両親
数日かけて着いた場所は、大きな屋敷だった。ヴァナルガンドの屋敷よりも大きく立派な建物で、周りにはうっそうとした木々が黒々と影を落としている。時折鳥たちの泣き声が不気味に木霊した。
普通なら気にならない鳥の声を不気味に感じるのは、鳥が『目』の役割を果たしていると知ったからだろう。
屋敷の入り口には男たちが数人立っていた。カラスを肩にとまらせた女に続いて、屋敷の中に入るが玄関ホールにも見張り兼護衛らしき男たちが立っている。かなり厳重な警備だ。逃げるのは難しいかもしれない。
ヨルズはドレスの腰のあたりにあるフリルの重なりに手を当てた。
フリルの下には、厨房から持ち出したナイフが一つある。
なんとも頼りない武器だが、なんとかできる。なんとかしてみせる。
女が玄関ホール横の扉を開くと、談話室の中央、暖炉を背にしたベルヴェルクと、右手奥に中年の男性が椅子に座っていた。左右には数人の男たち。そして一組の男女がいた。
古い古い記憶では、若かった二人。顔も分からなくなっていた二人。会いたくてたまらなかった二人。その二人が、今目の前にいる。
「……ヨルズ!」
「ヨルズ!」
手を広げて駆け寄ってきた両親に抱き締められた。
「お父さん。お母さん」
「ああ、ヨルズ。こんなに大きくなって」
少し体を離した母のノートが、潤んだ瞳でヨルズの頬を撫でた。
ヨルズと同じ柔らかな茶髪にこげ茶色の瞳、薄く艶やかな唇。ノートは若い頃ベルヴェルクに見初められただけあって、今でも美しい。
「ヨルズ。本当にごめんなさい。こうなることを予想して、貴女には力を使うなと言い聞かせていたのに。私たちが枷になってしまうなんて」
「いいのです、お母さん」
顔を曇らせて目を伏せる母ノートに、ヨルズは首を横に振ってみせた。
「すまなかった、ヨルズ。俺が不甲斐ないばかりに何もしてやれなかったどころか苦労ばかりかける」
ヨルズを抱きしめたままの父ナグルファリが、声を震わせた。
「お父さんのせいではありません。それよりも、お父さんの方が」
ヨルズの背中に回った腕が細い。黒髪には白髪が混じり、首元や顔に赤や青の痣があった。母に比べて待遇の酷さがうかがえる様子に、胸がつまる。
「大丈夫だ。人質が死ねばあの男も困るからな。俺のことなどいい。それよりもお前だ。盾にした挙句、人殺しまでさせて。今度は加護の力を利用するだと……あの男はどこまで……!」
父の手がぽんぽんとヨルズの背中を叩いた。幼い頃、ヨルズが泣いているとよくこうして抱き締めて、背中を叩いてくれた。
この二人は、なんとしても逃がさなければ。
「ここはどなたの屋敷なのですか」
密着しているのを利用して、小声で聞く。
ベルヴェルクの近くに座っている中年男性がおそらくこの屋敷の主で、ベルヴェルクの協力者だ。ここにいる護衛たちの中に、兵士らしき者は二人ほどしか見えない。純粋にベルヴェルクの手駒はその二人のみで、他は中年男性のものだろう。彼が何者であるのか。首尾よくベルヴェルクを殺すことができた後、彼が敵になる人物なのか否かどうかが知りたかった。
「死の商人ミーミルの屋敷よ」
死の商人とは、武器商人の蔑称である。彼らは金になるならどんな国や組織にも武器を卸し、戦争を激化させたり長引かせたりするだけでなく、犯罪者などにも売るため、治安の悪化も招く。
扱う彼らにとって、あちこちの国に戦争を仕掛けていたベルヴェルクは都合のいい王だ。平和な治世を敷こうとしているヴィーグリーズ国や反乱組織より、ベルヴェルク王政の復活を願うだろう。
「あのカラス使いもですか」
「ええ。戦争の前からミーミルはフギンを貸し出していたようよ」
「今のベルヴェルクに動かせる手勢なんてない。貸されているだけのミーミルの力を自分の力のように勘違いしているんだ。重用していた有力貴族たちや、すり寄っていた愛妾たちが揃ってそっぽを向いたのがいい気味だ。そのままどこかで野垂れ死ぬか、役所に突き出されたらよかったのに、あのクソじじいが」
暫定統治者となったテュールは、ベルヴェルク下にいた貴族の権力をそのまま据え置きにした。故に政治的混乱もなく、貴族たちにベルヴェルクに味方するメリットがない。
行き場をなくしたベルヴェルクが次にとった行動が、愛妾たちを頼る事。しかし愛妾たちも権力も金もない老人に冷たかった。無理もない。ベルヴェルクの愛妾は金と権力に目がくらんだ者か、ヨルズの母のように、無理矢理関係を持たされた者なのだから。
「よく戻ってきたな、我が娘よ。あの野蛮な怪物を始末したこと。褒めてつかわそうぞ」
ベルヴェルクの枯れた喉から、ざらざらと声がこぼれた。豊かな白髪と白いひげを蓄えた片目の潰れた老人だ。王の座を追われたというのに、以前と同じく威風堂々と椅子にふんぞり返っている。
捨て駒として足止めに使ったくせに。よく戻ってきたなどと言えるのが信じられない。ヴァナルガンドのことを野蛮な怪物呼ばわりすることに、ふつふつと怒りが湧く。
「お前の加護は利用の価値もないものだと思っていたが。この儂に隠し事とは感心せんな」
立ち上がったベルヴェルクが、ゆっくりと近づいてきた。顎を掴まれ、ぞわりと鳥肌が立つ。
「まあよい。儂は寛大だ。加護の力に免じて不問に付してやろう。さあ、儂を若返らせるがよい」
いやらしく細めたベルヴェルクの舐めるような視線が、首筋や胸元をねっとりと這った。
実の父親のはずなのに。怒りと嫌悪感しかない。
塔で暮らしていた頃。母にした仕打ちを知っていても、家族から引き離されて塔に閉じ込められても。塔に一度も訪れることがなくても。
それでも血のつながりというものが、小さな幻想を抱かせていた。
捨て置かれていても、父親としての愛があるのではないかと。侍女や侍従たちが言うように、いい子にしていれば、求められる王女でいれば、褒めてくれるのではないかと。誇りに思ってくれるのではないかと。
そんな幻想は祖国と共に砕かれた。ほんの少し残っていた幻想の欠片も、今の言葉で消えた。
加護の力を使ってしまえば用済みと始末されるか、よくて監禁。ベルヴェルクにこれだけ接近できる機会は今だけかもしれない。
ヨルズはフリルの下に隠していたナイフを掴み、ベルヴェルクに突き立てようとしたが。
「あっ!」
横からの手に弾かれた。
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