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不思議なお客

「お、千代じゃねえか。ちょうどいいところに来たな。……あー、茶でもどうだ」

「すまんね買い出しだ。早くしないとおっ母さんに怒られちまう」

「や、少しだけでいいんだよ。なっ?話だけでも聞いとくれよ。茶請けも出すからさ」


 雨は止んだが日は暮れた、という訳で、桔梗屋は店を閉じた。そこで待っているのは夕飯の支度である。


 買い出しを頼まれた千代は、寄り道をしない条件で駄賃代わりのお釣りをもらう約束をしたのだ。

 頼まれたものも調達し、さあ帰ろうといったところで通りすがった紺屋の喜助に話しかけられた。


 油を売るわけにはいかない、と千代は首を横に振ったが、どうしてか店番の喜助に粘られる。


 喜助は、桔梗屋がある通りの近くの紺屋町に構える店の跡取り息子だ。歳は十三で、近所の奉公先に出向いた従兄弟の治助のことでいつも気を揉んでいる。


「一体どうしたのさ。治助の近況が分からない?そりゃお前さん、あっちは一日中仕事してんだから、話す時間だって惜しいに決まってるだろう。間違っても奉公先に乗り込むんじゃないよ」

「ああいや、そうじゃねえんだ」

「それじゃあれか、治助が前みたいに懐いてくんないんだな?あれだけくっ付いてりゃあ、当たり前なこったろうに」

「だから違ぇって。治助は今関係ないんだよ!」

「へえそうかい。……えっ!?」


 千代は目をまん丸にした。この男が、治助に関係ない話をしようとしている。必ず二言目には『治助』と鳴くというのに。どういう風の吹き回しだろう。


「詳しいことは中で話すよ。それにしても、なんで俺が文を出してるのを知ってるんだい」

「うちのおっ母さんと喜助のおばさんが話してるのを聞いたんだよ」


手短に頼むよ、と言えば応、といい返事が返ってきた。わらび餅分の話は聞いてやらにゃあな。そういった心づもりで裏に上がっちまったことが、千代の運命の分かれ道だったかもしれない。



「それで、話って?」


 餅に黄粉(きなこ)と黒蜜を絡めながら、千代は口火を切った。

 対する喜助は茶をちびちびと飲んで、どこから話したもんかと思い返している。


「ああ、治助から聞いたんだがな」


 やっぱり治助絡みじゃないか、と千代は半眼になった。


「いやそんな目で見るんじゃねえ。こっからが本題だ。なんでも、娘が尋ねてきたらしい。何年も切り盛りしている店主も見知らぬ顔で、ここらで古着屋はどこにあるかって、それだけを聞いてきたんだってよ」


「そんなら普通だろ。地方から引っ越してきた娘さんなら、尚更だ」

「でも、治助が一件だけなら知っているって答えたら、そんときの顔が凄まじかったらしい。親でも殺されたかのような勢いで、店はどこかと迫ってきたって治助がぼやいてたんだよ」


 うーむと黄粉のついた黒文字を咥えながら、千代は唸る。古着屋はそんな血相を変えて飛び込んでくるところじゃない。どうにも不可解だと首を傾げたところで、千代はぴしりと固まった。


「ねえ喜助、その治助が答えたところって……」

「桔梗屋だってよ」


 今度こそ千代は、黒文字を皿に投げ捨て頭を抱えた。

 (うち)がどうしたって言うんでい。上方からのお零れを偶にもらう程度の古着屋だ。それ以上でもそれ以下でもねえったら。


 眉間を抑える千代に、喜助は冗談交じりに言う。

「お上からのお達しかもなあ。お前、何かやらかしたんじゃねえのか?」



「あっ千代! 今までどこに行ってたんだい、この馬鹿娘が! ……口に黄粉がついてるね。おおかた駄賃で寄ってきたんだろう」

「おっ母さん……」


 千代は母の姿を認めると、両目を潤ませて駆け寄った。登代は怒りを一旦収め、目を白黒させる。


「家が、お取り潰しになるかもしれねえ……」

「はあ?」



 千代は座敷に座り、ぼそぼそと話の一部始終を話した。


「こんな古着屋に血相を変えるなんておかしいじゃないか。やっぱり喜助の言った通りになるんだ、逃げねえと!」

「馬鹿言ってんじゃないよ。聞く限り、その娘さんはお客だろ。相手がどんな事情でも応えるんだよ、いいね?」


 千代は反論したかったが、店主である登代の決定には逆らえない。しぶしぶ頷いたものの、えらいことになるんじゃねえかと密かに私物を風呂敷に包んだ。


###


 翌日。からりと晴れた青空は、湿気の一筋だって感じさせない。

 一方、千代は前にも増して落ち着きがない。理由は分かりきっている。昨日は既に店を閉めていたから良かったが、今日はどうなることやら。明日かもしれない。


 生殺しも辛いなあ、と千代は遠い目をしながら、登代が買い取った着物をひたすら奥に下げていた。


 使いものにならないと登代に宣告を下されたからである。

 父の言葉遣いが交じった、さっぱりした口調を体現した性格の千代にしては珍しい。


 登代も少しは気にしつつ、目の前の客に笑みを返した。


「ん、これは痛んじゃいるが、絹の帯ですからね。このくらいになりますよ」

「……これで丁度だろう。そういや、どこかに紺屋はあるか?ああ、帯じゃないんだが、染め直したいものがあって」

「そんなら、ここを出て右にずうっと行った先に紺屋町がある。その1番手前の左手の店なら、顔を知ってるよ」




 さて。開店から数刻経ち、もう少しで昼に差し掛かる頃合だった。

 食事の支度のために客も少なくなった頃、突然1人の娘が駆け込んでくる。もちろん桔梗屋は駆け込み寺でも番屋でもない。


 登代も少なからず驚きながら、平静を保って娘に声をかける。

 娘は息を切らして、必死の形相で店の外を指さした。


「あの!! 店先に吊るしてある着物って誰から買いましたか! 梔色の!」

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