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2/22

宣言

 結婚式が終われば、当然初夜が訪れる。

 湯浴みを終えたヨルズは、寝室で一人待っていた。


 寝室には誰もいない。ヨルズの常識では、王候貴族の初夜というのは立会人がいるものなのだが。この国では二人きりで行うものなのだろうか。

 それだけではなく、この国に来てから朝の起床、着替え、全てにおいて監視のない生活に驚きの連続だった。

 全く人の目がないというわけではない。しかしそれは、監視というより見守っているようだった。使用人たちの目や声は温かくて戸惑う。


 塔で周りにいた侍女、侍従たちは、じっとヨルズを観察し、基準に達しなかった事を指摘した。

 伸びていなかった背筋、優雅に組めていない指先、音を立ててしまった食器。一挙手一投足に気が抜けなかった。


 ところがここの使用人たちは、ヨルズの一挙一動を褒める。姿勢が綺麗、所作が美しい、残さず食べて嬉しい。出来て当たり前で、何でもないことなのに。


 控えめなノックの音が耳に届いた。


「はい」

「入ってもいいだろうか」


 声音の冷たさは変わらないけれど、内容は随分と気弱だった。

 入っていいも何も、ここの主はヴァナルガンドその人であり、花嫁である自分は所有物だ。許可など取らずに入ってくればいい。

 少し迷ってから、「どうぞ」と答えた。


 そっと扉が開き、ヴァナルガンドが長身を室内に滑り込ませる。

 ゆったりとしたシャツに、ナイトガウンを羽織っただけだが、それも様になっていた。


 後ろ手に扉を閉めると、そこにとどまった。


「今日付けで君と俺は夫婦になったが、安心してほしい。この結婚は形だけのものだ」


 ヨルズは頷いた。形だけの結婚は、想定内だ。今度はこの男の妻を演じる生活が始まる。それだけのこと。


「俺は君の祖国を滅ぼし、家族・・を追い落とし、生活を一変させてしまった。形だけとはいえ、俺が夫など耐えがたいだろうが、そこだけは我慢してほしい。生活に何不自由はさせない。俺は君に指一本触れない。恋人を作ってもらっても構わない。そうなったところで君への待遇は変えない」


 提示された破格の条件に、ヨルズはゆっくりとまばたきをした。

 どうして。まさかヨルズの祖国を滅ぼしたことに責任を感じ、ヨルズに同情しているのだろうか。


「祖国を滅ぼし血族(・・)を追いやったことを気に病んでおられるのでしたら、必要ございません。むしろ感謝しているのです。わたくしは祖国も王家の血族も、今までの生活も憎んでおりました」


 ヨルズは出来る限り背筋を伸ばした。

 優しい待遇も、謝罪も、建前だけのものだ。きっと全部裏がある。今までヨルズに関わった人間は皆そうだった。

 鵜呑みにしてはいけない。期待なんてしてはいけない。元から信じなければ傷つかなくてすむ。


「お好きにすればいいのです。妻は夫の所有物なのですから」


 ヨルズの扱いなんてどこでも同じだ。ずっとずっと、そういう人生だった。


「君は物ではない」


 ヴァナルガンドの美麗な眉根が寄った。


「物です。わたくしの祖国での扱いは物でした」


 信じない。もう諦めているのだから、美しい嘘で希望なんて持たせないで。


「俺は君を物として扱うつもりはない」


 冷たい声に硬質な憤りをにじませ、ヴァナルガンドがガウンを脱いだ。シャツのボタンも外し始める。怒りの感情に呼応してか、ちり、と熱と冷気がヨルズの肌をなぶった。

 ほらやっぱり、とヨルズは思う。


「これを見ろ」


 しかしヴァナルガンドは、己の肌をさらしただけだった。


「痣……ではありませんね」


 黒い紐のような痣が引き締まった体を這っていた。黒い紐から、大きな力を感じる。


「精霊の力を抑える呪印グレープニールだ」


 そういうことか、とヨルズは納得した。

 氷炎の怪物。あれほど強力な加護であれば、人間の許容量を超える。だからあの呪印で封じているのだろうが、それも限界がある。遠からず過ぎた力はヴァナルガンドの命を奪うだろう。そうならないための、結婚だったのだ。

 王族は精霊の加護持ちが多く、ヨルズも大地の精霊の加護があった。


「俺の延命のために、周りが君の意思を無視して勝手に結婚を推し進めてしまったが、俺は君の同意なしに自分のものにするつもりはない」


 硬かった声と瞳が急に硬度を失う。小さく肩を落とすと、辺りに満ちていた熱と冷気がぬるく溶けた。

 精霊の加護を持つ者同士の婚姻は、互いの力を安定させる。夫婦の営みもない形だけのものでは、精霊が認めない。


「形だけの婚姻では、あなたは死ぬのですよ。わたくしを抱けばすむ事ではありませんか」

「そういう行為は、好きな男とでないと駄目だ」

「どなたか他に想い人がいらっしゃるのですか」

「そんな女はいない」


 ヨルズはますます戸惑った。

 死すらいとわないほど頑ななのは、他に好きな女性がいるのかと思ったのだが、それも違うらしい。いよいよ訳が分からない。


 もしかして、とヨルズは自分の体を見下ろした。ひょろりと伸びる生白い手足。胸はピンと張りがあるものの、大きくない。貧相だ。


「確かに、その気にならないほど魅力のない身体かもしれませんね」


 異性に欲情されるのは怖いが、全く魅力を感じてもらえないのは少し傷つく。


「いや。君の魅力は有り余っているというか、出来るなら今すぐ……いやなんでもない。忘れてくれ」


 ヴァナルガンドが顔を背け、決まりが悪そうに咳ばらいをする。気のせいか首元まで赤く染まって見えた。


「とにかく。愛のない行為はしない」


 目を閉じたヴァナルガンドが、疲れのにじむ声を吐き出した。


「短い間かもしれないが、よろしく」

「不束者ですが、よろしくお願いいたします」


 ヨルズはあらためて、ベッドの上で三つ指をつき、頭を下げた。

お読み下さりありがとうございます。

次は、明日20時ごろ更新予定です。

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― 新着の感想 ―
[一言] あ、以前読んだバージョンよりもヴァナルガンドがクールさを保ってますね。 こっちの方が格好いいですが、いつそれが崩れるのかも楽しみです。 ここからほのぼの展開になると予想しているのですが、果…
[良い点] ようやく、この続きが読める……! これ、ヴァナルガンドは短い間かもと言っているってことは、ヨルズには手を出さずに死ぬつもりってことですよね…… おふう、ニヤニヤ……もとい胸が痛みますね( …
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