退席
食事は和やかに、賑やかに進んだ。戸惑いながらも穏やかな表情で両親と接するヨルズに、ヴァナルガンドはそっと安堵の息を吐く。
「さて。僕はそろそろお暇しようかな」
「もうですか?」
ティーカップを置いて立ち上がるテュールをヨルズが見上げた。名残惜しそうな気配が見えたことに、少しむっとする。そして、むっとした自分自身に軽く呆れた。
「ああ。一応、こう見えて多忙なんだよ。あと、そこの不愛想な養子も話があるから連れて行くよ。遅くならないうちに帰すから」
微笑みを返すテュールの瞳は優しい光が宿っていた。この男は常に笑っているが、表面上のものが多くこういった色合いの瞳は珍しい。
全ての舞台を整え、利用するためにヨルズを迎え入れた癖に。本心でヨルズを気に入っているのが腹立たしくてテュールを睨むと、にっこりと微笑み返された。
外面の笑みだが、奥にヨルズに向けたものと同じ光があるのが鬱陶しい。
「ええ、ええ。テュール様がどれだけお忙しいかは、よおく分かっていますとも。どうぞお体に気をつけてくださいよ」
「ありがとう」
不機嫌に拍車をかけているヴァナルガンドを他所に、アングルとロキがテュールの体を心配する。テュールは『こう見えて多忙だ』と茶化して言ったが、本当に多忙なのを知ってるからだ。
……それなのに、わざわざここに来た。
「ヨルズちゃん。そのうち、アースガルズ国に暫定ではなく正式な王を立てる。その後、ヴィーグリーズ国と同盟を結ぶ予定だ。ヨルズちゃんが祖国にいい思い出がないことは知っているけど、元王女として立ち会ってもらうことになる」
「はい。構いません」
ヨルズは即座に首肯したが、ヴァナルガンドは奥歯に力を入れて、飛び出しそうになる文句を堪えた。
アースガルズ国の元王女が、即位式と同盟の場に出席することは、新王への政権移行を円滑にすることと、国民の悪感情を弱めることができる。
ヴァナルガンドの力を安定させるために嫁がされた彼女は、また利用されるのだ。今度は元王女という肩書を。
なぜ簡単に頷くのか。文句を言わないのか。恨まないのか。受け入れるのか。
どうにも飲み込みきれなかった。
理屈に感情がついてこない。ついてこない感情が荒れれば、勝手に加護が発動してしまう。そもそも彼女が受け入れているのに、自分が文句を言うわけにはいかない。またヨルズにたしなめられるだけだ。
だから噛み殺す。
「すぐ戻る」
軋むような声をかけ、ヴァナルガンドはテュールと屋敷を後にした。馬車の扉が閉まる。
「全く。笑顔で行ってきますぐらい言えばいいのに。そんなんじゃ嫌われるぞ」
「嫌われても構わない」
「嘘をつくんじゃないよ~。手の甲のキスくらいで僕に嫉妬していたろう? ヨルズちゃんに嫌われたりしたらお前、この世の終わりかってくらいへこむね」
「ぐ……」
図星を突かれて言葉につまったヴァナルガンドを、対面に座ったテュールがじとりと見上げた。
「なんだ、もう終わりか。図体と力ばっかりデカくなっても、口の方はからきし駄目だね」
「うるさい」
「困ったらすぐそれだ」
健在な左の手のひらを上に向け、わざとらしくため息をはく。それから人差し指を立てると、言葉の区切りに合わせてヴァナルガンドの胸をつついた。
「初恋で、ずっと忘れらない女の子で、国を滅ぼしてでも手に入れたくて。手に入ったら入ったで大事にしようと思うあまりあれかな。手を出さない宣言でもしたわけかな」
「……」
黙っていることが肯定だが、何も言えない。
「馬鹿だね、お前は。言っておくけど、寝室は別にしない意見でアングルとは一致してるよ。勢いでも間違いでもいいから、本当の夫婦になってほしいのが、僕たち親の願いだ」
「勝手に決めるな」
「お前が安定してくれないと僕が困るの」
すねたように唇を尖らせたテュールが、今度は途中から中身のない右袖を振った。
ヨルズが見抜いた通り、テュールが自身の加護を使い、ヴァナルガンドの精霊の力を縛って封じている。ヴァナルガンドの封印に、常時加護の力を使っていることになり、彼にとっても負担なのだ。しかも、ヴァナルガンドの力が暴発すれば、封じているテュールにもダメージがいく。
「すまない」
「謝罪はいらないさ。英雄を利用するためなのだから」
『利用するためにお前を息子にする』。最初に言われたことだ。しかしふたを開けてみれば、破格の待遇で手厚く保護された。
当時は子どもだったが、成長するにつれ理解していく。自分は制御できない兵器だ。暴発すれば自国さえ滅ぼす可能性が高い兵器。利用どころか、国にとってもテュールにとっても、マイナスにしかならない。
むしろ今回の戦争では、ヴァナルガンドという兵器があったせいで先陣をきらされ、実質ヴィーグリーズ国軍とアースガルズ国内の反乱組織だけで戦わされたのだ。
連合軍は数十に上る国々で構成されていたというのに、である。
自分は消えた方がいい存在だ。
化け物と恐れ、迫害した村の人間たちの態度こそ正しい。
「ヴァナルガンド」
テュールの声が低くなった。拳を握るヴァナルガンドの瞳を、厳しい視線が射抜く。
「お前がいなくなったら、ヨルズちゃんはどうなる?」
「俺よりももっといい貴族のもとで幸せに……」
「彼女もお前と同じだぞ」
その一言は、木剣で殴られたよりも強い衝撃だった。やりこめられていた先ほどとは、違う意味で二の句が継げなくなる。
「ヨルズちゃんを守るのは、お前だ。ヴァナルガンド」
念を押すようにテュールの左拳がヴァナルガンドの胸を叩くと、苛烈な視線がゆるりとほどける。
「あのね、ヴァナルガンド。お前はヨルズちゃんの境遇に怒っていたけど、本来ならお前もお前の境遇に怒っていいんだよ。今のままでは簡単に怒ることもできないけどね。ヨルズちゃんと正式に結ばれたら、自由に怒れるし、自由に怒れるようになったら笑えるようにもなるさ」
笑えるようにもなる、という言葉に虚を突かれた。加護が暴発しないよう、感情を殺してきたが。そんなに自分は笑っていなかったのだろうか。
「早く僕たちを安心させてよね。親より先に死ぬなよ」
答えられずにヴァナルガンドはテュールから視線を逸らした。破るかもしれない約束はできなかった。
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