血濡れの英傑
絶望だけがただそこにあった。
押し寄せる悪魔の軍勢。
魔王軍の侵略に、なすすべなどあるはずもなく。
対魔王軍最前線に位置するこの村は、多少規模が大きかったが、ただそれだけのなんの変哲も無い農村。
近くに配備されていた帝国兵団の拠点も全て潰されてしまっている。
まさに手詰まり。この村に待ち受ける未来は陵辱と残虐に満ちたもの以外ありえなかった。
希望の星の勇者も帝国にはいない。王国にのみ現れた勇者は、他の国のことなど知ることはできない。
勇者とはつまり国利。他国の為に剣を振るうことを王が、臣下が許すはずもない。
ただ死を待つばかりの老人と子供、女衆の諦観にも似たそれが場に満ちていた。
だが。
その男だけは違った。
数千、数万と押し寄せる悪魔の軍勢を睨め付け、不敵な笑いを浮かべる40代程と思われるその男は決して勇者などではない。
そのような煌びやかな称号が似合う男ではない。
かつて帝国の悪魔と呼ばれ怖れられたその男は、衰えつつある体に鞭を打ち、愛剣と漆黒の甲冑を纏い、我先と非難を続ける村人達を軍勢から守るように立ちはだかる。
「ブ、ブラスカさん!幾らあんたでもあいつらの相手をするなんて無謀だ!早く逃げるんだ!」
「ならば問おう。此処で止めるものがおらねば、逃げ切れるものが果たして居るのか?」
「…で、でも……うう、ブラスカさん…すまねえ、弱いオラを許してくれ…!」
青年は悔しそうに口を歪め、後方に走り去る。
男が後ろを振り返ることはなかった。
「さて、皆避難を終えたか。」
名もない鍛治師の打った無銘の長剣。無数の血を吸った男の罪の結晶。
「それが、どうした。」
それでも。かつて帝国の尖兵として幾多の民を屠ったその剣は、最後に民の為に振るわれる。
「隠居先で再び剣を取ることになるとは、いやはや運命とは数奇なものだ。」
三日月状の笑みが浮かび。
孤独な戦いが、始まった。
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一つ。鞘から抜きはなった剣から音速の刃が放たれ、一匹の悪魔を切り裂く。
二つ。返しの刃に纏わせた雷撃の術式が、十匹の悪魔の自由を奪う。
三つ。地に突き立てた剣から赤黒い濁流が生まれ、百の悪魔を飲み込む。
四つ。その濁流は剣に纏わりつき、身体ごと勢いに任せて振り抜いた血の刃は、千の悪魔を鏖殺する。
その間にも、魔弾が、毒液が、鉤爪が、甲冑を砕き、身体に傷を刻む。
もはや男は死に体であった。
振るわれる愛剣も半ばから折れ、振り絞った魔力で射程を補う有様であった。
心の臓に槍が突き刺さる。確実に致命傷。常人であればとうに死に至っている。
だが、男は戦いをやめなかった。
剣が折れれば、魔法で。
魔力が尽きれば、拳で。
拳骨が砕ければ、その脚で。
身を削り、命を削り、無様な肉塊に成り果てながらも、男は戦い続けた。
そして。
切り落とされた腕から突き出た骨で。
指揮官の脳天を貫いた。
誰も通すことなく、男は守りきった。
全ての悪魔を鏖殺し、愛する民に一切の犠牲を出すことなく。
一対数万の戦いは。
その男の勝利に終わり。
男もまた、再び眼を開けることはなかった。
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セルガニア帝国第二師団隊長、エルグランド・クリフ・ブラスカ。
後の世に彼の名を知る者はいない。
ただ、とある著名な歴史学者はこう語る。
元帝国領のある村で信仰される武神。その起源となる人物がいたはずだと。
その武神の名は、
黒帝エルグランドと、いうらしい。
希望があれば、彼の若い頃の話や、続編など書かせていただきます。