縁の繋ぎ目
ストーリーの変更により、これまでの話を一部改稿しました。(2020/08/27現在)
報告が遅れてしまい、申し訳ありませんでした。
千代は紺屋の裏口に回り、息を整えながら控えめに戸を叩く。
「ごめんください」
焦燥のままに拳を叩きつけないくらいの冷静さはあった。
しかし千代の心臓はばくばくと脈打ち、脳髄までその振動が響くようである。
「はい、どちら様で」
「古着の桔梗屋です。千代です」
閂が抜かれ、からりと目の前の戸が開いた。
「喜助!」
「おう、どうした」
千代は喜助の顔を睨みつけるように見上げ、喜助はその形相に慄く。
「色あせた着物が梔色だったら、元は何色に染められてたと思う」
「な、なんだよ。藪から棒に」
「いいから答えて!」
喜助は斜め上に視線をやり、それを千代の顔に戻すと答えた。
「深支子じゃねえのか。かなり日焼けないと、そうならねえけどな」
「じゃ、じゃあ、紺屋は梔とそれを間違えることはあるのか?」
「んなことあるわけねえよ。そんなことしたら、破門ものだ。それで、一体どうしたんだい。客に難癖つけられでもしたか」
千代は一瞬ぐ、と答えに窮する。店の失態を話してもいいものだろうか。店がいくら赤字でも、そんな素振りは見せちゃいけねえってのに。
別の自分が呟いた。
果たして喜助は、そのようなことを吹聴する輩だろうか。
千代は少し迷ったあと、喜助に打ち明けた。古着屋とは違う仕事だったからかもしれないし、単に信頼していたからかもしれない。
それは千代にも分からなかった。分からないまま、説明した。これが最善だと思ったから。
「親の形見だっていう着物を探してた客がいたんだ。梔色の麻の葉文様って言うもんだから渡しちまったんだが、店にはそれが2つあって、探してるのは絹の方だったんだ。それで、もう片方を出したんだけど、次は色が違うことに気づいて、それで」
「落ち着け。色があせたっていっても、そうそう着物の全部が落ちるわけじゃない。深支子が梔色だと見間違えるのに、どれだけ時間がかかると思う?」
「じゃあ、あれが形見でよかったのか?」
喜助はちょっと黙って、唇の端を人差し指でポリポリ掻いた。
「……さっき客が来たんだ。麻の葉文様の着物を持って、『これを深支子に染め直してくれ』って。数日かかるって言ったら、急ぎの用だったみたいで断られたけどな」
「その人。どこに行った」
「町の奥の方に行ったと思うぞ。今日中に仕上げてくれる店を探しているんじゃないか」
千代の頭ん中で、ぐるぐるとやるべきことが渦巻いていく。
喜助の店に来た人を探しに行って。
いや先におっ母さんのところに知らせねえと。
ねねさんも追いかけて、また声を掛けなきゃ。
やでも、先に買った人から返してもらうわけにもいかないんじゃないか?筋が通らねえだろ。
そうこうしているうちに、ねねさんが行っちまう。どこに向かうかも知らねえのに。
どうしよう。どうしよう。どうしよう。
「千代!!」
ぱちん、と思考が弾けた。
「え、なに。なんだよ」
「俺は紺屋町を探しに行くから、お前はおばさんのところに行け。お客の買ったやつが合ってるかもしれんし、間違ってるかもしれん。だから、それを伝えたあと、客んとこ追いかけな。
俺も見つけたら、桔梗屋に向かうから」
「わ、分かった」
どうして。どうしてそこまでしてくれるんだい。
その疑問を喉の奥に押し込んで、千代は古着屋街に駆け戻る。
舗装された砂利道を、草鞋で強く蹴った。
「おっ母さん!……あれ、ねねさん!?」
大急ぎで店に戻ると、母ともう1人、不安そうな面持ちのねねがいる。
「あたしが追いかけたんだよ。もし違う品物だったら、大変な事だからね」
「そっか。うん、あんがとな」
千代はねねと離れたところに座り、登代もそれに続いた。
「喜助に話を聞いてきたんだ。色の落ち具合を見ないと、なんとも言えないって。でも、同じ色合いの着物を持ってきたやつがいて、喜助が今その人を追いかけてる」
「……なにやら大事になってきたね」
「やっぱり、駄目だったか?」
状況を説明したが、喜助の下りのところで登代の顔が険しいものになり、不味かったかな、と俯きそうになる。
しかし登代は首を振り、千代の目を見返した。
「ひとりで抱え込むよりずっといい。あんたは人に頼らない節があるからね。……何事もなければいいんだが」
「喜助、連れてきてくれるかなあ」
「それは、あの子の腕次第だ。あんたが巻き込んだんだろうが、それだって喜助が聞いてきたんだろう?任せるしかないさ」
喜助が聞いてきたことは話してないのに、どうしてかぴたりと言い当ててくる。
叶わないなあ、と千代は静かに息を吐いた。
母に事情を話し、次はねねを安心させなきゃいけない。
二度も三度も店に連れ戻されたのだ。体力的にも精神的にも辛かろう。
申し訳ねえなあ、と千代は小さくなった。
しかし実際のところ、桔梗屋の二人に責はない。どちらかというと被害者の方だろう。似通ったものが2つも3つも街に出回り、それらの1つが客の唯一のものなのだ。
間が悪かった。今回の一連の流れはそれに尽きよう。
「千代、連れてきた」
振り返ると、たすき掛けをしたままの喜助ともう1人、年若い男が立っていた。
「庄蔵さん……!?」
「ねね!?」
そしてどうやら、2人は顔見知りだったらしい。
喜助に顔を向けると、こっちへ来いと手を招かれる。
「あの二人、結婚の約束をしていたらしくてな。俺が着物を探している女がいるって言ったらすぐについてきたんだ」
「なるほどねえ」
庄蔵と呼ばれた男は、座っているねねに近寄り、持っていた風呂敷づつみを解いた。
「これ、ねねのお袋さんのものだろ。元は、俺の母さんが仕立てたものだったらしいけどな」
「どういうこと?」
「え、聞いてないのか。俺の母親とねねの母親、別れるときに互いの着物を交換したんだよ」
庄蔵の説明によると、真実はまあ入り組んだものだった。
庄蔵とねねの母親は、幼なじみだったらしい。家が隣で毎日のように遊んでいたという。
歳も好みも同じの2人は、成人祝いの着物も似たようなものを選び、着付けた姿は双子のようだった。
しかし成人したと同時に、庄蔵の母は土地を離れねばならなくなった。婚約を交わした男は長男であり、そこに嫁入りという形でねねの母の元を去った。
せめてもの願掛けとして、2人はお互いの着物を贈りあった。
庄蔵の母親は深支子を。
ねねの母親は梔色を。
それぞれ身につけて別れを偲んだ。
さて。そのような美しい友情の結晶が、なぜここまで拗れたのかというと。
「もしかしてお義母さん、それから連絡を絶ったんじゃない?」
「たしかに母さんは、文を書く素振りは見せなかったが……。それでか?」
「ええ。お母さんはそういう人だった。変なところで気に病んで、それでいて臆病だった」
何も言わずに傷ついて、それを治そうともせず黙って傷を隠す人。
切れずとも拗れた縁は、長い月日を経てまた解けて結ばれる。
前世の縁かね、と千代は思う。それを繋いだのが着物だなんて、古着屋冥利に尽きるというもの。
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閉店後、千代は母と夕餉を食べながら思い返す。
あの後、ねねと正蔵に何度も頭を下げられながら見送ったのだ。家は江戸から少し離れた位置にあるらしい。
似たもの同士だったなあ、と千代は柴漬けをかじった。
「じきに留袖を仕立てるんだろうな」
明日は筋肉痛が待っているとも知らずに。