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Caravan  作者: Ni_se
プロローグ
7/53

7


「うぅ...」


執務室の扉が開かれ、げっそりとした表情のヨルが顔を出す。

ヨルの目には泣き腫らしたような跡が残り、仄かに赤く充血しているのが見えた。


あの後、ヨルは船内にある医務室で目を覚ました。

どうやら遅れて来たレオに船まで運び込まれたらしく、気が付いた時には全身の痛みも殆ど消えていた。

ヨルの怪我は見た目ほど酷くはないらしく、特に酷い場所、腹の周りを包帯で覆う程度で済んだ。

その隣ではクリスがぐっすりと眠っており、治療した者が言うには、安静にしていれば問題ないとのこと。

その後、様子を見に来たエルザに拉致され、今に至る。



「あんな怒んなくてもいいじゃんかよ...。はぁ...」


陰鬱な気分に、つい溜息を吐く。

エルザに連れられた先で待っていたのは、腕を組み、青筋を立てたレオによる怒号。

もしかしたら、船を抜け出す程の行動力を褒められるのかも、というヨルの淡い期待は早々に打ち砕かれ、只管に続くレオの説教は永遠のように感じられた。

横で付き従うエルザへ目線で助けを求めるも、我関せずといった様子。

涙も枯れ果てた頃、今日はもう遅いから、というエルザの一言により今日の所は終わる事が出来た。


「最悪だぁ...」


それが、ただ説教の時間を先延ばしにしただけ、ということに気付いたのは部屋を出て少し経った後のこと。

明日も続く説教に、今日一日、結局レオに助けられただけで、何もすることが出来なかった事。

思い返すだけで、自然と溜息が出てしまう。

夜風に当たれば、この沈んだ気分を少しでも紛らせるだろうか。

そう考えたヨルは、甲板へ向かうことに決めた。




時刻は深夜。

ヨルの眠っている間に夜は更に深まり、漆黒に染まった空には、青白い月の光が一際輝いて見える。

甲板へ出ると、時折吹き付ける海風が少し肌寒さを感じさせた。

しかし、それが今のヨルには心地良く、沈んでいた気分も幾分か楽になったような気がしてくる。

波音のみが響き渡る静寂の中を、ヨルは歩く。


「ん?」


人の居ない筈の薄暗い甲板を照らす、燈がひとつ。

近づくに連れ、それが見知った者であることに気が付いた。

船の外へ足を投げ出すように座り込む、ガタイの良い者の多いこの船では珍しい、平凡な体躯の男。

ヨルは、その男の名を口にする。


「ミゲル?」


昼間、この甲板の上で出会った男、ミゲル。

ヨルの声に疑念が含まれているのは、あの軽薄な雰囲気がなくなっていたから。

その、何かを考え込んでいるような真面目な姿が、昼間の能天気そうな姿しか見た事のないヨルには、それがミゲルであるという確証が持てなかった。


「ん、...あぁ!ヨルサンじゃないッスか!!昼間の時振りッスねー」


すぐそこまで近づいた所で漸くこちらへ気付くと、それまでの表情が嘘のように元気な表情でこちらへ手を上げる。


「こんな暗い所で何してんのさ?おれはついさっきまで説教受けててさ。...あ、もしかしてミゲルも怒られた?ごめん、おれのせいで...」

「あー、...まぁ、そんなところッス。けど、それくらい慣れてるんで気にしないでいいっスよ!」


あの無理難題にも思える仕事を無条件に引き受けてくれた恩人、そんな存在を同じ目に遭わせてしまったにも拘らず、ヨルに責任を負わせまいとする態度。

ヨルはミゲルに対し、益々好意的な感情が湧く。

その想いは強く、初めは胡散臭さを感じていた笑顔も、今ではそれに安心感すら感じてしまう程。


それからヨルは隣に座り、色々な話をした。

内容は主に、この船の長であるレオに対する不平、不満。

ヨルが愚痴を溢し、それにミゲルが聞き頷く形で進んだ。

時間に厳しい割に自分には甘いこと。

すぐ拳骨が飛んで来ること。

先程まで続いた説教のこと。

自分の言葉に肯定してくれる事が嬉しく、それに気をよくしたヨルは溜め込んでいた不満を余すことなく全てを曝け出していった。


「今日だってあんなに怒ることないのにさ!......はぁ、なんでこんなに怒るんだろ。...おれの事、嫌いだったのかな」


先程、叱られた事を思い出し、ヨルの気は再び沈み込んでしまい、ぽつりと呟く。

そんなヨルの頭へ、ミゲルは慰めるように手を伸ばす。


「そんなことないっスよ。大切に思ってるからこそ、こんなに怒るんですって」

「そうかなぁ」


乗せられた手は暖かく、嫌な事が薄れていくような、不思議な感覚を覚えた。

眠気とも違う心地よさに、思わず意識を手放してしまいそうになる。


「団長の事、好きじゃないんスか?」


唐突なミゲルの問い掛けによって咄嗟に浮かんだ言葉は、先程叱られた思い出によって掻き消される。

ヨルは目を背け、つい、捻くれた答えを返してしまう。


「大嫌いだっ」


勢いで口に出した言葉に、少しの後悔と、得も言えぬ快感と気恥ずかしさが同時に沸き立ってくる。

その背後で、ミゲルの口角が少し上がっている事に、ヨルは気付かなかった。



「...あ、そういえば。誰かが団長の噂をしてるのを聞いたことがあったような...。確か、子供を攫った事があるとか」


突然、ミゲルは思い出したような素振りを見せ、そう口する。

普段のヨルであれば、戯言と吐いて捨てるような噂話。

しかし、その言葉はヨルの頭の中に響き、溶ける様に染み渡っていく。


「子供を攫う為に、村に火を点けて回ったとか」


頭の中に、映像が次々に映し出されていく。

村中を焼き尽くす炎、泣き叫ぶ赤ん坊、そこへ手を翳す何者かの影。

その映像は一瞬の内に移り変わっていき、突然ノイズが走ったような感覚に掻き消され、見えなくなる。


「そんな危険な男の居る所、離れた方が良いに決まってるっスよ。...そうだ!今からこの船、抜け出しちゃいません?」


唐突な提案に、ヨルは戸惑いを覚える。

ミゲルの話す言葉は正しい。

ヨルの頭に響く言葉に従おうとする度に、心は晴れていく。

その言葉に、全てを委ねてしまいそうになる。

だが、それと同時に、本当にいいのかと問い掛ける声が、意識の奥底から聞こえて来る。

決めつけるのは幾ら何でも早計過ぎやしないだろうか。

あの、憧れすら抱いたレオが、そんな事するはずがない。

霞がかっていく意識の中、ヨルは既の所で踏みとどまる。


「嫌なんスよね?だから昼、抜け出したんじゃないスか?さっきも言ってたじゃないっスか、大嫌いだっ!って」


ヨルの葛藤を見透かすかのように、連ねる言葉。

その言葉は頭の中で幾重にも反響し、心に懸かる靄は更に強くなっていく。


「違う...そんなこと思ってない」


心が揺らぐ。

あの言葉は、そんな理由で言ったわけじゃなかった。

あの時、つい口に出してしまっただけで、本当はそんなこと思っている訳じゃない。

それでも、確かに口から出たのは事実。

本当はそう思っていたのかもしれない、そう思い始めた途端に心の揺らぎは大きくなる。


「頑固っスね...。なら、本人に直接聞いてみるのはどうッスか?」

「ちょく...せつ...?」


...そうだ。

疑うくらいなら、聞いてみればいいじゃないか。


「もし聞いてみて、その気があれば来てください。街の広場で待ってるッスから」

「......」


ヨルの心に、もう迷いはなかった。

靄に包まれた意識の中で谺する、ミゲルの声の通りに動くだけでいい。

そうするだけで、ヨルの心は幸福に満たされる。

ミゲルに言われた言葉を、ヨルは小さく呟きながら立ち上がる。


「っと、忘れ物っスよ」


いつの間にか落としていた、目が覚めてからも持ち歩いていた短刀。

それを渡すミゲルは、何時もと変わらない軽薄な笑みを浮かべ、この場から離れていくヨルへと手を振り見送る。




ヨルが出て行ってから少し経った頃。

本棚に囲まれた執務室の中では、レオとエルサ2人の会話が続いていた。


「ったく。...エルザ、お前あいつに甘くないか?」

「そんなことはないと思いますが。...団長、報告したいことが。」


背後で控えるエルザの話に、レオは顎をしゃくる事で先を促す。


「団長が午前中に話したという依頼人ですが、衣服を剥ぎ取られた姿で死亡しているのを団員が発見しました。確認はまだですが、夕方出会ったという人物は恐らく、他国の者で間違いないかと。」


レオは大きく息を吐き、椅子へ更に深く凭れる。

重苦しい空気の中、エルザの紙を捲る音が辺りに響く。


「また、船内にて軽い火災があったとの報告がありました。早期に発見出来たお陰で騒ぎにはなりませんでしたが、犯人と思われる人物は未だ見つかっておりません」

「......」


レオの目の前、質素なこの部屋の中で唯一意匠の凝った、しかし派手さを感じない漆の塗られた机。

そこに備え付けられた引出しから、レオは薄汚れた紙を取り出す。


「依頼人の死に火災...。預言の通り、か。」


背後に控えるエルザにすら聞こえない程小さい声でそう呟き、レオは目を軽く瞑る。

暫くの間、部屋に沈黙が流れた後、目を開いたレオは唐突に立ち上がる。


「ちょっと風に当たってくる」


レオはそう言い残すと、頭を下げるエルザへ目もくれず部屋を後にする。


机に残された紙。

そこには、今日一日起きた出来事と、その後甲板へ向かう旨が書かれてあった。

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