表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
11/28

第11章

「あーあ。あの時、俺たちがエレベーターからじゃなく、非常階段から外へ出てさえいたら……エレベーターのところでメイソンと鉢合わせることもなかったのになあ」


 トミーがぼやいて、作戦室の椅子をくるくる回し、いじけた振りをする。


「ラッキーなことが続いて、つい気が緩んだんだな」と、溜息を着いてディラン。「すまなかった、ギルバート。もし仮に引っ越すにしても、彼がこんなに早く動くとは思わなかったんだ」


「まあ、仕方ないさ。時にはこういうこともある……それにしても、ジョン・キーナムか。彼に近づいたところで何も出てこないとは思うが、来週、彼が主催するブラックバイパー社のパーティがあるらしい。先ほどヘレナとジェイから報告があったところによると」


 ルークはさらに、ブラックバイパー社と米軍需産業の繋がり等について調べるため、別室でパソコン機器類に囲まれている。ユトランド共和国の大手軍需企業<カンバーバッチ社>、<ブラックバイパー社>、<べレスフォード社>、<エドマンド社>、<ブラットナー社>は、どこもアメリカの軍複合企業ミリタリー・コングロマリットと関係が深い。そして米上院議員ジョサイア・キーナムは、軍需企業ロッキード・マーティンと切っても切れないくらいの関係にあるのである。彼の息子のジョン・キーナムは、議員ではないが、親の資産で株のトレーダーとして左うちわの生活を送っているといったドラ息子だった。そんな彼が今、ユトレイシア共和国の軍需企業で重役として働いている……もちろん、ここには何かあると当然考えるべきだろう。そして、あるひとつのことが浮かび上がってきた。


「アメリカのステルス機をレーダーに映るようにさせるとはな。さらに、F-22戦闘機ラプターを越える次世代型のステルス機をロッキード・マーティンでは現在開発中……随分うまい具合に話が進んでいるものだと感心するよ」


 ギルバートがルークの報告書を読み、溜息を着く。おそらく、ジョン・キーナムは転んでもただでは起きない男……いや、ヘビのように執念深い男なのだろう。このような形で世間をアッと言わせ、さらには父親の懐にもロッキード・マーティンから多額の政治献金がいくよう仕向けるという親孝行ぶりだ。


「それで、ヘレナとジェイから招待状の画像も一緒に届いてるけど……どうする?」


 ディランがロドニーから届いたメールを開いて見せる。


「この中から、誰が行く?」と、トミー。「ヘレナから来た招待客リストによると、中にサイラス・モントゴメリーの名前がある。まあ、会社が非常に高性能のバイスタティック・レーダーの開発に成功したっていうことで――大々的にパーティを開こうっていうんだから、ユーレイ社員にも名簿から自動的に招待状を送ったというそれだけかもしれない。だがもし、彼がこのパーティに姿を現すなら……そこには何か意味があるんじゃないか?」


「じゃあ、俺が行くか」


 ギルバートが自らそう提案する。


「だって、そうだろ?ディランとトミーはメイソンに顔を見られている可能性がある。もちろん変装するっていう手もあるが、そこまでするっていうのも今回の場合はなんだろ?ルークはアメリカとユトランド、その他ロシアやヨーロッパの軍需企業のことを調べるのに忙しいし……となると、カレンのパートナーとしてパーティに潜りこめそうなのは俺しかいないってことになる」


「自分の上司をエージェントとしてこき使うってか?」


 トミーとディランは思わず一緒になって笑ってしまう。


「べつに、おまえらだって俺を上司とは思ってないだろ?というかまあ、最終決断を下すのは一応俺かもしれないが、とにかくチームワークさえよければ、どっちが上か下かなんていうのはどうでもいい話だしな。さてと、ヘレナには俺が……そうだな。偽名は何にするかな。ユアン・ハンターという名前にでもしとくか。ユアン・ハンターが君のパートナーとして行くと伝えてくれ。迎えに行く車は黒のメルセデス。都合のいい時間も彼女に聞いておいてくれ」


「あーあ。顔さえ見られてなけりゃあな……僕がパーティに行ったのに」


 ディランが溜息を着きながら、ヘレナ宛てのメールを打つ。


「え?おまえ、カレンみたいなタイプ好きだっけ?」


「そういう意味じゃないよ。もしここにクリス・メイソンがやって来るなら……彼の興味のあることを色々話したり出来ただろうなと思って。彼はおそらく理知的なタイプだから、説得すればきっとこちら側に寝返ってくれるんじゃないかな。その橋渡しが出来なくてなんか残念だなって意味」


 ちなみに現在、トミーにもディランにも恋人はいない。というのも、それぞれがアジア部門のケースオフィサー、北米部門のアナリストであった頃から生活が忙しいあまり――デートをすっぽかすということが続き、大抵の場合はそうしたすれ違いが原因で振られてしまうのだった。


「ふうん。俺はカレンみたいなタイプ、好みだけどな。おっぱいも大きいし。あ、それはそうと、ギルバートだってメイソンに顔見られてんじゃねーの?<アストレイシア墓地>のところでさ。いくらサングラスしてたとはいえ、俺たちのことがわかったってことは、ギルバートだって気づかれるかもよ?」


「まあな。だから面倒くさいが、まずは髪を黒く染めたり、多少は変装していくさ。第一、あの招待状は社員名簿から自動的に送信されてるようだったから、結局のところメイソンがやって来ないという可能性もある」


「じゃあまあ、俺たちは外で待機してるからさ、ギルバートは巨乳のヘレナちゃんとパーティでよろしくやってこいよ。ま、この秘密の浮気はアメリアには黙っておいてやるからさ」


 トミーとディランの<外で待機している>というのは、「もしも何かあった時のため」車の中で常に連絡が取れるようスタンバイしておくの意味である。


「べつに、ただの仕事だからな。アメリアには話してくれたって構わない」


「よっく言うぜ。ギルバート、セスの書いた小説をもっ回よく読み返してみ。あの文章には一部、真実が含まれてるからな。大学時代、二股かけてた女の子のひとりがリストカットしたってことがあったろ?あ、べつにこのことでおまえのことを責めたいってわけじゃなくさ、あくまで時効と思って話すんだけど……ようするにギルバートは女運が悪いんだよ。そりゃおまえだって確かに移り気で飽きっぽい性格してっかもしんねーけど、女のほうから寄ってくんだからそりゃしゃーねーだろって話だし」


 ここでディランがブッと吹きだす。


「でも僕も、まさかトミーと僕が何気なく話してることを小説に織り込まれるとは思ってなかったよ。それで、顔もいいしスポーツも出来るし、エージェントしての腕も超一級。でも唯一女運が悪いっていうの、絶対俺たちが話してたことが元ネタだよなと思って」


「おまえらなあ……」


 もちろん、ギルバート自身にもトミーとディランがセスに話していそうなことなぞ大体想像がつく。確かに、ギルバートはつきあう女性の回転率が速かったし、そのおつきあいしていた期間が被っていたというのも一度や二度ではない。


「それで、アメリアとは結婚ってこと考えてんの?」


 トミーが会議室の隅にあるコーヒーサーバーからカフェラテを持ってきながらそう聞く。


「どうだろうな。まあ、流れに任せてみて、いずれそうなれたらいいかなって……」


「流れに任せてねえ」と、ディランがあやしげに眉を上げる。「それ、たぶんきっと絶対結婚とかしないね。まあ、子供でも出来れば違うんだろうけど」


 ギルバートはこれ以上ふたりの恋愛談義に巻き込まれたくなかったため、その場から退散することにした。パーティのほうは一週間後の土曜の夜、ブラックバイパー社の所有するホテルでだった。招待客のほうは軽く二千人を越える。ゆえに、そこにギルバートが……あるいはディランとトミーの三人が紛れこんでいても、早々気づかれるものではない。


 そういった理由から、三人は少しばかり大胆になった。ギルバートはヘレナのパートナーとして、そして最初は待機予定だったトミーとディランもまた、招待状を偽造してセレスティア・ホテルへと入りこむということにしたのである。


 セレスティア・ホテルは南国をイメージした解放感のあるホテルで、その日は広い庭と、一部を除いたホテルの全室を貸切にしてあった。ブラックバイパー社製のバイスタティック・レーダーはそのくらい画期的な軍事製品だったし、それと、庭のほうにはブラックバイパー社の開発した新型戦闘機も並べてあった。UT-55型戦闘機。こちらの戦闘機は、何もかもが最新型というわけではなかったが、たとえて言えば、アメリカのF-35戦闘機とラプターの中間くらいに位置する性能の、これからユトレイシア空軍で主流となる予定の戦闘機だった(この戦闘機の予算を国から得るのに、ブラックバイパー社がいかに政治力を働かせたかというのは、言うまでもないことである)。


「あーあ。これが仕事でなければなーっ。いい男を三人引き連れてて最高にいい気分なんだけどっ!」


「カレンは仕事とは思わずに、まあ同僚たちと楽しくやれよ。あと、ギルバートもカレン……じゃないな。ヘレナと話を合わせて彼女の恋人役をソツなくこなせ。俺とディランはクリス・メイソンがこのパーティのどこかにいないかどうかを探す」


 イタリア製のスーツに身を包んだ三人の男と、胸ぐりの開いたグッチのドレスを着たヘレナ・ロバーツとは――なんとなく一緒になった風を装い、すぐに2対2に分かれ、さらにトミーとディランはそれぞれホテル内や庭を見渡せる場所などを巡回するということにした。現在の時刻は夕方の六時四十五分。パーティのはじまるのは七時であり、まずはブラックバイパー社のCEOケビン・キングリッチの挨拶、それからバイスタティック・レーダーがいかに画期的な軍事レーダーかの紹介……といったようにデモンストレーションが続く。


 一方、ホテル内にはフライトシュミレーターが並び、ゲーム感覚で戦闘機を運転する気分を味わえるアトラクションまであった。トミーはそうした一室の中もクリス・メイソンがいないかどうか探し歩いたわけだが、最終的に庭を見渡せるバルコニーの一角でディランと合流し、そこから壇上で軍事専門家らがブラックバイパー社製のバイスタティック・レーダーがいかに高性能で画期的なレーダーであるかの説明を聞いた。挨拶を終えたCEOのケビン・キングリッチは庭に設置された壇の近くにおり、シャンパングラスを片手に政治家や商取引相手と楽しく談笑している様子である。


「やれやれ。あのレーダーひとつで今度はいくら儲けようって言うんだろうな」


 トミーはUSISの科学技術部が作製した特別製の双眼鏡でケビン・キングリッチを見、そこから少し離れた位置に白いタキシードを着たジョン・キーナムの姿を見つけた。彼の隣にはFカップのヘレナ・ロバーツよりも巨乳ではないかと思われる、モデル風の美人かいる。


「ま、確かに奴さんは好きな顔立ちではないが、格好いい目鼻立ちをしているものな」


「貸せ、トミー。僕たちは今仕事中なんだぞ。クリス・メイソンのことをこの人だかりの山から探しださなきゃならん」


 双眼鏡を奪われそうになるが、トミーは強い力で自分のほうへと引き戻す。


「だーら、今ジョン・キーナムのことをめっけたんだろーが。誰が隣の美女の巨乳になんか見入るかよ」


「そうか。だったら一度こう仮定しよう。今のところ、僕たちはクリス・メイソンらしき人物の姿を発見してはいない……もしかしたら向こうも僕たち同様変装している可能性もある。もちろん、彼がこの場でジョン・キーナムのことをどうこうしようという可能性は低いに違いない。だが、一応その最悪のケースを想定した場合、この人だかりの中で奴を亡き者にするとしたら――トミーならどうする?」


「もちろん俺たちは、メイソンの部屋の金庫の中にライフルがあるのを実際に見たわけじゃないさ。だが、もしあの金庫の中にあったものがライフルその他の銃火器類だったと仮定しよう。そして、もし俺がそのスナイパー用の銃で誰か憎い相手の脳天か心臓を撃ち抜きたいと考えたとしたら……今日、ここのホテルは全室が貸切なんだろう?特に大切な賓客にはパーティが終わったあと、そのまま泊まってもらう予定だっていう話だからな。ということは、だ……」


 トミーはディランと顔を見合わせると、互いに頷き、一階のフロントのほうへ向かった。ユトレイシア警視庁の身分証をフロント係の男に見せ、今日宿泊している客、あるいは宿泊する予定の客のリストを見せてもらうことにする。


 フロント前やロビーのあたりには人通りが多いため、ディランとトミーはフロントの脇にある事務室で小声で話をすることにした。フロント係から連絡をもらったマネージャーが支配人に連絡し、その許可を得た上でトミーとディランはパソコン画面の宿泊リストに目を通していく。


 ディランが調べている間に、トミーはクリス・メイソンの顔写真をフロント係に見せ、「今日ではなくてもきのう、あるいはここ一週間くらいの間に彼の顔を見なかったか?」と聞いた。また、変装している可能性のあることも考慮してほしいと言った。だが、フロント係のほうでは全員「心当たりのない顔だ」ということだった。


 そしてそんな彼の元に「トミー、アタリだ」と、ディランが囁く。


「マジか!?」と、やはり小声でトミー。


「ああ。金庫にあったカードの内の一枚でここに宿泊してる。普通、こうした場合は足がつかないように現金で済ませると思うんだがな……ま、そちらには偽の人物の偽の情報にしか行き着かないようになってるんだろう。1028号室のセミスイート。だが、そこからじゃJKジョン・キーナムのことは狙えない。たぶん、距離的に見て、三階か四階くらいのどこかの部屋を封鎖して、そこでキーナムのことを狙うつもりなんじゃないか?」


 ディランとトミーは、フロント係の中年男に「御協力ありがとう」と慇懃に礼をして、すぐにその場をあとにした。向こうではもちろん、「その方が何か……」と事情を聞きたがったが、「今はまだなんとも申し上げられません」としか答えようがない。


「このパーティの馬鹿騒ぎが続くのは、大体遅くても十時くらいまでだろう」


 堅苦しい軍事評論家たちの打ち合わせ通りの議論が終わると、外からはプロジェクションマッピングを用いた派手な演出と同時にクラブミュージックが流れはじめている。窓からちらとプールの喧騒を眺め、トミーは時計を見た。現在、七時四十五分。


「大体……客たちの酔いがまわった頃だな。俺ならその混乱の中でジョン・キーナムの奴を殺るかもしれねえ。だが、何故<今>なんだ?このバイスタティック・レーダーの華々しい発表と奴さんを殺ることの間に、メイソンはどんな重要な理由を見出してるんだ?」


「今はまだそのことはわからない」と、ディラン。「<アストレイシア墓地>でのことを考えてみても、彼は無関係な人間を自分の個人的な暗殺に巻き込むようなタイプじゃない。だから、計画は立てたものの、彼ひとりを殺すのは難しいと判断した場合は、何もせずに引き返すという可能性もある。もしこれが、彼の単独犯ということならね」


「だが、もしバックに<ジェネラル>がいた場合は……」


 ここでふたりは、三階の通路の行きあたりに人気のない場所を見つけ、一旦ギルバートと連絡を取ることにした。ギルバートは庭のほうでヘレナの同僚の何人かに紹介されたのちは、ケビン・キングリッチの挨拶を聞き、さらには軍事評論家たちのもっともらしい議論にも注意深く耳を傾けていた。そうする間も、ジョン・キーナムから自然な距離を取りつつ、彼のことも何気なく観察していた。そして軍事評論家たちの話と平行して、中央のスクリーンにステルス機の飛ぶ様子や、また通常なら映らぬはずの彼らの姿が、バイスタティック・レーダーがどのように捉えるかといったシュミレーションが続く。さらには、ブラックバイパー社の新型戦闘機、UT-55型機の華々しい紹介とともに、一連の壇上におけるデモンストレーションは幕を閉じた。


「ヘレナの彼、超かっこいいっ。前、休み時間に話してた時は、自分の彼はいまいちパッとしないなんて言ってたのに……なんて謙遜かしらっ!」


 同じ事務局の同僚に対して、カレンとしては苦笑いするしかない。その時はまさか、自分の上司とこんな小芝居を演じることになるなどとは、夢にも思ってなかったからだ。


 ふたりの間の馴れ初めについても、最初の打ち合わせ通りにカレンはぺらぺらしゃべっていった。すなわち、アメリカのマイアミビーチで出会ったこと、その後もなんとなく連絡を取りあっているうちに、意外にも関係が長続きしたといったことなど……。


 この間、ギルバートはヘレナの同僚の女性四人に取り囲まれ、寡黙で内気という設定のユアン・ハンターのキャラを演じ続けていたが(彼女たちはみな、同伴者を連れていなかった)、コスモポリタンを三杯飲み、軽く酔った女性に「ねえ、ちょっと眼鏡とってみせてえ~」と言われ、半ば強引に眼鏡を奪われた時――トミーからの電話が鳴ったのだった。


 伊達眼鏡のほうは酔った女性に与えておいて、ギルバートは人の群れから逃れでた。カレンとは目と目で合図し、ジョン・キーナムのいる場所を振り返りながら、ギルバートは携帯の通話ボタンを押す。


「もしかして、いたのか?」


『ああ。いたいたいたいた、いたもいたさ』と、真面目な声音でトミー。『奴さんは1028号室に、偽名で変装した姿で泊まってる。金庫で見たクレジットカードで金を支払ってるから、まず間違いない。だが、十階からじゃライフルでJKを狙うのには適さないな。だから俺とディランは今、三階と四階の部屋で、どこか封鎖されてる場所でもあるんじゃないかと探そうと思う』


「いや、待て」と、周囲の喧騒から逃れるように、さらに距離を取りながらギルバートが言う。クラブミュージックが大音量でかかっているせいで、トミーの声が聞き取りずらい。「今日、セレスティアホテルは全室貸切だそうだな。そして賓客たちにはそちらに泊まってもらうそうだが……1028号室というと、セミスイートだな?」


 きのう、ホテルの見取り図については念のため、ギルバートは頭に入れていたのだ。


『そうだ。よくわかったな』


「もしかしたら今夜、その隣……いや、あるいは隣か隣、でなければ同じ階にジョン・キーナムが連れの女性と泊まるのかもしれない。奴を確実に仕留めたいというのであれば、その手がもっとも確実で隠密性が高い。もしそうであるなら、夜、あたりが静かになるまで、彼は実際の行動には移らないだろう。俺は今から秘密特殊部隊と連絡を取って、誰にも気づかれぬようにホテルの十階を張ってもらおうと思う。だが、ディランとトミーはそのまま、三階と四階、それより上階のほうも点検してまわってくれ。よろしく頼む」


『了解!』


 自分の上司の姿を追い、人の群れから逃れ出てきたカレンは、ギルバートの会話の後半部分を聞いていた。


「何か緊急の事態ですか?」


「ああ。すまないが、俺はちょっと車のほうへ戻る。彼氏のほうは具合が悪くなって帰ったとか、適当に誤魔化しておいてくれ。それと、詳しい事情のほうはトミーかディランにでも聞いてくれ」


 カレンは頷くと、そのままギルバートと別れた。これでもし自分が彼と本当の恋人同士なら、帰りに送ってもらえないだなんてと思い、膨れていたに違いない。だが、これはあくまでも仕事上の任務だった。


 彼女はホテルのほうへ引き返していきながら、ディランの携帯に電話する。トミーでもどちらでも良かったはずだが、カレンの好みはどちらかというと彼のほうだったからである。


「今、ホテルのどのへんにいるの?」


『今は……四階にいる。君はそのまま同僚たちと踊り狂ってるといいよ。あとのことは僕らのほうでやるから』


「嫌よ、そんなの。それより合流したいの。何がどうなってるのかくらい、エージェントにだって聞く権限はあるでしょ?上級オフィサーさん!」


 そう言ってカレンは携帯を切り、ホテルのロビーを突っ切り、階段のある方向を目指した。エレベーターがやって来るのを待つのすらもどかしい。だが、ロビーのところでジェイコブ・ゴードンこと、ロドニー・オーウェンがカレンの姿を見つけて声をかけてくる。


「本部長とトミーとディランが来てるんだろ?僕らのことは気にせずパーティを楽しめってことだったけど、そういうわけにもいかないよ。今、事態はどういうことになってるんだ?」


 ロドニーは今、開発部のほうで重要な任務を任せられつつあるところだった。それは次世代機のジェットエンジンの開発といったところだったが、彼は彼で、実はこのメンバーの中に他国の産業スパイが潜りこんでいるのではないかとの疑念を抱いていたのである。


「社内では話をしない約束でしょ!」と、カレンはまるで別れた恋人に対するように唇を尖らせる。「あたしとあんたとは赤の他人っていう設定なんだからね。まあ、今ここには誰もいないからいいけど……」


 カレンはしーんと静かな階段室を見渡し、ジェイコブ・ゴードンと肩を並べて階段を急ぎ足に上がっていく。


「わたしもね、今一体どういうことになってるかはよくわかんないの!で、その事情を聞くのにトミーとディランがホテルの四階あたりにいるらしいから、そっちへ行くところ」


 ロドニーはいかにも「なーんだ」という顔をして肩を竦めている。だが彼は懸命なことに、そのことを口に出しては言わなかった。カレンがどうやら今イライラしているらしいのは、なんとなく感じ取れたからだ。


 ロドニーは濃い茶のスーツに縁なし眼鏡をかけた、細面の背がすらりと高い男だった。今は仕事柄<いかにも理系にいるタイプ>を演じているが、ダサいスーツ(これもわざとだ)に包まれた彼の肉体の筋肉は鍛え上げられていたし、眼鏡を外し髪型を変えたとしたら――なかなかイケてるヤングエグゼクティヴに早変わりといったところだったろう。


「そっちは仕事どう?」


「そうね。前にも話したけど……もうすでにUSISのエージェントの先輩がこっちにはいるのよ。だから、仕事に大変なことは全然ない。ジェイのほうはどう?」


「僕のほうは今、他国の産業スパイがいるんじゃないかって探ってるところだ。前に開発部の職員のファイル、送ってくれて助かった。あらためて礼を言うよ」


「いいえ、どういたしまして」


 ふたりはそんなふうに話しているうちに、四階へ辿り着き、そこからはぴたりと黙りこんだ。何分、広いホテルなため一階分の通路を歩いていくだけでも結構な距離がある。だが、そんな中、棕櫚の鉢植えの影からディランがちらと姿を現すのが見える。


「おやおや、ジェイ……じゃない。ロドニーまで一体どうしたんだい?」


「そんなことより早く事情を説明して!本部長はなんで自分の車に戻ったの?それで、クリス・メイソンはどこにいるのよ?そのことがわかったからディランとトミーはホテル内をうろついてるんでしょ!?」


 トミーは今、五階の部屋を順に調べている。その後、締め切った部屋についてはフロントからマスターキーを借りて順に開けていったが、そのすべてがパーティの途中でしけこんだにわかカップルだった。ふたりは拳銃を下ろすと、警視庁の身分証を見せ、「失礼!」と言ってすぐに部屋を出る――ということを、五、六度ばかりも繰り返していたといえる。


「ああ。僕が四階にいるって言ったあと、君がすぐ電話を切っちゃったからさ、僕ひとり四階で待機するっていうことにしたんだよ。それと、さっきギルバートから連絡があった。細かいことについてはこれからさらに詰めるけど……前にクリス・メイソンを捕獲するのに作った秘密特殊部隊のユニットがこれから駆けつける。そうだ、カレン!1028号室に行って、メイソンが在室しているかどうか、見てきてくれないか?」


「わかったわ!メイドに化けてルームサービスを間違えた振りをすればいいのね」


「そういうこと」


 カレンはうきうきしながらフロントでメイド服を一着貸してもらい、さらにルームサービスののったワゴンまで調達してきた。そして十階でエレベーターを下りると、彼女の後ろには銃を手にしたロドニーが援護に入った。万が一、何かあった時のためである。


 カレンがこんこん、とドアをノックしても、内側から返事はなかった。いないのだろうかと思うが、もう一度ノックを繰り返し……その後、ようやく三度目のアプローチで相手から返事がある。


「ルームサービス?そんなもの、頼んでないよ」


 チェーンロックはかけたまま、ドアの隙間からクリスはそう答えていた。彼は厳しい顔つきをしており、それだけでもカレンとしてはクリス・メイソンから感じ取れるものがあったといえる。今夜――彼はおそらく何かを決行するつもりなのだということが、彼女にはそのピリピリした独特の緊張感からわかる気がしたのである。


「すみません。失礼致しました」


 カレンはぺこりと頭を下げると、すぐにその場を去ろうとした。銃を構えたロドニーは、すぐそばの角のところで待機している。


「ちょっと待って」


 かちゃり、とチェーンを下ろす音がして、ロドニーのほうでも緊張が高まった。クリス・メイソンがメイド姿のカレンを追ってきて、「どの部屋と間違えたの?」と、陰気な口調で聞いてくる。


「あの、たぶん隣の部屋……」


「へえ、そう」


 そしてそのまま、メイソンはカレンが隣の1029号室に入っていくのを後ろからじっと見ていた。カレンとしてもここが勝負どころだった。幸い、隣の宿泊者がルームサービスを頼んだところだったらしく、カレンは自然な形で中へ入ることが出来た。


「随分早いね」という客に対し、カレンは部屋の中に入ってから、「これは注文とは別のものです」と言って誤魔化した。「今日は特別な日ですから、ホテルからのサービスなんです」


 ――なんにしても、これでクリス・メイソンが1028号室にいることがはっきりした。ロドニーとカレンはその場にそのまま残り、クリスが部屋から出てくることがないかどうかと見張り続ける。


 一方、ギルバートはもともとクリス・メイソンを捕獲する目的で形成した秘密特殊部隊に急いで集ってもらい、ホテルに許可を取ったのち、十名の精悍な顔つきの精鋭たちが十階の打ち合わせた配置へと順に着いていく。


 そしてこの作戦の最高責任者であるギルバートは、ジョン・キーナムと彼の同伴者である女性と接触した。UNOSの身分証を見せると(諜報員は滅多なことでは秘密情報庁の身分証を見せたりはしない)、かなりの酔い心地にあったらしいキーナムも、一瞬ハッとした顔をしていた。


「失礼ですが、今夜はこちらにご宿泊の予定ですか?」


「ああ。そのつもりだが……」


 ギルバートは、ホテルの宿泊予定リストに彼の名前がなかったため、確認のため、宿泊予定の部屋の号数を聞いた。


「最上階の1030号室だ。このホテルの中で一番いい部屋だよ。何しろ、プレジデンシャル・スイートルームだからね。俺にとって今夜は特別なんだよ。何しろこんなに美しい女性と一緒なんだからね」


 女性のほうとは一礼しただけで会話を終え、ギルバートは手短にキーナムに事情を説明した。そして、自分の命が狙われていると知るなり、キーナムは酔いのほうもすっかり覚めたようだった。


「そいつは一体どこのどいつなんだっ!?確かに俺は職業柄敵も多い……だが、命まで狙われるような覚えはないぞっ」


「ご安心ください。我々のほうであなたの身柄のほうは必ずお守りします」


 ギルバートが自分の後ろのほうに目配せすると、秘密特殊部隊のメンバーふたりが、静かに頷いてみせる。


「彼らがボディガードとしてあなたを守りますし、ただあなたには普通にこのままプレジデンシャルルームのほうへご宿泊いただきたいのです。あなたの命を狙っている者は、我々が必ず犯行前に仕留めて捕獲します。そのような形で、ご協力願えませんか?」


「あ、ああ。まあ、構わんが……」


 キーナムはここで、実に残念そうに、ディオールの優雅なドレスを着た女性のほうを振り返った。


「わたしなら構わないわ、ジョン。あなたの好きなようにして」


「すまないな、サラ。今日こそは君を最高に喜ばせてあげたかったのに……」


「いいのよ。またの機会に期待するわ。それじゃあね」


 サラと呼ばれた女性は、ジョンの頬にチュッとキスすると、そのままホテルの停車場のほうへ向かった。キーナムのほうでは「運転手に送らせるよ」と慌てたように言ったが、彼女のほうではフェンディのバッグを振って、振り返ることさえなかった。おそらくタクシーか何かで帰るつもりなのだろう。


「クソッ!!俺がサラ・ハリントンとここまでの関係になるのに、どんなに苦労したか……今夜も、もしこのままいけばプレジデンシャルルームで過ごせたかもしれないっていうのに――こんなことになったのも全部、おまえらのせいだぞっ」


 ギルバートはあやまるでもなく、ただ無愛想に頷いただけだったが、すぐ横を歩くボディガードふたりが「すみません」と何故かあやまっている。


「今の女性とは、どのような御関係なんですか?」


 興味本位からというのではなく、職務上の疑問からギルバートはそう聞いた。


「あの美女のことを知らないだなんて、君も随分ものを知らないんだな。サラ・ハリントンといえば、アメリカの軍需企業のみならず、ここユトランド共和国の軍事関連企業の大株主だぞ。まあ、俺はそんなことはどうでもいいんだがね。あのいい女をどうにかして自分のものにしたい――わかるだろ?」


「…………………」


 ギルバートは特に答えなかった。もしこれが仕事でなかったら、クリス・メイソンにこのまま殺されてしまえ、というのが彼の本心だった。そして、今しがた帰ったあの女性――ギルバートはずっとジョン・キーナムの様子を窺うのと同時に彼女のことも見ていたが、彼女は早々彼に手玉に取られるような女性ではないように見受けられた。


(最初は彼に似合いの、胸が大きいだけの頭カラッポタイプの女性かと思ったが……どうやらそういうわけでもなかったらしい)


 サラ・ハリントンという女性がアメリカとユトランド共和国の軍需企業の大株主だと聞いて、ギルバートの中ではそのような確信が強まった。また、それがただの一夜の遊びのようなものでも――ジョン・キーナムのような男と彼女が過ごす邪魔を出来たことに、心からの喜びを覚える。


「本部長、どうされました?」


 ジョン・キーナムが1030号室にボディガードと一緒に入っていくと……十階で合流した秘密特殊部隊のひとりがそう聞いてくる。この緊迫した空気の中で、ギルバートが人を食ったような笑みを浮かべていたためだ。


「いや、奴さんは今夜、物凄い美女とこのプレジデンシャルルームで過ごす予定だったんだと。金と地位に名誉に女……モデルのような美女との一夜を邪魔してやれたかと思うと、なんだか溜飲が下がるような気がしてね」


「ごもっともです」


 秘密情報庁は警察ではない。そうした職務機能も合わせ持ってはいるが、この場合はクリス・メイソンが実際に犯行に及ぶまで待つ必要はないのだ。何より、彼にはすでに航空法違反の令状も出ているのだから。


 ギルバートはトミーとディラン、それにカレンとロドニーとも合流すると、あとはこの道のプロである特殊部隊の十名に、クリス・メイソンの捕縛を任せるということにした。1029号室のセミスイートの客ふたりには、それよりワンランク上のスイートルームへ移ってもらい、キーナム在室の1030号室のバルコニーと、その両方から秘密特殊部隊員が挟み撃ちにするという形で、クリス・メイソンは割合あっさり捕獲された。


 ドアをノックして突入する隊員が六名いるのと同時に、バルコニーサイドを渡って侵入する隊員が1029号、1030号室からそれぞれ二名ずつ、計四名。クリス・メイソンは天蓋付きベッドの上で『アンナ・カレーニナ』を読んでいるところを、高級スーツに身を包んだイタリアのマフィアばりの男たちに囲まれ――特に抵抗を示すこともなく、すぐに両手をあげて降参し、両手を手錠によって繋がれたのだった。


 彼もまたジム・クロウと同じく、警察車輌に乗せられたあとは目隠しをされた。これから自分が連れていかれる場所について、知られないためである。USISには警察とは違い、正式な司法手続きを取らなくても、危急の際には国家に害を及ぼす可能性のある人間を捕え、さらには尋問する権限がある。だが、これらはすべて秘密裏に行われるため、表面的には警察に逮捕されたかのように装うのだ。


「俺、逮捕されるようなこと、何かしましたかねえ。割と善良な一般市民ってやつをやってるほうだと思うんですけど……ほら、ユトレイシアってアメリカ以上にゴミの分別とかうるさいじゃないですか。でも俺、ああいう細かいことも結構好きな質なんで、そんなに苦でもないっていうか。あと、税金もちゃんと納めてるはずだし、所持してた銃も正規のルートで手に入れたものですよ。ただの護身用です。それ以外、何か問題ありますか?」


 屈強な男ふたりに挟まれ、メイソンは目隠しされたまま、落ち着いた様子でそんなふうに話していた。


「それにこんなふうに目隠しするなんて、人権侵害じゃないですか。あとで絶対訴えますよ、俺」


 クリス・メイソンが車中でそう聞いても、誰も答える者はなかった。かといって彼は暴れるでもなく、あくまでも平静そのものだった。まるで普段から瞑想のトレーニングをしており、それでいかなる処遇に置かれようともインドの導師グルのように落ち着いていられるのだとでもいうように。


 秘密情報庁まで、かなり遠回りをしてから辿り着くと、メイソンはジム・クロウが尋問されたのと同じ尋問室にまで連れてこられ、さらに手足を拘束された状態のまま、トミーとディランにこう問いかけられた。


「お宅、今年の10月29日に、<アストレイシア墓地>の上空にヘリコプターを飛ばしただろ?」


 威嚇するようにテーブルをバン!とトミーが叩く。だが、メイソンのほうでは動じるでもなかった。むしろ、彼の口許には余裕の――というより、どこか酷薄なようにさえ思われる笑みが浮かんでいた。


「なんだ。ユトランド共和国ではそんなことで逮捕するのか。だったらその前に俺の弁護士を呼んでくれ。第一、そんなことならこんな大袈裟な逮捕劇を演じるまでもなかったんじゃないか?」


「しらばっくれんな!第一、アメリカでも連邦航空局へ知らせずにヘリを飛ばしたら、令状が出て逮捕されるさ。それよりネタは上がってるんだ。おまえの犯した罪は航空法違反だけじゃない。それに加えて殺人未遂……」


 ここでくっくっとクリスが笑いだしたため、トミーは思わずクリスの胸ぐらを掴みあげていた。


「殴りたきゃ殴れよ!」と、むしろクリスほうが激しい口調で一喝する。「だがあんたら、こんなことしてどうするんだ?俺がもし生きてここを出たら絶対訴えるぜ。なんの容疑で逮捕するのかも知らせず、権利の読み上げをするでもなく目隠ししてこんな場所まで連れてきたんだからなあ。それ相応の覚悟があっての取り調べなんだろうな、ええっ!?」


 むしろトミーのほうが恫喝されたような格好になり、彼は掴みあげたクリスのワイシャツの襟を下ろした。ここで、ワンサイドミラーの向こう側にいたギルバートが、スピーカー越しに言葉を挟む。


『クリス・メイソン、君の人権は保証されている。我々はある特殊な件について追っていて――その捜査線上に君が浮かんだということなんだ。言っている意味はわかるな?』


「どうやら、今しゃべった人が一番話せそうだな。どうせあんたたち、ジム・クロウのことを聞きたいんだろ?もちろん俺はこのまますっとぼけ続けることも出来る――だがそんなことをしても時間の無駄というものだ。確かに俺は、あいつのことを始末しようとした。この世からいなくなったほうが人のためになる極悪人だと聞いていたんでな」


『……だが、何故あのタイミングで?』


 チャンスだと思い、ギルバートはそのままスピーカー越しに話し続けた。一件落ち着いているように見えるが、実は彼は今感情が昂ぶっているらしい。もしかしたら、長く標的とし続けてきたジョン・キーナムを殺せなかったことで――自暴自棄にも近い心理にあるのかもしれない。


「…………………」


 クリスが黙りこむのを見て、ギルバートは質問を変えた。


『いや、我々はジム・クロウのことよりもジョン・キーナムのことを聞きたい。今夜、君はキーナムのことを所持していた拳銃で殺そうと思っていた。違うか?』


「というより、こちらから先に聞きたい。何故お宅らは俺が今夜あいつを殺ると思った?これが有能な警察なら、実際の犯行現場のほうを押さえてからそう聞いただろうよ。俺には何も裁かれるような罪はない。弁護士を呼んでくれよ。そのくらいの最低の人権は保証されていいはずだ」


『我々は警察機関の者ではない。メイソン、おそらく君も気づいているだろうがな。結論から言おう。簡単にいえば、我々は君を味方につけたい。君は一体誰の命令て動いているんだ?ジェネラルか?』


 切り札をだすのが早かったため、尋問室にいるディランとトミーは顔を見合わせた。ここで勝負にでた以上……クリス・メイソンからは必ず有益な情報を引き出さなくてはならない、そう思った。


「ジェネラルなんて知らねえな。俺がキーナムのことを殺ろうと思ったのは、あくまでも俺個人の判断だ。あいつはな、生きていても害になるだけの大悪人だ。ユトランド共和国やアメリカだけじゃない。ヨーロッパ諸国の軍事企業とも繋がって、大金を稼ぐためにこれからも喜んで戦争の機会に飛びつくだろう。あんたらに俺の言ってる意味、わかるか?」


『確かに、君の言いたいことはわかる。アメリカでも我が国でも、軍事企業と政府との癒着が激しいからな。だがそれは、キーナムひとりを消したところで、他に利権に飛びつく新しい悪辣な人間が生まれるという、それだけのことかもしれない。そうではなく、メイソン、君は恋人のキャサリン・ノアクロスの死の原因がキーナムにあると考え……それで今回の犯行に及ぼうとした。そういうことなんだろう?』


 クリスは一度黙りこむと、深呼吸し、椅子に座る位置も直してから言った。


「もちろん、それもある。だが、自分の死のせいで恋人が人殺しにまでなったと知ったら、彼女も悲しむだろう。あんたらがどこまでのことを調べているか知らないが、イラクのアブグレイブ刑務所やキューバのグアンタナモ収容所のことは知ってるか?多くの一般人は軍人がそこで尋問を行っていると思ってるだろうが、そこには民間の軍事企業も絡んでるんだ。それと、あんたたちと同じインテリジェンスを扱う仕事も――アメリカでは民間のインテリジェンス企業なんてものまであるんだよ。そいつらは国から莫大な金をもらって仕事をしてる。つまり、ジョン・キーナムみたいにうまく世の中を渡れる奴らがこれからも甘い汁をすすり続けるということさ。何分、こういうことには法に触れない形での賄賂っていうのが横行してるのが普通だ。そして退役した軍人たちはこういう仕事の顧問やコーディネーターとして天下りでやって来る。あっちもこっちも事実を暴かれれば困る連中ばかり……こんな状況下で誰も告発なんか出来やしない。そんな中でもあのジョン・キーナムはクソ中のクソだ。俺があいつを殺したい理由はそれだけさ。あんな奴を生かしておいたらまた必ず戦争が起きるのを、ただ指をくわえて待つことになるからな」


『メイソン、君の言いたいことはわかった。それで、君はこれから我々の仲間として働くつもりはあるか?』


「…………………」


 ここで、クリスは再び黙りこんだ。こちらの訊ねていることの意味がわからない、というように。


『君は元は正しい志を持った医師だ。その能力をそのまま埋もれさせてしまうのはあまりに惜しい。正直に言おう。我々は君に命を下しているであろう<ジェネラル>のことを追っている。君がその情報を我々に提供してくれるなら、航空法違反その他、殺人未遂のことも罪には問わない。また、<彼>が何者なのかを我々に話した場合、君の身に危害が及ぶというのであれば、名前を変えてまったくの別人として君の望む国で暮らす権利を与えることも出来る……我々は一度した約束については決して破らない。この条件で取引しないか?』


「ジェネラル、か……」


 クリスは深く嘆息した。そして言った。


「そんな奴知らないと、シラを切り続けたいところだが……俺も顔は知らない。ようするにジム・クロウと一緒さ。向こうから連絡が入れば言われたとおりにする、使い捨ての下っ端要員だ。悪いな、何の役にも立てなくて」


(嘘をつけ)と言いたいのを堪えて、ギルバートは慎重に言を継ぐ。


『では、君がジェネラルと知り合うことになった経緯は?何か弱味でも握られているのか?』


「いや、むしろその逆さ。<彼>は、ケイト(キャサリンのこと)のことを殺害した連中を特定して、残忍な刑罰にかけて順に殺してくれた。その映像は何度も繰り返し見たよ。だから俺は<ジェネラル>には恩義がある……<彼>のことは何があっても裏切らないし裏切れない。つまりはそういうことなんだ」


『…………………』


 今度はギルバートのほうが黙りこむ番だった。確かにそういうことなら、ジム・クロウを殺害するためだけに航空法を破ってまでもヘリを飛ばしたことにも合点がいく。また、もしかしたらジョン・キーナム殺害についても、最初から彼が思いついたものではないのかもしれない。何故なら、彼はもう復讐心ならば十分に満たしたはずだ。そして、ジョン・キーナムが死んでもっとも得をする人間は一体誰なのか……ギルバートはここで一度体勢を整える必要があると考えた。


『だが、<ジェネラル>というのは悪の組織のボスなんだろう?いくら恩義があったとしても、今のそんな君の姿を見たら、キャサリン・ノアクロスが悲しむとは思わないのか?むしろこんな犯罪行為を続けていたら、いずれ君は遅かれ早かれ警察に捕まってしまうだろう。その時、<ジェネラル>が助けてくれるとでもいうのか?我々はジム・クロウのことを取り調べたが、その取調べは彼本人も言っていたとおり、生ぬるいものだった。人道に反するような暴力は一切使わず、とにかく時間をかけることにしたからな……だが、彼は我々がほとんど何もしていないのに死んだよ。正確には<ジェネラル>の手の者に殺されたんだ。君もまた、ジム・クロウと同じ下っ端要員だというのなら、同じ運命を辿ることになるんじゃないのか?』


(おまえら凡人に、ジェネラルの偉大さがわかってたまるか)


 クリスはそう思ったが、もちろん口には出さなかった。あとはもう緘黙を続ければいい。彼らが自白剤……正確には自白剤に近いものを使用しようと、その他肉体にいかなる苦痛を与えようとしようとも、彼は<ジェネラル>について話すつもりは一切なかったからである。


『今度は沈黙作戦か。その割に、君は随分不用意に色々しゃべりすぎたのではないか?なんにしても、我々は君に思考を整理してよく考えるチャンスを与えよう。一晩独房のほうでよく考えるといい。食事は出るが、二十四時間の監視がつくし、また自殺するような考えは持たないほうがいい。独房にいる間まで手足を拘束された上、さるぐつわをかまされたりはしたくないだろう?』


 ここでもクリス・メイソンは俯いたまま沈黙を守っていたため、ギルバートはトミーとディランに彼を独房へ収監するよう合図した。デイヴィッド・ジョーンズの話では、彼の他に仲間はいないということだったが、用心のため必ず彼らのうちの誰かがメイソンを見張るということにした。ジム・クロウのことがあってのち、警備局では刷新がはかられ、何人かが職務態度を理由にクビとなり、クリーンな経歴の人間が新しく組み込まれるということになってはいた。だがそれでもやはり安心は出来ないと思っていたためだ。


 この日はギルバートがメイソンの監視に加わることになったが、トミーとディランも自宅へは戻らず秘密情報庁の仮眠室で過ごした。そして翌日、ルークが出勤してくると、きのう何があったかを順に説明していったのだった。


「なるほど、なるほど。それはそれは……」


 ルークはほとんど疑問を差し挟めるでもなく、ただ黙って頷きつつ、現役引退後の好々爺といった態でトミーとディランの話を聞いていた。大体のことはトミーが中心となってしゃべり、時折そこにディランも参加し、ギルバートは聞き役に回っていた。


「で、まあこれからまたクリス・メイソンのことを引っ張ってきて尋問する予定なんだけどさ、ギルバート……じゃない。本部長がその前にルークに意見を聞いておこうって言ってたもんだから」


「そうだったんですか。ですがまあ、私はまだメイソンの様子を直接見ていませんからな。話はそのあと……といったところではありますが、本部長、ジョン・キーナムが死ぬことで一体誰が得をするかとお聞きでしたな」


「ああ。俺がこれから自分で調べはじめるよりも、ルークに聞いたほうが早いかと思ってな」


 ギルバートはディランと交代でメイソンの見張りについていたため、睡眠不足ということはなかった。だが、彼を監視中も自分のオフィスの寝椅子で休む間も――ギルバートが考えていたのは、どうすればクリス・メイソンの信頼を得られるかということだった。


「今私の頭の中にある情報によるとですな……」と、ルークは自身の白髪頭をとんとんと叩く。「ジョン・キーナム個人にそう力はないのですよ。力があるのは彼の父親の上院議員であるジョサイア・キーナムです。人々はジョンをではなく、彼の父親のことを恐れ敬って息子の彼の言うことにも耳を傾けるわけです。まあ、録音されたメイソンの肉声のほうは私も先ほど聞きましたが、彼が『クソ』と言ったのはそういう意味でしょう。父親の権威のかさを着て、これからもバイキンを人々の間に振りまく男――確かに、彼はいないほうがいいような人間ではあるでしょうな。ですが、ジョサイア・キーナムはああ見えて子煩悩な男で、長男のジョン、そして姉のミーガンのことは目に入れても痛くないほど可愛がって育てたようです。あんな馬鹿なドラ息子でも、息子は息子ということですな。この場合、ジョン・キーナムかいなくなって得をするといえば、単純にいってジョサイア・キーナムの政敵ということになるでしょうか。キーナムは共和党の議員ですが、あんな出来の悪い息子のいるのが気の毒になるくらい、彼本人は政治家としてまともなほうですよ。中央政界の利権にまみれているのは彼だけではない、という意味において、比較的「まとも」という意味ではありますがね」


「それで、ジョサイア・キーナムには具体的に彼と敵対関係にある勢力なんていうのがあるのかい?」と、カフェラテを飲みながらトミー。


「それは私もこれから調べなければわかりませんが……それでも、なんだか内輪もめのような匂いがしますねえ。軍需企業と癒着しているのは何もキーナムだけではありませんし、その中で同じ共和党議員であっても、『俺の取り分の少ないのはキーナムの奴がいるせいだ』と考えるような輩がいても不思議ではない――私はそんな気がしますがね」


「なるほどな」と、ギルバート。「だが、<ジェネラル>がジョサイア・キーナムを邪魔だと考えると動機、となると……ジェネラルがキーナムと敵対関係にある政治家と繋がっているということになるが、それは考え方としてどうなんだろうな」


「僕も、きのうメイソンの話を聞いていて思ったんだ。<ジェネラル>っていう人物の性格について、ということだけど――まあ、普通に考えた場合、結構ないい年したおっさんっていう可能性が高いよね。だって、キャサリン・ノアクロスのことを死に追いやったイラクの兵士たちを特定して惨殺したっていうんだから……陸・海・空・海兵隊の幹部クラスってところかな。で、普段はそっちで制服組として働きながら、<ジェネラル>として裏の世界のボスとしても君臨し続ける。これはまだ僕の仮説の段階を出ないことだけど、一応辻褄は合うと思わないか?唯一引っかかるのは、僕が彼なら<ジェネラル>なんていうわかりやすいコードネームは絶対使わないってことだけど」


 ここでルークが笑った。彼は日本の茶の世界に嵌まっているとのことで、この時は緑茶を飲んでいた。トミー曰く、「砂糖を入れると緑茶もうまい」ということだったが、そんな彼に対し、ルークは首を振っていたものである。


「もしかしたら、その人物は今大佐や中佐といったクラスで、将来大将にのぼりつめたいと思ってはいるが、どうやらこのまま中佐で終わりそうだ……といった人物なのかもしれませんよ」


「まあ、俺の父親も陸軍の制服組として国防省で働いてはいるが」と、ギルバート。「結構な激務らしいぞ。イラク戦争があった時は、ずっと向こうに詰めていて寝ないで作戦指揮を取ったこともあったらしい。そんな仕事をしながら<ジェネラル>という裏の顔まで持つというのは……どうなんだろうな」


「そうですな。となると、退役軍人で、軍事関係の人間に顔が利く人物、ということでしょうか。それなら、軍需産業関係のことにも詳しくて当然でしょうしな」


 何より、秘密情報庁にまで刺客を潜りこませることの出来る人物、ということになると自然そうなるというものだった。ユトランド共和国における秘密情報組織設立の経緯というのは、まず陸・海・空・海兵隊にそれぞれあった秘密諜報部門、それらののちに、国内にも同じ権能を持つ諜報機関が必要ではないかということになり、先にUNOSが出来、それから国外防諜部としてUSISが誕生したといった経緯がある。


「それで、ディランの考える<ジェネラル>の人物像は?」


 トミーは自分の意見を述べる前に相棒の意見を聞くことにした。半分は、ドーナツを食べるのに夢中だったそのせいもあるが。


「まあ、年齢は五~六十代といったところかな。それで、彼は退役軍人である可能性もあると思うけど、もしかしたら僕たちの先輩である可能性もあると思わないか?つまり、ここUSISの出身だってことさ。その場合、何も定年で辞めたっていう必要はない。適当なところで退職、あるいは退職せざるをえないヘマをやらかしたのだとしても……それまでのコネクションを通じて<ジェネラル>として活動をはじめるというのは十分可能なことじゃないか?」


「なるほどな」と、みなが相槌を打ったため、ディランはさらに自説を展開していく。


「それで、僕がそう思ったのには一応根拠がある。彼は<善>と<悪>ということに関して、非常に特殊な考え方を持った人物なんじゃないだろうか。ほら、彼はジム・クロウのことを悪人として切って捨てるといったような考え方はしていなかった。むしろ、ジム・クロウの特殊な生い立ちなどに興味を覚え、ユトレイシアの裏の世界を治めさせるのにあえて『彼を選んだ』んじゃないのか?実際、僕らにしてもジム・クロウが<悪のエリート>に通じているかもしれないという低い可能性に賭けてミッションを組んだわけだけど……それが当たっちゃったんだよな。でもわからないよ。ジム・クロウが裏の世界から姿を消したことで、今ユトレイシアのそっちの世界は相当混沌としてるからね。毎日テレビでニュースを見るたびにうんざりする……ほら、今朝もニュースでやってただろ?スパニッシュ系のユトレイシア人とイェン一家の構成員が銃撃戦になったっていうニュース」


 実をいうと、イェン一族が三角州のジム・クロウの根城を襲撃して以降、ユト河左岸のダウンタウンからはこの種のニュースが連日のように流れてくる。そしてその度に彼らとしては重い溜息を着かざるをえないのだ。自分たちがジム・クロウを捕獲したのは、本当に正しいことだったのだろうか、と……。 


「つまりさ、<ジェネラル>っていう人物はわかってるんだよ。光があれば影が出来、悪がなければ善という存在に人が気づくことはないかもしれない……っていうようなことだけど。それで、思ったんだ。<彼>のやり方は僕たちが普段してる仕事に似てるって。ほら、ケースオフィサーがそのミッションに相応しいエージェントを選定して任務を遂行してもらうみたいに――<彼>は、ユトレイシアのユト河左岸のダウンタウンを治めるのにジム・クロウが相応しいと考え、ジョン・キーナム殺害に関してはクリス・メイソンが適任だと思った……そういうことなんじゃないか?」




 >>続く。








評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ