調子
ヴィーグリーズ国に来てからの日々は、穏やかに過ぎていった。アングルとお菓子や料理を作ったり。ロキと一緒に庭いじりをしたり。
たくさん失敗をしてたくさん謝った。
たくさん笑って受け止めてもらってたくさんできたことを褒めてもらった。
驚いたことにヴァナルガンドも一緒になって挑戦しては、ヨルズ以上に失敗した。流石に消し炭にしたり凍らせたりはなかったが、彼はおおざっぱな性格らしい。
調味料は適当に入れる。こねて形を作る菓子やおかずはきちんとこねられていなくてバラバラになる。材料はやたら大きく切る。野菜の皮は残っている。
花やハーブの種は均等にまかない。草を抜くだけでなく、植えた花やハーブの芽も抜いてしまう。
「あんたは邪魔しにきたの!」
「今までやったことのないことに挑戦しているんだ。最初から上手くいかないのは当たり前だろう」
加護の制御が下手だったヴァナルガンドは、何をしても大惨事になったために、子供の頃から家事の類は何一つやったことがないらしい。テュールに引き取られてからは加護の暴発も小さくなったものの、それからは貴族の教育と剣術のみだったそうだ。
「まったく。あんたのそれはやったことがあるないの問題じゃないよ。真面目にやる気はあるのかい」
「大真面目だ」
腕まくりをして、ぐいぐいと焼き菓子の生地をこねているヴァナルガンドが、口をへの字に曲げた。
「このお菓子はね。こねすぎると硬くなるわ、粉っぽくなるわ、もさもさするわ。風味もなくなるんだからね」
「見た目は同じじゃないか。腹におさめてしまえば同じだろう」
「食べてみれば分かりますよ」
こねた生地を眺め、憮然と呟くヴァナルガンドに腰に手を当てたアングルが呆れたように、息をはいた。
「ヴァナルガンド様。生地を混ぜる時はこうやって切るようにして、こねずにまとめるだけです」
「……おお。ヨルズはすごいな。俺とは雲泥の差だ」
「あんたは下手くそすぎだよ」
ヨルズの手元を覗きこんだヴァナルガンドが、ゆびで鼻の頭をかいた。指についた打ち粉が鼻の頭に移る。
「ヴァナルガンド様。鼻が白くなっています」
ヨルズはヴァナルガンドの鼻の頭についた白い粉を布で拭った。朱金の瞳が見開かれてから、少し揺れて笑みがにじんだ。
「ありがとう」
「……はい」
頬が熱くなったのを感じて、ヨルズは冷やそうと両手を当てた。
ヴァナルガンドの笑みには弱い。何かで胸がいっぱいになってあふれそうになる。
笑みだけではない。真剣な表情も。むすっとした顔も。慌てている時、焦っている時、寝ぼけて無防備な時、すねている時も。
じわっと温かいような、くすぐったいような泣きたいようなものがわいてくる。
結婚してから毎夜一緒に眠っているが、まだ妻としての務めは果たせていない。一夜過ごす度に、苦しいような嬉しいような気持が、ぐずぐずとヨルズをとかそうとしてきて、困る。
ヴァナルガンドはどうなのだろう。ちらりとうかがうと、「ん?」と首を傾げられた。そのどうということのない表情にさえ、よく分からない感情が暴れる。
「何でもありません」
制御のできない感情を振り払おうと、慌てて首を横に振った。
「ヴァナルガンド。父さん、最近腰の調子がいいからって動きすぎてるからね。もうすぐお菓子が焼きあがるから、休憩するように言っとくれよ」
「それを言ったら母さんもだろう」
「やあ~、最近疲れにくくってねぇ。ヨルズちゃんが来てくれてからヴァナルガンドの加護も大人しいし。あたしらだけじゃなくって、うちの屋敷に来る人もみんな、なんだか調子がいいって言ってるんだよ」
ぐるぐると腕を回すアングルの言葉に、ヨルズはぎくりとする。
加護の暴発。
アングルやロキと一緒に何かするのが楽しい。ヴァナルガンドといるのが嬉しい。気がつくと笑っている自分がいる。
塔の中ではずっと動かなかった感情が、ここに来てから忙しく動き出した。感情に伴って、加護の制御が甘くなっているのだ。
「もう寿命かと思ってたこいつもよく働いてくれるようになったし。これもヨルズちゃん効果かしらねぇ~」
年季の入ったオーブンをポンポンと叩き、朗らかに笑うアングルを見て、ヨルズは思い直した。
何かを壊したり危害を及ぼしてはいない。逆に調子が良くなったと喜んでくれている。ヨルズの力によるものだと気づかれてもいないのだから、構わないだろう。
「さて。焼きあがりましたよ。ヨルズちゃん、このバスケットに入れてくれるかい? こっちはあたしたちの菓子で、こっちはヴァナルガンドの失敗作ね」
「はい」
庭に出向けば、丁度手を洗っている二人がいた。
「いい匂いだな。美味そうだ」
ロキが嬉しそうに手をこすりあわせ、アングルがてきぱきと敷物を広げた上にヴァナルガンドが受け取ったバスケットを並べ、ヨルズがお茶を淹れる。
「ほら、ヴァナルガンド。あんたのはこっちよ」
「……美味くないな」
「ほらごらん!」
ヨルズはヴァナルガンドの焼き菓子を口に運んだ。少し硬くて口どけが悪く、香りがないけれど。
――上手く出来ているとかではなく、ヨルズが作ってくれたことが嬉しいんだ。ありがとう
はじめて料理を手伝った時に、ヴァナルガンドがくれた言葉の意味が今はよく分かる。
「美味しいです」
なかなか口の中からなくならない焼き菓子をお茶で流して、ごくんと飲み込んだヨルズは。
自然に笑っていた。
――楽しいってどんな気持ち? 幸せってどんな形だった? 本当の笑顔はどれだったの。
わたくしは、生きているの?
アースガルズにいた時のわたくしに見せたい。
楽しいのはこんな気持ちで、幸せはこんな形で、本当の笑顔はこれだった。
わたくしは生きている。
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