第20章
トミーやルークやディランに相談した結果、ギルバートはやはりUNOSの特殊事件捜査課には例の音声ファイルは渡さないということにした。何より、カール・マケインをいけ好かない男だと感じたのはギルバートのただの偏見であったにしても――その音声ファイルを含めた情報を<ジェネラル>と繋がるUNOSの職員が彼に流すという可能性があるからだ。
一方、ギルバートはケビン・キングリッチと連絡を取りあい、例の<ジェネラル>宛ての手紙を彼に手渡していた。ふたりの会見のほうはキングリッチの自宅のほうで行われたのだが、ニュースなどでも報道されていたとおり、キングリッチの豪邸は家宅捜索のあとがまだ生々しく残っており、まるで破産した資産家が豪邸を売る直前のような有様だった。
そのことにギルバートは奇妙な満足を覚えつつ、執事に通された部屋でキングリッチと会見した。その一階の部屋からは日本式のロックガーデンを眺めることが出来、なんでも彼が事業で行き詰ったように感じたり、あるいは仕事から離れたいと思うような時にはよくこの部屋で庭を眺めながら瞑想するのだという。
ギルバートはトミーとディランをキングリッチ邸の外へ待機させていたわけだが、盗聴マイクと超小型カメラのほうは当然装備してあった。もちろん、最初から<ジェネラル>がギルバートにしてきた要求はかなり奇妙なもので、確率としてもっとも高いのがキングリッチ邸においてギルバート自身のことを殺すということだったかもしれない。だが、ギルバートは指定された場所を変更するつもりはなかった。<ジェネラル>のほうではすでに、自分の住んでいる場所もUSIS内におけるキャリアも何もかも知っているのだ。それなら、向こうが一度本気になれば、自分のことを殺すのは容易いだろうと思ってのことだった。
とりあえず、ギルバートはケビン・キングリッチと出会った時、彼のことを<至極まともな人間>といったように感じたかもしれない。また、もうひとつ付け加えたとすれば、「真面目だが、少々堅苦しくて、退屈な男」……というのが、ギルバートのキングリッチに対する第一印象だった。
「キャサリンと娘さんのキャリントンは、無事ですよ。手荒な扱いを受けていたり、食事をさせてもらえないといったようなこともおそらくないでしょう。人道的に扱われているものと見て、まず間違いないと思います」
「何故、そうしたことがわかるのですか?」
暖炉の上の棚からシャトー・ル・パンを取り出すと、それをグラスに注いでギルバートに勧めた。睡眠薬や毒物が入っているとは思わなかったが、ギルバートは断った。妻子の命が賭かっているのに、酒など飲んでいる場合ではない。
「<ジェネラル>があなたにそう言えと、そうおっしゃっていたからですよ」
「それは、どのくらい信用できるものなんですか?俺が大統領暗殺を成し遂げさえすれば、キャシーとキャリーの命は保証されていると、あなたにはそう断言できますか?」
ケビンのほうでは、どうやらギルバートがやって来る前から飲んでいたらしい。その目は少しうつろで、こんな状態のこの男に<ジェネラル>宛ての手紙を託していいのかどうかと、ギルバートは眉をひそめた。
「さあね。俺はただの<ジェネラル>の犬みたいなものですよ。お手と言われればお手をし、向こうが棒切れを投げたとすればそれを拾ってくるしか能のない、使い捨ての駒のようなものです。そんな男に、<ジェネラル>の行動の一体何がわかります?」
「…………………」
ギルバートは黙りこんだ。酔っていてまともに思考能力が働いていないのかどうか、ケビンにはどうやら自分や秘密情報庁を恨むような気持ちはないように見えた。もちろん、これから暫くの間は五大軍需企業は世間やマスコミから叩かれるかもしれない。だが、軍事費から回してもらえる予算を多少削られたところで、ユトランドの兵器メーカーはそれほど痛手を被らないはずだった。何より、ユトランド産の兵器は他の各国のものと比べても非常に性能がよく、これからも軍用機等の輸出額は横倍、あるいは右肩上がりで伸びていくものと思われていたからである。
それなのに、ケビン・キングリッチが何故こんなに落ち込んでいるのか、ギルバートには理解不能だったといえる。ほんの暫くの間この嵐を耐え忍びさえすれば、業績のほうは一時的に少し落ち込んだにせよ、すぐに盛り返すことが十分可能な見通しがあるというのに。
「ワインがいらないなら、チョコレートなどいかがですか?」
そう言って今度は、ピエール・マルコリーニのチョコレートをケビンは勧めてきた。実際のところ、ギルバートは結構甘いものが好きだ。だが、今はやはり高級チョコレートなど、食べたいような気分ではない。
「あれ?もしかして何か疑っているのですか?チョコレートの中に何か入っていると……そうですよね。僕も昔、何かの推理ドラマで見たことがありますよ。チョコレートの甘味で毒薬の味が誤魔化され、被害者はケースの中のチョコレートをすべて食べてしまった……といったような話でしたっけね。あなたもご存じでしょうが、キャサリンもチョコレートが好きでした。甘いチョコレートにワイン……彼女の好きな取り合わせですよ。ただ、太るから物凄くストレスの溜まった時にしかあまり多くは食べないと言っていましたが」
「キャシーがあなたとおつきあいされているということは、彼女から聞いて知っていました。あなたはもしや、<ジェネラル>に命令されてというのではなくて、本当にキャシーのことを愛していたんじゃないですか?」
ケビンはチョコレートをひとつ口に入れると、ワインでそれを飲み下した。ギルバートはなんだか、彼が何か毒物でも飲んでこの場で自殺する気ではないかとの不安が胸をよぎり、なんとなく落ち着かないような気分にすらなる。そのくらい、彼は暗い顔つきをしていたからだ。
「さあ……どうなんでしょうか。今となっては俺にもよくわかりませんよ。俺は以前結婚していたことがあるんですが、自分に子種のないことがわかって向こうから離婚されたんです。それで、その時に少し――女性に対して臆病になったんです。俺はね、前の妻にこう言ったんですよ。養子をもらってもいいじゃないか、と。ですが、彼女は自分と血の繋がった子供ということに物凄く拘っていまして……その点、キャサリンにはもうあなたとの間に娘さんがいますし、そう考えた場合何も問題ないかとは思ったんですが、一応確認することにはしておきました。キャリーの他にもうひとりくらい、今度は男の子が欲しいんじゃないかって。そしたら彼女、『子供はもういいの』って。あなたにはあまりピンと来ない話でしょうが、俺はたったそれだけのことで嬉しかった。実際、あなたの娘さんに対してもこう思ってましたよ。もし結婚したら、自分の娘同様に育てようって……」
確かにきっかけは、「<ジェネラル>にそう命令されたから」ということだったのかもしれない。だが、もしかしたらキャサリンはあのまま彼と結婚していたほうが幸せになれたのではないかという気がして――ギルバートはなんとも言えない気持ちになる。
「そうでしたか。では、俺が余計な横槍など入れないほうが良かったのかもしれませんね。ただ、俺は別れたとはいえ、一度は結婚していた女性のことと、娘のその後のことが心配だったものですから」
「ええ。あなたの心配はごもっともです」
ソファを勧められ、ギルバートはケビンとテーブルを挟んで向かいあう形となる。そこから見える広い窓の外には、岩の間に自然と配された地味な草花を前景、また背景として、小さな川から引かれた沢に水が流れこんでいる。その水のせせらぎの音を聞きながら、ふたりは会話を続けた。
「<ジェネラル>にも言われましたよ。『情を移すな』と……ですが、あのまま結婚していたら、俺は出来得る限り彼女たちのことを幸せにしようとしたでしょうし――そう思うと本当に残念です」
「その、ミスター・キングリッチ。あなたのキャサリンに対するお気持ちと、またあなたが思った以上に誠実な人間であるらしいということはわかりました。それで、実際のところキャシーとキャリーは一体どこにいるんですか?俺としても、あなたのキャサリンに対する愛が真実なら……キャシーとキャリーのことを何があっても助けて欲しい。それこそ、あなたの所属する組織を裏切ってでも」
ここでケビンはまた、絶望的に悲しい顔つきをした。まるで鬱病患者のような暗い顔つきだ。
「申し訳ありませんが……俺はすでにその組織から<処刑>されることが決定しているもので――どうせ死ぬなら死力を尽くしてキャサリンとキャリーのことを救いたいという気持ちはある。ですが、俺がそんなことをしても<ジェネラル>に殺されるのが速まるというだけの話ですから」
「処刑、というのはどういうことですか?」
鹿おどしのカコーンと鳴る姿を見つめながら、ケビンは続けた。
「さて、どういったらいいのか。確かに俺は迂闊でしたよ。組織の名前はいついかなる時も滅多なことでは口にしてはいけないとわかっていた……ですが、誰にもついうっかりということはあるものです。俺はその責任を取って処刑されることに決まったわけですが、まあ、ブラックバイパー社のCEOであるケビン・キングリッチはこれからもい続けますよ。こんなことを言っても、あなたには俺が何を言っているのかわからないでしょうが――酔った男のつまらぬ与太話と思って、忘れてください」
「…………………」
この時、ギルバートが感じたのは、奇妙な話、『この男を助けたい』ということだった。だが、相手はUSIS、あるいはアメリカのCIAをもってしても騙しおおせることの難しい組織なのである。そのことを思うと、ギルバートとしてはそのことはあくまでも彼の問題であるとして、キャサリンとキャリー救出のことにだけ集中することにした。
「それで、ですね。こちらは俺の書いた<ジェネラル>宛ての手紙です。こちらのほうをあなたから<ジェネラル>に渡していただきたい」
「はい。確かに承りました」
ケビンはやはりどこか虚ろな顔つきのまま、ギルバートからの封書を受け取っていた。
「それで、次に俺はどうしたらいいんですか?手紙に書いた俺の提案を<ジェネラル>が気に入らなかった場合……いや、気に入った場合でも、こちらからどうコンタクトを取ったらいいのか……」
「心配いりませんよ。この封書については俺が必ず<ジェネラル>に……いえ、俺が直接彼にということではありませんが、とにかくこの中にあるものは必ず彼が読むはずです。そして、近日中に<ジェネラル>はあなたになんらかの形で接触をはかるはずですよ。キャサリンと娘さんのキャリーのことについては――俺にはなんとも申し上げられません。ただ、一応処刑される前にふたりの命が助かるようにと、嘆願するつもりではいますが」
「そうでしたか。何卒、よろしくお願いします」
ギルバートはこの時、深々とキングリッチに対して頭を下げていたが、ケビンのほうは窓外の景色に目をやったままだった。果たして、彼の言う<処刑>というのが何を意味しているのかはわからない。そして近日中にもし何か不慮の事故によってでもケビン・キングリッチが亡くなったとしたら……おそらくそれは彼が<ジェネラル>に消されたということを意味しているのだろうと思った。
だがその後、いくら日が過ぎても――さらには、大統領が休暇を迎える日がやって来ても、そんな事件は何も起きなかったのである。
* * * * * * *
ギルバート、それにトミーとディランとは、キングリッチ邸からUSIS本庁のほうへ戻ると、ギルバートがつけていた盗聴器の記録、それに超小型カメラの映像とを再確認することにした。
トミーとディランはUSISの特殊車輌にて、それらの映像及び音声の両方をリアルタイムで見聞きしていたとはいえ――やはり彼らの気になったのも、ケビン・キングリッチの口にした<処刑>という言葉であったかもしれない。
>>「申し訳ありませんが……俺はすでにその組織から<処刑>されることが決定しているもので――どうせ死ぬなら死力を尽くしてキャサリンとキャリーのことを救いたいという気持ちはある。ですが、俺がそんなことをしても<ジェネラル>に殺されるのが速まるというだけの話ですから」
「処刑、というのはどういうことですか?」
――ここでカコーン、という鹿おどしの音。
「さて、どういったらいいのか。確かに俺は迂闊でしたよ。組織の名前はいついかなる時も滅多なことでは口にしてはいけないとわかっていた……ですが、誰にもついうっかりということはあるものです。俺はその責任を取って処刑されることに決まったわけですが、まあ、ブラックバイパー社のCEOであるケビン・キングリッチはこれからもい続けますよ。こんなことを言っても、あなたには俺が何を言っているのかわからないでしょうが――酔った男のつまらぬ与太話と思って、忘れてください」
「……これ、一体どういうことだと思う?」と、トミー。
「まあ、普通に考えたとしたら」とディラン。「彼が近いうちに何か不審な死を遂げたとしても、ブラックバイパー社のCEOは<秘密結社リヴァイアサン>がキングリッチの後継者と単に首のすげかえを行うだけに等しいので何も問題はない――っていうことじゃないかとは思う。でも、やっぱり何か変だよ。もちろん、<秘密結社リヴァイアサン>というのが世界的な組織であることを考えた場合、もしかしたらこの世のどこにも逃げ場はないのかもしれない。そこにはもしかしたら、冷戦時代のロシアが裏切り者のスパイをどこまでも執拗に追っていって始末したというのにも等しい何かがあるのだとしても……最初から<処刑>されるということがわかっていて、何故キングリッチは逃げようともしないんだ?もしこれが僕なら、結局死ぬのが同じなら、とりあえず可能な限り逃げるだけ逃げようとすると思うけど」
ギルバートはキャシーとキャリーのことが心配で、この時、自分で思っていた以上に心的消耗が激しかった。それで、ケビン・キングリッチの命のことなどどうでもいいから、妻と娘が今無事でいて、何ごともなく帰ってきてさえくれればと、そのことしか考えられなくなっていた。そこで、映像と音声の分析については、優秀な部下三人に任せることにしようと思っていたのである。
一方、ケビン・キングリッチとギルバートの会見の模様については、ルークはこれが初見であったわけだが……彼は言葉を失い、心筋梗塞でも起こす前触れでもあるかのように体を強張らせていたものである。
「どうかしたのか、ルーク?」
ギルバートは立ち上がると、ルークが椅子に座るのに手を貸した。それまで彼は椅子に座るトミーとディランの後ろで、立ったまま映像を見、音声のほうを同時に聞いていたのである。
「これは――もしかしたらいつか、死ぬまでの間に謎が解けるかもしれないと、私がずっと願い続けてきたことです……」
この時ルークは、いつもの冷静沈着な彼には珍しく、暫くの間何も考えられなくなっていたほどだった。唯一、過去に愛したある女性の記憶以外は……。
『ルーク。あなたとの関係はこれでもうおしまいよ。次に会う時、もうわたしは以前の……今あなたを愛しているわたしじゃないの』
『……どういう意味だい、ルドミラ?』
――時は今から約二十年前、1980年代のことだった。その頃、ルークは西ドイツで諜報活動を行っており、恋人関係になったルドミラは実はソ連からやって来た東ドイツ側のスパイだった。
ふたりはある事件を通して知り合い、お互いそんな関係になってはいけないとわかっていながら……いや、むしろそれだからこそ、隠れて激しい関係を持っていた。けれど、そのことが当局にバレ、ルドミラはソ連へ帰ることになったのだ。けれど、別れの夜、ルドミラ・ブロワは不思議なことを言った。
『次に会う時、もう君は私の知ってるルドミラじゃない?一体どういう意味なんだい、ルドミラ』
『わたしはもう処刑されることに決まったようなものなの。当局からは決して逃れられない……そのことはあなたにもよくわかっているでしょう?』
『処刑って――確かに裏切りがわかった場合、どうなるかは私も承知しているつもりだ。だが、その前に西へ来いよ。そのための手筈は私のほうでどうにかする。君はとても優秀な諜報員だ、ルドミラ。CIAでもUSISでだって働ける。橋渡しのほうは私のほうでうまくやるから、君は今からでも逃げる準備をするんだ。いいね?』
その時、ルドミラもまた、映像の中のケビン・キングリッチのように諦めきった絶望的な顔の表情をしていたものだ。その後、ルークはルドミラが東ドイツから脱出するための手筈を整えたのだが、待ち合わせの時間に彼女は現れなかった。
それがルドミラ自身の意志によるものだったのか、それとも脱出の前に当局に捕まってしまったのか……それはルークにはもうわからないことだった。だが、ルドミラは最後にルークと別れる時、とても謎めいたことを言っていたのだ。
『ルーク、わたしのこと、いつまでも忘れないでね。もちろん、あなたはこれから結婚もし、きっと子供も出来るでしょう。でもわたしのことも過去の記憶の一部として……覚えていて欲しいの』
『そんな弱気なことを言うなよ。君が必ず時間通りに待ち合わせ場所に姿を現してさえくれれば……すべてはうまくいく。ただ、待ち合わせ時間から十分が過ぎると、車は行ってしまう。とにかく時間厳守だ、ルドミラ。そうすれば、私は君と結婚し、そしてルドミラ、君が私の子供を生んでほしい』
この時に見せた、ルドミラの悲しみを湛えた深く青い瞳のことが、ルークは今も忘れられない。
『ありがとう、ルーク。まさかわたしのためにそこまで言ってくれるだなんて思ってもみなかった。でも……わたしの言っているのは実は当局のことじゃないの。わたしの所属しているのは、その組織の名前を口にすることさえ許されない、とても恐ろしい……』
ルドミラはこのあとの言葉を続けられなかった。ただもう一度ルークにキスをし、ロシア語で『ダスヴィダーニャ』、さよならと言っただけだった。
――この翌年、ベルリンの壁が崩壊した。そして続くソ連邦の崩壊……ルークは仕事で、あるいは休暇のたびにモスクワやペテルブルグなどを訪問し、ルドミラ・ブロワの姿を探した。そして本当に彼女と再会することが出来たのだ。もっとも、彼女はルークとは違い、結婚してルドミラ・チェルノワと姓のほうが変わっていた。相手は間違いなくルドミラだった。そのことだけはルークは間違いなく確信できる。モスクワの人口は約千二百万人、ペテルブルグの人口は約五百万人である。ルークは何も当てずっぽうにルドミラのことを探していたわけではなく、彼女の実家のことや親戚関係のことなども調べた上でルドミラの居場所を探し当てていたのだ。
だが、ルドミラはルークのことを覚えていなかった。その後数年の時が過ぎて、お互い確かに容貌のほうは少し変わったかもしれない。それなのに覚えていないなどとは、ルークにはとても信じられなかった。だから、「今君はもう結婚して幸せだというのなら、私はそれで構わないんだ。ただ、あの時どうして姿を現してくれなかったのか……その理由を出来れば知りたい」と、そう言った。だがルドミラは「あなたなんか本当に知らないわ。これ以上つきまとうなら警察を呼ぶわよ」と冷たく硬質な顔の表情で、ルークのことを断固拒んだのである。
なんにせよ、ルドミラは生きていた――そして、結婚し子供もいて、きっと幸福なのだ……ルークは帰りの飛行機の中で、泣きながら神にそのことを感謝した。何故ああも頑なに自分の存在を否定したのか、その理由はわからない。だが、死んでいるかもしれないと思っていた恋人が生きていたのだ。ルークはそのことに十分胸に満足を覚えて帰国した。その後、モスクワへもペテルブルグにも、仕事で必要があった時以外は訪問していない。
ルークは自分の心から動揺が去り、いつも通りの落ち着きが戻ってくると、このことをギルバートたちに話した。もちろん、<処刑>というワードと、次に会った時にはわたしはわたしではない、当局(KGB)よりも恐ろしい組織――ケビン・キングリッチとルドミラ・ブロワの間にある共通点はたったのそれだけと言えばたったのそれだけではある。
「確かにまあ、そうだよね」
ディランは、いまだにルークが何故独身なのかがわかった気がして、妙に何度も頷いていた。
「普通に考えたとすれば、ルドミラさんは……もしかしたら当局と何か取引したのかもしれない。僕たちは当時のKGBがどんなものだったかは、ノンフィクションの作品や当時の資料なんかでしか知らないわけだけど、それによると……」
「そうです。裏切り者、あるいはアメリカやイギリスのダブルエージェントである可能性のある諜報員は、一定の取調べを受けます。最初の一回二回くらいはどうにか言い逃れることも出来るかもしれませんが……本格的な取調べのほうは言語に絶するほど過酷なものです。これは女性の諜報員が相手であっても、まったく容赦されず、徹底的に取り調べられますから――その過程で彼女が当局となんらかの取引をした可能性は考えられます。それとも、それらすべてに耐え、自身の疑いを払拭することに成功したのかどうか……」
ルークが苦しげな溜息を着くのを見て、ギルバートはもうひとつの自分の推論を述べるべきかどうか迷ったが、やはりキャシーとキャリーのことがあるためだろうか。つい彼はこんなことを口にしてしまっていた。
「おそらく、可能性として高いのは……なんらかの理由によってルドミラ・ブロワはかつて心から愛した男を知らないと言って拒絶した、そういうことかもしれない。だが、もしそうじゃないなら、どういう可能性が考えられる?DNAに至るまで、まったく同じ人間がルドミラ・ブロワと名のるとしたら――それは双子の姉か妹ということになるか?」
「流石に話が飛躍しすぎだよ、ギルバート」と、トミーが少しだけ笑う。「他に考えられるのは、クローン人間だけじゃん。しかも、ソ連が崩壊したのは1991年なんだぜ」
「確かにそうだ」と、ギルバート。「ただ俺は今、現実的にどうかということではなく、単に理論の積み重ねとして、どういう可能性が考えられうるかという話をしている。クローン羊のドリーが誕生したのが1996年か。仮に他の極秘機関がクローン技術をそれより先に完成させ、人間でも試していたとしたら……」
「ありえないよ、ギルバート」と、もう一度トミーが念を押した。「っていうか、やっぱりおまえ疲れてるんだよ。前の奥さんと娘さんのことがあるから無理もないけど……もう休んだほうがいいんじゃないか?おまえ自身、命を狙われる危険性があるから、自宅に帰るなら警備局に頼んでボディガードしてもらったほうがいいんじゃないかと思うけどな」
「今日はここに泊まることにするよ。仕事があるわけではないにしても、家のほうには帰りたくないからな。それより、話の続きだ。今はもう犬や猫のクローンなんかは普通に取引されている時代だ。飼っていた猫の死が悲しいあまり、まったく同じDNAを持つ犬や猫なんかを飼い主が業者に頼むことがある。だが、前の犬や猫とは性格が違っていたりするそうだ。それに当然DNAは同じでも、死んだ犬の持つ記憶まで継承するわけじゃないからな……つまりはそういうことさ」
「まさか、本部長はわたしの会ったのが、クローン人間のルドミラだったとでも言いたいのですか?」
その後、もしかしてそうだったのではあるまいかと、ルークはちらと考えたことがあった。だが、すぐに(そんなことはありえない)として否定したのである。
「もちろん、馬鹿げた考えであることはわかっている。だが、可能性として俺には他に推論できんな。当然、ケビン・キングリッチには生き別れの双子や三つ子の兄弟がいるというわけでもないだろう。以前、どこでだったか忘れたが……こういう話を聞いたことがある。世界の政財界の著名人の中で、自分のクローン人間を用意している人間がいると。カズオ・イシグロの『わたしを離さないで』ではないがな。病気や事故で体のあるパーツが必要になると、そのクローン人間のものと交換すると言うんだ。俺はその時思ったよ。そんな非人道的なことを行っている機関があるわけがない、いや、もし仮にあったとしてもいつかは法の名の元に罰せられることになるに違いないと……たが、<秘密結社リヴァイアサン>という謎めいた組織の不気味な巨大さのことを考えた場合、あながちありえないことでもないんじゃないか?」
「でもやっぱりその話は無理があるよ、ギルバート」と、ディランが言った。「だって、DNA情報だけ同じっていうだけで、元のオリジナルの記憶まで継承するわけじゃない上、性格のほうだって同じか似るとは限らないわけだろ?ということはだよ、どう考えてもそんな人間がブラックパイパー社のCEOに就任したりしたら、統率能力のほうを疑われたりなんだりで、間違いなく支障が生じるよ」
「馬鹿げた推論だってことは俺もよくわかってる。ただ……これからもし仮に事故に遭ってケビン・キングリッチが記憶喪失になるっていうことは、ありえないことじゃないんじゃないか?それに、あれだけ大きなスキャンダルのあったあとだ、ちょっと性格のほうが変わっていても、周囲の人間は許容するかもしれない。他に考えられる可能性としては――あまりにSFじみていて、こんなことは俺も言いたくはないが……」
ギルバートの言葉のあとを、ルークが引き取る。
「元のオリジナルとクローンとの、脳の移植手術、ということですね。これはあくまで現実的にどうかという話ではなく、どういう可能性があるかということについての論理の積み重ねとして申し上げるのですが……ルドミラの場合、脳の移植手術までは行われなかった。つまり、本人のことは何かの事情によってクローン人間として生き続けさせるが、ルドミラは記憶のないほうが当局にとって都合が良かった。だが、ケビン・キングリッチの場合はそこまでのことをリヴァイアサンという組織が行うかもしれない、そういうことですね?」
ああ、というように、ギルバートが頷く。
「ロボトミー手術のことはみんな知ってるだろう?脳の前頭葉にメスを入れることで、精神病が改善されるかもしれない、また脳の構造的なことがわかるかもしれないというので、精神病院などで行われることがあった。これはロシアのKGBでも裏切り者のスパイなどに行うことがあったと聞く。それと似たような形で、人へのクローン技術がまだ完成していないうちは、裏切り者のスパイなどを使って実験をすることがあったのだとしたら……」
「ええ~っ!?」
トミーは素っ頓狂な声を上げた。ディランは驚きのあまり体の動作のほうが一瞬止まった。ルークはただ黙ったままでいる。まるで、(ありえないことではない)と肯定するかのように。
「でも、ちょっと待てよ。それでいくと、なんであんなにケビン・キングリッチの奴は暗く落ちこんでるみたいな様子をしてたんだ?もし記憶の移植手術が行われるのなら、体のほうが新しくなるっていうだけじゃないか。つか、それだとむしろ無意味じゃね?」
「そうだな。どうやら俺はまだ調子が悪いようだ」とギルバート。「だが、おそらくそうした種類の何かがあるということだけは言えるんじゃないか?あるいは、やはりキングリッチの場合も――<処刑>ということは、脳の移植手術なしのクローン人間との入れ替えだけを意味するのか。俺が思うに、<秘密結社リヴァイアサン>のメンバーになることには、本人にとって相当得な特典か何かがあるということだけは間違いない。たとえば、どこかで事故に遭って体の一部を失ってもクローンのそれを移植できるとか、仮に肝臓ガンや膵臓ガンになっても、クローンの肝臓や膵臓を使えるといったような、そうしたまず通常で考えた場合はありえない特典だ。だが、会の規約を犯した場合には当然罰則が適用されることになる……その場合、もしかしたら<処刑>というのは、会からの除名を意味し、それまでリヴァイアサンから受けていた恩恵が失われるということなのかもしれない。もしかしたら、キングリッチがあんなにも落ち込んでいるように見えたのは、それで、だったのかもしれないな」
(どうだ?これなら誰が考えても、いかにもありえそうな可能性だろう?)というように、ギルバートはその場にいるみなのことを見回した。
「なんにしても、だ。ケビン・キングリッチとジェイミー・カンバーバッチの今後の様子を追っていくということにしよう。彼らが事故に遭ったり病院へ入院することがないかどうか……」
「いえ、それでは策が後手に回ってしまうのではないでしょうか、本部長?」
ギルバートが弱々しく溜息を着くのを見て、ルークは彼の普段の頭の回転の速さを補おうとした。
「どういうことだ、ルーク?」
「トミーとディランはどうかわかりませんが、私はクローン人間説は十分ありうると思っています。とした場合、可能性として、どういうことが考えられますか?私が思うに……キングリッチもカンバーバッチも、一度身柄のほうを拘束したほうがよくはありませんか?それで、<ジェネラル>の様子を見るというのは……」
「それはどうかな。ギルバートは前の奥さんと娘さんを人質に取られているから――そうした妙な動きを見せるのは危険かもしれない」
このユニットの責任者であるギルバートの口からは言い難いだろうことをディランは代弁した。
「その意見はもっともです。ですが、何も我々が直接動くというわけではありません、あくまでも我々とはまったく関係のない形で、警視庁にやってもらうんです。例のカルテルに関することで拘留するというのでもいい。ジェイミー・カンバーバッチのことはわかりませんが、ケビン・キングリッチに関してはそう遠くないうちに何かが彼の身に起きるでしょう。その時、リヴァイアサンのほうでは、彼を必ず殺しに動くのではありませんか?ジム・クロウの時のように……その時、今度こそ疑わしい動きを見せた者を捕まえるんです」
実をいうと、ジム・クロウの死についてはその後、そのカラクリのほうが判明していた。医者のケヴィン・クルーズである。彼はジム・クロウの死の半年後、秘密情報庁のほうをやめていた。無論、彼の退職時期はもともとそう遠くなかったのだから、不審に思わなくてはならないような理由はなかったかもしれない。だが、ルークは(もしや……)と思い、ケヴィン・クルーズのその後の足どりと彼の銀行口座等の資産を調べたのである。
クルーズは、USISを退職後、妻とともにアメリカのフロリダで暮らしていた。心臓に病いを持つ妻のための転居だったようだが、ふたりが豪華なコンドミニアム暮らしをしているのを知り、ルークは直感的に違和感を覚えたのである。もちろん、ケヴィンは医師として優秀な経歴を持っており、定年近くまで働いたことから見ても、そのくらい高価な買い物をしていたとしても、おかしくはない。
だが、退職金の他に、妻の口座に五百万ドル(約5億円)もの振込入金があったのを見つけ、ルークはほとんど(これだ)と確信した。何分、ジム・クロウは死んですぐ検視を受けたのだ。もし彼がなんらかの毒物等によって殺されたのであれば、何も出てこないわけがない。にも関わらず、ケヴィン・クルーズはしゃあしゃあと「何も出て来なかった」と言ってのけたということなのだ。
このことは、本人にも直接会って(このためにルークはわざわざフロリダまで飛んだ)、ルークは事の次第を確かめていた。そして彼は長く問い詰めたあとでようやく……五百万ドルやるからジム・クロウの死をうまく誤魔化せとある筋と取引したのだと認めたのである。
ただし、クルーズは「相手が誰なのかはわからない」と言った。「ただ、前金として二百五十万ドルもらってるし、やらないという選択肢は私にはなかったんだ」と……。
「すまない、ルーク。俺は自分のオフィスのほうで、このことを考えてみたいと思う。いつもと違ってどうやら俺の思考は鈍っているようだし、そのせいで論理が一部破綻してもいる。その上でまた、明日以降みんなで話しあうことにしないか?」
ルークのほうでは(事は一刻を争う)と思っていたためであろう、彼は珍しく若干不満そうな顔をしていた。だが、ギルバートの妻子誘拐との事情を理解したためだろう、それ以上何も抗議はしなかった。
――この翌日、ギルバートはケビン・キングリッチとジェイミー・カンバーバッチについては、ふたりの行動を見張るエージェントを派遣して、様子を見るということにした。私情を挟めたというわけではない。ただ、キングリッチとカンバーバッチのことを拘留したとしても、ふたりはともに億万長者以上の資産家なのだ。弁護士がどうの訴訟がどうのという話になり、このことはのちのちまで尾を引くだろう。その上、警視庁にもUNOSにも<ジェネラル>と通じている者が間違いなくいる……USIS庁内であれば事態を支配下に置いて見張り、何が起きてもコントロールを加えることが可能だ。だが、警視庁・UNOS双方とも、予測不能の事態が起きた場合――ギルバートには責任を取ることが難しいように感じられたためだ。
トミーとディランはケビン・キングリッチとジェイミー・カンバーバッチにつけた計八名のエージェントとそれぞれ連絡を取りあい、逐一報告を受けていたが、ギルバートはルークと<大統領暗殺計画>について、さらに細かい点についてまでひとつひとつ計画のほうを詰めていった。
ちなみに、テイラー・オズモンド大統領の休暇中のスケジュールというのは大体、以下のとおりである。
(第一日目)――バカンスへ出発するための記者会見ののち、ユトレイシア駅より、豪華客車エルヴァシア号は九時に出発。その後、次に停車するレンティッカ駅で一度列車を降り、12:00頃にイタリア料理の名店で食事。陶器で有名なレンティッカの街一帯を散策したのち、豪華客車は14:00に出発。こののち、17時23分頃にトルカート駅に到着。この日はトルカートの一流ホテル、トルカートガーデンインにて宿泊。
(第二日目)――豪華客車エルヴァシア号は午後一時に出発予定のため、午前中は自由行動となる。13:00に豪華客車は出発し、のどかな放牧地帯や田園地帯をゆっくり移動し、午後18:08分、ルキルナスへ到着。この日は五つ星ホテルのルキアーナリゾートホテルへ宿泊。
(第三日目)――エルヴァシア号は午後一時に出発予定。午前中は自由行動。だがこの日、聖ヨハネ幼稚園を大統領は10:00に訪問する予定。その後、園児たちと一緒に食事をしたのち、14時に出発予定。15:14頃、エンディーガ瀑布近くのエレンデュア国立自然公園へ到着。二時間ほど風光明媚な周囲の景観を堪能したのち、17:00出発。17:47、メレギア駅へ到着予定。この日は、ザ・ホテル・メレギアに宿泊。
(第四日目)――エルヴァシア号は午後一時に出発予定。午前中は自由行動。この日、この自由時間に近くのナヴァール陸軍仕官学校を視察(10:00~12:00予定)。一時にメレギア駅を出発。大自然に抱かれた古代遺跡メレギアの壮大な景観を通りすぎると、豪華客車はランディーガ海岸線を走り、翌日の十時にテリス海軍都市へ到着するまで、乗客は客車内で過ごすということになる。
(第五日目)――10時にテリス軍港到着予定。10~12時、空母レティシア号を見学ののち、午後からは自由行動。この日の夜はザ・リッツ・カールトン・テリスへ宿泊。
(第六日目)――エルヴァシア号は午後11時にテリス駅を出発。この日、エルヴァシア号はエルヴァッハ山岳地帯を抜けると、エルキューレ岬にかかる全長三キロのエルヴァート鉄橋を越える。エルヴァシア号はこの日の夜から翌日、第七日目の夕方まで走り続けて、ユトレイシア駅へと再び戻ってくる予定である。
「どう思う、ルーク?」
ケビン・キングリッチに<ジェネラル>への手紙を託してから五日。向こうからは何も音沙汰がなく、ギルバートは焦りと苦しみに悩まされたが、とにかく<ジェネラル>からの連絡を待つしかないといった状態だった。
また、見張りをつけているキングリッチとカンバーバッチについては、今のところ特に目立って変化のようなものはない。
「そうですね。一度、この豪華客車に乗って視察してみないことにはなんとも言えませんが……ざっとこの予定と、あとはインターネットの情報を合わせてみたところによると、個人的に気になるのは第四日目と五日目と六日目でしょうか。ナヴァール陸軍士官学校とテリス軍港に停泊している空母を視察するというところ、あとはエルヴァート鉄橋ですね」
「やはり、ルークもそう思うか」
パソコンから印刷したいくつかの写真を見ながら、ギルバートは溜息を着く。一応、豪華客車の運転士や乗務員、料理人など含め、身元のほうはすでに調査済みだ。また、エルヴァシア号に乗車予定の約四十名の乗客についても、大統領機関のほうで一人一人調べ上げてあるらしい。と同時に(四十名か)とも、ギルバートとルークは思った。この中の内の誰かが<ジェネラル>の手の者と入れ替わるといったようなことがあった場合……大統領暗殺などという大それたことを防ぎきるということが本当に出来るものだろうか。
「ナヴァール陸軍士官学校で、士官候補生として紛れこんでいた<ジェネラル>の手の者に突然銃を発砲される、空母内を見学している時に、<ジェネラル>の息のかかった海軍の者になんらかの形で暗殺される、というのはシナリオとしていかにもありえそうではありませんか?それと、こちらの鉄橋は全長が三キロもあるわけですが……見るからに嫌な予感がします」
そう言って、ルークは海から二百メートルばかりもの高みに建つ、列車の走るエルヴァート鉄橋の写真を指差した。<エルヴァシア号豪華客車の旅>は、歴史が古いということもあり、毎回切符がすべて売切になるほど人気がある。また、このエルヴァート鉄橋については世界遺産への申請ということもあって、いずれ豪華客車の旅以外では、ここを通る列車はなくなると言われているだけに――この豪華客車の旅を一生に一度は経験しておきたいという人はとても多いのである。
「ナヴァール陸軍士官学校は、教官や生徒を含め、在籍人数が約三百五十名ほどか。空母レティシア号には、軽く二千名以上もの乗組員がいるからな。この内の誰かが大統領に発砲するといった事態が起きたとしても、まるでおかしくはない。そして、エルヴァート鉄橋か。こちらも頭が痛いぞ。今からでも、いくら金がかかってもいいから、大統領にはこの旅行をキャンセルしてもらいたいくらいだ」
「では、やはり本部長もドローンによる攻撃といったことを警戒しておられるのですか?」
ギルバートは(まるでお手上げだ)といったように両手を広げる。
「この鉄橋はもう、空から攻撃してくれと言わんばかりじゃないか。空から飛んでくるのがドローンではなくてミサイルでもなんでもいいが、この鉄橋を渡っている時にエルヴァシア号に命中したらそれでもうジ・エンドだ」
「そのこと、リグビー長官には……?」
「もちろん言ったさ。この休暇の旅に出る選択をした時点で、もうこの暗殺計画は誰にも止められないと。だが、大統領が鉄橋の上を通る時のみならず、列車の走る上空については常に空軍から偵察機が見守る予定だとのことでな。取り合ってもらえなかった」
「そうですか。それなら……」
(おそらくは大丈夫なのではありませんか?)と言いかけて、ルークは黙りこんだ。何故なら、ギルバートの渋面にまったく変化が見られなかったせいである。
「相手は<ジェネラル>だぞ?もし仮に列車を鉄橋ごと破壊する計画を立てているのなら、空軍が出てくることくらい当然計算の内に入れているさ。向こうが俺を信じて仲間に引き入れようということなら、今<ジェネラル>の立てている計画の一部だけでも知ることが出来ると思うんだが……」
だが、あれから五日経っても連絡のないところを見ると、ギリギリまで引き伸ばしてこちらを苛立たせるつもりなのかもしれないとギルバートは今思いはじめている。キングリッチにも電話して聞いたが、「まだたったの五日しか経っていないじゃないですか」ということだった。「<ジェネラル>は自分で決めた時に必ずあなたに連絡するはずです。もう少し待ってみてください」――ギルバートはよほど、「てめえは結婚したことはあってもガキを持ったことがねえからそんな呑気なことが言えるんだ!この種なしめ」と言いそうになったが、もちろんそこはぐっと堪えた。
そのようなわけで、自分でも自覚しているとおり、ギルバートはここのところずっとイライラしている。キャシーがキャリーのことを妊娠したと分かった時からやめていた煙草も最近吸いはじめた。自宅のほうへは必要最低限物を取りに帰るようなもので、ほとんど毎日ここUSIS庁内で寝泊りしている。とにかく、家にひとりでいたくないのだ。
「そうですな。大統領が休暇を取るまでにはまだ約半月あります。もしかしたら<ジェネラル>は、本部長のことを仲間に引き入れるかもしれませんが、まだ時期が早すぎるのかもしれませんよ。たとえば、実際に本部長にこなしてもらいたい役割があるとしても、あまり早くにそのことを知らせると、こちらで当然対応策を練るということになる。そう考えた場合、大統領が休暇に出るほんの二日前とか一日前とか、下手をしたら当日にようやく連絡してくるという可能性も……」
「冗談じゃないぞ!あと半月も何も知らされずにこんな状態でいろってのか。クソッ。こうなったら、ケビン・キングリッチの奴をとっちめて――」
ギルバートが憤慨のあまり、両手で机の上を叩いた時のことだった。ギルバート個人の携帯のほうが鳴る。相手は<ジェネラル>ではなく、噂をすればなんとやら、ケビン・キングリッチだった。
>>続く。




