表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
27/28

第27章

 その後、新年になってからもマスコミの攻勢に変化はなかった。連日、大統領府を囲むあらゆるメディアは、「大統領、どうか真実を!!」、「あの時、本当は一体何があったんですか!?」、「テロリストの正体は!?」といったことを叫んでは、エルヴァシア号であったことばかりを質問しようとした。まったく別の主旨の記者会見が開かれている場合でも、まったくお構いなく……。


 リグビー長官もこのことには随分頭を悩ませていたようである。というのも、マスコミたちは彼の行く先々につきまとっては、しつこく同じ質問を繰り返していたからである。「USISはあらかじめ、どのくらいの情報を掴んでいたのですか?」、「まったく情報を掴んでいなかったということはありえないのではないですか」、「それなのに何故大統領に休暇先を変えさせなかったのかを教えてください」、「今度のことはUSISの失態と言わざるをえませんが、いかがお考えですか?」等々。


 こうした状態は二月を過ぎてからも続いた。だが、時間の経過とともに大衆の関心が別のことに向かいはじめたこともあってか――徐々に事態は沈静化へと向かい、春を迎える頃になると、ようやくまったく主旨の違う会見中に<謎のエルヴァシア号事件>についての質問が飛ぶということは稀になってきたと言ってよい。


 そしてギルバートの心の傷もまた、その頃になって少しずつ癒えてきていたかもしれない。ギルバートもトミーもディランもルークも、暫くはその後の残務処理に追われた。今回の事件について報告書を作成し、事実を事細かく記録しなくてはならなかった。時系列順に、その時一体何が起きたのか、敵味方の死亡した数、その理由などなど……また、ルークはこの件に関してあらゆる種類のメディアがどう報じたかの記事もネットのニュース含め、すべてファイルにした。こうしたことがある程度済むと、ギルバート自身のサラ・ハリントンに対する気持ちも、剥きだしの傷ついた生の状態のものが、少しずつ細胞が生まれ変わって皮膚が再生するように、いくらかは痛みが引いていたかもしれない。


 アメリア・クリスティ及び、サラ・ハリントンは何者だったのか――まず、アメリアは正体を割りだすのがそう困難ではなかった。というのも、秘密情報庁には彼女自身が書いて提出した履歴書があり、そこから辿って、ある程度のところは把握することが可能だったからである。


 もちろん、彼女はまず本名を偽っており、履歴書にも嘘の経歴を羅列してもいた。だが、秘密情報庁のような場所に長く勤めているとわかることだが、人はまったく何もないところから100%の嘘を生みだすよりも、そこになんらかの手がかりを残していることが多い。たとえば、出身地にしても、まったく自分の知らない場所を設定することは少なく、人から何か聞かれた場合に備えて、それなりに地理など、自分が知っている場所を設定するものだ。そのような<手がかり>探しからはじめて、アメリアについてはその生い立ちなど、色々なことがわかるのに時間はかからなかった。


 まず、アメリアは六年前からUSISの秘書部へ勤務している。秘密情報庁の職員は公募するということはまずほとんどなく、人事部の人間がリクルートしてくる。そしてこの人事部の人間は色々な方面にコネクションを持っており、「これは」という人間を自分で見つけるか、あるいは信頼できる筋から推薦されたりした場合、まずはその人物の素性を徹底的に調査する。だが、唯一秘書部は、大学の秘書科卒の、美人で優秀と思われる人材を何人も面接して採用するため、他の諜報員の採用時とは違い、チェックのほうが若干甘いのだ。


 アメリア・クリスティは、元はチェチェン共和国の首都、グローズヌイの出身だった。そして第二次チェチェン紛争が勃発した時、ロシアへ逃げ、その後ユトランド共和国へと渡ってきたのだ。本名はエリカ・ラングーシ。ユトレイシアの大手IT企業で秘書の仕事をしていた時、秘密情報庁で秘書を募集していると知り応募……アメリアが<秘密結社リヴァイアサン>やレディ・オーシャンなる人物と接触を持ったのがいつなのかはわからない。ただひとつわかっているのは、彼女がチェチェン紛争でとてもつらい思いをしたということだっただろうか。国際社会からまるで何も起きていないかのように無視され続けたこの戦争によって、アメリアは両親や祖父母、妹や弟、叔父や伯母や従兄弟など、親戚の多くを失っている。その内、父親と弟と従兄弟のひとりとは、ロシア軍に誘拐され、拷問された上虐殺された。アメリアはその時、身代金を持って手がかりを探しながらグローズヌイ中を駆けずり回った。だが、五百ルーブルもの金をロシア兵に巻き上げられたにも関わらず、父も弟も従兄弟も誰ひとりとして帰って来なかったのだ。


 母と祖母とは、突然家に押し入ってきたロシア兵に銃殺され、他の親戚らの多くが爆撃機の落としていったミサイルによって家にいたところを殺されている。そして、そんな絶望の中生き残ったエリカは――ロシアに復讐を誓ったのではないかと、ギルバートはそのように想像している。まず、復讐するためには、復讐する相手のことをよく知らなくてはならない。そこで、ロシアの首都、モスクワへ渡った。アメリアの履歴書にも、彼女はロシアのモスクワ出身と書かれている。ギルバートにも、モスクワのことは時々語っていたことがあった。これもまた、ギルバートの想像の域をでないことではあるが……当時、彼女にはルームメイトがいたらしい。アメリアの語っていたモスクワの自分の生い立ち等は、おそらくこのルームメイトのものが混ざっていたのではないかと、ギルバートはそのような気がしている。


 その後、何故ユトランド共和国へ渡ってきたのか、事の次第のほうは定かではない。だが、これもまたギルバートが想像するに、おそらくアメリアはモスクワで<秘密結社リヴァイアサン>及び、この組織に繋がる何かと接触を持ち――それでユトランド共和国へ渡ってきたのではないかと彼は推測していた。このことの内には、実はそれなりに論拠がある。というのも、アメリアはモスクワでウェイトレスをしていたのだが、この頃から突然金回りが良くなっているのだ。それは彼女が預金を預けていた銀行の通帳等を調べればわかることだった。もっとも、振込みをした会社はすでに倒産した幽霊会社やペーパーカンパニーばかりで、そこから辿れそうな情報は皆無に等しかったのだが。


 アメリアが<秘密結社リヴァイアサン>に協力した理由はおそらく、クリス・メイソンと同じものではないかと思われた。おそらく、自分の肉親を殺した人間を特定し、<ジェネラル>が始末してくれたのだろう。ただし、この<ジェネラル>というのは、サラ・ハリントンのことではない。というのも、もしそうだとすれば、色々と辻褄の合わない事実が出てくるからだ。


 ここで、次に<ジェネラル>こと、サラ・ハリントンのことに話を移そう。彼女はアメリカ人で、本名をアニス・レインという。彼女の素性を洗うのは骨が入ったが、ギルバートたちは<ジェネラル>がイラク戦争に強い執着を持っているのではないかと感じていた。そこで自分の大切な人を失うか、あるいは自身戦争へ参加していたのではないかと。アニス自身が一体どこで、どのような経緯を経て<秘密結社リヴァイアサン>にスカウトされたのかはわからない。だが、彼女もまたクリス・メイソンのように、あるいはエリカ・ラング―シのように、自分にとっての仇を打ってもらったか、あるいはなんらかの形で死ぬところを命を助けられたなど……おそらくは何かがあったのだろう。


 サラのことに関しては、まず、彼女自身が間違いなく<サラ・ハリントン>ではないというところから調査がはじめられた。サラ・ハリントンの夫、エドガー・ハリントンが癌により多臓器不全で亡くなったというのは事実のようである。そこに何かの組織が関与して、彼を死へ追いやったりあるいはその死が速められたといったことはないと考えていいだろう。だがその後、サラは夫を亡くしたことにより、精神状態が不安定になっていたという。このことに関しては、証言する友人や知人らが多数いることから、このことも事実と見ていいと思われる。また、サラは夫のエドガーのことを崇拝していたというくらい愛しており、彼のあとを追って死ぬことを繰り返し考えるようになっていたと、彼女のかかっていた精神科医のカルテにはある。


 エドガー・ハリントンは煮ても焼いても食えない朴念仁と言われるくらい真面目な、実利一徹の男で、仕事と自分の会社が経常利益を上げることしか頭になかったような男だったらしい。ところがサラ・ハリントンというのは――男性関係に関してかなり奔放な女性だったようで、簡単にいえば騙されて利用されやすい女性だったようだ。エドガーは、彼女と知り合って結婚する際において、友人に対し「何、天然記念物を保護しようと思ったまでのことだよ」と言っている。一方、サラはといえば、エドガーの金や社会的地位に惹かれたというのではなく、本当に彼のことを愛していたらしい。でなければ、未亡人となって莫大な財産を受け継いだのに、死のうだなどと考えるはずがない。


 ハリントン夫妻というのは、世間から見てもかなり奇妙な取り合わせの夫婦であり、サラに対しては金目当ての結婚、エドガーに対しては彼女の魅力的な肉体に溺れたのだろうと想像されるのが普通であろうが……エドガーのほうでもあまり物を知らないゆえに純粋な彼女のことを心から愛していたらしい。だが、問題は<秘密結社リヴァイアサン>がどの程度サラ・ハリントンの死に関与したのかということだ。夫のあとを追って自殺しようというくらい、エドガーの死後サラが落ち込んでいたのは事実である。だが、彼女が自らの意志で死んだあとに整形したアニス・レインがサラと入れ替わったというよりも――そのような精神状態にあった彼女をなんらかの形で殺し(安楽死など)、アニスがハリントン家の莫大な財産を受け継いだのではないだろうか?


 アニス・レイン=サラ・ハリントンということを裏付ける科学的根拠は、一重にDNA検査によってである。ギルバートはおそらく彼女がイラク戦争に従軍していたのではあるまいかと想定し、CIAを通してイラクで死亡した、あるいは行方不明になった者のリストとそのファイルを拝借したのである。その中でまずはなんらかの形でDNAの残っている者のうち、サラの髪の毛のDNAとを照合した。そして割り出されたのがアニス・レインだったというわけなのである。


 彼女個人は、イラクのためにといった道義的理由によって戦争へ赴いたというわけではなかったらしい。アニス・レインは、テキサス州の州兵だった。州兵というのは予備兵のことであり、戦争が起きたといった有事の際には派兵される、ということになってはいるが、アフガニスタン戦争が起きるまでは、州兵に応募する者は誰も、自分が実際に戦場へ行くことになるとは想像していなかっただろう。たとえば、災害が起きた時に救命活動を行ったり、物資を運ぶ支援をするなど、その他住民の助けになることを率先して行うが、正規軍とは違ってあくまで予備兵である州兵は、海外の戦争へ派兵されることまではない……と、誰もがそう考えていたはずだ。


 と、同時に、州兵に登録した者には、定収入があるばかりでなく、入隊時のボーナス、学費補助、技術訓練のための特別奨学金が支給されるなど、色々な特典があることから、低収入の家庭や就業先の限られている田舎の若者などには特に人気があるのである。


 アニス・レインもまた、テキサス州の田舎町の出身であり、シングルマザーの家庭で育っている。彼女の場合、おそらくは母親に負担をかけずに大学へ進学したかったというのが、州兵になった理由であったろう。だがアニスは、テキサス大学オースティン校を卒業後、大学の研究員として働いていた時に……突然、イラク戦争へ派兵されるということになったのである。


 女性は後方支援部隊ということに軍の規則で決まっているが、何分、現場が混乱してしまえば、もはや前方も後方も関係なくなる。アニスは、物資の補給部隊へ配属されていたが、油槽車の護衛をするためにイラクの高速道路を走っていた時、敵部隊に襲われた。そしてその時彼女は初めて人を殺し――アニスの所属していた部隊は命からがらその場から逃げだしたものの、その後も危機的状況というのは幾度となく訪れた。アニスはもはや後方支援というよりも、自ら積極的に仲間を守るために銃を取って戦闘へ参加した。だが、そんないつ死ぬかもわからぬ状況の中で、とうとう彼女は捕虜として捕えられ、行方不明者のリストに乗せられることになったのだ。


 ギルバートが想像するには、この時に<ジェネラル>と呼ばれる人物か、あるいはレディ・オーシャンなる人物なりに、アニスは助けられることになったのではないだろうか。アニス・レインはイラク戦争従軍時に死に、彼女はその後、背格好や顔立ち等が若干似ていたことから整形してサラ・ハリントンと入れ替わることが<上層部>より指示されたものと思われる。


 ここまでのことが判明した時点で、ギルバートはサラに対して胸が痛んで仕方なかった。彼女はシングル・マザーの家庭に育ち、母親に言わせれば、特に厳しくしたわけでもないのに、我が儘をあまり言うことのないいい子に育ったということだった。大学へもアルバイトをしながら通い、親に必要最低限以上負担をかけることはなかったという。敵軍に拘束されてのち、アニスが一体どんな目に遭ったのかはわからない。だが、そこから救われるのに、もし<秘密結社リヴァイアサン>の者が関わっていたのだとしたら……もはやアニス・レインは死んだものとし、別の人間として生きていくしか選択肢はなかったのだろう。


 けれど、彼女の思いとしてはおそらく、一度でいいから母親と会いたかったはずなのだ。戦争で行方不明になったと知らされたであろう母親に、どれほど自分は生きているということを知らせたかったことだろう。そのことを思うと、ギルバートは胸が苦しくて堪らなかった。アニス・レインの母の元には、定期的に謎の人物から送金があるということだったが、おそらくそれは間違いなくサラ・ハリントンだったと見ていいだろう。


 ギルバートは、エルヴァシア号での事件があって以降、新年になり、さらに春が巡ってきても……サラ――いや、アニスのことが忘れられなかった。考えるのはいつも彼女のことばかりで占められていた。何故といって、アニスは最初から自分を殺す気がないと、あの時、エルヴァシア号の屋根の上で対峙した時からギルバートにはわかっていたからだ。あの時アニスは、自分の右腕を撃った……いや、それだけではない。口では自分たちはわかりあえない、殺す、時間が来れば始末する――といったようなことを言いながらも、アニスの本心は違うということが、彼女の瞳を見ただけでギルバートにはわかっていたのである。


 言ってみれば、瞳でだけ「愛している」と言いながら、口では<ジェネラル>として、ジェネラルらしい、ジェネラルの言葉を発しながらも、彼女の本心は違ったということだ。


『俺はたぶん、呪われているんだ』


 何度も体を重ね、心も十分通じあっていると互いに確信しあったいつの頃だったか、ギルバートは半ば冗談のように、そう言ったことがある。


『何故かはわからないけど、怪我をしたりなんだりするのはいつでも左側なんだ。イラクで捕虜になった時も、集中して左側だけ痛めつけられた。キリスト教でも左よりも右のほうが優位にあるとされているだろ?ほら、聖書にも<神の右の手>とか<神の右の座>みたいに書かれてるみたいに、左よりも右のほうが優位にあって、左はそれよりも下っていうかさ』


『あなた、聖書なんて読んだことあるの?』


 アニス……この場合はサラだろうか。サラは、くすくす笑ってからかうようにそう言った。そして、『わたしがその呪いを取り除いてあげる』と言って、彼の左側にだけキスをしてきたのだ。そのあと、ふたりがその前まで以上に愛しあうようになったのは、言うまでもない。


 アメリアは、自分とサラとで、何がどう違ったのかと、そう思っていたかもしれない。だが、ギルバートとしては「そういうところが違った」といったようにしか答えられなかっただろう。アニスは同じようにイラク戦争へ従軍し、魂の傷ついた者同士として、ギルバートのことを愛した。そして今、ギルバートが繰り返し悩み考え、苦しんでいるのは――何故あの時これほどまでに愛している彼女のことを自分は撃ったのか、撃つことが出来たのかということだった。


 だが、いくら(むしろ自分のほうこそがサラに撃たれて死にたかった)と今ギルバートが後悔していたところで、もしもう一度同じ場面が繰り返されたとしたら、自分は彼女を撃ったに違いない。この、アニスには『最初から本気で自分を撃つ気がなかった』のに対し、自分は<大統領を守る>という大義の元に愛する女性を撃てたということ……このことを思うとギルバートは、なんとも言葉では表現できない、気の狂いそうな物思いに駆られた。


 そして今でも、世界でもっとも愛した女性をこの手で殺し失ったという喪失感とともに目が覚める。毎日、目が覚めると隣にサラではなく、絶望が生きて身を横たえているということ――ギルバートはこのことで苦しみ尽くしてのち、やがてそのことの内に少しずつ救いと希望の星を見上げるようになっていたかもしれない。それは、今から十年も経てばこの胸の痛みも少しは薄まり和らぐだろうということではなく、この絶望のゆえにこそ、この苦しみがあればこそ、サラを失った今も彼女をこんなにもリアルな存在として感じ続けていられるのだということだった。


 アメリアとサラのことがあってから、ギルバートは遥か過去に遡って自分の女性とのつきあい方といったものを反省していたが、そうして色々と思いだしていくうちに、彼は気づいたことがあった。ギルバートはサラに対してほど、自分のことをさらけだして話した女性は他にいなかった、ということを……。


 たとえば、ギルバートは極小さい頃、バレエダンサーになりたいと思ったことがある。母親に連れられてバレエの舞台を見て、自分も同じようなダンサーになりたいと、ギルバートは六歳の頃に熱望したことがある。ところが、父親がそのことに強硬に反対したため、結局のところギルバートは自らの意志でテコンドーと柔道を習うことにしたのだ。いつもは子育てのことに口出しせず、ギルバートに対しても叱るということのほとんどない父だったが、唯一バレエのことだけは激しく禁じてきたのだ。あんなに怒り狂っている父親のことを見たのは、ギルバートはあれが最初で最後だったほどである。


 最初、サラに誘われてユトレイシア歌劇場にバレエの舞台を見に行った時、「そういう反応が男らしかろう」と思い、ギルバートはバレエになどまるきり感心がないという振りをしていた。けれど、自分がバレエダンサーになりたいと思った舞台と同じ演目――『くるみ割り人形』を見ているうちに、その帰り道でサラにそのことをふと洩らしたのだ。


「あら、素敵ね」と、サラはその時笑って言った。八月にしては涼しい夜のことで、紺碧の空に月がくっきりと浮かび、星が美しく瞬いていたのをギルバートはよく覚えている。「あなた王子タイプだから、きっとバレエダンサーになってたりしたら大変よ。女の子同士で取りあいになって、お互い刺しちゃったりして。ねえ?」


 実際、過去にそれに近いことがあっただけに、ギルバートは苦笑するしかなかったかもしれない。けれど、こうしたことや、その他「他の女性にはここまでのことを話したことはない」ということを、サラには随分ぺらぺらとしゃべってしまった気がする。


 そしてあの瞬間――エルヴァシア号の車輌の上でサラと出会った時、ギルバートは驚愕しつつも、その驚きが過ぎ去るなり、電流のようにビリビリと激しい愛がお互いの間に流れるのを感じてもいたのだ。それとも、そんなものを感じていたのは自分のほうだけだったのだろうか?目と目が合っただけで、その瞬間に彼女のほうでも自分を今も愛していると感じたことも、何もかもすべて自分の錯覚だったのだろうか?


(愛している。愛している、サラ……君がサラでもアニスでも、どちらであったとしても構わない。ただ、愛している……そして、自分で君の命を奪ったにも関わらず、今もこう思っている。ただ、君にもう一度会いたいと……)


<悪のエリート対策本部>は、エルヴァシア号の残務処理が済んでのち、一時活動を休止するということになった。そしてその間、ギルバートは秘密情報庁を辞めるべきか否かと真剣に思い悩んでいたわけだが――その彼の元に、リグビー長官から呼びだしがかかったのである。


「実はね、コナー君。<悪のエリート>という裏の組織があるらしいという情報は、CIAの長官から聞いた話ではないのだよ」


「え?」


 その後の大統領の身辺のことや、亡くなったシークレットサービス警護官たちが、殉職者名簿に載せられ、国葬にも近い形で埋葬されたことなど、一通りの世間話ののちに、リグビーはギルバートにそう切り出していた。


「もしかしたら君は、このことを聞いたら怒るかもしれないが、実はこれは、インターポール……いや、この場合は裏のインターポールといったほうがいいのだろうな。とにかく、君の割りだした<秘密結社リヴァイアサン>に対抗するそのような組織が存在するのだよ。その組織の名は<正義のアベル>というのだが、君はきっと笑ってしまうだろうな。<悪のエリート>に、<正義のアベル>……なんにせよ、その裏のインターポールのような組織の責任者が、君にどこまでのことが調べられるか試験を受けさせて欲しいと私に要求してきたのだ。そういうわけで、裏のインターポールなどという単語を出すわけにもいかず、CIAの長官が……などという作り話をしたのだよ。嘘をついていて、本当にすまなかった」


(そんなことのために俺は、あんなにも愛していた女性をこの手で殺すことになったのか)――と思うのと同時、その指令がなければ、そもそもアニスとは出会うことさえなかったのだと思い、ギルバートはぐっと黙りこんだ。


「それで、だね。我が組織内における<悪のエリート対策本部>は一旦解散して、USIS内における窓際族としてランドンにはこれからも活動してもらおうと思ってるんだ。トミーとディランはまだ若いからな。もっと他の部署で活躍したいといった意志があれば、ロシア・ヨーロッパ部門の情報局長にでも、アジア部門の情報局長にでもなってもらおうと思ってるんだが……あとから彼らのことも呼びだして、そのあたりのことを聞いてみようと思っている。だが、ルークはやはり、<秘密結社リヴァイアサン>という組織の起源やその規模についてなど、そうしたことが気になるらしい。そして、コナー君。君がもし<正義のアベル>――裏のインターポールの招聘を受けるなら、ルークのいる部門については、君の手足としていつでも動かせるよう、私のほうで手配しようと思っているが、どうだろうか」


「そういうことだったんですか。ですがその裏のインターポールとやらは一体どんな組織なんです?それに、何故俺がそんな試験とやらに選ばれたのか、さっぱり訳がわからないんですが……」


 秘密情報庁などという場所に長く身を置いていると、このような裏の世界があることを一般の人は知らないのだ……と思うものだが、さらにその上の段階が存在するのだということを、この時ギルバートは初めて知っていた。


「君も、インターポールのことは知っているだろう?必要があればこちらからも向こうと連絡を取りあうことがあるからな。だが、一般に映画や小説の中で描かれているようなフィクションの中のインターポールと現実のインターポールというのは違うものだ。インターポールに所属している刑事……などと言うと、世界を股にかけて活躍する刑事といった華やかなイメージかもしれないが、実際のインターポールというのは、国境に阻まれてそう大きく国と国の間を跨いで国際法を適用したりといったようには出来ないものだ。せいぜいが、国際指名手配された犯人を追うといったところかな。アメリカのFBIが州境を越えて活動するようには、国境を越えて色々な権限を発動できるというわけではない。それぞれ国によって定められた法律が違う以上、それも当然といえば当然すぎることではあるのだが」


「それで、その裏のインターポールとかいう<正義のアベル>という組織は、どんな活動をしているのですか?」


 ギルバートは至極当然のそんな質問をした。そういえば、以前リグビー長官が、ジム・クロウのことを捕え、彼を尋問し、<悪のエリート>、<ジェネラル>という存在を認めさせたあと(もっともクロウはまさにそのことを話そうとした瞬間に死んだのだが)、少し奇妙なことを口走っていたようにギルバートは記憶している。『流石はあの方が目をつけただけのことはある』といったようなことを……。


「そうだな。インターポールが合法的には出来ない仕事をしているといったところかもしれないな。つまり、究極、<秘密結社リヴァイアサン>が全世界的に展開しているのと同じように――彼らと同等の力を持つ唯一の機関が<正義のアベル>ということだ」


「では、もしかして長官は、すでに<秘密結社リヴァイアサン>や<ジェネラル>といった存在のことをご存じだったのでは?」


 そのギルバートの問いに、リグビーは答えなかった。まるで、(そんな野暮なことを聞くものではないよ)とでも言うように。


「コナー君。どうかわかって欲しい。言ってみればこれは君に<正義のアベル>の存在を知らせるための試験のようなものだった。そして今この場でわたしの口からはこれ以上のことは言えない。詳しいことは、フランスのリヨンでそちらの渉外担当者と話をしてくれ」


「リヨンと言えば……インターポールの事務総局がありますが、そのことと何か関係があるのですか?」


 ここでリグビー長官は軽く肩を竦めてみせる。


「<正義のアベル>は裏のインターポールのような機関だ。ゆえに、そこにもアベルの拠点が存在している。残念だが、このことについてもわたしの口からは多くのことは言えない。とにかく、一度君はそこへ行ってみるといい。もっとも、大統領暗殺未遂事件に懲りて、もうああした非常事態は経験したくないというのなら……わたしとしても考えなくてはならないが」


「愚問でしょう。むしろあれほどの思いをした以上、俺はその<正義のアベル>とやらのことをもっと詳しく知りたい。それに、<秘密結社リヴァイアサン>のような組織には、正攻法ではどこの警察機関も対抗することは不可能だ。ただ、とにかく俺は知りたいんです。<秘密結社リヴァイアサン>には、彼らの最高責任者なり最高司令官がその気になれば、国と国とが間違った戦争を起こそうという時、止めるだけの力がある。そして、それと同等の力を<正義のアベル>が持っているのなら、仮にも<正義>と名のつく組織を名乗っているのなら……彼らにだってそのことは可能だったんじゃないですか?アフガン、イラクと来て、今度はシリアですか。俺はもう、あんな思いをするのは二度とごめんだ。それに、自分以外の他の誰かが戦争へ行って心身ともに傷ついて帰ってくるのも……そして、そのためだったらなんでもしますよ。俺は、自分が<正義>というものを本当に実行できるほど強い人間だとは思っていない。それでも、そうありたいと思える理性くらいはまだ残っていますからね」


「結構だ」


 リグビーは今のギルバートの答えに満足したというように、何度も鷹揚に頷いていた。


「フランス行きのチケット代は私が出すよ。向こうではもうすでに君の受け入れ態勢のほうは整っている。あとは君がいつ渡仏するか、日時のほうを決めてくれ」


「はい……では、あと一週間ほど時間をください。もう一度、エルヴァシア号に乗って心の整理をしたいと思っていますので」


 実をいうと、あれほどの惨劇といっていい事件が起きたにも関わらず、エルヴァシア号は<大統領暗殺未遂事件>が起きてのち、今まで以上にチケットが取りにくくなったほど人気を博していた。ネットのオークションで通常価格の五倍の値がついて売られていたこともある。そんな中、ギルバートはちょっとしたコネを使ってシングルルーム客車のチケットを一枚確保していた。そしてエルヴァシア号がエルキューレ岬を通りかかる時……そこからアメリアとサラのために花束を投げ、最後の別れとしようと思っていたのである。




 >>続く。








評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ