接近
不意打ちの接触。制御の効かない加護が勝手に発動するはず。それを分かったうえで、わざとヨルズはヴァナルガンドに触れた。
「なっ、何をしている! また火傷するぞ!」
驚いて引こうとする手を、ぎゅっと握ってとめる。制御の効かないヴァナルガンドの力を受けても、平気なのだと知らせるために。
「心配ありません。心構えさえしていれば、わたくしの加護の力が働きます。あなたと違って力が小さい分、制御が効くので……きゃっ」
言葉の途中で、ぐい、と引っ張られた。
バランスを崩してベッドから落ちそうになるヨルズを、ヴァナルガンドが下敷きになって受け止める。はからずも彼の体に乗り上がる形になった。支えようとしたのか、ヨルズの背中にヴァナルガンドの腕が回る。そのまますっぽりと包まれてしまった。
頬に胸が、背中に腕が、足の下に太ももが当たり、かあっと体が熱くなる。ゼロ距離の密着に、心臓がどきどきと波打った。
ヨルズの全身が収まってしまうほどの体格。硬い胸とがっしりとした腕。弾力のある太もも。女の自分とは何もかもが違う。
落ち着いて。ヴァナルガンドとヨルズは一応夫婦で、こんなことは序の口だ。もっとすごい触れ合いを覚悟していたはず。だからこれくらい、なんでもない。なんでもない。なんでもないなんでもない。
「本当だ。綺麗だ。火傷していない。凍ってもいない」
そろそろと見上げると、ヨルズの右手をヴァナルガンドがしげしげと眺めていた。火傷や凍傷がないか確かめているだけで、こちらの動揺など全く気づいていない。
「すごい。ヨルズ、君の加護は治癒だけではないのか」
きらきらと輝く赤と金の瞳が、ヨルズの手から顔に移動する。こちらを覗きこんで一瞬不思議そうな表情になってから、膝の上に乗せて囲っているヨルズを視線でなぞった。
「あ」
上から下までなぞり終えると、ヴァナルガンドの顔がこわばった。
「すまない! つい」
「いえ……」
ヴァナルガンドが弾かれたように万歳の姿勢を取った。
自由になったヨルズは、そそくさと膝から下りる。床に正座して、自分の膝に視線を落とした。
頬に手を添えてみると、やはり熱い。恥ずかしい。
「……」
「……」
沈黙が落ちる。
こういった時はどうしたらいいのだろう。ものすごく恥ずかしいけれど、思ったよりも嫌ではなかった。ただ頭が真っ白で、まともに考えが回らなくて。
そう思ってから、ヨルズははっとした。
若い男女があれだけの密着。ひょっとして今のはいい雰囲気だったのでは。普通はあのまま流されるのでは。
それなのに、あんなに勢いよく手を離したのは、いっぱいいっぱいだったヨルズが変な顔をしていたのかも。
きっとそうだ。だからヴァナルガンドが驚いて手を離した。
なんて色気のない女なのか。嫌われたかもしれない。ずん、と気持ちが沈む。
あれ。
ヴァナルガンドに嫌われたからといって、どうして落ちこんでいるのだろう。そもそもどうして、あんなに恥ずかしく思ったのか。
塔の中で着替えの際、幾度となく侍女や侍従に体を見られ、触られてきた。ダンスで男性貴族と密着したこともある。そういう時は、何も感じないか気持ちが悪いだけだったのに。
ゆっくりと自分の膝から、ヴァナルガンドに視線を動かす。彼は背中を向けてうなだれていた。
「ヨルズ」
「はいっ」
低い声で呼ばれて、返事がみっともなく裏返った。ヴァナルガンドを相手にしていると、どうも失敗ばかりしてしまう。また頬がかーっと熱くなる。
「勝手に触れて悪かった」
ヴァナルガンドが肩越しに片手を差しだした。
顔は見えない。けれど背中を向けたままこちらを見ないのが、きっと彼の心。
「この結婚は形だけのもので、俺は同意なしに君を抱いたりしないが。出来れば心を通わせたいとは思っているし、いつかお互いに同意して本当の夫婦になりたいと思っている。だから許してくれないか」
誰だって死にたくない。ヨルズのことが好きでなくても、抱きたくなくても、死なないためにはやらなくてはならない。それだけ。でも。
「謝らないで下さい。触れられるのは嫌ではありませんでした」
ヨルズは差し出された手を取った。
「わたくしも、いつかあなたと心を通わせたいと、思っています」
夫婦の営みは義務ではなく気持ちで、というのは幻想かもしれないけれど、やはり憧れる。出来ればヨルズを嫌々抱くのではなく、抱きたいと思ってほしい。
「ありがとう。君に好きになってもらえるよう努力する。ゆっくりでいいから、好きになってくれ」
「はい。わたくしもあなたに好きになってもらえるよう努力します」
やっと振り返ってくれたヴァナルガンドが微笑んだ。その微笑みが思いの外優しくて、また心臓がはねる。それを誤魔化そうと目線を外すと、ベッドが目に入った。
そうだ。
「あの。努力の手始めに、一緒に眠りませんか」
床で寝られても、別部屋で寝られても気になって眠れない。いっそ一緒に寝てしまえば、距離も縮まって一石二鳥。幸いベッドは四、五人が寝ても余裕の大きさである。
「君は俺を試しているのか?」
ヴァナルガンドが片手で顔を覆った。その隙間から唸るような声をもらす。
「申し訳ありません。お嫌ですよね」
怒らせてしまった。自分の死を棚に上げてでも愛のない行為をしないと断言するほど、潔癖な人なのだ。同じベッドで眠るのも嫌に違いない。優しく微笑まれて調子に乗ってしまった。
「いや。そうか、なるほど。分かった」
指の隙間から覗く朱金の瞳が光ったと思うと、視界が高くなった。あっという間にベッドに寝かされる。ヴァナルガンドの腕が頭の下に差し込まれ、腹がずしりと重くなった。
「おやすみ」
耳に直接低音を流し込まれて、ヨルズはただ一言を告げるのがやっとだった。
「おやすみなさい」
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