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いつから、どうやってあそこにいたのかは知らない。
親に売られたのか、元々孤児であったのかも覚えていない。
ただ、毎日毎日尖ったものや鋭いもので体を刺され、貫かれ、開かれ、切り裂かれた。その強烈な痛みは声を上げることを許さず、そしてなにをすることもできずにいつの間にか気を失って、目が覚めたら相変わらず冷たくて暗い場所に繋がれていてを繰り返す。
不意に、キィと不快な甲高い音を立てて鉄格子が開いて、現れる鎧を着た何人かの人間たち。その後ろには白衣を着た者達が興味深げにこちらを見てはなにかを話している。
そして鎧を着た人間たちに頭や腕を掴まれて、引きずられながら行き着いた先は目がくらむほどに壁も床も真っ白な手術室。
その中央にある台に乗せられて、暴れる気力もないというのに手足を鎖で繋がれ、向けられるいくつもの手には、大小様々なメスや針……───。
「───っと!?」
何事かとシャルたちが振り返るなか、ギルダーツは思わず足を止め、その場に踏ん張って崩れたバランスを立て直す。
あれからしばらく森を歩いて何度か魔物たちと遭遇したものの、カイナが先ほどの口ぶりに見合う働きを見せ、さほどの被害は出ていない。
先頭を歩く彼の手に握られた地図が正しければ、もう間も無く森を出られるはずだと話していたさなか、未だ気絶したままだと思っていた白夜が不意に飛び起きたのだ。それも突き飛ばすように両手でこちらの背中を思い切り押しのけながら。
「白夜くん……?」
肩ごしでは良く見えないが、飛び起きた白夜は顔を伏せており、背中に添えられた手はかすかに震えていた。
「白夜くん!」
「白夜さん!」
気づいたシャルとテオが駆け寄った。
このままでは話しづらいだろうと、ギルダーツは一度白夜を降ろしてやる。
「大丈夫? 痛いところはない?」
白夜は右手で顔を覆いながら、下を向き、小さく頷いた。
「まだ本調子ではないようだが……」
地図を折り畳みながら、カイナが歩み寄ってくる。
おそろしい夢でも見たのか、様子がおかしい。
すると、白夜はふるふると首を振って、
「あんまり人におぶられたことないから、びっくりした……」
そんな言い訳をして、白夜は呼吸を正す。震えていることがバレないように、体に力をいれ、血色が白むほどに強く左手で拳を握る。
「起き抜けになにを暴れているのだ」
フードの中は不安定だ。白夜が飛び起きた勢いでもみくちゃになったのか、後ろからルシルが不機嫌そうな声色で言う。
気づいた白夜は肩ごしにルシルを一瞥。
「ごめんな。ルシル」
詫びの一言で気が済んだのか、ルシルは口を閉ざし、フンと鼻を鳴らして再びフードのなかに埋まった。
とそこに、間の抜けた音が一つ、白夜の腹部あたりから転がり出てくる。
「腹減った……」
彼はとにかくよく食べる。それが元来の性質なのか、なにかわけがあるのかはわからないが、白夜が腹をすかせる間隔は他人より短く、食べる量は他人の倍以上だ。
いつも通りの白夜の様子にテオとシャルは安堵の笑みをこぼすが、しかし困った。
今は誰の手元にも、彼にやれる食料は無い。
「そんなこともあろうかと、朝食の余りを包んでおいた」
歩み寄ってくるカイナの明るい一声。その手には彼の言う朝食の余りが包まれた布袋が握られている。
瞬間、光速にも劣らぬ勢いで白夜が振り向く。目を輝かせ、物欲しそうな顔で彼に訴える。
「ほら」
解かれた布から出てきた、三角の形をした紙が三つ。その一つを手に取って差し出すと、白夜は受け取る。
中身を潰さぬよう丁寧に紙を開き、露わになったソレに、白夜はかぶりついた。
「うまひ……」
もきゅもきゅと咀嚼する白夜は、このときばかりは無表情ではなかった。
いや、相変わらず無表情に近いことに変わりはないが、どことなく嬉しそうに、心なしかいつもよりも幾分か口元を緩ませている。
テオは苦笑しながら白夜の手の中にあるそれを見やる。白い三角のパンの生地に挟まれている緑とピンク。レタスとハムだろうか。
「テオ、今どこに向かってる」
「あ、はい。今の目的地は西のパルカという街です。領主がシャルさんと交流があるとのことで、少しの間だけ匿っていただけるようお願いする予定です」
テオが答えると、森の出口は近いそうですので、このまま行けば昼前には到着するでしょう、とギルダーツが続ける。
「カイナ、サンドイッチおかわり」
「早いな!? ちゃんと噛んでゆっくり食べなさい……」
保護者のような彼の言葉を無視して、白夜は二つ目のサンドイッチにかぶりつき、もぐもぐと噛み砕きながら、
「追手は?」
「幸い、今のところは鉢合わせていません。何体かの魔物と出くわしましたが、カイナさんが蹴散らしてくださいました」
最も重要な、必要最低限のことだけをテオから聞き出した白夜は、そうか、と安堵したように少しだけ肩の力を抜く。
森に入れば追手を撒きやすい。が、同時に森は自然が作り出した迷宮だ。すんなりと通れる道ばかりではないし、魔物に出くわすこともある。下手をすればタイムロスだと思っていた。だからすぐに追手に追いつかれる可能性も視野に入れていたのだが、まだ追いついていないらしい。
自分たちを見つけるためだけにわざわざ検問を設けたぐらいだ。そう簡単に追跡を止めたりはしないだろうし、多少の大掛かりなことぐらいあちらは厭わないと思うのだが……。
「ごめんね白夜くん。街までもう少しの辛抱だから……」
口を閉ざしたことを疲労かなにかと捉えたのだろう。
眉尻を下げ、申し訳なさそうに言うシャルの頭に手を乗せて、咀嚼していたサンドイッチを飲み込んだ白夜は返す。
「大丈夫だ」
あまり動かない表情筋を精一杯緩ませても、口元だけがかすかに笑んだ程度なのだが、それでも白夜は笑った。
慣れないため長い間そうしていると今度は怒っているように口元がぴくぴくと引き攣るためすぐに無表情に戻したが、白夜の気持ちは届いたようで、シャルは目を細めて微笑む。
「行こう。シャル」
こうして右手を差し出してやると、彼女はなぜかすごく嬉しそうに笑う。
理由はわからないけど、ともかく人を笑顔にする方法をあまり多くは知らない白夜は、過去の経験から学んだ方法を実行する。
「うん!」
とやはり、シャルは嬉しそうに笑って、その手を取った。
それから、くるりとカイナの方へ首を回して、彼の眼前に空いている左手を差し出す。
「おかわり」
「はいはい……」
結局、朝食の余りのサンドイッチは全て白夜の腹に収まったのだった。