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第16章

 ケビン・キングリッチはその時、自宅のバルコニーで携帯のコール音を聞いていた。相手はつい二か月ほど前、高級スポーツクラブで知り合ったばかりの女性だった。


(こんなこと、初めてだな)


 ケビンはそう思い、携帯を一度切った。いつもは彼が電話をかけると、コール数回で必ずキャサリンは電話に出ていた。見た目、いかにもプライドの高そうな女豹といった容貌の彼女だが、一度話してみると意外に気さくで庶民的というのか、(割と普通の女だな)といった印象をキングリッチは抱いていたといえる。


 実をいうとケビンがキャサリン・ガードナーに声をかけたのは、ある人物の指示があってのことだった。<彼>――ジェネラルは、最近自分たちの周りを嗅ぎまわっている犬がいるから、一応保険をかけておきたいと言った。そのために、キャサリン・ガードナーという女性と自然に近づき、いわゆるねんごろな関係というのになって欲しいと。


 最初、ケビンはあまり気乗りがしなかったが、何より他でもない<ジェネラル>の命令である。そしてマックブックのほうで女性の容姿を確認すると、俄然乗り気になったというわけだった。彼は<ジェネラル>の指示通り、キャサリンの通うスポーツクラブへ出かけていき、彼女がジムにいる間、最初はそばでただ見守っていた。


 その後、除々に距離をつめていき、自分にはどうやら他にライバルがいるらしいと知ると、すぐ彼はキャサリンに声をかけるということにしたわけである。


「随分熱心なんですね」


「ええ?そりゃそうでしょ」


 ランニングマシンで走りこんでいたキャシーは、隣のマシンで走りはじめたケビンに対し、そう言って笑ってみせた。片耳にだけしていたイヤホンを外しながら。


「ここ、入会金、年会費含めて結構とるもの。その元をとるためにも足しげく通っておかなくちゃ」


「まあ、そりゃそうですよね」


 もちろん、ケビンはこの時点でわかっていた。自分はモデルの女性が魅力を感じるような容貌の男ではないし、彼女よりも一回り年上の四十五歳だった。しかもその上、最近中性脂肪が気になってきたからジム通いをはじめた……といったような体つきでもあるのである。


 だが、このあと食事に誘うと意外にもキャサリンはのってきた。そこで、同じ中央通りの並びにあるフレンチレストランのほうへ誘ってみた。彼女は「デートなんて久しぶり」と気さくに笑って言い、離婚してから男性の誘いにのるのも初めてだわとも言っていた。


 キャサリンは見た目、プライドの高い女王のように見えるが、恋愛においてはあまり余計な駆け引きをするタイプではなかった。それから娘にいかに手がかかるか、実家で母が面倒を見てくれているからいいけど、そうじゃなかったら今ごろどうなっていたか……などなど、話すことはすべてケビンにとって「普通の女がいかにもしそうな話ばかりだな」と感じるものばかりだった。


 だが、逆にいうとキャサリン・ガードナーはわかりやすく、気さくで話のしやすい女性だった。デザートのあと、ケビンが「また会いたい」と言うと、「いいわよ」と彼女のほうでも気安く応じていた。高級スポーツクラブの会員で、最初の食事がユトレイシア市内で三本の指に入るフレンチ・レストラン……相当無理をしているのでないとしたら、この男はそれなりに金を持っている――とキャサリンが判断したかどうかはケビンにもわからない。


 もしかしたら、自分でなくても、他にスポーツクラブで彼女のことをチラチラ見る男がいくらでもいたように、声さえかければあの男の中の誰でも良かったのかどうか……なんにせよ、こうしてケビンはターゲットに近づくことにうまく成功したというわけだった。


 あとは三回ほどデートしたあと、四回目のデートで彼女のことを自宅へ招き、ケビンはキャサリンにプロポーズした。彼が今住んでいる屋敷は城のように広大であり、室内を飾るものはすべて一点物の家具やアンティークの一級品ばかりだった。そんな美術館のような場所を見せられたのち告白されたとしたら――しかも相手はすでに大会社のCEOとわかってもいるのだ――大抵の女性が即座に「イエス」と言うか、気持ちがぐらつくかのどちらかだろう。


 だが、この時もキャサリンはかなりのところ、いかにも「普通」といった反応を見せていた。キングリッチ家の王様の宮殿のようにリッチな様子にはすっかりご満悦といった様子だったにも関わらず、お抱えのコックの作った食事のあと……「結婚してほしい」とストレートに言うと、キャシーは明らかに戸惑った様子を見せた。本当はプロポーズを受ける気満々なのに、変にもったいぶっているというわけでもない(また、ケビンはキャシーがそうした面倒な駆け引きをする女性ではないと、この時すでにわかっていた)。


 ただ、彼女は本当に普通に「まだ知り合って二か月にもならないから」と、至極当たり前の理由を口にしていた。そしてケビンはそんな彼女の態度にも満足していたのである。ここですぐに『軍事企業でもなんでもいい。彼、お金持ちだもーん!』といったように飛びつくでもなく、「少し考えさせて欲しい」と常識的なことを言った彼女を、むしろ「信頼できる」といったようにさえ感じたのだ。


 そして、今の電話は、プロポーズしてから初めてかけた電話だった。けれど、それに出ないということは……この時、ケビンは初めてキャサリン・ガードナーという女性の気持ちがわからなくなった。もちろん、今忙しくて手を離せなかったという可能性もあるし、おそらく夜までには向こうから電話をかけ直してくるだろうと思うものの、ケビンは少しばかり心に焦りを覚えてもいたのである。


 手に入らないとなると欲しくなる――というのは、金持ちによくある心理状態だが、この時ケビンは(もはや<ジェネラル>の命などなくても、彼女を自分のものにしたい)という強い欲望に駆られていたといっていい。


 話は少し変わるが、ケビン・キングリッチはブラックバイパー社を起業したアンソニー・ブラックの曾孫に当たる。ケビンの曽祖父であるアンソニー・ブラックは、<空を飛ぶ>ということへの狂熱に取り憑かれた男だった。時代はリンドバーグが大西洋単独無着陸飛行を成功させた1920年代。アンソニーはどうにか飛べる程度の飛行機を十四歳の時に開発し、その後その飛行機をさらに発展させる形で、ブラックバイパー・システムエンジニアリングを設立。その後、少しずつ飛行機の性能を高めていき、第二次世界大戦の起きる1939年にはユトランド政府より軍用爆撃機を依頼されるまでになる。


 ブラックバイパー社、初代社長であるアンソニー・ブラックは、非常に厳格なことで知られた機械工だった。社員たちにも厳しく指導に当たったが、そのことで不満を洩らす者は誰もいなかったという。みな、アンソニーの短気だが温かみのある人柄に惹かれており、また彼には一種カリスマ的な指導能力があったそのせいだと言われている。


 ところが、彼の息子のセドリック・ブラックは、そんな父とぶつかってばかりおり――社員たちは双子のように似通った親子と思っていたが、当人たちはそのことを否定した――とうとう、ある時父親と大喧嘩をした彼は、会社を出て別の飛行機会社を設立するということになる。これがのちのエドマンド社であり、セドリックは自分に多額の資金を提供してくれたエイドリアン・エドマンドの娘エリザベスと結婚し、婿入りすることで自分の会社を建て上げたというわけだった。


 アンソニーの経営するブラックバイパー社のほうはセドリックの弟が継ぎ、セドリックの創設した会社のほうは、彼とエリザベスとの間に出来た息子たちが継いだ。こうして世代交代をするうちに、彼らの息子たちは親とは別の会社を設立し(この場合は親子の不和といったことが原因ではなく)、カンバーバッチ社、べレスフォード社、ブラットナー社……と、今大手軍需企業として知られている会社は、元を辿れば同族企業なのである。


 現在、ブラックバイパー社とエドマンド社のみならず、カンバーバッチ社、べレスフォード社、ブラットナー社とも、CEOやCOOが全員、ということではないが、重役や役員のほとんどが、アンソニー・ブラックの血を引く親類縁者の誰かであるという状況になっている。また、こうしたことが背景にあることが――ユトランド共和国の大手軍需企業が強力な力で結託するということになったそもそもの要因であったといえる。


 ケビン・キングリッチは現在、これら軍需企業の総裁といっていい立場だった。というのも、<ジェネラル>が彼のことを任命した時点で、誰も文句を言える者などいなかったのである。実をいうとブラックバイパー社、エドマンド社双方とも、第二次世界大戦以後は、事業のほうを縮小せざるを得なかった。ところが、そこへ東西冷戦が起こり、ブラックバイパー社もエドマンド社もさらに事業を拡大していくという機会に恵まれた。そして、彼らが<ジェネラル>と名乗る人物と出会ったのがこの頃だ。<彼>はどのようにすればブラックバイパー社やエドマンド社が業績を伸ばしていけるかを教え、さらには邪魔になる人物については<ジェネラル>自身の派遣する「掃除人スリーパー」と呼ばれる人間が順次始末していってくれた。


 その上、これらのことがありながら、<ジェネラル>は政治家がよく求めるようないわゆる袖の下のようなものを一切要求してこなかった。ただ、選挙の際には「○△に投票して欲しい」といったように、時折向こうから指示の入ることがある。ブラックバイパー社以下、ユトランド共和国の大手軍需企業五社は、その下請け企業までも含めて、ある意味結構な票田を有していたといえる。何故なら、自分たちと比較的近しい政治家に当選してもらわないことには、彼ら軍需企業は仕事を失いかねないわけだから――その政治家の顔を見て「いけ好かない」と感じたり、あるいはその政治家のマニフェストにまるで共感できなかったとしても、失業するかもしれないとなれば……誰でも自分たち軍需企業を守ってくれる政治家のほうに投票するというものだ。


 こうした依頼の他に、今回のように<ジェネラル>のほうから「ある女性に接近してほしい」といったように頼まれるのは、実は珍しいことだった。さらには、百機以上ものドローンを改造して欲しいといったように極秘で依頼されるといったことも、ケビンは今回が初めてだった。だが、代々を通じて<ジェネラル>の指示が間違っていたということはなく、またケビンは総裁として任じられた時に<秘密結社リヴァイアサン>の一員となるための入信儀式をすでに済ませてもいた。ゆえに、彼はイギリス・アメリカ大使館同時爆破事件をニュースで見ても、眉ひとつ動かすことはなかったといえる。むしろこれで平時は批判されがちな軍需企業もその必要性が安定しようというものだし、こちらに得がありこそすれ、損になることなど何ひとつない。


 また、こちらでもし<ジェネラル>に頼みたいことがあったとすれば、それは大抵の場合即座に叶えられた。たとえば、ブラックバイパー社以下、大手軍需企業にとって邪魔な人物がいたとすれば――その多くが事故死に見せかけられて死ぬということになった。最近では、「アメリカに居場所のなくなった小バエがこちらの利権目的にうろついていて邪魔くさい」と言うと、『あいつは近いうちに死ぬから何も問題ない』と<ジェネラル>は言った。


 だが、実は<ジェネラル>はジョン・キーナム殺害に失敗したと、あとからケビンは知らされていた。だからとて、<秘密結社リヴァイアサン>及び<ジェネラル>に対するケビンの信頼は今もまったく揺らいではいない。しかしながら、<ジェネラル>が今までの<彼>ではない気がして、カンバーバッチ社でCEOをしている従兄弟のジェイミー・カンバーバッチに、ケビンは少しばかり相談していた。ジェイミーは<秘密結社リヴァイアサン>の入信儀式にひとりだけ随行を許された付き人であると同時に、唯一の相談役でもあったからである。


「なんでも、父の話では<ジェネラル>というのは代変わりするものらしいからな。もしケビンが今までの<ジェネラル>と違うように感じるなら……もしかしたら前とは別の人物なのかもしれないな。声のほうだって、中年の落ち着いた男って感じがしたけど、あれだって自分の好きな人間の声に変換できるシステムを使ってるだけかもしれないんだから」


「まあ、俺も何か心配してるっていうわけではないんだがな。ただ、もし<ジェネラル>が代がわりしたっていうんなら、前の<ジェネラル>はどちらかという消極的だったと思うんだ。連絡のほうもこちらからしなければほとんど向こうからは必要最低限以外音沙汰なしだった。ところが、今度の<ジェネラル>はどちらかといえば積極的なんだ。そして、前の<ジェネラル>は掃除人スリーパーを動かすのに失敗なぞしたことは一度もなかった。ところが、今回初めてジョン・キーナムという男を仕留め損なったわけだ……」


 ――そして、一度失敗しただけならともかく、ジョン・キーナムは今も生きており、こちらの重役会議に忌々しいあの顔を見せ続けているというわけだった。


「そう気にするなよ、ケビン。<ジェネラル>なんて所詮は、我々が忠誠を誓う<秘密結社リヴァイアサン>の汚れ仕事を請け負う機関の首領に過ぎない。もし今の<ジェネラル>がまだ新米だっていうんなら、たまにへまをやらかすこともあるだろう。まあ、そういうことさ。それに、あのアメリカのジョン・キーナムという男も、我々に言わせればただの小物に過ぎないんだからな」


「それもそうだな」


 そう言ってケビンは数日前、従兄弟ジェイミー・カンバーバッチとの会話を終えていたのだが、もし仮にキャサリン・ガードナーを自分のものに出来なかったとしても……そういえば自分には言い訳が立つなと、この時ケビンは初めて気づいた。


 もし<ジェネラル>がそのことを責めるなら、ジョン・キーナムだってまだ生きていると言えばいいのだ。とはいえ、ケビンのほうではキャサリン・ガードナーを自分のものにする自信が十分にあった――時間はかかるかもしれないが、次はまず高価なプレゼントでも贈って相手の様子を見ようと、ケビンはバルコニーから庭の景色を眺め、ひとり静かに納得して微笑んだ。




 >>続く。








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