18
ジグラト公国へと続く街道。
ソル王国から東北東に伸びている道は、真直ぐに伸びている分余計に長く感じ、その先に見える一切近づく様子のない巨大な山々が、余計に距離を感じさせている。
ひたすら続く草原を進み、数えきれないくらいの昼と夜を馬車の中で過ごした今、2人を駆け出しの傭兵と呼ぶ者は居ないだろう。
依頼を受けたのは、王都での薬草集めが最後だが。
かなりの速度を出しながら走る馬車に揺られる中、唐突にネロが口を開いた。
「...そういえば、おふたりの向かう国について説明していませんでしたね」
魔術国家テルモス。
その国の領土は小さく、首都以外の治めている街や村がない点で言えば都市国家アルベウッドよりも都市国家と言えるが、国力だけで言えばこの大陸、世界でも1,2を争う程に強大な力を持つ。
なぜ、小さな国にも拘らず、強力な力を持つことが出来たのか、それは国の名前にもなっている通り、魔術の研究を盛んに行っているからである。
国を興した人物を筆頭に、数々の発見をしていったこの国は、気付けば大国と言われていたソル王国と肩を並ぶ国力をもつほどに成長していった。
そして、この国の誇れるところはそれだけではない。
それだけの国力を手に入れたにも拘らず一切の驕りはなく、有ろうことか首都の中に学園を造り、自らの生み出した偉業を、魔術に興味のあるものが学ぶことの出来る場を設けたのである。
当然、全ての者を教えることは出来ない為、一定の条件を設けているが、それが却って通う者に憧れを、卒業することが一種のステータスのようになっていた。
そんな魔術国家テルモス最大の謎と言われているのが、国の長が1人しかいないということ。
国を代表する者が1人しかいないのは、ソル王国の場合も同じなのだが、この国では少し事情が変わってくる。
人間、誰しも寿命というものがあり、それが終わりを迎えれてしまえば心臓は動かなくなる。
それはソル王国の王ですら例外はなく、その血を継ぐ継承者へと王の座は受け継がれていく。
だが、魔術国家テルモスの場合、国の長は後にも先にも1人しかいなかった。
国を興した時も1代目、幾年を経た今も1代目。
その国の長は、研究一筋な性格で表舞台へ一切出て来ないことに加え、学園の校長が殆どの国の仕事をこなしていることから、代表というものは存在しない、人間ではないなどという憶測が飛び交っていた。
「噂では不老不死の薬を創ったとか、自分をコピーする魔術を完成させたとか言われてますね」
「ほう...それは興味深いな」
ネロの説明に、クリスは興味津々といった様子で聞き入っている。
それに対し、ヨルは長い説明に聞くことを早々に諦め、意味もなく天井を見つめていた。
馬車に乗り始めた時は、あまりのやることのなさに嘆いていたヨルも、乗っている内に段々と慣れていき、今ではそれに懐かしさすら感じる。
「俺としては、魔術についてもっと詳しく聞きたいな」
「分かりました。なら、まずは魔術の成り立ちから...」
何より、究極の暇を潰す手段を見付けてしまった今、暇というものは怖いものではない。
「んなぁー!走ってくる!!」
かなりの速度で走っているにも拘らず、そう言うや否やヨルは馬車の外へと飛び出していった。
「...ネロ、お前ってそんな性格だったか?」
「そんなも何も、僕はただクリスさんの言葉に返しただけですよ?」
確かに、説明を聞いている最中、次第に目が虚ろになっていくヨルが可笑しく、つい意地の悪い事をしてしまった。
だが、まさかネロまで乗ってくるとは思わなかった。
窓の外には、今正に馬車と競争しているヨルの姿が見える。
ヨルがこの暇つぶしを思いついた時、全然馬車に追い付くことが出来ず、後ろの方で倒れているヨルを拾いに戻ることも度々起こった。
倒れて拾い、倒れて広いを繰り返していった結果、今では十数分程度なら、なんとか馬車と並走するまでに成長してしまった。元々力は強い方とはいえ、馬並みに速く走れ...いや、思い返すと、遺跡では巨大な熊と力比べをしていたことがあったな。
...まあ、それはいい。とにかく
「一度走り出すと、限界まで走り続けるんだ。ネロも知っている筈だろう?...思えば、こういう時必ずヨルが走り出す方向へ話を持っていってないか?」
「それで、えっと魔術の話でしたっけ?」
「話を逸らすな」
ネロが普段何を考えているのかを是非とも聞かせて欲しいが、いくら睨み付けた所で教えてくれそうにはないので、クリスは諦めてそろそろ限界を迎えるであろうヨルを回収する為に馬車の外へ身を乗り出した。
「...お、見えてきましたね」
「もう着いたのか!?」
ぼそっと呟いたネロの言葉に、全力で走ったことで俯せに倒れていたヨルは勢いよく身体を持ち上げる。
「いえ、ジグラト公国はまだまだ先なのですが...おふたりに、見せたい場所がありまして」
ほどなくして、馬車を道の途中で停車させると、ネロは馬車を降りていく。
何も説明もなく降りて行ったネロに疑問に思いつつも、それに従い、2人も馬車を降りていった。
「丁度通り道だったので、是非とも見てほしかったんです」
先に到着していたネロが、そう言いながら指を向けている方へ視線を向ける。
そこには、平地である筈のこの場所に、円形の巨大な穴が広がっていた。
「...すごいな」
先を見通すことが出来ないほどに広く。
巨大、と呼ぶにも烏滸がましいほどに深い、深い谷。
日差しが届かないほどではないが、それでもここから落ちたら確実に助からないだろうということは分かる。
「この場所は、遙か数千年前、ラグナロクが起こったとされる時代に出来た、戦闘の跡らしいです」
戦闘ということは、数千年前の人間、この地に生きる生物は、こんなに巨大な穴を生み出せるほどにパワーを持っているということになる。
少し前まで、馬との競争で慌てていた自分が酷くちっぽけなものに見え、気恥ずかしさすら感じて来る。
「こうしちゃいられないな、ヨル」
この巨大な穴は昔出来たものと言っていたが、この時代にいないと決まった訳じゃない。
寧ろ、この世界に存在していたということが分かっただけでも、俄然やる気が湧いてくる。
そして、それを感じているのはクリスだけではない筈。
隣に立っているヨルも、同じことを思っている筈だろう、そう思って掛けた声はしかし、返事は帰ってこない。
「...ヨル?」
不審に思ったクリスは、隣を見る。
すると、隣には頭を押さえ、地面に倒れるヨルの姿があった。