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急遽押しかけたにも関わらず、運ばれてきた料理はどれも豪奢なものばかりだった。鶏や海老をまるごとローストにしたものや、色鮮やかな野菜たちのサラダ、クルトンやパセリのうかんだシチューのような白いスープにこんがり焼けたパンと、二切れの一口大のミディアムステーキは大きな平皿の上で明るい紫色のソースを羽織っており、その色からはまるで味の予想がつかない。
長いダイニングテーブルに次々と並んでいく料理は四人の客相手には遥かに多い量だ。しかし白夜の前では、そんな心配は無用である。
食べやすいようにと女中たちが各料理を一皿一人前分ずつ小皿に取り分けていくが、次の瞬間には白夜の目の前の皿の上は何も残っていない。
諦めた女中たちは、白夜専用に大きな皿に各料理を盛ったものを彼の前に並べることで解決策としたようだ。無論白夜が手を止めることはない。好都合と言わんばかりに山盛りの料理たちを一心不乱にかき込み、胃袋へと収めていく。
ここまでほとんど休まずに突っ走ってきたのだ。主戦力の彼はさぞ辛かっただろう。待ちに待った燃料補給に、白夜は遠慮と礼儀と我慢を脇へ放り出している。
疲れているのはシャルたちも同じだったが、彼の食べっぷりを見ていると、それだけでお腹いっぱいになってくる。
「見ていて気持ちのいいぐらいの食べっぷりですな」
「すいません。彼には少し事情が……」
申し訳なさそうにシャルが肩をすくめると、アディシャークは幼子を見守る親のように微笑みながらゆっくりと首を振った。
「いえいえ。彼も、皆様も、遠慮なさらず、たんとお召し上がりください」
止まっていた手を動かし、シャルやテオたちも料理に口をつける。
「ダグラス殿は、ワインでもいかがかな?」
アディシャークがダグラスに目を向けながら右手を上げる。すると、ダグラスの脇にワインを抱えた下男が立った。
「いえ。お構いなく」
「では、食べっぷりのいいそちらの方は?」
首を反対側に回す。そこには、椅子の長い背もたれに背を預け、満足そうに両腕で腹を抱えてこくんこくんと船を漕ぎ始めている白夜の姿。
自分を指していると辛うじて気づいた白夜は、瞼を重そうに半分だけ開けて、ふるふると力なく頭を振った。
「それは残念です」
下男は静かにダグラスの側を離れ、アディシャークの元へ移動し、空のグラスにワインを注ぐ。
「って、白夜さんもう眠くなっちゃったんですか!? さっきまであんなに食べてたのに……!」
「もう、お腹いっぱい……」
そう眠そうに声を絞り出した彼の前に並んだ大皿はすべて綺麗に空になっていて、山盛りだった料理は見る影もない。
「白夜さん、ここで寝ちゃダメですよ! 部屋に戻りましょう!」
「んん~……」
急いで食べ終えたテオが彼の肩を揺すると、アディシャークが不思議そうにぱちぱちと瞬きをしながら問いかける。
「もう、よろしいのですか? デザートのご用意もございますが……」
白夜の眠そうな目がカッと見開かれるが、すぐに眠そうな半目になる。
「たべ、う……」
「後でいただきましょうね戻りますよほらっ!!」
一人では戻れないだろうし、女中たちでは白夜を扱いきれないだろう。
僕も一緒に行きますから!とテオが白夜の腕を引いて椅子から引きずり起こす。
「それじゃあちょっと、お先に失礼しますね」
「うん。白夜くんをよろしくね」
「どうぞ、ごゆるりとお休みください。なにかあれば使用人たちに言伝を」
ありがとうございます、と返して、酔っ払いよろしく千鳥足の白夜を引きずりながら、テオはご案内いたしますと先導する若い女中のあとを追って食堂の扉の向こうへと姿を消した。
「失礼ながら、おもしろいお連れ様方ですね。しかしながら、シャリオン様がそばに置くほどなのでしたら、さぞかし信頼のおける腕の立つ方ばかりなのでしょうなぁ」
アディシャークは少し安心したように笑う。
向かいの席の、白夜が空にした皿が片付けられていく。それを眺めながら、シャルは覇気のない返事をした。
グラスの水に口をつけていたギルダーツの横目には、シャルが膝に乗せた手を握りこんでいるのが見えていた。
「シャリオン様。熟考も大事ですが、今は十分に食事を摂って、精をつけてくださいませ」
はっ、と我に返ったシャルは慌てて振り向くと、
「あ、はい。大丈夫です。ちゃんといっぱい食べました」
心配をかけまいとする彼女の健気な笑顔に、ギルダーツは胸を痛める。
時折様子を盗み見ていたが、さすがのシャルも空腹に耐えかね食事に手をつけていたものの、いっぱいと言えるほどは食べていない。
「では、食後のお茶はいかがでしょう」
彼の声を合図に、目の前の皿たちがティーカップと差し替えられ、注がれた紅茶がわずかに波紋を立てた。湯気とともに、香ばしい香りが漂う。
続いて、片付けられた料理の代わりに今度は何種類かのクッキーが盛られた大きな平皿が一つ、シャルとギルダーツの間に運ばれてきた。
アディシャークは目の前に置かれた紅茶を一口喉に通して、それから問いかける。
「して、皆様方はこれからどうなされるおつもりで?」
そっと紅茶をすすると、なにかの果実だろうか、甘く爽やかでフルーティーな香りが鼻を抜ける。一口飲み下して喉を潤したアリアが答えた。
「アリアン統制自治区へ向かおうと思っています」
そこにある意図を鋭く読み取ったアディシャークが察したようにほうほうと頷く。
「それから、お知り合いに、響術や精霊に詳しい方はいらっしゃいませんか? できれば、アディシャーク卿の個人的なお知り合いや、お父様の息のかかっていない方が望ましいのですが……」
すると、アディシャークは顎に手を添え、記憶にある人物を一人ずつ思い起こしていく。
「一人、心当たりが……。いえ。でも、あの者とは数度顔を合わせた程度で……、そのうえ……」
口を開いたものの、その表情はなぜか晴れやかでない。どちらかといえば、口に出すのを戸惑っているかのようであった。
「どんな方でも構いません。紹介していただけませんか?」
「……ハイネ、という研究者がおりまして、あの者は響術などに精通しております。ですが、たいそう奇特な性質でして……」
言い淀んで、彼は歯切れ悪く口を閉じる。
が、どんなことでも、今の自分たちにとっては貴重な情報だ。今度はギルダーツが問いかける。
「その方の居場所を、ご存知ですか?」
「確か、カルカトレの街の外れに住んでいる、と……」
湖のほとりにある美しき村カルカトレ。
この街からは北西の方角。アリアン統制自治区はまっすぐ北の方角。幸い、少し逸れる程度で済みそうだ。
「アリアン統制自治区はその昔、その名と確固たる存在を確立するより以前から、難民を受け入れて保護し、同時に区内での市民権を与えることで行き場の無い者達の受け皿となっていました。それは今も変わりません。アリアン統制自治区へ行けば、とりあえず落ち着くことはできるでしょう。ですが、恐れながら、本当によろしいのですか?」
少々気まずそうにするアディシャークの濁した指摘に、シャルが唇を引き結ぶ。
「あそこへ赴き、移住申請を出すということは、貴方は……」
「構いません」
彼の言わんとするところを悟ったシャルが遮り、辺りはつかの間の静寂に包まれる。ギルダーツは、隣に座るその小さな少女に顔を向けた。
「これは私の意思です。私は私の意思で、皇女の位を奉還します」
凛とした声が響く。強く、確かな意思を宿して。
皇女の位を奉還するということはすなわち、皇族の人間ではなくなるということ。そうしてでも、シャルは自由というものを強く願っている。
「……そうですか」
どこか残念そうな、アディシャークのその声を合図に、この食堂にある三つの扉、アディシャークの真後ろにある扉と、シャルとギルダーツの背後の扉、それからテーブルを挟んで二人の正面にある扉が一斉に開き、浅葱色の軍服と鎧を身につけた者たちがなだれ込み、二人に向けて武器を構える。
「騎士団……!」
「これはどういうことですか……!」
思わず席を立ったが、逃げる間もなく包囲され、ギルダーツはシャルを背に庇いながらアディシャークを睨む。
「アディシャーク卿!」
ギルダーツが声を荒らげる。が、彼は肘をついて組んだ手に頭を預けたまま動かない。
「ご苦労だった。アディシャーク卿」
そう言ったのはこの場に踏み込んできた第三者の声だ。ふてぶてしいその声には覚えがある。
コツ、コツ、とゆっくり靴音を響かせ、姿を現したのは、
「貴様は……!」
首を回したダグラスがいっそう鋭く睨む。
青緑の瞳の奥に野心の火を灯した、パールグレイの髪の男。細身の長身に、瞳と同じ青緑色をした深い割れ目が入った大きな襟が特徴的な団服。
名は確か、ゼノといったはず。
「皇女殿下は無傷で捕らえよと言われております。できるならおとなしくしていただきたい」
ギルダーツなど見えていないかのように、彼の鋭い視軸をものともせず、その背後のシャルを見やる。
面倒を増やすな。そう言いたげな瞳で見下ろしている。
しかし、不意にゼノは目線を入ってきた扉の外へ流し、獰猛な狩猟者の表情で愉快そうに笑った。
「さて。次は、本命だ」
「っ!」
ゼノの言葉の意味を、シャルは理解した。
彼が自分たちを追うのはあくまでも父の命令によるもの。だが、どういうわけか彼は白夜に固執している。
自分を人質にすれば、白夜は動けない。それを利用し、この男は、白夜を捕らえる気だ。




