14
1日目、殆どの時間を買い出しに費やしてしまった。
ヨルが目を覚ましたのは陽が昇り切る頃で、急いで準備して向かったものの、案の定、先に準備を終えていたクリスに怒られる羽目になった。
おまけに、思ったよりも必要な物が多かった為、買い出しを終える頃には既に陽が暮れてしまっていた。
2日目、軽い依頼をいくつか受け、森へ向かった。
組合で依頼を選んでいると偶然リコリスを見掛け、気付けば薬草採取の依頼と一緒に付いて来ることになってしまった。
ヨルとクリスは2人とも薬草の知識を持っておらず、また、2人より3人で集めた方が効率がいいとの提案で渋々リコリスを連れて行くことになった。
リコリスの薬草の知識は目を見張るものがあり、森へ着くや否や、雑草や毒草には一切目もくれずに目当ての薬草だけを抜いていく姿は、とても頼もしく見える。
また、あまりの草の種類の多さに、リコリスが居なければ今日中に終わることは絶対不可能だったと感じた。その後も3人は薬草を集めていると、ふとヨルは疑問に思ったことを口にする。
「なぁ、何でそんなに薬草が必要なんだ?」
「あー、2人になら話してもいいかな。...病気がちなんだよね、お母さん」
リコリスは躊躇いがちに、言葉を溢す。
病気が発覚したのは数年ほど前のことで、その日からリコリスの母は殆ど寝たきりで生活することになってしまった。病気を治そうにもそれを治す薬はとても高価なもので、父を早くに亡くし、2人で力を合わせてなんとか生活してきた2人には、とてもじゃないが手が出せる代物ではなかった。
病気になる前、元気だった頃はよく2人で森に出掛け、薬草を取りに行ってたりしていたこともあって薬草の知識はそれなりにあり、そのお陰で病の進行を抑えることに成功し、今では家の中を歩き回れる程度には楽になっている。しかし、飽くまでそれは進行を食い止めるものであり、完全に治すことは出来ないものの、治療薬が手に入ることが出来ない以上、抑制作用のある薬草を採って来るしかなかった。
そんな、作業の合間で序でに聞くような内容の話を、ヨルは軽く聞いてしまったことを酷く後悔する。せめて謝罪だけでもと口を開きかけるも、リコリスはそれを遮る様に、無理明るく振る舞うような声を上げる。
「謝らなくていいからね、これでも感謝してるんだし!...明日も来てくれる?」
「あー、ごめん。明日から、別の依頼でこっちには暫く来れないと思う」
明日はいよいよネロと会う日。
依頼の摺り合わせにその1日を使うとして、それから調査が順調に進んだとしても早くて2,3日、長引けばそれ以上の時間が掛かると踏んでいる。
とはいえ、まだ受けると決まった訳ではなく、向こうが元々頼んでいたキャラバンとの連絡が取れていれば、こちらの依頼はなかったことになるだろう。
それならそれで問題ないし、その場合の方針も2人は既に決めてあるが、それでも明日1日はネロの所へ向かうことに変わりはない。
「そっかー...」
「...あ、だからって1人で森に入ろうなんて思うなよ?」
初めて出会った時の行動を思い出したヨルは、目を細めながら咎めるも、リコリスはそれに答えず、ただ微笑むだけだった。
手を動かすよりも、話に花を咲かせる2人を尻目に、黙々と薬草を摘んでいたクリスのお陰で昼前には殆どを集め終えることが出来、昼食をリコリスの家でご馳走になった。
午後も無事依頼を終わらせることが出来、初の依頼は大成功に終わった。
3日目の朝、珍しく指定した時間に準備を終えたヨルを連れ、2人は先日教えられたネロのいる宿へと向かった。朝に押し掛けるのもどうかと思ったが、なるべく早い方がいいとのヨルの提案に、どうせヨルは寝坊するだろうからと早めに時間を指定したのが裏目に出た。
まだ起きていなければ、それまで朝食でも食べながら待っていようか、などと考えながら宿へ入り、受付へと向かう。2人の名前と要件を伝えると、既に話は通してあるらしくすんなりと部屋へと案内された。案内された部屋の前へ到着した2人は、扉をノックするも、向こうから特に反応はない。
試しにドアノブを握ると、特に抵抗もなく動いていく。
不用心だな、とクリスは考えながらもヨルの方へ視線を向ける。
「入ってみようぜ、カギが開いてたこと伝えておいた方がいいって!」
「...何言われても知らんぞ」
確かに、このまま鍵が開いたままというのは不用心過ぎる。
内心、勝手に扉を開けるというこの状況に、少しだけワクワクしていたクリスは、ヨルの言葉に従い扉を開け放つ。
そこには、部屋中に散乱した物を慌しく荷物を一つの鞄に詰め込もうとしているネロの姿があった。
「わ!ヨルさん!ご、ごめんな、わぁ!!」
2人に気付いたネロがこちらへ意識を向けると、その瞬間せっかく鞄に収まっていた物が一斉に飛び出し、部屋の中が更に物で溢れ返ってしまった。
「...で、なんでそんなに急いでたんだ?」
その後、2人も協力して荷物を拾い集め、なんとか鞄ひとつに纏めることに成功した。
3人は一息つき、椅子に座っていたヨルが口にした言葉に対し、向かいのベッドに腰を下ろすネロは、遠慮がちに口を開く。
「依頼のことなんですが...、本当にごめんなさい!急に連絡が来て、国へ戻らないといけなくなってしまって...」
キャラバンとの連絡が途絶えていることをネロは既に本国へ伝えていたものの、その後ヨル達が代わりに依頼を受けることを伝えていなかった為、今日いきなり帰還命令を下されることになっていまった。しかし、これは何もネロだけの所為というわけでなく、受けるかどうか決めかねていた2人の所為でもあるものの、それでもネロは自分が全て悪いといった様子で、申し訳なさそうに2人へ話している。
「そっかぁ。...なら、しょうがないか」
依頼を受けられないのは残念だが、国から帰還と言われてしまった以上、どうすることも出来ない。
それに、2人は受けられなかった場合の事を想定していたお陰で、それほどショックを受けている訳でもなかった。
2人は部屋を出ようと、あっさりと立ち上がる。
すると、
「っ!そのことなんです、が!」
「おわっ!な、なんだよ突然!!」
突然、ネロは立ち上がるヨルの腰を勢いよく掴むと、この場を行かせないといった様子で掴んだまま微動だに動かなくなる。
だが、ネロは必死な表情をしているも、それほどの力はなく、簡単に振り解くことも出来ないこともないが、本人はヨルより年齢が上と言っていたものの見た目は少年にしか見えない身体を無理やり引き剥がす訳にもいかず、ネロが落ち着くまでヨルはこのままの状態でいることにした。
「...すいません、取り乱しちゃいました。」
正気を取り戻したネロの顔は未だ少し赤らんでいるものの、咳払いをひとつして話を再開する。
「調査をする筈だった遺跡なんですが...。実は、これから向かう道の途中にあるんです。なので、今日このまま行くっていうのはどうでしょうか?」
お2人だけ、帰りは徒歩になってしまうのですが...、とネロは言葉を続ける。
今すぐに、というのは少々急すぎる気もするが、今日1日はネロと話をする予定だったので時間は特に問題はない。それに、元々依頼を受けるつもりでいた為、いつでも行ける覚悟は出来ていた。
心配なのは、向こうで必要になるであろう物を何一つ準備していないということだが、1日程度なら野宿をする必要もない為特に問題もないだろう。
そう考えたヨルとクリスは、2つ返事でその提案に頷いた。
雲一つない空。
その、晴天の空から降り注がれる陽の光に照らされた街道を、1台の馬車が走る。
街道を走る馬車、そこから顔を左に向けば、すぐ目の前に広がる森。
その先を奥へ奥へと進んでいけば、リコリスの住んでいる村へ辿り着くことが出来るだろう。
森の反対には平原が広がっており、街道はその平原と森を分かつようにまっすぐと伸びている。
ソル王国の王都から北にまっすぐ伸びるこの道は隣町へと続いており、そのまま道なりに進んでいけば、ネロの目的地であるジグラト公国が見えて来るだろう。
だが、王都を出発してから幾分か経った今も、景色は特に変わることはなく、未だ隣町すら見える気配はなかった。
「...暇だなぁ」
馬車に揺られながら、ヨルはそう呟く。
いくら、今向かっている遺跡が王都から近い場所にあるとはいえ、飽くまでそれは他の町から向かった時と比べての話であり、出立してからまだそれほど経っていない今、目的地が見えないのは当然の事であった。ネロの用意したこの馬車はかなり速い部類に入るもので、普通の馬車で向かった場合と比べればかなり速く目的地へ向かっているものの、変わらない景色をただ見ているだけというのは苦痛でしかない。
初めは、忙しなく流れていく景色に心躍らせていたヨルも、暫く経った今では自分の腕を枕にして、馭者席へと身体を凭れながら、進んでいく馬車の行く先をただ眺めていた。
「この速さに追いつく魔獣はそうそういませんからね。馬車の旅なんて、そんなものですよ」
時々、平原の奥で中型の魔獣の影が見えるものの、こちらへ近づいてくる骨のある魔獣はいない。
一番可能性があるのは森から黒狼が飛び出してくることだが、この陽が昇る時間帯に飛び出すというのは、向こうにしてみてもデメリットでしかなく。
また、仮に飛び出したとしても、黒狼の高い知能ならば、この速さで走る得物を追いかけるより森に戻っていつもの狩りをしたほうが合理的だと判断するだろう。
つまり、もし魔獣が現れたとしても、いちいち倒して進むより、この速度のまま走った方が安全且つ効率が良く、その為、2人は護衛として呼ばれたにも拘らず全く何もすることがなくなってしまっていた。
ただ待つだけの時間をあまり苦と思っていないクリスは、目を瞑り過ぎる時間を思考に充てることで気を紛らわせているが、ヨルの場合そうはいかない。
普段からじっとしている事が全くなかったヨルにとって、何もしないこの時間が苦痛でしかなく、目を閉じていようにも馬車の揺れる独特のリズムが気になってしまい、一切気分が紛らわせられなかった。それに比べれば遙かにマシである景色を、ヨルは仕方なしに眺めていると、馬車の向かう先に人の様なものが倒れていることを発見した。
「なあ。あそこ、人が倒れてないか...?」
その言葉に、目を閉じていたクリスも思考を中断させる。
遠くを見つめるヨルに倣い、他の2人も目を凝らすと、森を抜けた先で、確かに人が倒れているのが見える。だが、それを発見したことで見るからに慌てた様子を見せるヨルに対し、クリスとネロは特に慌てる事もなく、むしろ呆れた表情を見せていた。
「...怪しすぎる」
呆れの表情をしたままクリスが呟く。
王都から少し離れ、人気のあまりない街道。
そんな道の真ん中で倒れている者など、十中八九盗賊の類で間違いないとクリスは予想する。
今の時刻は昼を少し過ぎる辺り、それは一日で最も日差しの強くなる時間である。
仮に、本当に何か問題が起きた結果倒れることになったとしても、日差しの降り注ぐ中で倒れているくらいならば、最後の力を振り絞ってでも日陰へ移動するだろう。
その力も出ない程に衰弱しているのならば、どっちみち助けることは不可能だろうし、そんな弱っている者が1人でここまで歩いて来たのだとしたら、それこそ怪しすぎる。
そう思っているのはクリスだけでなく、馭者席に座っているネロもそう感じているらしく、共に呆れた視線を倒れている者へ向けていた。
黙って横を通り過ぎよう、2人の交差する視線な間で、そう意見が交わされる。
無視をして先を急ぐ方針で意見が固まる中、そこに異を唱える声が響いた。
「...でもさ!もし、もし本当に苦しくて倒れてたんならどうすんのさ!」
「うーん...見るからに怪しさしか感じませんが...確かに、行き倒れてる可能性もゼロじゃないですね...」
感情そのままに声を荒げるヨルの言葉に、ネロの意思が揺らぐ。
このまま無視して向かったとして、もしも本当に苦しくて倒れていた場合、3人は見殺しにしたということになる。その可能性は殆どないだろうが、この場を離れてしまえばそれを確認する手立てはなくなってしまう。ならば、いっそのこと正体を確認した方が早く、ヨルの気も収まるだろう。
また、例えそれが盗賊だったとしても、こんな分かりやすい場所で罠を張るような愚かな者に、ヨルとクリスが負ける未来など、クリスには全く想像することは出来なかった。
「なら、俺が馬車を守ろう。ヨルは確認しに行ってくれ」
「...!分かった!!」
無論、最大限の対策は取っておく。
戦闘になった場合、こちらの弱点となるだろう馬車と依頼主であるネロをクリスが護衛することで、ヨルが一切の心配を感じることなく戦闘に集中できる場を作り上げる。
そこまで対策を立てたクリスの言葉に元気よく言葉を返したヨルは、停止した馬車から跳ねるように飛び出すと、倒れている者の方へとゆっくり歩いていく。
近づいていくに連れて、その姿はよりはっきりと見えてくるものの、外套を羽織っているのか体格が女性のように見える、ということしか判別できない。
それが、盗賊の罠なのか判別出来ないまま、遂にヨルは倒れている者の目の前へと辿り着き、声を掛けながら手を伸ばした、その時。
「なぁ、大丈夫か...っ!」
左の森から複数の殺気を感じ、ヨルは咄嗟に距離を取る。
森からゆっくりと現れる複数の男に、馬車の方からため息が聞こえた気がするが、ヨルは気にしない。
「ギャハハァ!!大人しく金目のモン出しなァ!!」
森から現れるや否や、盗賊達は下卑た笑みを浮かべながら、声高らかに叫ぶ。
先頭にいる、この中で最も体格の大きい男が、得物であろう鉄の鎖を振り回しながら一歩前へ出た。
「いう通りにしねェと!!この!世にも珍しい鉄の鎖使いであるこの俺様の鎖と!火炎魔術が合わさった必殺技が火を噴くこと、に...」
初めは威勢よく言葉を口にしていた男は、獲物を見つけた猛獣の様な目を向けながら腰に下げた柄に手を置くヨルの姿に気付き、言葉を詰まらせ思わず後退る。
踵を返し、撤退命令を出そうとした時にはもう遅く。
次の瞬間にはヨルが地を蹴り、その男へと突撃する姿があった。
「ず、ずみまぜんでしだ...」
その後、一瞬の内に無力化され、自分の得物である鉄の鎖に巻かれ身動きが取れない状態にされた男と、手下であろう盗賊達は、頬を腫らしながら涙ながらに謝罪の言葉を口にする。
そんな姿を見下す3人は、盗賊達の処遇に頭を悩ませていた。
「...どうする?」
「通常、判断は捕縛した者に委ねられます。この場合だと...王都へ戻って引き渡すか、息の根を止めてしまうか...あとは許すか、くらいでしょうか」
あれだけ泣いて謝ってますし、とネロの言葉を続ける。
盗賊を捕縛した場合、大きな町まで連れて行けば、それなりのお金に換わる。
魔獣と違って、皆罪を犯した者なのであまり罪悪感が湧くことも少なく、おまけに善行を働きながらお金を稼ぐことが出来る為、力に自信のある正義感の強い傭兵ならば、依頼をこなすよりも盗賊退治に主軸を置く者も少なくない。
だが、今はこれから遺跡へ一刻も早く向かわなければならない為、王都へ戻っている時間はなかった。なので、選択肢は自ずと2つに絞られる。
殺すか、逃がすか。
クリスは、盗賊達へと視線を向ける。
「金奪うの、ごれが初めでだったんだよぉ!許しでぐれぇええ!!」
「......」
過剰なほどに泣き叫ぶ盗賊達の声は、本物のようにも聞こえてくる。
こういった2択を迫られた場合、迷う前にとりあえず殺してしまうのが普通だった。
道端に放置するのはいただけないが、人目につかない場所に置いておけば、帰りに持ち帰る余力があればお金に換えることが出来、そのまま放置したとしても草木の養分なり魔獣のエサに変わる為、そういった行動に出る者は少なくない。
と、クリスは悩んだものの、いくら考えたとて仕方がないことだろう。
盗賊を捕縛してみせたのはヨルであり、ヨルが盗賊である可能性があっても確認しに行くと決めた時からこうなることは予期していた。そして、ヨルが何を選ぼうとも、クリスはその選択を尊重しようと決めたのだから。俯き、考え込んでいたヨルは、頭の中で結論に行き着いたのか、口を開く。
「よし、決めた!許す!!」
「お、おい!いいのか?」
悩んだ末、処刑、若しくは遺跡まで連れて行く、ぐらいのことは言うだろうと想像していたところへ、その想像を超えたヨルのまさかの選択に、尊重しようと決めていた筈のクリスも流石に待ったを掛ける。せっかく捕縛した盗賊を逃がしてしまうなど、一番やったらいけない選択だろう。
「だって、これが初めてだって言ってたし」
口ではなんとでも言える。
大体、道端に人らしきモノを設置し、人の善意を逆手に取るような者が、本当のことを言う筈がない。
「もうしないって言ってたし」
「...はぁ、わかった。好きにしろ」
もう、何を言っても無駄と判断したクリスは、そう口にする。
元ヨルの意見を尊重すると決意していた手前、愚かにも見える決断にも、尊重することに決めた。
それからまた、馬車に揺られ、幾分かの時間が経ち。
一切変化のない景色を、ヨルはただ見続けていると、馭者席に座るネロが口を開く。
「見えてきました!あれが目的地、ソル遺跡です」