第18章
「へー。そっか。なるほど……」
それでもまだ、トミーは「ううむ」と納得しかねているようだった。そこで、今度はまったく別のことに矛先を向ける。
「話は変わるけどさあ。ギルバート、おまえの前のカミさん、本当に大丈夫なのか?ケビンのほうから「もう一回だけデートしてくれ。この通り、頼むっ!!」なんて言われて出かけていったら、向こうに人質として誘拐されちゃったとか、可能性としてあるんじゃねえの?」
「確かに、そうかもしれないな」
巨大軍需企業の闇カルテル騒ぎは、今もメディアで続いている。そこでは、主要軍需企業のトップの人間たちが、まるで極悪犯罪人のように槍玉に上げられており――その様子を見ていて、キャサリンのほうでも少しくらいは気持ちが残っていたにせよ、彼のことにはすっかり興味を失っているのではないかと思っていた。だが、考えてみればそうしたこともありえないことではない。
そこでギルバートは「サンキューな、トミー」と言って一度席を外すことにした。「ちょっとキャシーに電話して確認してみるよ」
ギルバートは自分のオフィスに戻ると、いつものように窓からユトレイシア市街を見渡して、携帯から元妻のキャサリンのそれへと電話した。だが、<おかけになった電話番号は、電波の届かないところにあるか、電源が入っていない為かかりません……>という、例の音声が流れてきて、ギルバートは不審げに眉をしかめる。
もちろん、ギルバートも彼女が仕事を再開したということは知っていたし、仮に仕事中ではなくても、携帯を切っている、あるいは病院にいるなど、いくらでも携帯の電源を入れていない理由は考えられる。だがこの時、ギルバートはやはり心配になって、キャサリンの実家のほうに電話をかけることにしていた。
『あら、久しぶりね、ギルバート。キャサリンなら今、キャリーのことを連れて小児科の病院のほうに行ってるのよ。キャリーちゃん、ちょっと喉頭炎になっちゃってね。もう大分治っては来てるんだけど、最後に一応念のためにって病院に連れていったの。ところで、あなたのほうは元気?』
「ええまあ、それなりに壮健です……というのも、何か変な言い方ですね。俺も仕事が忙しくて、なかなかキャリーの顔を見にいったり出来なくて、本当に申し訳ありません」
もちろん、もしこの会話をキャシーが聞いていたとしたら、(あらまあ。愛人に会う時間はあるのに、娘には会いに来ないなんてねえ)とでも嫌味を言っていたに違いない。
『いいのよ。気にしないで。事情のほうはわたしにもよくわかってるから。ほら、キャシーはああいう性格の子でしょ?一体誰に似たんだか、三人兄弟の中で一番気が強くて我が儘ですもの。あの子の口からはっきりそう聞いたってわけじゃないけど……あの子、あなたのこと、本当は心の中じゃ今も愛してるのよ。でもプライドが邪魔してあなたの前じゃ冷たいような態度しか取れないのね。うちみたいにしょっちゅう色んな親族やら近所の人やらがやってくる家、あなたが敷居が高いって感じる気持ちもわかるわ、ギルバート。もちろん、あなたがなかなか会いに来なくても、娘のキャリーを心から愛してるってこともね』
「ありがとうございます、お義母さん。それで……」
ここでギルバートは、ケビン・キングリッチ――というより、最近キャシーがつきあいはじめたであろう相手のことを聞こうとしてやめた。何故といって、キャサリンの性格上、仕事へ行くといったその帰りにデートで遅くなったりと、もしかしたら母親に本当のことは言っていない可能性があったからだ。
「その、俺も少し心配なんで、キャシーがキャリーのことを連れていった小児科の病院のこと、教えてもらえませんか?今、俺も少しくらいなら自由になる時間があるので」
『まあ、そうなのギルバート』と、何故か甘えたような舌っ足らずな調子でヴァネッサは言った。彼女は相手が誰であれ、イケメンに弱いタイプなのだ。『ちょっと待ってちょうだいね。ええと、確かこのあたりにかかりつけ病院のリストが……』
――このあと、ギルバートは<ハリー・ホワイト小児医院>という場所と電話番号のほうをデボラに教えてもらった。そしてさらに『それで、最近お仕事のほうはどうなの?』などと聞かれたものの、適当にかわしてようやくのことで電話を切った。
「やれやれ。これだから俺はキャシーの実家には行きたくないんだ」
我知らずそう呟いてから、ギルバートはスーツの上着を手にすると、同僚たちに一言断りを入れ、ユトレイシアでドクターストリートと呼ばれている、腕のいい医者が病院を構えている一角へと車で出かけていった。もちろん、行き違いになる可能性もあったが、とにかくギルバートとしてはキャシーとキャリーの顔を見て安心したかったのである。
(それにしても喉頭炎か。あのくらいの小さな子のかかる病気ってなると……)
ギルバートは自分が小さい頃にかかった病気の数々――風疹やはしか、風邪にインフルエンザなど、色々想像していくうちに溜息が出てきた。これからも彼女が助けを必要とする時、自分はそばにいてやれないと思っただけで胸が苦しくなってくる。
(まあ、そりゃあな。俺は仕事で忙しくて、結局看病するのは大方がキャサリンだ。それでも、仕事が休みの時なんかにはそばにいてやったり、あるいは病気が治ったら遊園地に連れていってあげたりとか……そんなことも、俺はこれからだって出来ないわけだ)
一流の腕を持つ名医だけが医院を構えることが出来ると言われる通りに車を進めていくと、ギルバートは<ハリー・ホワイト小児医院>を探した。実をいうと他の病院にかかるのに目の前を何度か通ったことがあるため、場所のほうはわかっていた。
だが、キャサリンの乗る赤のアウディがなかったため、ギルバートはもう彼女たちは家に戻ったかデパートなどで買い物してるかのどちらかもしれないと思った。そこで、先にキャサリンの携帯に電話してみたものの、やはり出なかったため、病院のほうに一応聞いてみることにしたのである。
(まあ、車で移動中なら、当然出ないよな。病院にいる間も携帯を切っていたんだろうし……)
「すみません。今日午後から予約の入っていたガードナーなのですが、もう診察を終えて帰ったあとでしょうか。私、キャリントンの父親なのですが……」
洗練された近未来的建築の受付で、ギルバートはそう聞いた。すると、眼鏡をかけた理知的な顔立ちの若い女性は、「いえ、まだ来られていませんよ」と、首を傾げていた。
「午後二時に予約が入っていたんですが……まだ来院はされておられませんね。何か、お待ち合わせでもしておられたのですか?」
「い、いえ。今もう三時ですから、診察は無理と思ってキャサリンも来ないでしょう。でも、もし来たら別れた元夫が来ていたと、一応話しておいてもらえますが?」
「かしこまりました」
(変だな。だが、キャリーの喉頭炎のほうはほとんど治ってるって話だったから、どこか別のところにでも出かけることにしたんだろうか)
だが、ギルバートは直感的に(そんなはずはない)と思っていた。というのも、キャリーはまだ二歳で、喉頭炎のほうも治ったばかりだからだ。
ギルバートは心配になり、もう一度キャサリンの携帯に電話した。だが、<おかけになった電話番号は……>という、例のアナウンス。そこで、キャサリンの実家にもう一度電話してみようとギルバートが思った時のことだった。
<非通知設定>という表示が出て、ギルバートは一瞬戸惑ったが、やはり出ることにした。ちなみに、仕事用の携帯ではなく、プライヴェートなほうの個人の携帯である。
「もしもし?」
『ギルバート・コナーだな?』
中年男性の低い声がして、ギルバートの名前を呼んだ。聞き覚えのある声だった。
『君の別れた元妻と娘のことを預かった。何、心配しなくても君がこちらの言うことを聞いてくれるなら……無事、キャサリン・ガードナーと娘のキャリントンのことは無傷で返してあげよう。どうかね?』
「何が目的だ?」
相手が先ほどその声を聞いたばかりの<ジェネラル>であることは明白だった。キャシーと娘のキャリーはもちろん心配だったが、それと同時にギルバートは<ジェネラル>から直接電話のかかってきたことに驚いていた。向こうが「そのくらいの相手」というようにこちらを認識しているのだ、ということに対して。
『我々の側に寝返らないか……と言いたいところだがな、そのくらいでは生ぬるすぎる。ギルバート・コナー、おまえの元妻と娘の命は大統領の首と引き換えだ。その方法や具体的なプランのほうは、ケビン・キングリッチに伝えろ。期限は十日以内だ。もちろん、大統領の首を取るにはいくらおまえでももう少しかかるだろうから――具体的な計画のほうをまずはこちらへ知らせるんだ。話はそれからだ』
「おいっ、キャシーとキャリーは……」
ここで無情にも、<ジェネラル>からの電話はプツリと切れた。『警察やUSISのお仲間には何も知らせるな。知らせた時には……』といったようには言われなかったものの、ギルバートは目の前が真っ暗になるあまり、思考のほうがまるでまとまらなかった。
だが、ほとんど自動的に車のほうへ戻り、気づいた時にはやはり、秘密情報庁の自分の職場のほうへ戻っていた。また、自分の仲間以外の誰にこんなことを相談したらいいかもわからない。
(そうだ。ケビン・キングリッチとキャシーがつきあっているとわかった時から……俺はもっと用心しておくべきだったんだ。だが、<ジェネラル>とやらが本気になったとしたら、キャシーとキャリーを国外にでも退避させるくらいのことをしない限り、結局はこうなっていたとも言えるか?)
――このあと、トミーとディランとルークに、ギルバートはたった今我が身の上に起きたことを伝えた。ギルバートが椅子の上に屑折れるように座り、頭を抱えこんでいると……三人は彼らのボス抜きで<大統領の首をとる>ということについて、互いに意見をだしはじめる。彼らは諜報員としていついかなる時も冷静さを失わぬよう、特殊な訓練を受けているのだ。
「そうだな。まずは大統領のスケジュールのほうをチェックしてみよう。ほら、たとえば体調不良っていうことにして入院してもらうとか、そういうことが可能かどうかってこと。それで、テイラー・オズモンド大統領が死んだっていう誤報をマスコミに流すんだ。ギルバートの前の奥さんと娘のためだってわかったら、ユト国民だってきっとわかってくれるさ」
「そううまくいくかな」と、疑わしげにトミー。「大統領のスケジュールがどんなものかはおまえも知ってるだろう?もうずっと先まで真っ黒クロ。15分とおかずスケジュールなんかびっちりだぜ」
「いや、もしかしたら……」
まるで微かな光を見出したように、ルークの目が一瞬見開いた。
「確かもう少しで、大統領は休暇に入るはずですよ。大体一週間くらいだったと思いますが、その時に大統領には一時的に死んだことになってもらうとか……」
「ルークまで、一体何言ってんだよ。そんなこと、出来るわけ……」
と、珍しく常識人らしくそう言いかけて、トミーは最後に「あーっ!!」と叫んだ。
「出来る出来る出来るっ!!でっきーるっ」
さらにそう叫んで、椅子から立ち上がるなり、パソコンと向き合う。その手が急いでテイラー・オズモンド大統領のスケジュールを調べ上げた。
「そうだ。確かに大統領は十二月のクリスマスの一週間前に休暇に入るよ。その前後はそれこそスケジュールびっちりだが、リグビー長官に相談すれば、きっとあの大統領なら協力してくれるんじゃないか?」
テイラー・オズモンド大統領は、イラクから兵士を撤退させるのと同時、前政権の汚職スキャンダルといったことを幕引きとするように代わってユトランド共和国大統領になった。前大統領は右派だったが、オズモンド大統領は中道の穏健派として知られる人物だった。
「みんな……ありがとう」
トミーとディランとルークが、迅速にここまでの提案をしてくれたことで――ギルバートもどうにかその微かな希望の光に縋ることが出来たのだ。
「もし、<ジェネラル>のほうで大統領が死んだという証拠を求めてきたら、オズモンド大統領と瓜二つの死体を造りだすことなど、我々には朝飯前ですよ。ただ、<ジェネラル>は我々諜報の世界のことにも相当精通しているようですから……そのようなものを提示したところで信じるかどうか」
ルークがさらに自身の考えに深く沈みこんでいるのを見て、ギルバートも自分の頭のほうをしっかり働かせなくてはと、髪のほうをかきあげた。
「そうか。そういう手もあるか……だが、仮にもし大統領のほうで協力してくれたとして――あのオズモンド大統領は独身だからな。それで、確か鉄道マニアで、今年は海岸線沿いに旅をするとかってニュースで……」
(今一体、キャシーとキャリーは一体どんな場所でどんな扱いを受けているのだろう)、そう思うとギルバートは気が気でなかったが、一度そんな思いを振り捨てて、冷静に作戦のほうを組み立てるべく、思考のほうを集中させる。
すると、ギルバートがハッとするのと同時、ルークのほうでも同じことを考えついたようだった。
「そうだ。その休暇中に大統領を暗殺すると、ジェネラルにはそう約束すればいいんだ。それで、大統領の偽の死体のほうは、列車のどこかの地点で投げだせば……いや、向こうには大統領のDNAを確認するくらいの用意があるだろうから……」
ギルバートが独り言のようにブツブツ呟いていると、ルークが言った。
「わたしの考えすぎでなければ……もしかしたら、ジェネラルにとっては、本部長のことは元々あった自分のプランのついでにすぎないのではありませんか?そうでなければ、大統領暗殺などというとても大それたことは出来ません。ということは、オズモンド大統領暗殺というのは、ジェネラルにとってすでにもう計画済みのことなんですよ。ですが、保険として自分の復讐がてら本部長のこともこの件に巻きこもうとしたのではないでしょうか?」
「つまり、どういうことだ?」
やはり、妻子が人質に取られたことで、ギルバートは頭の思考力のほうが相当鈍っていたものと思われる。
「ですから、これはわたしの勘ですが――オズモンド大統領はクリスマスの前に一週間ほど休暇に入るわけでしょう。しかも、歴代大統領の中で、オズモンド大統領は初めての独身大統領ですよ。つまり、家族とリゾート地で過ごすというのではなく、自由気ままに大好きな電車に乗って旅行しようというのでしょうな。ですが、私がもしテロの専門家なら、大統領にはお願いですから電車だけはやめてくださいと、泣いて頼むところです」
「そりゃそうだよね」と、ディラン。「だって、大統領がバスや電車で長距離移動だなんて、シークレットサービスの人たちが可哀想だよ。密室だし、もし本気で暗殺しようと思ったら……」
とここで、いつもは冷静沈着なディランが「ああーっ!!」と大声で叫びだす。まるで先ほど叫んでいだトミーと双子でもあるように。
「や、ヤバイよ、それ。絶対!だって、大統領のいる車輌にあのドローンとか、そういうのをぶっ込めばいいわけだろ?その大統領の電車旅行の計画って、マジで本決まりなのか?」
パソコンに文字を素早くスパパパパッと打ちこみつつ、トミーがくるりと振り向いて言った。
「ディラン、マジでそれ、本決まりみたい。なんか大統領が自分でインタビューに答えてる記事まで見つけちまったよ。なんか小さい頃から電車でユトランドを周遊するのが夢だったんだって。で、そういう豪華客車で行くユトランド周遊旅行みたいのが昔からあって――俺も自分で乗ったことはないけど、知ってるよ。父ちゃんが定年した時に、やっぱり父ちゃんが電車好きだったから母ちゃんと一緒に行けって言って切符をプレゼントしたことあるもん」
「素晴らしい親孝行ですな」と、感心したようにルーク。「ですが、よくそんな呑気な列車の旅を周囲が許可したものですよ……わたしが大統領の側近であれば、アメリカ・イギリス同時爆破事件のことを引き合いにだして、絶対に反対するところですな」
「そうだな」
ギルバートは疲れきったようにふらりと立ち上がると、自分のオフィスへ戻ろうとした。
「ちょっと今、そのあたりのことをリグビー長官に確認してみるよ。それに、キャサリンや娘のキャリーが<ジェネラル>に誘拐されたっていうことも相談しなきゃならないから」
「ギルバート、大丈夫か?」
そうトミーがパソコンから顔を上げて、ギルバートに聞く。
「ああ、大丈夫さ。何より、俺が仮に死ぬほど心配したところでふたりが今すぐ帰ってくるわけでもない。それより、ふたりが助かるために、自分に出来ることはなんでもしないと……」
「…………………」
ディランとルークとは、ただ自分の上司の広い背中を見送ることしか出来なかったが、ギルバートの前妻であるキャサリンと娘のキャリーとは必ず戻ってくると信じていた。もちろん、ユトランド国内だけでも、年に起きる誘拐事件というのは数百件もある。そしてその多くが悲惨な結末で終わっているということも二人は知っていたが――何故かはわからない。だがそれでも、もし<ジェネラル>に大統領が本当に死んだと信じさせることさえ出来れば、彼は罪のない女性とたったの二歳の子供を解放してくれるのではないかと信じていたのである。
すでに夕暮れとなり、薄暗くなってきた室内に明かりをつけると、ギルバートはブラインドを下ろした。そして、重い溜息とともに長官室のほうへ電話をかける。
「リグビー長官は在室しておられるかね?」
「あ、はい。ただいま長官室のほうへお繋ぎ致します」
声だけで彼が間違いなくギルバート・コナーであるとわかったためだろう。長官室付きの秘書は、すぐに電話のほうを繋いでくれた。
「コナー君、どうしたのかね?」
「それが……リグビー長官。話すと長くなりそうですので、もしよろしければこれから誰にも会話を聞かれる可能性のない部屋で、お話できないでしょうか?」
「それは差し迫った緊急性のあることなのかね?」
「そうです」
ギルバートはきっぱりとした、だが重々しい口調で言った。
「では、これから長官室へ来たまえ」
実をいうとリグビーはこれから、大統領執務室に直通の電話をかけようとしているところであった。だが、それを取りやめて、秘書にコーヒーを二杯頼むということにする。
五分ほどしてギルバートが長官室に姿を現すと、リグビーは相好を崩してソファに座るよう彼に勧めた。
「まあ、コーヒーでも飲みたまえ。それと、コナー君はドーナツなんて好きだったかね?」
「ええ……好きには好きですが………」
これが平時であれば、ギルバートもおそらく腹がすいていたこともあって、ドーナツに手を伸ばしていたろう。だが、この時は気持ちを落ち着かせるのにコーヒーを二口ほど飲むに留めておいた。
「わたしはこのドーナツというやつにまったく目がなくてねえ」
ムシャムシャとココナッツドーナツを食べながら、リグビーは言った。
「それで、話というのはなんだね?」
「それが……実は、別れた妻とまだ二歳の娘が誘拐されてしまったんです。それも、<ジェネラル>に」
ここでリグビーは、ドーナツをもぐもぐ食べる手をぴたりと止めた。
「な、なんだって!?」
ぐふっとドーナツが喉に詰まりそうになり、リグビーは慌ててコーヒーで飲みくだそうとした。だが、今度はコーヒーが熱くて、ブフッと吹きだしてしまう。
「大丈夫ですか、長官。それで、俺の仕事用ではなくて、個人の携帯のほうに<ジェネラル>から電話がかかってきたんです。キャサリンと娘のキャリーのことを預かったから、もし二人を返して欲しければ、大統領の首を取れと。そして、その具体的な計画のほうを十日以内に立て、ケビン・キングリッチに知らせろということでした」
「……な、なんということだ。そうだ、まずはユトレイシア警視庁に連絡して……」
諜報員としてのキャリアが長いだけでなく、手練手管を弄してUSIS長官の椅子に座ったにも関わらず、やはりリグビー長官も人の子の親だったということなのだろう。彼は父親としてギルバートの気持ちがわかるあまり、いかにも「普通の一般人」がとるような態度を露わにしていた。
「俺のことなら大丈夫ですから、長官も落ち着いてください。それで、ですね……<ジェネラル>は俺に『警察やUSISにこのことを知らせるな』とは言いませんでしたが、俺はトミーやディランやルーク以外の誰に相談したらよいかもわからず、彼らにこのことをありのまま話したんです。そしたら、ディランたちは何も考えられなくなっている俺のかわりに色々案を出してくれて……」
「案?それは一体どんなアイディアなのかね?」
リグビーはドーナツなど食べている場合ではないというように、食べかけのそれを急いでパラフィン紙にくるんでいる。
「もし仮に俺の妻子の命がかかっていたとしても、それと引き換えに大統領を暗殺するなど、とんでもないことです。ただ、オズモンド大統領が死んだというように<ジェネラル>に思い込ませることが出来ればと……」
「それは、具体的にどうやるのかね?」
再び、USIS長官としての冷静さと威厳を取り戻しつつ、リグビーはそう聞いた。
「このことでもし、オズモンド大統領の御協力がいただけたとすれば……たとえば、体調が優れないということで、一週間ほど人間ドックにでも入っていただいて、大統領が亡くなったという誤報を流すという案と、それとふたつ目。実はこちらのほうが重要なのですが、ルーク曰く、<ジェネラル>はおそらく、すでにオズモンド大統領を暗殺する計画を自分で立てているんです。ほら、主要軍需企業がカルテルを組んでいると、我々のほうでスッパ抜いたでしょう。ですから、その復讐がてらこんな無理難題を俺に押しつけてきたんだと思います。つまり、俺がどんなプランで大統領を暗殺するかというのは、<ジェネラル>にとっては一種の余興に過ぎない。そしてこう考えてきた場合――大統領のこれからのスケジュールはどうなっているかというのを、トミーがすぐに調べてくれました。そして、クリスマス前に大統領が休暇を取っているということがわかった。しかも、オズモンド大統領は独り身という身軽さからか、他の歴代大統領とは違い、リゾート地へ出かけるというのではなく、ユトランド共和国を電車で周遊して歩く予定だと言います。リグビー長官、長官からもオズモンド大統領におっしゃっていただけませんか?休暇を取るのであれば、どこか別のもっと警護しやすい場所にしたほうがいいということを……アメリカ・イギリス同時爆破事件を起こした犯人は、犯行声明文でこれからさらにもっと凄い事件を起こすと読める文脈のことを語っています。<ジェネラル>がオズモンド大統領を消したいのが何故なのか、その理由のほうはまだわかりません。ですが、このまま豪華客車で大統領が休暇をお取りになられた場合、正直、お命のほうは保証しかねるかと……」
電車やバスというのは、密室であり、テロの標的になりやすい。また、アメリカ・イギリス同時爆破事件のようにドローン、あるいはドローンでなくても、大統領の乗る電車にミサイルのようなものを打ち込む、攻撃ヘリコプターで攻撃されるといったようなことがあった場合、防ぐのが非常に難しいということになる。
「だが、コナー君。君はそれでいいのかね?<ジェネラル>に対して、その豪華客車の旅に大統領が出ている間にその車輌に乗り込んで仕留めるといったように説明したほうが……向こうも信じるような気がするのだが。そして、実際にはその豪華客車には大統領によく似せた偽の替え玉を乗せるのだよ。そして駅ごとに最高度の警備体制を敷き、どこから向こうが攻めてきても、万全の体制とする……これでどうかね?」
「ですが……いえ、俺もまだ頭の中が混乱していまして、この件に関してはまだ作戦について練りようがあると思っています。<ジェネラル>は俺に、十日という猶予を与えてくれました。この時間を有効に活用するのと同時に――どうか、長官はまずオズモンド大統領に打診してみてください。もちろん、俺としてはキャシーと娘のキャリーのことが何より大切ではありますが、そのために大統領の命を危険にさらすことはできません。また、大統領の御返答次第によって、こちらでも計画のほうをより綿密に練り直さなくてはなりませんから、その点、何卒よろしくお願い致します」
ギルバートは深々と頭を下げると、リグビー長官から慰められるように肩を叩かれて、長官室を辞去していた。それから再びブリーフィングルームのほうへ戻り、トミーとディランとルークには、今リグビー長官が大統領に今回の事態について説明してくれているはずだと言った。
「そっか。じゃあ、長官の説得待ちってことか」と、ディラン。
「そういうことになるな。リグビー長官と大統領の話が長引くかもわからないから、みんなはもう帰っていい。<ジェネラル>が俺に与えてくれた猶予はあと十日ある……そして大統領が出した結論に応じて、俺たちは明日以降また計画を練り直せばいい」
「そういうわけにもいかないさ」と、トミー。「よく考えろよ、ギルバート。おまえが俺の立場でも、帰れと言われたって絶対帰らなかったはずだぞ。それに、こんな時に急いで家に帰ったからって、大統領がなんて言ったかが気になって眠れやしねえ。そのくらいだったらまだここに残ってリグビー長官からおまえに電話がかかって来るのを待ったほうがいいさ」
「わたしもトミーに同意ですよ。何分、お二人ともお忙しい身ですから、話しあいのほうはそう長引いたりはしないでしょう。わたしたちのほうでもあれから少し色々案を出してみたのですが、<ジェネラル>は何故、ケビン・キングリッチに大統領暗殺計画についてのプランを渡すように指定したのでしょうな。もちろん、こちらでまとめたファイルをキングリッチに渡した場合――メールに添付して送信するなどすれば、キングリッチと<ジェネラル>が直接会う必要はありません。あるいは<ジェネラル>の使わした使者とキングリッチが会うといった危険も彼は犯さないでしょう。ですが、<ジェネラル>はおそらく、キングリッチのことを自分の手駒として見捨てつつあるのではないでしょうか。そもそも、国家安全保障局からのあの返答……<秘密結社リヴァイアサン>の手の者は間違いなくNSAにもいることでしょう。もちろん、エシュロンは膨大な量のデータを蓄積していますから、そのすべてをリヴァイアサンの手の者が把握することは難しい。ですが、何か私としては腑に落ちないのです。むしろ、<ジェネラル>のほうで自分についての情報を少しばかり漏洩し、さらには今回の大統領暗殺計画を本部長に立てさせようとしている……いや、もしかしたら流石にこれは、わたしの考えすぎかもしれませんが」
「いや、それは可能性として大いにありうる話かもしれん」
妻子を誘拐されたショックはまだ抜け切らなかったが、それでも少しずつギルバートも頭のほうを明瞭に働かせることが出来るようになってきた。パソコンの前に座ると、<ジェネラル>に提出するための大統領暗殺計画について、計画を練りはじめる。
だが無論、リグビー長官とオズモンド大統領の会話が終わらないことには、その計画について詳細なところまで詰めるということは出来ない。それでも大体の青写真というのだろうか、そんなプランの外郭をギルバートは頭に描きはじめる。
(リグビー長官は、もし大統領がこのまま強行に豪華客車の旅をすると言い張ったら……いや、そうじゃないな。どんな理由があろうと、大統領はそのプランをキャンセルして、どこか南のあたたかい国のリゾート地ででも過ごすべきなんだ。ただ、もし何がどうでも豪華客車の旅に大統領が拘ったとしたら……そちらへは偽のオズモンド大統領に列車のほうには乗り込んでもらって――いや、やはり難しいな。何分ジェネラルの奴は、ユトレイシア警視庁にもUSIS内にも潜入者を持っている。ということは……大統領の側近の中にも<秘密結社リヴァイアサン>のメンバーがいるかもしれない。いや、それかジェネラルの配下がいるものと想定した場合、俺が偽の大統領暗殺計画を提出したら見抜く可能性がある。そしてその時点でキャシーとキャリーの命は……)
そう思い、ギルバートがパソコンを床に叩きつけたい衝動に駆られた時のことだった。携帯が鳴り、相手がリグビー長官とわかると、ギルバートはすぐに電話へ出た。
『コナー君。大統領の了解のほうはすでに取りつけたよ。自分が死ぬプランについてはすべて君に計画のほうを任せるそうだ。だが、どうしても豪華客車の旅のほうは譲れないとおっしゃってね……それと、自分の替え玉をかわりにその列車へ乗せるなどとんでもないということだった。結局、向こうが本気になれば、ドローンじゃなくても無人機による攻撃で大統領機を墜落させることだって出来るはずだとね。だがそのかわり、コナー君、君に自分の命のことは必ず守ってもらいたいと、そういうことだった』
「大統領が……」
実をいうと、オズモンド大統領は大統領としてはかなりの変わり種である。ユトレイシア教育大学を卒業後、長く教員生活を続けたのち、教え子の自殺を機に政治家へと転身した。つまり、政治のほうからテコ入れをして学校というものを変えていかなければならないとの信念からの転身だった。そして下院議員として当選した四年後に上院議員にも当選。その後、文化庁長官を務めたのち、二年前に大統領へ立候補して見事ユトレイシア大統領府の大統領執務室の椅子へ座ることになったのである。
「確かに、オズモンド大統領がそうした考え方をする方だということは私も承知してはいるつもりですが、事は大統領のお命の懸かっていることですから……やはりもう少し、リグビー長官から根回ししていただいて、他の大統領のスタッフからも説得してもらうということにしたほうがいいと思います」
『いや、あれはもう駄目だね。周囲の人間がなんと言おうと聞く耳は持たないだろう。何も事は君の前の奥さんや子供がどうこうという問題じゃない。ユトランド共和国の一億二千万の国民のうち、誰が誘拐されようとも自分は自分の替え玉など用意しないとおっしゃっていた。何より、この豪華客車の旅のために、各地方では大統領がやって来るということで準備しながら待っている。それに、この大統領の休暇のために、シークレットサービスといったすべてのセキュリティ面含め、旅の費用の総額が一億くらいかかると言われている……つまり、今からキャンセルするということにしたら、各方面に大迷惑がかかると、こうおっしゃるのだよ』
「そうですか。では、わたしは個人的に大統領のことを存知あげているわけではありませんが、テレビ等を通しての発言などから見て、それはもう変更不能ということでこれから私のほうで計画を立案してみたいと思います」
『ああ。よろしく頼むよ、コナー君。それと、UNOSのほうにも君の前の奥さんと娘さんを救出するためのチームを組んでもらおうと思っているんだが……』
ここで、ギルバートは迷った。確かに、<ジェネラル>から『警察には知らせるな。知らせた場合は妻子の命はないと思え』と言われたわけではない。だが、ジム・クロウを追っていた時でさえ、情報の漏洩があったことを思うと、ギルバートはどうしたらいいかわからなかった。
『君が今何を考えているのかはよくわかっている。だが、それでもだ。君の奥さんと娘さんが誘拐される前までの足どり……彼女たちが一体どこで姿を消したのか、そうしたことを調べるのは重要だよ。君の話を聞いていて思うに、ふたりは昼日中に姿を消したのだろう?UNOSには誘拐捜査に特化した部署があるからね。やはり二人がどこに監禁されているのかとの調査は必要だよ。そして、もし二人が見つかったとすれば――君が大統領を暗殺すべく努力する必要もなくなる』
「そうですね。長官のおっしゃるとおりだと思います。私はやはり、自分の身内ということもあって今、ある部分において冷静な判断を下すということが出来ません。長官にとってもっとも望ましいように策を取っていただければと存じます」
『わかった。UNOS長官のほうには私のほうから連絡しておくよ』
「よろしくお願いします」
だが電話を切ったあとで、ギルバートは苦笑した。<秘密結社リヴァイアサン>という組織の規模の大きさのことを想定すると――このUNOS長官にしてからが、裏切り者である可能性もあると、そのことに思い至ったそのせいだった。
(だが、誰も彼をも疑っていても仕方がない。それより俺は、<ジェネラル>が納得するような大統領暗殺のための計画を一刻も速く練らないと……)
「リグビー長官、なんだって!?」
ギルバートが携帯を切るなり、トミーが息せき切ってそう訊ねる。
「ああ。オズモンド大統領は、休暇の予定を一切変える気はないそうだ。それに、自分の替え玉を使うつもりも一切ないということだった。というのも、すでに大統領がやって来るのを各地方の国民が楽しみにしているし、この大統領の休暇のためにシークレットサービスといったセキュリティ面含め、全費用として一億はかかると試算が出ている。今から休暇先を変えてこうした費用が膨らむよりも、大統領は今回のプランでこのまま行きたいらしい。そして、もし一億二千万ものユトランド国民のうち、誰が誘拐されようとも……替え玉など使う気はないということだった」
「さっすが大統領!!」と、トミーがパチンと指を鳴らす。
「そうですか。オズモンド大統領ならそうおっしゃると思っていましたが、やはり……」
ルークが感に入ったようにそう言った。
「だけど、肝心なのはやっぱり、<ジェネラル>に提出する大統領暗殺計画のことだよね」と、ディラン。「豪華客車の旅のほうはずらせないから、そこは確定として……大統領が休暇を取っている間中に必ず暗殺する。そのための説得力のある計画っていうと……」
「そうだな。まず俺は、その列車に必ず乗り込むということにしようと思う。それで、USIS職員という自分の立場を利用して、この豪華客車に実は爆発物が仕掛けられているということがわかったと言うっていうのはどうだ?そこで、大統領に接近したところで直接俺が大統領に手を下すというのは?」
「いまいち三流の計画だね」と、きっぱりディラン。「それに、大統領にはプロの護衛がついてるんだよ?そう考えた場合、そう確実にうまくいくとは<ジェネラル>のほうでも思わないだろう。それに、そんなことをしてギルバートが捕まった場合、裏の組織の人間に脅されていて……なんて取調べの場でしゃべって<ジェネラル>の名前を出されたりしたら、それこそ彼の手落ちじゃないか」
ディランの言うとおりだと思い、ギルバートは大統領の休暇中の旅順を調べることにした。<ユトレイシア・トラベルガイド>というワードを打ち込み、「豪華客車、ユトランド周遊の旅」というページを表示する。
出発(第一日目9時):首都ユトレイシア-レンティッカ駅-トルカート市、第二日目、トルカート駅-ディアナ平原-ルキルナス市、第三日目、ルキルナス駅-エンディーガ瀑布-メレギア市、第四日目、メレギア駅-ナヴァール陸軍士官学校-ランディーガ海岸線~この日の夜は列車内にて就寝~第五日目、テリス軍港-空母レティシア号視察-テリス海軍都市にて宿泊、第六日目、テリス駅-エレスティア山岳地帯-エルヴァール海峡~列車内にて就寝~第七日目、首都ユトレイシア駅到着。
(ええと、確かニュースで、どっかの幼稚園の子供たちが大統領の訪問を楽しみにしているとかなんとか……だから、何もオズモンド大統領が列車に乗っている間に暗殺するということに限定しなくてもいいわけだ。その場合、候補地としてはどこがある?まあ、どこを選ぶにしてもシークレットサービスの虚をつけるくらいの計画を捻りださなきゃならない……)
じゃないと、キャシーとキャリーは……と、ギルバートがそう考えて、ゾッと鳥肌を立てた時のことだった。
「むしろいっそのこと、妻子の命が懸かっている以上、自分は君たち悪の組織の側に寝返りたいと本部長が申し入れるというのはどうですかな?」
ここで、トミーがまたパチンと指を鳴らす。
「冴えてるよ、ルーク!!それで行こう。それでまずは相手の出方を待つんだ。こちらでは、<秘密結社リヴァイアサン>のことまで掴んでいると仄めかし、自分が大統領に手を下さずとも、そちらにはそちらの計画があるのだろうと書面で訊ねるか……ええと、それともケビン・キングリッチに間に入ってもらってそう伝えてもらうってことになるのかな」
「そうだな。ルークの言うとおりだ」
やはり今の自分はまったく頭のほうが冴えていないと、あらためてギルバートはそう思った。
「その答えいかんによって、<ジェネラル>が本当に大統領暗殺などという大それたことを計画しているのかどうかがはっきりする。それにしても、<ジェネラル>は何故オズモンド大統領を殺そうなどと思っているのだろうな。クリス・メイソンの話していたことから鑑みると、彼は戦争といったものを憎んでいるのかと思っていた。その点、オズモンドは大統領になってからはそうした意見を公の場で話すことを慎んでいるとはいえ……元々は、ユトランド共和国に軍隊は必要ないという考え方の人だったはずだ。何故なら、アメリカとイギリスに挟まれているのだから、ユトランドは軍隊を放棄して、平和国家としての範を諸外国に対し示すべきだと……」
「だからではないですか?」と、ルーク。「オズモンド大統領は、ミスター・クリーンとも呼ばれているくらい、汚職やスキャンダルとは無縁の大統領です。ゆえに、弱味を握って悪の側へと引きこめない――そんな大統領は<秘密結社リヴァイアサン>にとっては目障りなだけなのではないでしょうか。また、一度は殺そうとしたジョン・キーナムが今も生きているのも、<秘密結社リヴァイアサン>のアメリカ支部のジェネラルか誰かわかりませんが、まだ生かしておけという命令がやって来たのでしょう。そして、こう考えていくと少しわかることがあります。我々の追っている<ジェネラル>という人物は、自分の裁量で好きに出来る部分と、彼もまた組織の一構成員として上からの命令には逆らえない部分とがあるのではないでしょうか。仮に<ジェネラル>のほうでオズモンド大統領殺害には個人的にまったく感興を引かれなくても……自分の上官から命令が来た場合には、従わなくてはいけないということです」
「なるほど」と、顎に手をやりながらディラン(これは彼が考えごとをする時の癖だった)。「最初は<悪のエリート>なんていう組織、本当に実在しているのかどうかというところから僕たちは始めて――今では<ジェネラル>という本当にいるのかどうかわからない人物にまでかなりのところ迫ることが出来た。そしてもし<ジェネラル>がオズモンド大統領暗殺に動くとしたら、これは大きなチャンスになる。そこまでのことをするからには、必ず何か証拠を残すはずだよ。それじゃなくても、ケビン・キングリッチとジェイミー・カンバーバッチの会話の音声のことがある。そうだ!ギルバート、<ジェネラル>からキングリッチにあったあのキャサリン・ガードナーに近づけっていう会話の記録、あれを警視庁に提出したほうがいいんじゃないかな」
「そうだな。リグビー長官がUNOSの特殊事件捜査課にキャシーとキャリーの捜査を依頼してくれると言っていた。また、俺自身も取り調べるを受けることになるだろうから……その時にでも渡すことにしよう」
そしてここでギルバートはハッとした。今もキャシーの母親は娘と孫が帰ってくるのを待っているはずだ。ふたりが誘拐されたという事実を、彼自身の口から説明しておかなければならない。
「すまない、みんな。俺はちょっとこれから……キャシーの家族に誘拐のことを伝えなくてはならないから、やはり今日の仕事はこれまでということにしておかないか?たぶん俺自身もつらい思いから、そのあとはもう仕事にならないと思うんだ」
ギルバートの腕が震えているのを見、トミーもディランもルークも、そのことをすぐに了承した。そして、思いやりの気持ちからすぐに退社して自分たちの上司をひとりにするということにしたのである。
――娘と孫の誘拐の事実を聞かされても、ヴァネッサ・ガードナーはギルバートのことを詰りもしなければ責めもしなかった。ただ言葉を失くして嗚咽を洩らし、電話での会話を続けられなくなった妻にかわり、ケネディ・ガードナーが電話口に出ていた。
『すまないな、ギルバート。君もとてもつらい立場だろうに……確かに、君の仕事は国に必要であると同時に極めて特殊なものだ。君の身に起きたことは、私が家族にも同じ事件をもたらした可能性がある。だから、自分を責めないでくれ。それで、UNOSの特殊事件捜査課のほうではすでに捜査を開始してくれているのかね?』
キャシーの父、ケネディ・ガードナーは、陸軍タスクフォースレンジャーの元大佐だった。その責任ある立場の職業柄ゆえか、キャシーは「小さい頃は父が怖かった」と言っていたが、引退した今はただ孫にでれでれなだけの好々爺となっている。
「はい。リグビー長官のほうでそのように依頼してくださっています。その……このことはやはり俺のせいなんですよ。俺が今追っているターゲットが、はっきりそう知らせてきたんです。キャシーは嫌がったかもしれませんが、それでもやはりボディガードをつけるなど、俺のほうからもっと色々手を回すべきでした。申し訳ありません」
『いや、ギルバート。君のせいではない。第一、あのキャシーがボディガードなどという煩わしいものを受け入れたかどうか、怪しいものだからね。私はこれから教区の牧師に会って祈ってもらおうと思っている。ギルバート、必ずキャシーとキャリーは帰ってくるさ。気を落とすんじゃないよ』
「すみません。本当に……そう言っていただけると……」
ギルバートも泣いていたが、ケネディも声が震えていた。携帯を切ったのち、ギルバートはその場に倒れこむと、そのまま声を押し殺して泣いた。
>>続く。




