある?
「だからな、大学もリモート化が進んでるところを選んだ。できる科目はこっちで受ける。一般教養なんてオンラインで受けてレポート書けばいいんだし」
「じゃ、東京に行きっぱなしじゃない?」
「ないな。1年目なんてほとんどこっちだ。2年3年はよく知らんが、卒論書くころになればまた家でできる」
来島が「コイツ、大丈夫か?」と訝しげに見てくる。
「わかったか? わかったらおまえの告白やり直せ」
「え、なんで?」
頬が上気する。告白なんて勢いつけなきゃできるもんじゃない。同じ人相手にもう一回なんて、できるわけない。
あたしが黙ってると来島がまた近づいてきて、声がつむじに届いた。
「好きだ、付き合ってくれ」
声の色合いが柔らかくて顔を上げた。
「今のがお手本?」
あたしの口をついて出たのはこんな間抜けな言葉で、来島はハハッと笑った。
「オレは絶対過去形にする気はない」
頬に右手が触れて、今度は打って変わって優しいキスが唇に舞い降りた。
by 砂臥 環さま
―了―