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通された客室は応接間よりももう一回りほど広く、室内の手前と奥、それぞれの隅にベッドが一つずつ。つまり四人部屋だ。
最初は唯一の女性であるシャルは別室にと言われたのだが、それを断り、みんなと同室にして欲しいと頼んだのである。
部屋に入るなり、早速白夜はすぐ近くのベッドに倒れ込んだ。軋むスプリングと質の良く肌触りの良いシーツはしっかりと白夜を受け止め、疲労困憊の体を包み込む。
そのベッドは手前にあるうちの片方で、そして自分を守るための気遣いであるとすぐに悟り、シャルはギルダーツにケープを預けながらクスリと微笑んだ。
「白夜さん、せめてコートぐらい脱ぎませんか……?」
そばへ歩み寄ったテオが腰に手を当てて白夜を見下ろすが、すでに意識はないのか彼は言葉を返さない。
クククと笑いながら、ルシルがフードの中から出てきた。
もう、と溜息をつきながらテオは彼の首根っこを、正確にはコートの襟袖を掴み、剥がしにかかる。彼はいつもコートの釦を留めずにいるので、わざわざ仰向けにせずとも脱がすことができるのだ。
テオが白夜のコートを部屋の扉の脇にある服掛けに掛けている間に、ギルダーツは白夜の意図通り、シャルに奥のベッドを使うよう促す。
そして左奥のもう一つのベッド、シャルの向かいであって白夜の隣であるそこはテオに使わせ、白夜の向かいであってシャルの隣の、右手前のもう一つのベッドをギルダーツが使うことで万が一の備えが完成した。
これで万が一寝込みを襲われても、敵を押さえる白夜を援護しながら、ギルダーツがシャルとテオを連れて窓から逃げられるはず。うまくいかなかったとしても、なんとかなるだろう。
一番の戦力であると同時に、常に一番の負荷を負い続ける白夜は休ませてやり、彼を抜いた三人だけで今後の行動を話し合う。
白夜はシーツもなにもかもを下敷きにしているため、テオは自身が使うベッドの掛け布団を彼の体にかけてやり、シャルは自身のベッドへ腰掛け、ギルダーツはシャルの傍に控える。そして深く寝入ってしまっている白夜の背中にルシルが腰を下ろした。
「ここを出たら、アリアン統政自治区へ向かおうと思っています」
「ほう。西の果てか」
ルシルが感心したように言う。
大陸をまるごと二つ越えた、遥か西にあるアリアン統政自治区。
区と言っても、もはや国と呼称できるほどの広い地域で、そこに向かうと決めたのには相応の理由がある。
それは最大の狙いである区の特徴にある。アリアン統政自治区は君主制を敷く帝国と違い、区をまとめる総統こそ存在すれど、絶対的な権力を有した君主はいない文字通りの民主主義国家であると同時に、帝国側が区内で起こったことや、区内にいる人物への干渉、および接触等をすることは容易にできないのである。
区への手続きなど、手を尽くせばそう難儀なことではない。しかし、充分な時間稼ぎになると、シャルは考えたのだ。
その間に区の総統に掛け合い、今とは別の名で住民の申請を出すことで、今ここにいる四人の存在を、全く別の人間として塗り替えることができる。
アリアン統政自治区までは遥かに長い道のりだが、現状ではどのみちこの帝国領土内に安全な場所などない。
ならば、帝都近郊を一刻も早く離れ、思い切って遠くまで逃げるべきだ。
それに……。
「彼女も解放しないと……」
シャルは右手を自身の胸に添えて呟いた。
「ご様子は、シャリオン様のお身体にも異変は?」
案ずるギルダーツにシャルが頷いて答える。
「落ち着いて休まれているみたいです。おそらく拒絶反応が起こることはないかと」
ギルダーツが安堵した。体を案じてくれていたことに礼を述べようとするが、それよりも早くルシルが返す。
「しかし、そこへたどり着くまでには、幾億の困難がお前達の膝を屈させるべく立ちはだかるだろう。お前達の心を抉り、翻弄し、捻り潰すために。そしてそれらからお前達を守るため、このバカはボロボロになりながらも、機械仕掛けの人形のように、幾度となく健気に立ち上がることだろう。シャリオン、お前はそんなこやつの姿を見ても、正気を保っていられるのか?」
まるで嘲笑うように、ルシルはニヒルに笑って意地悪く問いかけ、シャルは膝の上の手を固く握った。
テオは白夜に目をやり、ダグラスは俯くシャルを歯がゆそうな表情で見やる。
いつも考えていた。この旅の行く末の、最悪の結末を。
擦り切れて傷だらけになった体。もはや誰のものかも分からないほどの血を浴びた背中。無数の屍の上で、それでもなお刃を手に孤高と共に佇むその体が、膝をつく瞬間を。
想像して、それを振り払う。
まだ、終わったわけじゃない。最悪の結末を迎えたわけじゃない。
なにもできないけれど、それでも自分には唯一の力が、治癒術がある。最初は忌まわしいとまで憎んだものだが、彼らのためなら、この身が擦り切れ果てるまで治癒術を使い続けても構わない。
「私には、白夜くんを巻き込んだ責任があります。彼やテオくんに、ギルダーツさんだって、みんな私の願いを聞き入れてくれて、これまで戦ってくれました。だから私は、みんなのためにも絶対にこの旅を投げ出したりしません」
投げ出してしまったら、それは逃げたことと同じだから。
助けてくれと頼んだ本人が、辛い、苦しいと泣き喚いて全てを放り出すなど、無責任にも程がある。
それに、信じているのだ。この旅を乗り越えた先に、安寧に満ちた未来がきっとあると。
その未来にいるのは、ここにいる五人全員であると。
「フン。いいだろう。我とて、帝国から逃げるという目的は同じだ。こやつが動かねば、どのみち我も動けん。今はもうしばし、お前たちに付き合ってやるとしよう」
「ご助力、感謝いたします。ルシル様」
シャルが礼儀正しく頭を下げると、ルシルは鼻で笑って顔を背けた。
「テオくんはいいのですか? 君の響術の腕があれば私たちは心強い限りですが、君だけならまだ、脅されていたと言えば帝都にもご実家にも戻ることが出来るはずです」
ギルダーツが目を向けると、突然話を振られたテオは驚いた顔をしながら振り向いたが、すぐに眉を下げて俯いた。
「今さら、できませんよ……。ご存知でしょう。僕の家がどんなところか……」
テオは有名な名門貴族の五番目に生まれた末子であった。三人の兄と一人の姉は、いずれも政治や軍事に関する大役を負っていて、果てに父は今もなお活躍する現役の大佐にして本家の当主の座にある。
半ば家出同然の真似をして家名に泥を塗った出来の悪い末子など、あちらとて戻ってほしくはないだろう。
「それに決めたんです。僕は、白夜さんについて行こうって」
それしかない。そうしよう。白夜の助けになろうと、あの日決めたのだから。
顔を向けた先では、今もなおベッドに倒れ込み、泥のように眠っている白夜がいる。
「だから、僕もみなさんと一緒に行きます。行かせてください」
「うん。これからもよろしくね。テオくん」
「頼りにしています」
「僕こそ、改めてよろしくお願いします」
笑いあっていると、不意に扉の向こうから小気味いいノックの音が二回、部屋の中に響いて、三人は反射的に一斉に扉を見やる。ルシルは素早くベッドの影に隠れた。
すると、失礼致しますという女性の丁寧な挨拶とともにガチャリとドアノブが回って、音もなく扉が開いていく。
入ってきたのはエプロンドレスを着た若い女中だった。
「お食事の用意が整いました。ご案内いたします」
「たべりぅ!」
「わぁっ!?」
食事という言葉に反応したのだろう。さきほどまで燃料切れの人形と化していた白夜が、不意に、しかし弾かれたように勢いよく飛び起き、テオが肩を揺らす。
すると、同じ驚いたらしい女中も苦笑しながらこちらへどうぞと手を扉に向けてかざした。




