料理
「これは」
日が暮れて帰ってきたヴァナルガンドが、大皿料理に朱金の瞳を見張った。
数種類のタルト。二種類のパン。煮込み野菜。それらが中央にドンと並び、野菜スープだけは人数分あった。
「流石に平民の食事よりは豪華だけどね」
「パンよりオートミールだったものな」
「野菜だってこんなになかったしねえ」
「ミルクもなかったから、具のない塩スープだったな」
「そういう問題じゃない。平民の食事より豪華とはいえ、元王女に」
朱金の瞳が、ちらりとヨルズを向いた。
「味見をさせて頂きましたが、大変美味しかったです」
「味見?」
ヴァナルガンドが不思議そうに瞳を瞬かせた。
用意された料理を食べるのみの王候貴族が、味見などするわけがないからだ。
「今日の料理はヨルズちゃんも一緒に作ったんだよ。味見もその時にしてもらったんだよ」
「は? 何をさせているんだ、母さん」
ヴァナルガンドの眉間にしわが寄った。空気がひやりと温度を下げる。
『淑女はそんなこといたしませんよ』
『勝手な行動は慎んで下さいませ』
『王女にふさわしくございません』
何度も何度も言われてきた言葉が、頭によぎる。
失言してしまったと後悔したヨルズは、深々と頭を下げた。
「差し出がましいことをして、申し訳ありません」
「違うんだ。俺はただ、君に料理の支度を手伝わせるなんて、そんな使用人のような真似を」
慌てたようにヴァナルガンドが手を振ったが、下を向いたヨルズは見ていなかった。
「貴族の妻が、使用人のような真似をするなど、言語道断ですね」
きゅっと唇をかむ。
一緒に料理を作るなんて、貴族の妻らしくない行動が気に障ったに違いない。
アングルとロキは貴族より平民を選んだが、ヴァナルガンドはヴィーグリーズ国の英雄だ。ヨルズは英雄の妻として迎えられたのだから、それらしく振る舞わなくてはならなかった。
「あーあ。この子はもう」
「おいこら、ヴァナルガンド」
「あ、いや、違うヨルズ。そうではなくて」
二人の呆れたような責めるような声と共に、焦ったヴァナルガンドの声がした。骨ばった手が伸びてきて、体の前で組んでいたヨルズの手に触れる。
「すまなかった。君に怒ったのではないんだ。顔を上げてくれ」
大きな手に包み込まれて、そろそろと顔を上げると、ヴァナルガンドが眉尻を下げていた。
「父さんと母さんが張り切りすぎて、元王女の君にあれこれさせたのではないかと。俺は君に、貴族の妻らしさなんて求めていない。君が嫌ではなかったのならいいんだ」
「本当にいいのですか」
「ああ。その代わりに嫌だった時は言ってくれ」
はい、と答えようとしてヨルズは言葉をつまらせた。『嫌』ということ。『嫌』という感情。それはとっくの昔に捨てたものだ。
塔に放り込まれた当初は、嫌だと泣いた。知らない人ばかりの場所も、強要される教育も何もかもが嫌だった。だが嫌だと言うたびに叱られ、叩かれたり食事を抜かれたりした。そのうちに嫌ということをやめ、嫌だと思うことも拒否した。
この人たちの言うことを聞いていれば、叱られない叩かれない。きっと自分が出来ないのが悪いのだ。これが普通で、嫌と思うほどのことじゃない。そもそも嫌だと思うことそのものが間違っている。
ヨルズの様子を見たアングルとロキが、顔を見合わせる。すぐにアングルが両手を広げた。
「さあさ、せっかくヨルズちゃんが手伝って作った料理だ。みんなで食べましょうかね」
広げた両手でヨルズの背中を押す。ロキの方は、ヴァナルガンドを小突くようにして押した。
「美味いな」
野菜スープを一口飲んだヴァナルガンドが、口元を小さくほころばせた。ヨルズは嬉しくて跳ね上がりかけた心を静める。
浮かれてはいけない。喜んではいけない。
「そりゃ美味しいでしょうよ。ヨルズちゃんが手伝ってくれてたんだから、愛情はいつもの二倍だよ」
「味付けはお母様がしていますから」
「何言ってんですか。味見して最後の微調整はヨルズちゃんがしてくれたでしょう。いつもよりずーっと美味しいですよ」
アングルはそう言ってくれるが、味見させてもらった時には少しだけ塩が足りなかっただけだ。それも最後に手を加えさせようと、わざと足りない状態で渡したのだと思っている。
「ヨルズちゃんが切ってくれた野菜だと、いつも以上に美味いよな。なあ、ヴァナルガンド」
ロキの片側が不自然に動き、ぴくっとわずかにヴァナルガンの体が揺れた。不機嫌そうな朱金の瞳が隣のロキに向く。
睨まれたロキが、何食わぬ顔でスープを口に運んだ。
「上手く皮をむけなくて、小さくなってしまいました」
ヨルズは体を縮こまらせた。
はじめて使う包丁は力が入ってしまい、皮をむくと野菜が半分になってしまった。アングルがむくと魔法のようにするすると薄くむけるのに。ロキだってアングルほどにないにしろ、ヨルズに比べたらずっと上手だった。
「最初から上手くいかないのは当たり前ですよ。ヴァナルガンドなんて、小さくするどころか消し炭にしちゃいましたからね。ねえ、ヴァナルガンド」
「んぐっ」
隣のアングルの足が動いたと思ったら、パンをほおばっていたヴァナルガンドがむせた。
「?」
「ゴホッ。何でもない」
喉をさすって落ち着かせたヴァナルガンドが、決まり悪そうに視線を横に向けて続けた。
「消し炭にしたのは本当だ。薪割りの木も焚火にする前に燃やしたし、水汲みをすれば凍らせた。俺に比べたらヨルズはすぐ上手くなると思う……痛っ」
「大丈夫ですか。どこか具合でも」
心配になって腰を浮かしかけたヨルズを、アングルとロキがまあまあ、となだめた。
「気にしない、気にしない」
「どうせ足を椅子にぶつけたのよ。行儀が悪い子よね」
「……そういうことだ。椅子にぶつけると痛いからヨルズも気をつけろ」
「ヨルズちゃんがそんなことするわけないだろ」
渋面で頬をかくヴァナルガンドの額を、ロキが勢いよく弾いた。
「うるさいな。混ぜっ返すなよ、父さん」
「ぷっ」
額を押さえたヴァナルガンドが、不服そうに頬をふくらませる。はじめて見せる子どもっぽい表情が可愛らしくて、ヨルズは思わず吹き出してしまった。
くすくすと肩を震わせると、頬に何かが当たる。
「やっと笑ったな」
ヨルズの頬を撫でるのは、微笑んだヴァナルガンドの指だ。
「上手く出来ているとかではなく、ヨルズが作ってくれたことが嬉しいんだ。ありがとう」
ヴァナルガンドの声も顔も指も優しくて。
「……はい」
どうしよう、とヨルズは思う。
静めても沈めても、心が浮き立つのを止められなかった。
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