第21章
「はい。こちらコナーですが」
ムスっとした顔のまま、それとまったく同じ不機嫌なトーンでギルバートは電話に出た。
『キングリッチです。<ジェネラル>から伝言を頼まれまして』
ギルバートは普段の彼らしくもなく、動揺のあまり、ガタリと大きく椅子を動かしていた。
『<ジェネラル>としては、コナーさん、あなたのダブルエージェントという案は受け入れられないということでした。その上でもう一度、もう少しマシな大統領暗殺計画を練り直せ、と……』
「なんだって!?それでキャシーとキャリーは本当に無事なんだろうなっ!?」
『ええ。ふたりとも無事で、食事やお風呂やその他、何不自由なく過ごしていると伝えろということでした。そうですね。あなたが実際に大統領のことを暗殺するまでは――キャサリンと娘さんの命は保証されていると見て間違いないでしょう。もう一度、私宛てに<大統領暗殺計画>についてのファイルをください。なんでしたら、あなたが俺に張り付かせている尾行の人間に渡していただいても構いませんがね。それでは』
その後、一方的にすぐ電話のほうは切れた。ギルバートは「チッ」と舌打ちして、乱暴にデスクの上へ携帯を投げる。
「相手は誰だったのですか?」
ルークは緊張した面持ちでそう聞いた。
「ケビン・キングリッチだよ。俺がダブルエージェントになるって話は受け入れられないんだとさ。で、もう少しマシな大統領暗殺計画について練り直せだと」
「そうでしたか……まあ、向こうもある程度こちらの動きについては読んでいるのでしょうな。本部長が<ジェネラル>の部下となった場合、向こうの情報をこちらに絶対流さないという保証はどこにもありませんからね。それにしても、もう少しマシな大統領暗殺計画についてですか。どうしますか?それで、キャサリンさんとキャリーさんは……」
「無事だとさ。食事や風呂のこと含め、何不自由なく過ごしているはずだと。ほんとかどうかはわからんがな。なんにしても、俺は少し部屋に篭ってジェネラル宛ての企画書でも書くさ。だから、よっぽどのことでもない限り、暫くの間声をかけないでくれ」
ギルバートが夜もあまりよく眠れず、食のほうもすっかり細くなっているのを知っているルークは、いたたまれない思いでいっぱいだった。
「ですが、その大統領暗殺計画については、トミーやディランも含めて、みんなで考えたほうがよくはありませんか?そのほうが、<ジェネラル>の納得するような案が思い浮かぶのではないかと思うのですが……」
「いや、俺はこの五日、ただ黙ってずっとぼーっとしていたっていうわけじゃない。おそらく<ジェネラル>のほうでそう言ってくるに違いないと思って、次の案ならすでに練ってある。オズモンド大統領の乗る豪華客車に爆薬を仕掛ける。どうだ?これならいかにもな案だろう?あとは事細かくもっともらしい計画に仕立て上げればいいだけの話だ」
――こうして、ギルバートは<大統領暗殺計画>の第二案について、ケビン・キングリッチに直接渡しにいった。キングリッチは暗号化したメールで送ってほしいと要請してきたが、ギルバートは直接キングリッチに渡しにいくということにしたのである。
今度は自宅ではなく、ブラックバイパー社の社長室のほうへギルバートはA5クラフト封筒を届けにいった。前にケビン・キングリッチと彼の自宅で会ってから、まだ一週間しか過ぎていない。キングリッチにはずっと尾行もつけているし、彼はまだ<処刑前夜>といったところなのだろうとギルバートは思っていた。
だが、ケビン・キングリッチと会った瞬間、ギルバートはなんとなく違和感を覚えた。豪華なしつらえの応接室で会うと、キングリッチはソファを勧めるでもなく、ただ、「机の上に例のものを置いてください」としか言わなかった。
言われたとおり、ギルバートは黒大理石のテーブルの上に、クラフト封筒を置いた。キングリッチのほうはCEO執務室の机に腰かけたまま、パソコンを前にキィボードを無表情に打っている。
「ミスター・キングリッチ」と、ギルバートは声をかけた。「あなたにとってはどうかわかりませんが、これは私にとってとても大事なことなんです。次は一体いつ、<ジェネラル>とあなたが連絡を取ることになっているのか……それと、キャサリンとキャリーが確かに無事だという証拠が欲しい」
「あなたは馬鹿ですか?」
ここで初めて、ケビンはギルバートに対して目を向けた。
「御自分の今の立場について、よく考えてみてください。仮にすでにあなたの前の奥さんと娘さんが死んでいたとしても――ふたりが間違いなく死んだという証拠でもない限り、あなたは<ジェネラル>に従うしかないんです。あるいは、前の奥さんと娘さんの生きている映像等を見てあなたは安心できますか?本当はすでに死んでいるのに、そう見せかけることなど<ジェネラル>には朝飯前だ。とにかく、そちらの書類については確かにお預かりしました。次期追ってまた、私か……あるいは他の者から連絡が来るまでお待ちを」
この時、ギルバートはケビン・キングリッチに対して激しい違和感を覚えた。これが、本当にほんの一週間ほど前に会ったケビン・キングリッチと同一人物なのだろうか?確かに、容姿や身長、体重、髪型その他については、ギルバートは特に彼に変わったところがあるとは思わなかった。だが、以前会ったケビンは初対面であったにも関わらず、どちらかといえば親しみやすいところのある人物だったからだ。
だが、今ギルバートの目の前にいるキングリッチは……大手軍需企業のCEOとして、むしろギルバートが最初に想像していたような人物だった。もしやキングリッチは多重人格者だったのか――というのは大袈裟だったかもしれないが、とにかくそう言ってもいいくらいの違和感を、この時ギルバートはケビンに対して抱いたのである。
「あなたは……平気なんですか?一度は愛した女性が、不自由を強いられて監禁されているんですよ。それに、娘のキャリーはまだ二歳だ。たった二歳の子供が――」
「何を言ってるんですか」
ちゃんちゃらおかしい、というようにキングリッチは一顧だにしなかった。
「あなたも諜報の世界の人間なら、こんなことはよくあることだとわかっているでしょう?それとも、自分の妻や娘や肉親、あるいは親族だけはそんな目に遭わないとでも思っていたんですか?一度は愛した女性?単に私は<ジェネラル>から命令されて、キャサリン・ガードナーには近づいたにすぎない。まあ、あんな美人と最低一回くらいは体の関係を持っておきたかったようには思いますがね」
(こいつ……!!)
ギルバートはぎゅっと拳を握りしめると、ただ黙ってブラックバイパー社の本社にある八十八階のオフィスから出た。このビルの中には約二万人もの職員が働いていると言われている。ギルバートはこのビル内の開発部で働いていたロドニー・オーウェンのことを思いだし、エレベーターで下りる間、ずっと胸を痛めていた。
ケビン・キングリッチが言っていたとおり、諜報の世界では死は常に隣り合わせだった。たとえば、中国へ産業スパイに入った諜報員の行方がわからなくなる、モスクワで諜報活動を行っていたスパイがある日マフィアに消される、戦争が起きてはいるが、比較的安全な地域で諜報活動を行っていた諜報員が、誘拐されて人質となり、最後は虐殺されるなど――諜報の世界では誰の身にも起きうる話である。だが、やはり今しがた会ったばかりのケビン・キングリッチと一週間ほど前に会った彼とは、ギルバートには別人としか思えなかった。
とはいえ、自分がある種の理論の積み重ねとして推論していたとおり、ケビン・キングリッチはすでにクローン人間と入れ替わったあとなのだ……とまでは、流石にギルバートにも思えなかった。そしておそらくはその点が盲点なのではあるまいかと、帰りの車の中で考えごとをしながら彼は思った。
(そうだ。まったく前と同じ瓜二つの人間が実は別人なのではないかなど、誰も疑うことはない。あるとすれば、家族といった極身近な人間だけだ。前までは甘いものが好きだったのに、急に辛いものばかり食べるようになったとか……いや、それだって十分誤魔化しようがあるだろう。もしかしたら、幼年時代の記憶について色々覚えてないことばかりだったとしても、見た目が前とまったく同じなら――よほどのことでもない限り、相手はおかしいと思わないかもしれない。たとえば、プロポーズの時の言葉すら覚えていないとか……)
その点、ケビン・キングリッチは離婚しているため、そうした家族がいるわけでもない。両親は健在だが、ユトレイシアから離れたノースルイスという北部の都市に住んでいる。ギルバートはもっと突っ込んだことを色々聞いて、彼が本当に前と同じケビン・キングリッチなのかどうかを確認しなかったことを後悔した。
(だが、CEOの職務をこなすのに、何か問題があるようにも見えなかった。ということは、クローン人間というのは入れ替えが行われる前にある程度なんらかの学習を行うものなのだろうか?)
それに、こう考えてくると、さらなるある疑問が思い浮かんでくる。もし仮に<入れ替え>のほうがこの一週間ほどの間に行われたのだとしたら……そちらの準備等で忙しかったから、<ジェネラル>は連絡してこなかったのだろうか?キングリッチには監視をつけてあるとはいえ、何分あの馬鹿でかい屋敷だ。抜け道ならばいくらでもある……。
(何より一番不思議なのは、彼が今クローン人間なら、こうしてケビン・キングリッチとなる前まではどこにいたのか……まさか、『わたしを離さないで』のシャム孤児院のような場所が現実にあるとも思えん。ということは――)
ギルバートはこうしたSFじみた想念を、(そんなこと、あるわけがない)として、出来れば振り捨てたかった。けれど、むしろ否定しようとすればするほど、不思議と本当にそうではないかとの疑念が深まってくるのだった。
USIS本庁へ戻ると、ギルバートはこのことを真っ先にルークに報告した。そして怒り心頭といった様子で、「まったく腹の立つ野郎だった!」と、会議室の机を叩いて見せたのだった。
「百八十度といってもいいくらい、性格のほうが違って見えたと……?」
ルークは、ルドミラと再会した時のことを思いだし、胸を痛ませながらそう聞いた。
「ああ。一週間前に会った時とは別人であるようにしか見えなかった。だが、かといって俺としてはあまりクローン人間と入れ替えられたといったようには考えたくない。やはり、理論としてはそう考えられても、実際にあんな瓜二つの人間を見たら、一週間前の彼のほうが少しどうかしていて、今の彼がいつも通りのキングリッチなのだろうと納得するしかない。と、同時に、だからこそ<クローン人間>との入れ替えというのは可能なんだ。これがもし映画かドラマなら、恋人か誰かが以前の彼との違いを見出して……『あ、あなた。あなたは本当は一体誰なの?』とでも言ったあとに殺されてるところだぞ。クソッ。だからといってどうやって証拠を掴めばいいやら……」
「まあ、その点は焦らず、コツコツやることですよ」
ギルバートの気分を落ち着かせるため、また自分のために、ルークは緑茶を入れながら言った。
「といっても、本部長が珍しくも短気を起こすのも無理のないことです。なんといっても奥さんと娘さんの命が賭かっているんですから……こちらのほうは、トミーとディランと私のほうで当たりましょう。本部長はこれからもその総指揮を取り続けてください」
「コツコツって、具体的にどうやる?」
ルークの言うとおり、わかっていてもイライラして仕方ないので、ギルバートはまた煙草を吸い始める。ちなみにギルバートが今好きなユトレイシアの煙草の銘柄は、<アイシス>という名前の細巻き煙草だった。
「もちろん、時間のほうは相当かかりますよ。キングリッチのほうは、屋敷の執事や家政婦などはみな口が堅いでしょうしねえ。ですが、もし可能であればメイドを一人入りこませて、さりげなくこう聞くんです。『御主人は前からああした御性格だったのですか?』といったように。それか、入れ替えがわからないようにするために、長年勤めた執事や家政婦が解雇された、あとは秘書が突然別の部署へ配置替えになったなど……探せば不審な点が必ず出てくるはずです。また、ジェイミー・カンバーバッチのほうも、監視の他に、そうした調査のための人員を増やしましょう。もし本当に入れ替えといったことがあったなら、コツコツ時間をかけさえすれば、必ず何か出てくるはずです」
「なんだか、本当にすまないな」
そう言って、ギルバートは溜息とともに煙草の煙を吐き出した。
「俺は今、本当に堪え性がない。そのコツコツ時間をかけて何かするっていうのが今一番駄目だ。大統領の休暇がある半月先でさえ……待つ自信がないくらいだからな」
「本部長の考えられた大統領の暗殺計画はなかなかよく出来ていたと思いますよ。あれならば、<ジェネラル>のほうでも信用するでしょう。豪華客車に爆発物が仕掛けられた可能性があると言いだす当人がそれを仕掛けるだなんてね」
「そうか?」と、ギルバートはふてくされたように溜息を着く。「俺はまた<ジェネラル>がなんだかんだと難癖をつけてボツにして来るんじゃないかという気がして仕方ないがな」
「ですが、もしかしたらそれが<ジェネラル>の目的なのかもしれないじゃないですか?」
ずずっと緑茶をすすってルークは言う。
「つまり、<ジェネラル>当人がすでに計画している<大統領暗殺>が成るまでは……我々に変な角度から横槍を入れられたくない。そのための封じ手として本部長の奥さんと娘さんを誘拐したということなら――事が済めばふたりは無事に帰ってくる。私がそう思うのは、あまりに楽観的にすぎる考え方でしょうか?」
「そうだ。楽観的だ。いや、ルークのその考え方は楽観的にすぎる」
だが、口ではそう言いながらも、ギルバートはルークのその言葉が嬉しかった。最初の<ジェネラル>宛ての封書をキングリッチに渡してから、連絡のあるまでかかった日数が約五日……ということは、次もおそらく一週間以内くらいには向こうからなんらかの連絡があるだろう。そう思い、ギルバートはブリーフィングルームにあった卓上カレンダーを手にして溜息を着いた。こんなに過ぎ行く時間が一秒一秒ねっとりと重いように感じるのは、彼は生まれて初めて――いや、イラクで人質になっていた時以来かもしれない。
ちなみに今、ディランとトミーのふたりは、オズモンド大統領の休暇中の行き先等について、細かい下調べをしているところである。近日中に、二人一組交代でエルヴァシア号へ乗車し、実際に見て回る予定でもいる。
その後、トミーとディランをブリーフィングルームのほうへ呼び寄せると、四人は今後のことについて会議を開くことにした。ギルバートがケビン・キングリッチについて、クローン人間と入れ替わったのかもしれないという推論を述べるとふたりとも――ギルバートはおそらく、妻子が誘拐されたことで、今は一時的に頭がおかしくなっているのだろう……といったような顔をしていたものだ。
「ふたりのおっしゃりたいことはよくわかりますよ」
ギルバートから同じことを言われても説得力がなかろうと思い、ルークは自分が提案したほうがいいだろうと判断した。
「確かに、クローン人間という可能性は突飛すぎると誰が聞いても思うでしょう。ですが、この可能性については私としてもどうしても潰しておきたい……前から親しい間柄だった人間の性格が急変したというのならまだしも、本部長がケビン・キングリッチと会ったのは、今日が二回目ですからね。ですがまあ、調べて何も出てこないのならそれが一番ですが、キングリッチとカンバーバッチをただ尾行するだけではなく、もう少し違う角度からもっと突っ込んで調査しないと、我々の知りたいことは何も出てこない。そのようなわけで、他に調査員を増員したいと思います」
「そうだな。ルークの言うとおり、俺も何も出てこなけりゃそれで納得できるんだ。幸い、ブラックバイパー社にもカンバーバッチ社にもUSISからの諜報員が随分入ってる。そう考えた場合、キングリッチ、カンバーバッチ双方の秘書に近づけそうな人物がいないかどうか……」
「あとは、キングリッチ邸、カンバーバッチ邸の中に誰かを潜りこませることが出来ればいいのですが。メイドでもベビーシッターでも、あるいは家庭教師でもなんでもいいんですけどね……あるいは、大金を掴ませさえすれば、キングリッチのことやカンバーバッチ家の中のことをぺらぺらしゃべってくれる人間がいるともっといいのですが」
「じゃあ早速、俺とディランで手分けして当たってみることにするよ」
実をいうとトミーは、ハンバーガーを食べながらの会議だった。今は午後の一時半で、彼はまだ昼食を取っていなかったのである。また、ディランのほうも同じ理由でサンドイッチにコーヒーというランチをとっている。
「そうだね」ぺろりと指についたマヨネーズをなめながらディラン。「まずは、カンバーバッチとキングリッチの秘書からあたってみよう。それから、カンバーバッチ邸のほうは意外に入りやすいかもしれないよ。だって、奥さんとの間に子供が四人もいるからね。上から確か……高校生、中学生、小学生、あと、まだ割と小さい子がひとり。何分あれだけの金持ちだから家庭教師は難しいかもしれないけど、メイドやベビーシッターなら、もしかしたらどうにかなるかもしれない。ただ、キングリッチ邸のほうは難しいかもしれないね」
ディランとトミーはそう言い残して、食事を終えるのと同時に別室でそれぞれの仕事を開始した。トミーはキングリッチ関係、ディランはカンバーバッチ関係のことを担当するということに決まっている。
そしてその間、ギルバートとルークは、それまでにトミーとディランが調べてくれたことを含め、再び大統領の豪華客車の旅について、順に細かいところまで詰めていった。やがて三時半になると、ディランとトミーが会議室へやって来て、ユトランド共和国の地図と、エルヴァシア号の資料に囲まれたルークとギルバートに合流した。
「なんか色々面白いことがわかってきたぜえ~」
嬉しそうにトミーがそう言い、ディランもまた「なかなか興味深いことがわかったよ」と、どこか意気揚々とした様子で椅子に座っていた。
「今のケビン・キングリッチがクローン人間かどうかっていうのはともかく、確かにほんの二日前、秘書が変わってるんだってさ。それで、その新しい秘書っていうのが、たまたまうちから派遣されてる秘書でね。ちょっと連絡取って、前の秘書と接触が取れるかどうかって聞いたんだ。そしたら、仕事の引継ぎなんかをしているうちに結構仲良くなったんだって。だから今そのあたりの探りを入れてもらってるから……まあ、もう数日かな。そのあたりの話を聞くってことになってる。ただ、キングリッチ邸のほうは流石にガードが堅いな。執事は先代のキングリッチの代からずっと勤めてる口だし、女中のほうも口が堅そうだ。なんでも、メイドとして勤める時に一筆書かされるらしい。屋敷内で見聞きしたことを漏洩したことがわかったら、賠償金を支払うようにってね」
「じゃあ、そのメイドの経歴を洗ってみてはどうだ?もしメイドの中で金銭に困っているような女性がいたら――手を差し伸べるといった形でな。<秘密を漏洩したことがわかった時>ということは、わからなければいいということだ。その上で結構な額を提示する……それで動きそうなメイドを探せばいい」
「アイアイサー」
(そんなこと、わかってまさあな)といった口調で、トミーが応じる。
「カンバーバッチ邸のほうは、キングリッチ邸よりもガードのほうはずっと緩いね。子供が四人いるだけあって、人の出入りも多いし……でも、ジェイミー・カンバーバッチのほうはそんなに怪しい動きのようなことはない気がするね。秘書のほうも前のままだし、あれだけのスキャンダルがあった直後だっていうのに、どこか飄々とした様子でさえある。まあ、わからなくもないけどね。例のカルテル事件でカンバーバッチ社の株価のほうは落ちてるけど、こんなのは一時的なものだよ。みんなすぐ、こんなオカタイ事件のことなんか忘れちゃうんじゃないかな。『このカンバーバッチ社のCEOの人、ちょっとカッコよくない?』みたいな、そんな感じで違う形で注目されてもいるみたいだしね」
「では、ジェイミー・カンバーバッチのほうはクローン人間による入れ替えは行われていない可能性のほうが今のところは高いかもしれませんねえ」
「まあ、もうちょっと色々調べてみないとわからないけどね。ただ、カンバーバッチ邸のほうに潜り込ませられそうな家政婦がいるんだ。あとはお定まりのパターンといったところだけど……やっぱり家の中って独特だからね。そこで父や夫の役割までも演技するっていうのは難しいよ。そういうところからはじめて、室内に盗聴マイクとかね、そういうのが仕掛けられそうだったら仕掛けてもらって……こっちもまあ時間がかかるよ。相手に正体がバレないよう、じっくりやっていく必要のあることだから。それで、大統領暗殺計画のほうはどうなってるの?」
<大統領暗殺計画>――この言葉を口にするたびに、ディランは思わず口許に微笑みが浮かんでしまう。なんだか自分たちがUSIS内で隠れてそんな大それた計画を立てているのではないかと、そんなふうに錯覚してしまって。
「近いうちに、二人一組交代で、エルヴァシア号に乗って偵察に行くことにしよう。組むのはトミーとディラン。それにルークと俺。それでいいか?」
「うーん。僕は毎日トミーとばかり一緒にいるから、たまにはギルバートかルークと一緒がいいけどね」
ディランが溜息を着いてそう言うと、トミーのほうでは少々気分を害したようである。
「言ってくれるじゃねえか、ディラン。それじゃ、たまには相棒を交代するとするか?」
「今の俺が言うのもなんだが、おまえら、仕事に私情を挟めるな。俺はルークと大統領暗殺計画を進めているせいもあって、一緒に旅をしがてら、色々調べたいことがあるんだ。まあ、そういうことだ」
「チェッ。だったら最初からそう言えってんだ」
トミーが拗ねたようにそう言うと、「最初から冗談だよ」と、笑ってディラン。
――この翌日の十一月下旬、まず最初にディランとトミーが二人で、エルヴァシア号に乗り、一週間の旅行へ出かけていった。そしてふたりが旅立つのと同時、今度は<ジェネラル>から直接電話が来たのである。
『私からの電話は、逆探知したり、いくら電話番号を調べようとしても無駄だぞ。まあ、調べたかったら調べてもいいが、あらかじめおまえの手間を省いておいてやろうと思ってな』
低い、落ち着いた中年の男の声。だが、もし<彼>がキングリッチとカンバーバッチが話していたとおり、代替わりした新しい<ジェネラル>だとしたら――本当の彼は一体どんな声をしているのだろうと、ギルバートは一瞬思う。
「まるで、秘密情報庁にあるのと同じ盗聴防止システムがそちらにもあるようだな。それで、キャサリンとキャリーは本当に無事なのか?クローン人間と入れ替えられたキングリッチの話では、ふたりとも食事や風呂のことなんかでは何ひとつとして不自由な思いはしていないはずだということだったがな」
『確かに、その通りだ。超一流ホテルのスイートルームのような場所でふたりとも過ごしてるよ。ただ、不自由な点はひとつだけ。そこから一歩も外へは出ていけないというだけだ』
「そうか」少しだけ安心して、ギルバートは言を継いだ。「それで、俺が何をどうすれば君は妻と娘を解放してくれる?実際に大統領を殺ったあとか、単に殺ったというだけでは駄目で、何か殺し方に特別な方法でもあるのか?それで、本当に間違いなくオズモンド大統領が死んだということがわかれば、必ずキャサリンとキャリーを解放してくれるんだな?先にいつ、どこでということを俺は知っておきたいんだ」
『いつ、どこでということは常に、私が決めることだよ、コナー君』喉の奥でくぐもったような声で微かに笑うと、ジェネラルは続けた。『君がもし本当にオズモンド大統領を亡き者とすることに成功したとしたら――必ずキャサリン・ガードナーと娘のキャリントンのことは解放してあげよう。その際、もし何かの不手際により、君自身が死んだとしてもだ。結果として、オズモンド大統領が死にさえすれば、ふたりのことは必ず解放する。そう思って、君は大胆に行動したまえ』
「それで、大統領暗殺計画のほうに何か変更点は?」
ケビン・キングリッチに仲介をさせず、<ジェネラル>が直接連絡を取ってきたことにはどういう意味があるのかと、ギルバートはその点をいまだ掴みかねていた。
『いや、特にないよ。というより、なかなかよく出来た計画だ。大統領が休暇中にテロに遭って死ぬ……だが、君は立場上、ギリギリまで躊躇うだろうな。その結果、失敗に終わったとしたらキャサリン・ガードナーも娘のキャリントンも死ぬことになるということは、常に念頭に置いて行動することだ』
「今、ふたりはどうしてる?俺はふたりが生きているという証拠の写真や動画も見せてもらえないのか?」
『そう焦るな、コナー君。大統領が休暇へ出るまであと半月ほど。その任務さえ君が完璧に遂行してくれれば――ふたりとは思う存分会える。もっとも、その頃には君は逮捕されて刑務所に入っていることだろうがな』
――このジェネラルの口約束だけの言葉を信じていいのかどうか、ギルバートにはわからなかった。ほんの二日前にケビン・キングリッチが言っていた言葉が脳裏をよぎる。
「キングリッチの話では、俺はキャシーとキャリーが死んでいようとどうだろうと従うしかないという話だったがな。奴は何故か悲観的なことばかり言っていた。ジェネラルがすでにもうキャサリンとキャリーを始末してようと、二人の生死を確かめようがない以上、とにかく俺はジェネラルに従うしかないといったようなことをな」
『確かに、理論上はまったくそのとおりだな』と、ジェネラルはまたくぐもったような声で笑う。『だが、私もそこまでの人非人ではない。一応、君と約束したことは必ず守るつもりではいる。しかしながら、君に不手際があった際には、二人の命は保証しかねる……その点については君も理解できるね?』
「……ああ。もちろんだ」
『そうか。では、君の今後の活躍を祈っているよ』
「待ってくれっ。まだこちらにはそっちに質問したいことが――」
ここまでの会話で、ジェネラルは一方的にギルバートへの電話を切った。「チッ」と舌打ちし、ゴロリとマホガニーの机の上に、ギルバートは携帯を投げだす。
時刻は今、夜の十一時過ぎだった。ルークは一応の上司であるギルバートの身を心配して、特に食事のことには気をつけてくれていた。それで、机の携帯の横には栄養のバランスを考えた弁当の空箱と、緑茶が底に少しだけ残ったマグとがあった。
「クソッ。人が眠りに落ちた十分後に電話してくるなんて……まったく、なんて野郎だ」
ギルバートはソファベッドから立ち上がり、額に手のひらを押しつけた。とりあえず、<ジェネラル>当人の口からキャシーとキャリーの無事を確認することが出来たのは良かったが、かといって事態が好転したというわけではまったくない。
ギルバートはもう一度、ベッドの上に横になると、溜息を着いて眠ろうとした。あたりはびっくりするくらいしんとしている。そしてこの時、ギルバートは<ジェネラル>がケビン・キングリッチがクローン人間云々といった話をしても、あっさりスルーして寄越したことを思いだしたのだった。
もちろん、ギルバートが何を言っているのかわからず、彼がそのあと『そのとおりだ』と答えたのも、そのことを指してのことではないと彼にもわかっている。だが、ギルバートはやはり不思議だった。オズモンド大統領の乗るキャビンスイートに爆薬を仕掛けるというのは、USISの身分証さえ見せればなんの疑いも持たれることなくそう出来る可能性が高い。しかも、ギルバートはオズモンド大統領を護衛するために、すでに同じ車輌内に乗りこむことが決定してもいるのだ。
ギルバートは心の内に残る疑問を、自分が<ジェネラル>になったつもりで逆に考えることにした。もし仮に自分が彼と同じ裏の組織の者であったとして――敵対組織の人間の家族を誘拐したとしよう。そして、向こうにこちらが是非とも遂行して欲しい用件を言いつける……いや、この時点ですでにおかしいとしか、ギルバートには思えない。何故なら、<ジェネラル>は大統領暗殺などという大それた計画について、ギルバートにプランそれ自体を自分で練ろと言い、最初の案はともかくとして、その次の案では特に修正しろと言うでもなくGOサインを出してきた。
(俺が<彼>の立場なら――こんなやり方はしないだろうな。袋小路に追い込まれたネズミに対して、もう少し狭い選択肢を与え、確実に相手がその行動を取るように仕向ける。今回、<ジェネラル>が与えた任務は、あまりにも自由度の高いものだった。ということは、彼にとっては俺の立てた大統領暗殺計画などはどうでもいいことででもあるようにしか、俺には思えない……)
ここまで考えて、ギルバートは自分が<大統領暗殺計画>に集中しなければならない間、彼には彼で他に仕込むべき計画があるのではないかという気がしてきた。明らかに自分の視線を逸らさせておいて、その間、彼には彼で何か別になすべきことがあるのではないかと。
(いや、流石にこれは俺の考えすぎか?<ジェネラル>は同時進行的にいくつもの案件を抱えていて、俺のこともその駒のひとつ、といったようにしか捉えていないのかもしれない。だが、流石に<大統領暗殺計画>というのはデカイ山だ。それも失敗することの絶対に許されない――もちろん、俺が大統領暗殺に失敗したとしても、<ジェネラル>に失うものは何もないという意味では、単に<彼>は高見の見物を決め込んで楽しみたい……お手並み拝見とでも思っているということなのかどうか……)
こういう時、ギルバートはいつでも、疑問に感じたことをルークに対して順に述べ、相談してきた。だが、今彼は傍らにいない。ギルバートは溜息を着くと、明日、ルークが出勤してきたら、心理学博士の資格も持つ彼にこうした疑問のすべてをぶつけようと思いながら……再び短い眠りの中へ落ちていったのだった。
>>続く。




