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第一話 エルギノスは如何にして『カ』となりしか。(上)

これは、トロワノス・マ・アルキレイア級星狩魔船二番艦カッツ・マ・ディーワの初代艦長、エルギノス・カ・ディーワが、なぜ『カ』となったのかを記した物語である。

トロワノス・マ・アルキレイア級星狩魔船スター・デストロイヤー二番艦カッツ・マ・ディーワの艦長エルギノス・カ・ディーワ大佐は、定例パトロール航海中の艦橋に腰を据えていた。

勿論彼には艦長室が与えられており、何事もなく穏やかな航海の最中なら、自室に籠っていても(なんなら昼寝していても)何も問題は無いのであり、実際にそうする艦長もわりといる。

彼らに言わせれば、「艦長とは、艦の精神的支柱であり、いついかなる時も畏れられながら泰然自若としていなければならない。特に艦が大きくそれだけ人員が多くなれば、それが最も重要な点になる。しかるに、あまり副長以外の人員と接触する機会が多いと、つい馴れ合いが生じてしまい、それは艦長を軽視する好ましからざる風となる。だから、艦長たるもの神のごとく艦の最奥にご神体然と静かに座しているべきであり、そのお告げを取り次ぐみこを勤めるために副長が存在するのだ。」だそうだ。

しかしそう言う行き方は、彼のしょうに合わなかった。

本音で言えば彼は、もっと小さな乗員全員がファーストネームで呼び合う様な(ただし、最前線で命を懸けて闘う)艦のトップとして、『艦長』ではなく『親父』と呼ばれる人間で居たかった。

それに、そもそも彼は、自分がこんな巨艦の艦長に相応しい人物かどうかについて、疑問を持っている。

自分がここにいるのは、単にカ・ディーワという姓の賜物に過ぎず、自分の資質や能力はこの椅子に見合っていないのではないか、という恐れが常に脳裡を去らないのである。

だから、第一及び第二統合艦隊の旗艦として、従来の戦艦の常識を遥かに越える艦が建造されると聞いたときも、その艦長となる名誉を欲する事はなく、誰がなるか知らないが大変そうだな、と漠然とした同情をおぼえた。

なにしろその新造艦は、戦艦というには余りに強力であり、その単艦での戦闘能力は、優に通常の一艦隊に匹敵する。

第一統合艦隊は、第一~第三の三艦隊を統合する物なのであるが、その新造艦を旗艦とする事で、その戦闘能力は四艦隊分となる、とされた。

それだけの戦闘能力と更に隷下の三艦隊を指揮する通信・情報分析能力を併せ持つ艦は、小さめの衛星クラスにも達する空前絶後といえるサイズとなった。

そのふねは、戦闘能力においても規模においてもこれまでの最大級の艦種である戦艦バトルシップの枠に到底収まる物では無かった。

その単艦で艦隊一個分に相当するその戦闘能力は、『恒星を吹き飛ばす』程だと噂されていた事から、新しい艦種として星狩魔船スターデストロイヤーが制定された。

建造の始まったその一番艦が、トロワノス・マ・アルキレイアと命名されたというニュースを聞いたとき、エルギノスは嫌な予感がした。

一番艦ネームシップがトロワノスとなると、その次はカッツになるのではないかと感じたのだ。

勿論それは特におかしな話ではなく、それで困る人間も普通なら居ないであろう。

ただし、そのカッツの甥であるエルギノスが、丁度艦長相当の階級である大佐として、宇宙軍に奉職しているという事実がなければ、だが。

そして、下馬評通り、トロワノス級の二番艦はカッツ・マ・ディーワと命名された。

その時点でも、まあ、それは順当な決定でありそれが彼の人生に直接関わって来る事は無いだろうと、心配を圧し殺してあえて高を括っていた。

それを心配している事を周囲に知られたら、取り越し苦労と笑われそうだったし、下手をすれば、思い上がりと取られかねなかったからだ。

しかし、吉兆は概ね実を結ぶ事無く忘れ去られて行き、嫌な予感は大体現実化する、という人生と呼ばれる出来の悪いシナリオの原則は、この場合も例外では無かった。

大佐への昇格と同時に中型戦艦の副長から大型巡洋艦の艦長へ昇任したという直前の彼の経歴からすれば明らかに有り得ない大抜擢が行われ、カッツ・マ・ディーワ艦長の椅子が降ってきてしまったのだ。

更に悪い事に、この大抜擢が妥当でないと感じているのは、どうやら彼一人らしかった。

なにしろ、「叡慮により」と言われて、異を唱える事の出来る軍人は(すくなくとも宇宙軍には)居ないのだ。

軍内の口さがない向きまでも、「まあ、カッツ・マ・ディーワだからなぁ」という冷笑的な表現でこの人事を肯定していたのである。

最早、彼にはその内示を押し返すすべは無かった。

そうして彼には、自分の意思とは関係なくこの想像を絶するほどの巨艦の頂点に据えられた椅子に座る以外に選択肢が無かった。

次は小型戦艦の艦長になって、出来ればそのクラスを数艦渡り歩いてから軍務を終えたいと考えていた彼の希望は潰えてしまった。

この艦の規模は、最早戦闘艦ではなく移動する基地であり、本来なら基地司令官つまり准将以上の人間が艦長となるべきなのだが、宇宙軍では『艦長』は大佐が勤める物と決まっている。

とはいえ、艦種についても『戦艦』ではなくわざわざ『星狩魔船』というクラスを新設したのだから、大佐相当の『艦長』ではなく、准将相当の職位、例えば『上級艦長』とかを新設すれば良さそうな物なのだが、何故か『艦長』にこだわったために、通常艦並みに移動するとはいえ実質的な基地を大佐が管掌するという不自然な話になってしまっている。

実はこの点について、義父であるヴ・パライオニエ少将に冗談めかして尋ねてみた事がある。

少将は前線での叩き上げでありながら、高い功績を認められて幕僚部に勤務しているので、編成の話も多少は関与している筈だから、その辺の事情も分かっているだろうと踏んだのだ。

その答えは、彼の悪い予感が全く杞憂では無かった事を裏付ける物だった。

「そう言う話も出たんだが、すぐに否定された。」

「何でです?」

「君を准将にするのは時期尚早だからさ。」

やはりそう言う事か、と苦笑いした。

トロワノス下級大将の子息は一人しかおらず、彼は軍務に就いていないし、孫で軍に奉職している人物はいるが、まだ大尉である。

いずれは彼がその祖父の名を持つ巨艦の艦長になるのかもしれないが、まだまだ先の話である。

そうなると、鳴り物入りで建造された巨艦の就役に華を添える役割は、エルギノスにしか出来ないわけだ。

つまり、一番艦の名前がトロワノスとなった時点で、彼が二番艦の艦長になる事は決定済みだったのである。


彼は、この巨艦の艦橋に座っており、さしあたって特にやる事も無いままこのふねの名になった男の事をぼんやりと考えていた。

その人物とは、『帝国の鋭槍』の二つ名を持つ伝説の英雄カッツ・マ・ディーワ中級大将である。

帝国軍人で、二つ名を持つ者はそう多くないが、その中でも『帝国』を冠した二つ名を持つのは、カッツ以外には『帝国の鉄槌』ソルキノス・デ・ロルフと『帝国の盾』トロワノス・マ・アルキレイアの二人しかいない。

奇しくもカッツを含めたこの三人は、ヴェネビント大戦で文字通り身命を賭して戦ったのである。

とはいえ、あくまでもエルギノスにとってカッツは、伝説の英雄ではなく優しいカッツ叔父さんだったのだが。


それはさておき、エルギノスは初代カ・ディーワである。

通常なら、初代の『カ』になるのは、『ヴ』の称号の保有者か継承予定者にしてその功績で一等の位階昇格を受けた者か、または(極まれにだが)『バ』の称号の保有者か継承予定者で特に嚇々たる功績を挙げた者に限られるが、エルギノスはそのどちらでもなかった。

ディーワ家は代々軍人を輩出してきた家系だが、爵位を持たない平民の家であり、祖父のブルガン・ディーワが中佐で退役したのが今のところ最上位という、特に目覚ましい歴史を持たない武官の家であった。

エルギノスの父グロンドは、事情があってブルガンと同じ階級に上がる事が出来ずに少佐で退役せざるを得なかった。

とはいえブルガンは、鋼の様な体躯と生まれつきの軍人気質を持つ長男であるグロンドを好ましく思いつつも、その融通の利かなさゆえに、元々軍人としての栄達には期待しておらず、少佐まで昇った時点で上出来だと思っていた。

しかし次男(つまりエルギノスから見れば叔父になる)のカッツには長男には(そしてブルガンにも)無い柔軟さ(それは、ある意味で『才気』と言える物かもしれないとブルガンは思っていた)があり、もしかしたらその上の大佐まで昇れるのではないかという淡い期待を持っていた。

とはいえ、カッツに将官への道が開けているとも思わなかった。

将官になるには、最低でも帝国貴族最下位の『バ』の称号が必要であり、全く無位のディーワ家でそれを得る事は、硬直した帝国の位階制度の中ではあり得ない事なのであった、ヴェネビント大戦までは。

話は二十年ほど遡る。


西銀河帝国は、名前の通り銀河系円盤の西半円にあり、後にデマントロス大帝と称される事になる皇帝デマントロス二世の許で今やその半円の1/4を占めるまでに至っていた。

しかし、未だ銀河中心の球状星団への進出は果たせておらず、父であるゴルディオス三世の代でようやくその近縁に勢力を拡大したところであった。

それは、いずれは銀河中心へ進出する際の足掛かりとなる筈だが、今はまだその時ではないと思われていた。

なにしろ、銀河中心は一万年を優に越える文字通り悠久の歴史を誇る国家がひしめき合っており、そこへ進出する事は、帝国の起源であるゾフィア大公国時代から通算しても高々千年を数えるに過ぎない西銀河帝国の様な新興国にはまだ時期尚早であり、今はこの近縁領域を長期にわたって保持し、足掛かりを確固たる物とするための地道な努力が必要な、雌伏の時であると考えられていたからだ。

しかし、帝国のこの長期持久の姿勢を、外的要因が許さなかった。

それは主に、その近縁領域が銀河中心の中でも特に古い歴史を誇る大国の一つであるヴェネビンシア連邦共和国と境を接する物であった事による物であった。

ヴェネビンシアは、一万二千年もの長きにわたり議会民主制を(実態はともかくとして)守り続けてきた民主国家であり、その政体は専制君主たる皇帝を頂点に戴く西銀河帝国とは対極にあると言えた。

一般的に、民主国家は専制国家に比べて平和的である様なイメージがあるが、必ずしもそうとは限らない。

とかく人間は、高揚しているときは好戦的な、抑制的であるときは平和的な姿勢を取る物である。

そして、国家がどちらの姿勢を取るかは、その時々の国家の持ち主の感情で決まる。

つまり、専制君主が冷静であるときその専制国家は平和的姿勢をとり、民衆が興奮しているときその民主国家は好戦的姿勢を取る。

ここで問題となるのは、その姿勢の切換えどき、特に好戦的姿勢から平和的姿勢に切り換えるタイミングなのだ。

専制国家では君主が自らの感情を適切に制御出来れば、国家にとって(あるいは自分にとって)利益が最大となるタイミングでそれを切り換える事が出来る。

そして、そもそも感情を適切に制御出来ない君主を戴く専制国家は、どのみち長続きはしない。

これに対して民衆というマスの感情は、民衆自身を含め誰にも制御できない。

それは、国家や民衆自身を含むあらゆる存在の利益/不利益に関わらず、気まぐれに上昇し、下降する。

そして、民衆が一たび興奮の極点である狂騒状態に陥れば、国家の利益とは関係なく好戦的姿勢から抜け出せなくなるのだ。

いにしえから続く議会制民主主義体制を至高の政体と信ずるヴェネビンシアの主権者たる民衆にとって、民主制はその誇りの源泉であり、専制は嫌悪の象徴であった。

だから、専制国家である西銀河帝国と境界を接する事となったとき、民衆はこの帝国の平和的姿勢を全く信用に値しないと決め付けた。

彼らの信ずるところによれば、帝国は至高の政体である民主国家に氷の様に冷たい恐怖と炎の様に燃えたぎる憎悪を抱いており、必ず人類の至宝であるヴェネビンシア共和国を破壊せんと挑みかかってくるはずであった。

それは、要するにヴェネビンシア民衆が帝国という鏡に映る自らの姿を見ているに過ぎなかったのだが、彼らはそのどす黒い感情の重さに押し潰され、それを冷静に見極める事は出来なかった。

それは、最早狂騒状態と言えた。

そして、その怯えを直視しないために必死に虚勢を張ろうとする彼らは『光輝ある民主主義の擁護者』を自認して異論を許さないヴェネビンシアの権威を盲目的に賞揚する事に、唯一の光明を見出だした。

そうしてヴェネビンシア民衆は、民主主義の擁護のために帝国を打倒せよ!と自らの政府に迫っていった。

ヴェネビンシア政府当局は、帝国の(少なくとも当面の)平和的姿勢は、それなりに信用できると考えていたが、主権者たる民衆に向かってそう言って説得する勇気はなかった。

政治家にとって、民衆が熱狂している状況に水を掛けるのは、それが票を増やす要因になる事はまず無いが減らす事になる事は確実だし、まかり間違えば自らの政治生命が絶たれかねないのだ。

そして、方向性を決める政治家達が大衆に迎合的であれば、それを実行に移す高級官僚達もそうせざるを得ない。

なにしろ、彼らの出世は大臣つまり政治家の意にかかっているのだから。

その結果ヴェネビンシアは、問答無用で、帝国に対して近接領域からの全面撤退のみならずその隷下の共和国群を即刻かつ無条件に解放する事を、強硬に要求するに至った。

それは、ゴルディオスにとっては、高価な犠牲を払って獲得した領土の放棄だけに収まらず明らかな内政干渉、更には帝国の理念の全面的否定であり、到底呑める物ではなかった。

ゴルディオスはこの理不尽な要求を拒絶した上で、近接領域の共同統治を逆提案した。

過去にこの近接領域がヴェネビンシアの支配下に入った事はないので、本来なら、このような提案自体が過剰な譲歩といえるが、ゼロ回答ではヴェネビンシア政府の面子が立たない事から、せめてもの配慮を示したのだ。

だが、狂騒の続くヴェネビンシア国民は、彼らの道理を弁えない要求が全面的に通る事以外では到底納得出来ない状態に陥っていた。

これで引っ込みがつかなくなったヴェネビンシアは『光輝ある民主主義の擁護者』の称号が伊達ではない事を示すために、帝国に対する討伐の師を起こした。

民主解放軍を名乗る共和国艦隊は、近接領域を越えて帝国領内へ侵入し、手当たり次第に荒らし回った。

その都度帝国軍はこれに対抗したが、ゴルディオスは和平への希望を棄てず、鋼のような自制心で積極的反攻を回避し続け、講和のために極秘に皇帝特使を送った。

しかし、自らの恐怖心の裏返しである虚勢に酔うヴェネビンシア国民は、この帝国の消極的姿勢を、帝国の偉容が見かけ倒しである事の現れと受け取り、更にかさに掛かって居丈高となり、それを背景として政府は帝国からの和平提案を撥ね付けた。

「講和?なるほど、ようやく侵略した全領土を解放して銀河辺境の小国に戻る決心が着きましたか。結構ですな。」

いくら非公式会談とはいえ、一国の使節代表に向かってそう言い放つ無礼さに、皇帝特使は唖然とするしかなかった。

ついに第六次解放軍は帝国中心領域を大きく迂回して、惑星ゾフィアを含む銀河系外縁領域にまで侵攻してきた。

それは、戦略的には大した効果を与える物ではない。

惑星ゾフィアは、帝国の起源となった銀河辺境のゾフィア公国の首都星であり、銀河中心方向への大規模な進出を果たした現在では、辺境の古都となっているので、政治的も経済的にも、その重要性は低いのだ。

ただし政略的には、帝国のアイデンティティの源ともいえる古都を叩く事でそのプライドに痛撃を加えてその反抗心を折るか、最低でも現在の帝国が取っている『敗けない戦』というスタンスを棄てさせて、一気に決着を着ける決戦の場に引きずり出そうという大目的があった。

後にゾフィア戦役と呼ばれるこの戦いにおいて、帝国軍は総力を挙げてこれを辛うじて撃退したが、ここまでの一連の戦いとその事後処理で多忙を極めた事により著しく体調を損ねていたゴルディオスは、それをおしてこの国難に対処した結果、撃退に成功した直後に病没してしまった。

その後を承けて即位したデマントロスは、ゾフィア戦役の後始末に忙殺されつつも、どのような犠牲を払ってでも必ず父の敵を討つ、と固く心に誓った。

その方針転換は、帝国内に高まる消極的姿勢への不満に対して、長期的展望からそれを押さえる事は、老練なゴルディオスにしてはじめて実現可能な政策であり、即位したばかりのデマントロスでは不可能に近い物であったという現実的認識に依るものであるが、畏敬する父の敵を討つ事は、彼にとっては絶対的命題である、という事も間違いない事実であった。

かくして、最早この二国は共に天を抱く事が不可能である事は明らかとなった。

デマントロスは、共和国の次の一手がどう出てくるかについて、枢密院の軍務経験者で構成される軍務委員会に諮問した。

西銀河帝国では、万機ばんき勅裁ちょくさいという建前があり、政府各機関は長官以下全て皇帝に直属する。

とはいえ、建前はともかく現実として官僚機構と皇帝の間に入って調整を行う存在としての政治家はどうしても必要であり、帝国においては皇帝の諮問機関である枢密院が、その任を果たす事となっている。

その枢密院は、『マ』以上の上級貴族で構成されており、各議員がそれぞれ専門とする委員会に属している。

そして、それぞれの委員長が政治家として担当委員会が管理する機関の実質上の大臣となり、各委員はその副大臣となっている。

防衛委員会からの答申を願う上奏が来たので、デマントロスは極秘に会議を召集した。

構成は、総括委員長(宰相)・外務委員長(外務卿)・財務委員長(財務卿)・軍務委員長(軍務卿)と、帝国の保有する七艦隊の艦隊司令官のみである。

軍務卿ソルキノス・デ・ロルフは軍務委員会の審議の結果を上奏した。

「恐れながら浅学非才を省みずに申し上げますれば、臣らは、恐らく共和国の奴輩やつばらの次なる侵攻は現首都星であるカエサリアを含む帝国中核領域への全面侵攻となるであろうという見解で一致致しました。」

それは、彼の予想と一致していた。

何故なにゆえそう考える?」

「共和国内に送り込んでおります密偵からの報告によりますと、そろそろ共和国の民衆どもは、打ち続く侵攻に疲れはじめており、またその大規模な侵攻による膨大な額の出費が共和国経済を圧迫しつつある、という状況にみはじめております。そこへきて我が帝国は、ゾフィア戦役にて先帝陛下のご威光の賜物により奴輩の艦隊に痛撃を加えて撃退する事が出来ました。共和国民衆どもは、この状況に対する不満を蓄積しつつあり、このまま推移すれば愚かなる事に、自らがその政府に強いてこの一連の侵攻を始めさせたにも拘らず、その不満を共和国政府に向ける恐れが出て参りました。そこで共和国政府は、それが制御不能な高まりを見せる前に嚇々たる戦果を挙げ、出来れば我らを降伏に追い込む事を痛切に必要としております。したがって、次の侵攻は共和国の総力を挙げる物となりましょうし、その目標としてはこの帝国中核領域でなくてはなりますまい。そこで、即刻帝国の鉄槌及び帝国の盾を全て統合した防衛艦隊を編制して迎撃体制を調え、中核領域の防衛を万全な物とするべく準備を始めるべき、と申し上げます。」

帝国の鉄槌とは、現在帝国が保有する七艦隊のうちで積極的な打撃力を担う第一から第三艦隊の事であり、帝国の盾とは、機動的防衛力を担う第四及び第五艦隊を指す呼称である。

ちなみに、残る第六と第七艦隊は、退役間近の旧式艦の寄せ集めに過ぎない予備艦隊であり、戦力としては、ほとんど期待できない。

「それで、勝てるか?」

デ・ロルフは、その質問を最も恐れていた。

元々、『帝国の鉄槌』とは、帝国にその人ありとして内外にその名が高かった猛将デ・ロルフ上級大将の渾名であった。

これは、彼が得意とする戦術『鉄槌』から来ている。

その戦術は単純その物で、手持ちの総戦力を密集させて、一丸として敵艦隊の中核部分に全速でぶつけるという物である。

勿論、そういう場所は多くの場合敵艦隊の配置も濃密であり、また厳重に防衛されているので、こちらの損害も大きいが、成功すれば敵の中核戦力が一撃で消滅する事になるため、危険を冒すだけの価値はある戦術だ。

そのためには、敵に対応する隙を与えない事が肝心である。

そこで、決戦場へ続く最後の超空間ジャンプへ、大きな速度を持って突入し、ジャンプ後はそこから更に加速しつつ、なおかつ密集隊型を維持し続けるという、芸当が必須となる。

これは、極めて練度の高い艦隊でなければ、実行できない。

更に、一見するとそれは、全くの力業で頭脳の介在する余地など無いように見えるが、実はそうではない。

まず第一に、最後のジャンプに突入するまでに、敵艦隊の中核部の位置を正確に把握しなければならない。

これができなければ、突進する先が決められないのだが、それは、大概において念入りに偽装されている。

だから、先行させた偵察艦からの報告をどれだけ的確に評価出来るかが、その成否を分ける鍵となるのだが、そもそも完璧な斥候などという物は、戦場には存在しない。

不完全な穴だらけの情報を綜合して、敵艦隊の構成を正確に予想するのは至難のわざであるが、彼はそれを幾度となくやり遂げて来た。

また、それを正確に見極めたとしても、それだけでは済まない。

そこまでの『厚み』を評価する必要があるのだ。

それは、彼の鉄槌がそこまで届くかどうかを判断するためである。

一度ひとたび鉄槌が動き出せば、それは全速の勢いを保ったままで、中核部に衝突せねばならない。

もし途中で息切れを起こして行き足が衰えれば、敵の直中ただなかで全方位からの袋叩きに逢い、全滅する事になってしまう。

そこをクリア出来ても、敵艦隊の残存兵力を掃討するだけの余力が残せるかどうかも、大きな判断要因である。

例え敵の中核を撃滅出来たとしても、敵に包囲されている状況に変わりは無いからだ。

だから、この戦術を複数回に渡って成功させた将軍は、敵味方を問わず彼以外にはいない。

なにしろこの戦術は、最後のジャンプに突入すれば、もう中止は出来ないのである。

彼の戦術の模倣者は、一・二度は成功してもいずれは敵艦隊の編成を読み違えて空振りするか、彼我の戦力を的確に評価し損ねて、取り返しの着かない泥沼に突っ込む破目になる。

もし敵の編成を読み違えると、敵艦隊の薄い箇所を全力で突き抜けてしまうが、静止状態にある敵は、そのまま回頭して向き直る事も容易いのに対して、こちらは大きな速度を持って直進している上に密集しているために機動の自由度が低く、転進に時間がかかる。

その間は、背後から打たれ放題となり、大きな痛手を負う事になる。

また、彼我の戦力を的確に評価し損ねれば、いずれは勝てない相手に向かって突入する破目になる。

そうなれば、待っているのは死なのだ。

そして、成功した模倣者が殆ど居ないのは、他にも理由がある。

この戦術のもう一つの要締となるのは、衝突直前の艦隊機動を、状況に応じて適切かつ即座に調整する事なのだが、これをするためには、司令官は先頭集団にいる必要がある。

それは、必然的に艦隊旗艦と司令官自身を大きな危険に曝す事になる。

これを躊躇う事なく平然と行う事が出来る猛将でなければ、成功は覚束ないのである。

こうして彼は、その戦術の名を二つ名として頂く事になったのだが、彼が第一線から退いた事に伴い、これからは個人ではなく艦隊がその任を果たすのだ、というゴルディオスの言葉で、打撃力を担う三艦隊にその呼称を背負わせたのだ。

これに合わせて、防御力を担う二艦隊を帝国の盾と呼ぶ事になった。

実は、鉄槌の元祖である猛将デ・ロルフからすれば、今回の様な消極策を奏上する事は内心忸怩たるものがあったが、さりとて防御を固める以外に有効と思われる手立てもなく、まさに、やむを得ぬ仕儀と己を納得させるしかなかったのだ。

特に、デ・ロルフは既に老境に入って久しく、かつて彼と共に西銀河を駆け巡って想像を絶する様な苦難を乗り越えてきた同僚や部下達は、皆彼をおいて引退し或いは鬼籍に入ってしまった事で、軍務委員会の世代交代が進み、帝国が上げ潮となって以降の派手な勝ち戦しか知らない将軍達と、更にその次の世代となる消極的防衛期に軍歴を終えた者達が主流となっていた。

彼らは苦境の中から生命を賭して勝利を掴み取るという経験をしていないので、この状況にあっても安全策を取りたがるのだ。

「もし時に利あらねば、或いは首都星領域を棄てての退却すら必要となるやも知れませぬ。この選択が大変な苦痛を伴う物である事は疑い得ませぬが、ここは、帝国百年の計のために、何としてもご堪忍お願い奉ります。」

「うむ。」

それは、軍事の専門家とは言いがたいデマントロスにも、予想がつく答であった。

「良く判った。下がってよい。」

そう言いながら彼自身は、あるいは専門家なら別の展望もあり得るのではないかという微かな期待を抱いていたのだったが、その期待が虚しく外れた失望を何とか隠しおおせた。


その夜のデマントロスは、私室に戻ってからもその頭の中で焦りと失望と諦念がぐるぐると不快な遁走曲フーガを奏で続けるために、どうしても眠れそうになかった。

最早、眠るのは諦めた方が良さそうだと思い、壁の呼鈴を鳴らした。

「何でございましょうか?」

「コーヒーをもて。」

「かしこまりました。」

やがてノックがあった。

「苦しゅうない。」

「ご無礼申し上げます。」

それは、女官ではなく若くはない男の声であった。

今その声を聞くのは意外ではあったが、驚きはしなかった。

むしろ彼は、その声の主を待っていたような気さえしていた。

銀のコーヒーセットを捧げて入ってきたのは、軍服を着た初老の男である。

男の顔には、額中央から左目の上を通り左耳の下に掛けて大きな古傷が刻まれており、その傷の通り道にある左目は無惨に潰れていた。

それは、初対面の人間をぎょっとさせる(かつてデマントロス自身がそうであった事を、苦い経験としている)に十分な外見であったが、今の彼には、その懐かしい古傷自体が信頼できる男のあかしと映っていた。

「おお、トロアン。いかがした?」

男は、サイドテーブルにコーヒーセットを置くと、ポットから丁寧にコーヒーを注ぎ、恭しく差し出しながら言った。

「陛下のご苦衷、お察し致します。」

やはりこの男は判っている、と思うと、ほんの僅かでも気が楽になった。

「苦しゅうないぞ。掛けよ。」

トロワノス・カ・アルキレイア中将は、かつて皇太子付武官として彼の教育を担当した人物なのだが、皇太子時代ならともかく、皇帝となってしまった今、気心の知れたこの男ですら、彼が許さない限り椅子に座る事は出来ない。

それは、彼とこの男の間の距離を示している様に思われ、一抹の寂しさを覚えた。

「何ぞ申したき事があるのだろう?」

何の用も無しに皇帝の寝所を訪れる様な慎みの無い男ではない事は良く判っている。

彼が尋ねたにも関わらず、トロワノスは言い出しにくそうにしていた。

珍しい事もある物だと、彼は再び促した。

「構わぬ。この場限りの事ゆえ、何なりと申すがよい。」

やがて、トロワノスは意を決した様子で口を開いた。

「恐れながら、陛下はデ・ロルフ卿の奏上された策で、帝国が今の苦境を脱する事が可能とおぼしめされますか?」

トロワノスは、デマントロスが成人した後、本来なら侍従武官としてそのまま宮廷に伺候する所だが、本人のたっての希望で前線に戻り、現在は第六艦隊司令官を拝命している。

いずれにせよ、彼の答は決まっていた。

「思わぬ。」

トロワノスは、やはり、という表情で無言のまま頷いた。

「ヴェネビンシアの総力を挙げる侵攻となれば、どれほど防備を固めようと、今の体制で帝国を守る事は出来まい。どうしても守り抜く事を目指すなら、彼らの申す通り、このカエサリアを含む中核領域を棄てて、より守りを固めやすいゾフィア近傍まで後退し、防衛力の密度を大きく上げるしかないが、それで仮に撃退できたとしても、我が方も大きな犠牲を払う事は避けられぬし、それをして得られる物は高々守勢を保ったという退嬰的な成果に過ぎぬし、そもそもこの状況で、予想される様な大きな犠牲を出しつつその程度の成果で帝国を動揺させぬ事は、老練なる我が父にしてはじめて可能なわざであり、若輩者に過ぎぬ余にはその様な芸当は出来ぬ。そなたもそう思うであろう?」

「とんでもございません。陛下のご威光はあまねく帝国に満ちており・・・」

その言葉を、デマントロスは遮った。

「そなたは我が師父である。その様な追従もくだくだしく飾り立てた言葉も無用。ざっくばらんにいこうではないか。」

トロワノスはしばらく沈黙したが、やがて短く言った。

「ご慧眼畏れ入ります。」

「さて、余の就寝を妨げてまでやってきた以上、さぞかし良い腹案があるのであろうな?」

彼が冗談めかしてそう尋ねると、トロワノスは表情を引き締めた。

そのあまりの真剣な様子に、彼は相手が言葉を発するのを辛抱強く待った。

やがて、トロワノスは決心が着いた様で、訥々と語り始めた。

「それがしは、僭越を省みずに陛下の大御心おおみこころを推察し奉り、宇宙軍参謀本部に対して内々に、その御意に叶う作戦の立案を依頼しました。そして、本日その回答が参りましたので、こうしてお持ち致しました。」

その言葉に続く作戦案の説明は、その想像を絶する規模の大きさを考えると、意外な程に短かった。

それはざっくりと言えば、帝国の中核領域、それこそ首都星カエサリアまでをも囮として、侵攻軍を引き付け、その間にヴェネビンシア本国を叩く、という大胆というよりは無謀と言うべき物であった。

つまり、大きな犠牲を払ってでも一旦侵攻軍を帝国中核領域深くまで迎え入れてこれを足止めをしつつ、それと入れ違いに共和国中心領域への大規模な奇襲を行い、言わば『後の先』を取って共和国に必殺の一撃を加えようという構想である。

それも、その必殺の一撃として、帝国の常設7艦隊のうち、第一から第三艦隊のみならず、第四及び第五艦隊までも合わせた統合艦隊を組織し、これを近接領域手前の辺境に臥せておいた上で、共和国軍が帝国中核で拘束されているうちに大迂回をしつつ共和国首都星ヴェネビントに突進してこれを包囲するというのである。

過去に、第一から第三艦隊を合わせた統合艦隊が編制された例はあるが、仮に奇襲艦隊と命名された今回のそれは、まさに帝国の総力を結集した艦隊であり、これを送り出せば残るのは旧式艦ばかりの名目的な予備艦隊である第六・第七艦隊のみに過ぎなかった。

そこまで攻撃に全力を集中しなければ、ヴェネビンシアに対する必殺の一撃は成らないのである。

しかし、『後の先』を取ると言葉で言うのは簡単だが、いざそれを実行するとなると、恐ろしく難しい。

本来の武道でいう所の後の先は、相手に先に仕掛けさせ、それで相手が前のめりとなって体さばきに柔軟性を喪った、すなわち『虚』となった所を狙い済ましてこちらの『実』で撃つという物である。

つまり、相手が攻撃を掛けて来てからこちらも攻撃を仕掛ける訳だから、もしこちらの攻撃が成らない内に相手側の攻撃をまともに受けてしまえばおしまいである。

ここで、これが武道ならば、相手の攻撃に紙一重でたいをかわして一撃を入れる所だろうが、首都星が体をかわす事などできる筈がない。

つまり、敢えてその攻撃を受けながら、それが致命傷とならない内にこちらの攻撃が届く事を祈るしか無いのだ。

その時、敵艦隊の前に囮として晒される首都星カエサリアを守るのは、同じく仮に陽動艦隊と名付けられた第六・第七艦隊である。

ここで、この作戦の成否の鍵は、実はこの陽動艦隊が敵主力艦隊を十分に引き付け、なおかつ足留め出来るか否かにかかっていた。

陽動艦隊は、到底歯が立つ筈のない相手の攻撃を正面から受け止めねばならず、退却は絶対に許されない。

彼らがその攻撃を避けたり、或いは敵の圧力に負けて退却すれば、カエサリアはたちまち焦土と化すのだ。

更に、まだ陽動艦隊の息が残っている内に敵艦隊が回頭を始めたら、彼らは全力でこれに追い縋らなければならない。

後の先を成立させるためには、たとえ一分一秒でも多く時間を稼がねばならないのである。

どう見てもその任務の苛酷さは、不可能と言わざるを得ないレベルなのであった。

「なるほど、良く判った。しかし、余にはその作戦が成功するとは到底思えぬのだがな。とはいえ、そなたが敢えてこの話を持ってきたからには、それなりの成算があるのであろう?」

トロワノスはきっぱりと言い切った。

「ほとんど御座いませんな。」

あまりな返事に絶句するデマントロスに、トロワノスは続けて言った。

「しかし、もしデ・ロルフ卿の作戦が成功したとして、その後はいかがなりましょう?」

「どうなるのだ?」

「ヴェネビンシア政府にとって、最も恐ろしいのは、帝国に敗れる事ではなく、民衆の支持を失う事で御座います。ですから、仮にその侵攻軍に正面から立ち向かって、我が方が殲滅されるまでにあちらに退却を余儀なくさせる程の大打撃を与える事に成功し、更には奇跡が起きて相討ちに持ち込む事が出来たとしても、ヴェネビンシアは絶対にそこで侵攻を諦める事は御座いますまい。向こうの政治家共は、今更ここで引けば自身がこれまでの責を問われる事となり、その先の道は絞首台への階段に繋がっておる事を、良く理解している筈で御座います。したがって、それで侵攻を断念する事はあり得ませぬ。必ずや手段を選ばず自国民の危機感を煽り立て、次なる攻勢へ向け、総力を挙げて艦隊の再建に掛かるでありましょう。その一方で、我が方も艦隊を再建せねばならぬ点では同様となりますが、再建競争となれば、これはもう国の地力が物を言います。しかし、残念な事にこの点では、共和国側に大きく利があると言わざるを得ませぬ。ですから、その次の侵攻では我が方の迎撃体制は、まともに機能する事は御座いますまい。」

「次の侵攻で守勢に立てば、その次の侵攻で帝国は滅びる、という事か?」

トロワノスは無言で頷いた。

「なるほど、そなたの申し条は良く判った。しかしな・・・」

そう言って、デマントロスは一旦言葉を切り、あらためてその考えを確かめた上で、続けた。

「その策を採る訳にはいかぬ。」

「何故で御座いましょうか?」

「その作戦では、陽動艦隊は文字通り必死である。余は、将兵に命を掛けて戦えと命ずる事は出来ても、死ねなどと命ずる事は出来ぬ。」

トロワノスは穏やかに言った。

「それは、ご心配には及びませぬ。兵の俸給には、司令官の命令に従ってその命を棄てる分も含まれております。そして、兵にそれを命ずるのは、ひとえに司令官の責に御座います。この作戦では、司令官自身が先頭に立ってその命を棄てる事が必須で御座いますれば、兵達も喜んでとは参りますまいが、納得してついて参るでありましょう。」

それは、単にデマントロスの責任を曖昧にするための言葉遊びにしか見えなかったが、仮にそれを受け入れるとしても、問題は半分しか片付かない。

「それでも、司令官にそれを命ずるのは余の任務であり、どの将軍にであれ、それは余の良く成し得る所ではない。」

「その点も、問題とはなりませぬ。」

「何故だ?」

トロワノスは、事もなげに言い切った。

「陽動艦隊司令官の任は、第六艦隊司令官たるそれがしが務めるべき物である事は必定であり、不肖ながらそれがしは、自らそのお許しを願い奉りまするゆえ、陛下の責には御座いませぬ。」

「何故、そこまで・・・」

そう言い掛けるデマントロスを制して、トロワノスは語り始めた。

「畏れながら陛下は、それがしがはじめて陛下に御拝謁の栄を賜った日の事を覚えておられましょうか?」

それは、もう二十年程も前の事だが、今でも穏やかな感傷と微かな苦味と共にありありと思い起こされる。

彼の父ゴルディオスは、ようやく八歳となった皇太子デマントロスの教育のために、侍従武官を推薦する様に、防衛委員会に命じた。

その際に、基本的な人選は任せるが、古武士の風ある者を選ぶように、と条件を付けた。

委員会は、その求めに応じてカ・アルキレイア中佐を推挙した。

中佐は、要望通りの古武士を思わせる気骨を持った軍人であり、しかも『カ』の称号を有する貴族であるから、宮廷に出仕するのにも不都合はない。

ただし、容貌には少々難がある、と委員会は付け加えた。

その難とは、顔に大きな傷がある事だが、その傷は先の近接領域を併合するに至った第六次拡大戦役での名誉の負傷である、との事だった。

ゴルディオスは、ともかくも引き合わせてみようと考え、デマントロスとその他少数の廷臣だけの場に、内々に中佐を召し出した。

あらかじめ聞いていたとはいえ、中佐の額(というよりは顔面)の傷は幼い皇太子には少々刺激が強すぎた。

召し出されてきた中佐を見た瞬間にデマントロスは、ほんの一瞬だが、嫌悪の表情を浮かべてしまったのだ。

すぐにその過ちを覚ったデマントロスは、平静な表情を繕ったが、ゴルディオスとトロワノスは誤魔化せなかった。

ゴルディオスは、この人選を時期尚早であったと判断して、中佐を退出させようとしかけた。

「実のところそれがしは、陛下の侍従を勤めます事には、あまり気乗りがしておりませなんだ。ですから、先帝陛下が退出をお命じにならんとするご様子を察し奉り、むしろほっとしていたので御座います。」

それは、彼にとってもいまだに苦い思いでである。

「ところが、先帝陛下がそれをお命じになる前に、陛下はそれがしに歩み寄られ、この傷に手をお伸ばしになって、この傷は勲章に勝るとも劣らぬ帝国への忠誠のあかしであると仰せになり、更にはそれがしの手をお取り遊ばされて、ご自分の僅かな一瞬の表情を不作法として一介の武弁のために頭をお下げ下さいました。聡明な陛下は、それがしがこの傷によって、貴族界の中で浮いた存在となっているであろう事をお見抜き遊ばされたればのご配慮で御座いましたな。それがしはその時、一朝事あれば、帝国のためでも皇帝陛下への忠誠のためでもなく、この若殿のために一命を棄てんと密かに誓ったので御座います。爾来十余年陛下にお仕え奉りましたが、その決意は揺るぐどころか、ますます堅くなって参りました。そうして今、ようやくそれがしの宿願が叶う時が到来致しました。」

彼は、軽くため息を吐いた。

「そなたが、こうと決めたら梃子でも動かぬ一徹者である事は、良く判っておる。」

トロワノスは、苦笑いしながら言った。

「それはまた大袈裟な仰せようで御座いますな。」

つられて彼も苦笑いしながら言った。

「教育係とはいえ、皇太子を本気で殴れる男など、そういるものではない。いや、そんな者がそなた以外にもいたら、余の頭が持たぬわ。」

二人は顔を見合わせ、笑いだしてしまった。

その笑いは、トロワノスに死を命じるも同然の物である事は理解していたが、それでも、胸に迫る想いで笑いを止める事は出来なかった。

デマントロスは、生まれてはじめて泣き笑いを経験した。


「陛下!それはいくらなんでも無謀過ぎましょう。」

宰相エクラディオス・デ・ブロノアは、悲鳴にも似た声をあげた。

彼は、宰相も取り乱す事があるのかと、軽く驚いた。

デマントロスは、夜が明けるとすぐに秘密会議のメンバーに再度集合を命じた。

何事やあらん、と出仕してきた閣僚達に、彼はトロワノスの策を提示して、検討を求めたのだが、それに対する最初の答が、その叫びであった。

「宰相は、不賛成か。」

「はい、畏れながら、帝国を丸ごと賭け物とするなど、策とは申せませぬ。」

この男は、どういう場合においても中庸を心掛けつつ様々な手管を弄して安全策へ落とし込もうとする中々の寝技師であるが、その芯は、自分の信ずる所を譲る事のない堅固な信念の持ち主でもある。

何故、余の宮廷にはこんな頑固者しかおらぬのか、と少々うんざりしたが、これは、考えてみれば当然の事でもあった。

帝国宮廷という複雑怪奇な世界では、こういう男でなくては生き残れないのだ。

「誰か、賛成の者はおらぬか?」

宰相は、居並ぶ者達に無言の威圧を加える様に、辺りを見回した。

デマントロスは、失望しつつも誰かがその重苦しい沈黙を破るのを待っていた。

やがて、居並ぶ臣下の列の末席近くから、大音声が上がった。

卒爾そつじながら、帝国宇宙軍上級大将ソルキノス・デ・ロルフ閣下にお尋ね申し上げる!」

全員の視線が向かった先には、トロワノスが一身に集まる銃弾のごとき剣呑な視線を跳ね返すように、堂々と胸を張っている。

デ・ロルフは、久しく呼ばれた事のない肩書に一瞬戸惑った。

本来なら、軍務経験者が枢密院に入るのは退役後とされている。

中途半端ではあるが、文民統制を考慮しているのだ。

しかし、デ・ロルフに限り、この規定は適用外とされた。

何故なら、『帝国の鉄槌』の功績に鑑みて、軍務を退く際にデ・ロルフの職位である上級大将は終身とされていたので、規定通りでは枢密院に入れないからだった。

従って、デ・ロルフは今でも(名目上の事とはいえ)現役の上級大将でもあるのだ。

「閣下は、軍務委員会の上奏致したる策が帝国百年の計に繋がると、本心より思っておられますか!」

デ・ロルフは、思わず苦笑した。

恐れを知らぬこの若僧め、と半ば呆れている。

確かに、トロワノスは彼より二十ほど年下なのであるが、それを言うなら、現役軍人は勿論、枢密院ですらその大半は『若僧』という事になる。

いずれにせよそれは、軍務卿デ・ロルフではなく、猛将デ・ロルフへの呼び掛けであった。

いや、挑発と言った方が適切であろう。

猛将の牙は、老いぼれてすっかり抜けてしまったのか、と言っているのだ。

良かろう、貴様が古武士だというなら、儂は帝国の鉄槌ぞ、陛下の御為おんために命を投げ出す覚悟が出来ているのは、貴様だけではない、ここで帝国がおめおめと引き下がる所を見るくらいなら、儂自らが最前線で陛下の盾となって見せよう、とはらを決めた。

「陛下、畏れながら昨日奏上致しました策は、お忘れ願わしゅう存じます。」

「何を言うのだ!」

狼狽する宰相の制止を無視して、デ・ロルフは奏上を続ける。

「それがしは、百年後の帝国が、西銀河辺境のほんの片隅で、尻尾を巻いて逃げた負け犬と揶揄されながら青息吐息で辛うじて存続するであろうなどという未来を、帝国百年の計と呼ぶ事は、断じて出来ませぬ。」

これは面白い事を言い出した、とデマントロスは思い、続きを促してみた。

「では、その方が考える百年の計とは、どの様な物であるか?」

軍務卿の立場もあるデ・ロルフは、一瞬だけ躊躇いを見せたが、意を決して再び猛将デ・ロルフに戻って奏上を続けた。

「不肖それがしが考えまする帝国百年の計とは、西銀河に大きく覇を唱える押しも押されぬ大帝国となるか、さもなくば、人類初の壮途に挑んで夢半ばにして砕け散った幻の帝国という記憶を全人類に刻む伝説となるか、という道であるべきで御座いましょう。」

「その言や善し!」

デ・ロルフの熱気が乗り移った様にデマントロスは叫んだ。

「陛下!それはなりませぬ!」

宰相の狼狽しきった呼び掛けに、彼は耳を貸そうとはしなかった。

「陛下!お願いで御座います。それがしの声に、どうかそのお耳をお貸し願います!」

今にも泣き出しそうな悲痛な叫びに、ようやくデマントロスは宰相の懸命さに免じて、意見を聞いてみてやろうと思った。

「申してみよ。」

「その雄大なご策略が、無事に成れば宜しゅう御座いますが、成らねば、帝国は如何いかが成りましょうや!」

なんだ、そんな事か、と彼は少し失望した。

その点については、デマントロスには既に腹案とは言えぬまでも、覚悟は出来ていた。

「成らねば、その時は余自らが共和国艦隊に赴き、降服しよう。」

事も無げに言ってのけるデマントロスに、宰相は更に食い下がった。

「果たしてそれで、帝国が救われましょうか?」

勿論彼も、降服すればそれで済むなどという甘い考えで言った訳では無い。

「奴らは、民衆の擁護者である事をそのプライドの拠り所とし,そのために解放軍を名乗っておる。だから、余がヴェネビントで絞首台に登れば、我が臣民に対してあまり無茶な事は出来まい。それだけでは向こうの腹が癒えぬというならば、ヴェネビントでの市中引き回し位は付き合ってやっても良い。」

それは、あまりにも壮絶な未来予想である。

「そ、それでは、帝国は滅亡では御座いませぬか。」

デマントロスは、諭す様に言った。

「それは、余の身の終わりではあっても、帝国の滅亡となるとは限らぬ。滅亡させたくなくば、そなたがゾフィアに逃れて後継を建てよ。余の従兄弟いとこ再従兄弟はとこを合わせて四人おる。どうも、頼りない奴ばかりだが、誰を建てるかはその方に任せるから、良き者を選べ・・・いや、確かそなたには中々立派な息子が二人もおり、二十前の孫も何人かおったな。」

そこで一旦言葉を切ると、ごく軽い調子で、衝撃的な命令を下した。

「いっそのこと、ブロノア朝を建てよ。」

その言葉に、宰相は一瞬唖然とした後、みるみるうちに怒りで紅潮した。

「陛下は、それがしを不義不忠のやからと思し召しあらせられますか!」

ついぞ怒りを表した事のなかった宰相の剣幕に、やや辟易としながら、更に諭す。

「それは、かつて我が父祖グラニコス・マ・ゴールハイムが歩んだ道。ここで第四の王朝を建てる事は、不義でも不忠でも無い。これにてゴールハイム朝が終焉を迎えるとしても、それは余の失政がしかるべき報いを受けたというだけに過ぎぬ。次の王朝が建つ限り、帝国は滅びぬ。」

「陛下、それは・・・」

デマントロスの覚悟の前に、最早宰相は何も言うべき言葉がなかった。

彼は、決然として命じた。

「ともかく、そなたはこのカエサリアで死ぬ事は許さぬ。あらかじめ息子達とその家族をゾフィアへ待避させておけ。そして時に利あらねば、全てを棄てて近衛軍と共にカエサリアを脱し、全力でゾフィアへ向かうのだ!ゴールハイム朝でもブロノア朝でも構わぬ。必ずや、帝国を再建せよ。」


こうして、帝国の方針は決した。

ブロノアの意思がどうであろうと、決した以上はその実現に向けて、全力を尽くさねばならない。

それが宰相の仕事なのである。

当面やらねばならない事だけでも、それこそ無限にあった。

まずは、第六・第七艦隊を強化しなければならない。

どう考えても歯の立たない相手に、一歩も退かずにぶつかる事になるのだが、今の艦隊をそのままただぶつけたのでは、何も出来ないうちに殲滅されてしまうだけで、たいした時間稼ぎにはならない。

そのために、陽動艦隊の旧式艦群は徹底した整備を加えて、短時間なら最新鋭艦並の機動性を発揮できる程に仕上げねばならない。

ただし、明らかな無理を重ねた上での事なので、そんな機動を繰り返せば、恐らくはもう二度と使用に堪えなくなるであろう事も覚悟の上で、足留めが成功するまでつ事を期待するしかなかった。

更に、この艦隊を帝国主力に見せ掛けるために、廃艦となった老朽艦を引っ張り出して何とか動く様にし、更に奇襲艦隊の補給のために随伴する以外の輸送艦を全て集めて、戦闘艦に見せ掛けるための擬装を施す事にした。

これらの艦は有り体に言えば張りぼてであり、まともな戦闘どころか基本的な戦闘機動すら困難であるため、陽動艦隊の後方に広く展開して予備兵力に偽装する事にした。

こうして、帝国主力と思わせる見せかけの偉容で敵侵攻艦隊を警戒させて、戦端が開かれる事を遅らせるという作戦なのだ。

あらためて見ると、陽動艦隊の任務は過酷の一語につきる物と言えた。

彼らが稼がなければならない時間は、非現実的な程に大きかった。

奇襲艦隊は、帝国外縁部の両端に二分割され、右翼艦隊/左翼艦隊として大きく迂回して共和国に侵入し共和国中心領域で会合する筈なのだが、その予定進路は大きく湾曲しているだけでなく、更に共和国防衛力の希薄な領域を懸命に手探りで辿りつつ進む事を余儀なくされるため、まさに蛇行と言わざるを得ない物で、その進路を全速力で突進するとはいえ両艦隊が目標地点で会合するまでには相当な時間を要する事が明らかであったためだ。

そのために第六・第七艦隊は、張りぼて艦隊をバックに空元気を張って見せるだけでは済まないのだ。

もし、こちらに戦意が乏しい事に気付かれたら、囮である事がばれてしまう。

この状況では、こちらの主力の行先は共和国の枢要部がまず疑われるので、敵艦隊はすぐさま回頭して共和国中心領域へと全速で取って返す事になる。

そうなれば作戦の頓挫が確定し、左右両翼の統合艦隊は共和国内から脱出するために血路を開く奮戦を余儀なくされる。

しかし、それは最悪の結果ではない。

もし、共和国艦隊の帰還が早ければ、回頭が間に合わず共和国首都星のヴェネビント防衛艦隊と、主力艦隊に挟撃されるかもしれない。

そうなれば、全滅は必至である。

だから、こちらから積極的に仕掛ける(少なくともそのふりをする)必要があるし、もし相手が囮である事を覚って、あるいはヴェネビントへ向けて侵攻中の攻撃艦隊が発見されて相手が撤退を始めた時には、侵攻艦隊がそのまま突進を続けてヴェネビントに到るか回頭して撤退する為の時間を稼がねばならない。

それには、短時間でもこちらに振り向かせるために、攻撃を受け止める場合以上に全力を挙げて攻撃を仕掛ける事になる。

たとえその結果が、鎧袖一触の殲滅に終わるとしてもだ。

これは、かなり分の悪い賭けであり、しかもレートは理不尽な程に高かった。

そしてそのチップは、全て陽動艦隊の上にベットされていた。


ヴェネビンシア共和国宇宙軍のハロルド・パーマー中将は、わざわざ工厰まで出向いていた。

第七次解放軍の準備として懲罰艦隊の旗艦となるベンジャミン・フランクリンの改修状況を、自分の目で確認するためである。

共和国の総力を挙げての闘いにおいて彼は、このふねで艦隊司令官を勤めるのだ。

ちょっとした山岳並みの偉容を持つその艦を見下ろすと、大きく膨らむ艦橋の上に、巨大な塔が屹立している。

「あれが、アンテナモジュールか?」

大きい塔が立つと聞いていたし図面も見てはいるのだが、実際に見ると随分と巨大に見えた。

「はい。今回は、今までの戦闘とは比較にならない量の通信を行う必要がありますので、既存の各アンテナの強化では追い付きません。全アンテナモジュールを新システムに入れ換えるとなると、作戦に間に合わないので、ああやって全機能を集約するモジュールを追加するのが一番確実です。」

と工厰長が答える。

今回の作戦では、全艦隊が完全に統一されたマスゲームを演じる必要がある。

しかし、一万隻を超える艦に、命令一下で統率された機動を行わせる、というのは、命令する側される側双方共に、人間業で可能な事ではない。

そこで、全艦を旗艦のコンピュータの指令でコントロールする事になったのだ。

そのため、大わらわで全艦の自動操縦システムにスレーブ機構を追加しているのだが、旗艦側の改修は、その程度では済まない。

何しろ全ての艦の機動を、艦ごとに指示し続けなければならないので、その通信量は、まさに膨大と言わざるを得ない。

フランクリンのコンピュータは必要なレベルまで強化出来たが、通信機構の容量が決定的に不足していた。

そこであの塔が立った訳だ。

「だが、あれだけ目立つ物を天辺に立てたら、攻撃が集中せんか?」

「旗艦ですから、そうそう攻撃される事も無いでしょう。」

「いや、今回の作戦では、旗艦もそれなりに前に出る事になるかも知れんぞ。」

「まあ、各部にある既存のアンテナモジュールも撤去していませんから、万が一あの塔が破壊されても、それがバックアップになります。」

「つまり、既存分と追加分の独立した二系統のアンテナ群が、艦内に併存しているという事かね?」

「あ、いや、それでは通信システムの更新が出来ませんから、司令室からの通信は全て新システム経由であの塔に集約して、既存のアンテナモジュール群への回線は、全てあの塔の下から分岐します。」

「ふむ。」

まあ、仮にアンテナ塔が吹き飛んでも、現行アンテナによる通信は可能そうなので、良しとする事にした。


更に、陽動艦隊司令官の人選で一悶着あった。

第六艦隊司令官カ・アルキレイア中将を、その任に当てる様にとデマントロスが指示したのだが、デ・ロルフ軍務卿はそれを受け入れず、ソルキノス・デ・ロルフ上級大将を任命する、と言い出したのだ。

このとんでもない年寄りの冷や水に、デマントロス以下秘密会議のメンバーが総出で説得に当たったのだが、デ・ロルフはどうしても退こうとしない。

周りがどう思っていようとも本人は、今でも自分が『現役』の上級大将である事に疑いを持っていないのだ。

「なあ、ソルキン。」

親しみを込めてソルキノスをこう呼べるのは、デマントロス以外には幼い曾孫達だけである。

とうとう、デマントロスは奥の手を繰り出す破目になった。

「そなたは、手柄欲しさに余を見棄てるのか?」

その言葉に、ソルキノスは目を剥いた。

「それは、あまりな仰せで御座います!それがしは、陛下と先帝陛下のご厚恩に僅かなりとも報い奉らんがために、前線に立つ所存に御座います。それに、カ・アルキレイア中将は、ここで死なせるには惜しい男で御座いますれば、ここはこの惜しげの無い年寄りが出るのが、帝国のためでありましょう。」

デ・ロルフが功名心などで言っているのではない事は、彼にも良く判っている。

しかし、思い留まらせるためには止むを得ない。

「この乾坤一擲の大戦役で、軍務卿として余を支えるという大役が務まる者が、そなたを措いて他におろうか。その務めを投げ出して前線に行くと言うなら、それは、余を見棄てる事に他ならぬ。」

ロルフの忠義心は良く判っているのだが、敢えて心を鬼にして、自分を見棄てる事、という言いがかりとしか言い様の無い理屈を組み上げた。

帝国軍人にとって『不忠』とは、心情的には銃殺に値する罪なのである。

帝国の鉄槌という二つ名を終生の誉れと信ずるデ・ロルフにとって、それはとても耐えられなかった。

ついに、デ・ロルフは悄然として項垂れ、力なく言った。

「陽動艦隊司令官の儀は、陛下の思し召しのままに願わしゅう存じます。」

彼は、デ・ロルフの肩に手をやった。

「よくぞ分別ふんべつしてくれた。此度こたびの戦役で、そなたが大本営で余の補佐を務める事は、陽動艦隊司令官と同じ位に重要な任務だ。その事を決して忘れるでないぞ。」


この一大作戦の準備で大わらわとなっている中で、陽動艦隊司令官を拝命したカ・アルキレイア中将は、その一端として大量の人事異動申請を出していたが、その書類の山の中に目立たない様にある人事の申請を紛れ込ませていた。

その人事は慣例に従い、決定となる前に本人に内示された。

その時、トロワノスは陽動艦隊旗艦グラニコス二世の司令部でめまぐるしく指示を出し続けていた。

この艦は、元々は第六艦隊旗艦だ。

つまり、かなりの老朽艦である。

デマントロスは軍務委員会に対して、せめてものはなむけに陽動艦隊の旗艦には丁度新しく就役したばかりの最新鋭艦ゴルディオス三世を充てろと命じ、委員会も渋々ながら賛成したのだが、当のトロワノスがそれを拒絶した。

理由は、乗り馴れた艦が一番だから、であった。

実際にこの、オールド・グラニーとして艦隊内で親しまれている老朽艦に愛着があるのも事実だが、実のところは、今強化すべきは何を置いても強襲艦隊の方であるはずだ、という認識からである。

そうして忙しく立ち働きながら、いつもの顔が見えない、と思っていた所に、その顔が血相を変えて飛び込んできた。

「閣下!私を司令官付き従卒から参謀本部付き待命に異動する、と言われましたが、これはどういう事でしょうか?」

トロワノスは、その問いに心中で舌打ちした。

本人に内示しないように、という注記を付けるのを失念していたのだ。

中隊長以上の部隊長は、日々の雑務が膨大な量になるので、雑務とその他身の回りの世話のために、従卒が付けられる。

大隊長までは兵卒が、連隊長には下士官が、そして師団長以上には尉官が付く事になっており、師団長より上位の艦隊司令官であるカ・アルキレイア中将には、カッツ・ディーワ中尉が付いていた。

仕方がない、と諦めた彼は、カッツを説得する事にした。

「カッツ、君も今回の任務がどういう物になるかは判っているだろう?」

「勿論です!」

カッツは胸を張って答える。

「まあ、少し力を抜け。いいか、陽動艦隊の潰滅は避けられないのだから、少しでも人数は少ない方が良い。だから、必要最小限以外の人員は、艦隊から下ろそうという話だ。」

話は判るが、カッツは納得しなかった。

「それで、私を異動しながら、司令官付き従卒を補充なさらない、という事ですか。」

「まあ、そういう事だ。」

カッツは食い下がろうとする。

「しかし、それでは閣下の身の回りをお世話する者がいなくなります。」

彼は、苦笑した。

「私は、自分の身の回りの事が出来ない程の年寄りではないぞ。」

敬愛する上官に切り捨てられようとしている、と思ったカッツは、悲しげに尋ねた。

「閣下は、私をお嫌いですか?」

まるで、見棄てられた仔犬を思わせるカッツの表情に、彼は当惑した。

「そういう話ではない。」

これは、口先だけでどうにかなる話ではなさそうだと感じた彼は、この機会に自分の気持ちを伝えておこうと思った。

「私が、君の父ブルガンと出会ったのがいつか、聞いているか。」

急な話の転換に、カッツは訝しげに答えた。

「父からは、帝国士官学校で同期であったと聞いております。」

「そうだ。その頃の士官学校は、今よりずっと身分にうるさかった。」

その話は、聞いたことがある。

「その点は、閣下がリーダーとなられた統合学生団の活動で大いに改善された、と士官学校時代に習いました。」

彼は、苦笑しつつ言った。

「いや、その件に関して私はそんな大層な事をしたわけではない。むしろ私は、旧弊な階級意識に凝り固まった貴族派の領袖だったんだ。」

それは、意外な話である。

カ・アルキレイア中将は、身分に拘る事なく軍人としての公平な評価を下す人物として知られている。

「あのころの学校は、特権意識の塊の様な貴族派が、平民を見下ろしながら大手を振って闊歩していた。」


士官候補生トロワノス・ロ・アルキレイアは、同期のブルガン・ディーワが好きではなかった。

ブルガンは中々優秀な学生であるが、その一方で融通が利かないとも言える程に義理堅くまた面倒見が良いので、かなり人望を集めている。

しかしこの男には、トロワノスから見れば、帝国の根幹を成す物というべき貴族制に対する敬意が足らない。

ブルガンに言わせれば、軍人の忠誠は純粋に皇帝陛下に対して捧げられる物であり、その点においては貴族も平民も違いは無く、従って、軍人である限り平民が特定の貴族に対して忠誠を誓うのは、逸脱行為だ、というのだ。

トロワノスも、優秀さでも仲間内での人気でもブルガンに決して劣ってはいないので、別に嫉妬を覚える訳では無いのだが、『ロ』である彼から見れば、爵位に対して十分な敬意を払っているとはいえないブルガンという存在自体が、面白くないのだ。

といっても、彼の称号である『ロ』は、厳密に言えば爵位ではない。

『デ』から『バ』までの五爵位は、その家の当主のみが保持する物であり、それ以外の家族は、男なら『ロ』女なら『レ』を冠して呼ばれる決まりなのである。

ただし、世代交代の結果、その時点での当主から五親等以上離れると、もう『ロ』を名乗る事はできないので、平民となる。

いずれにせよ士官学校には、『ロ』の称号持ちの貴族と平民が共に学んでいる。

そして、平民は貴族に対して常に敬意を払わなければならない、というのが、帝国の基本的なルールなのだが、ブルガンの態度は、その点で十分とは言えないのである。

元々士官学校には、クラブ・パトリカとプレビア・サークルという二つの学生親睦会がある。

パトリカは貴族の子弟が属し、プレビアは平民が入る団体で、それぞれ長い伝統を持っている。

この二団体の間には、非公式にある関係があった。

それは、パトリカの団員一人々々に対してプレビアの団員が『従卒』として付く、という物で、パトリカ団員が優秀そうな平民に目を着けて従卒として指名する事もあれば、プレビア側から将来有望そうな貴族に自分を売り込む事もある。

そうして互いに売れ残った団員同士については、パトリカ・プレビア双方が会として調整する事になっている。

とはいえ、殆どの年次で平民の数は貴族を大幅に上回っているので、当然一対一での従卒の口にあぶれるプレビア団員が多く、彼らは両団体間の調整で二人目以降の従卒となる。

この関係は、先に述べた通り非公式な物であるが、それだけに互いの意思で選び選ばれるという自発的な物であるところから、擬似的な主従関係として作用し、多くの場合に任官後も非公式な精神的紐帯として継続する。

そして、従卒側が非公式ながら忠節を尽くし、その見返りとして引き立てて貰うという、相互依存関係を結ぶのだ。

これは、帝国における貴族制度の根本をなすパトロノス・クリエント関係の一つの形態である。

貴族は、自家に従属する平民に対してパトロノスとしてこれを庇護し、従属している平民は、クリエントとしてその見返りに忠誠を誓うのである。

だから帝国は、皇室・貴族・貴族の庇護民・その他一般の平民の四者で構成されていると言える。

ところがブルガンは、平民であるにも関わらず、プレビアに入らずに新しい学生団体である協同友愛会を立ち上げたのだ。

その規定には、会員資格はただ帝国士官学校生である事のみとしてあり、貴族も平民も同格扱いとなっており、また、従卒の推薦や調整を一切行わないとしていた。

これは、トロワノスにとっては面白くない話である。

特に彼は、パトリカの会長となった事で、ブルガンとその取り巻き達(情けない事に『ロ』持ちすら少数だがいる)を、貴族として『教育』せねばならないと考えていた。

その機会は、実につまらない切っ掛けでやって来た。

コルサノス・ヴ・ゴールハイムは、同期の中でも特に優秀な平民であるクロテオ・マーレアに目を着けた。

コルサノス自身は、あまり優秀とはいえない候補生であったが、そうであればこそ、優秀なクロテオを従卒としたかった。

しかし、クロテオはその誘いを拒絶した。

自分は協同友愛会のメンバーであり、会の理念に従い、誰かの従卒となる気は無い、と答えたのだ。

これは、コルサノスのプライドをいたく傷付ける事となった。

なにしろ彼の意識では、ヴ・ゴールハイム家は現王朝の始祖グラニコス・マ・ゴールハイムの二代前に分かれた家であり、そういう意味で『ヴ』とはいえ名門中の名門である。

更にコルサノスは、父の逝去に伴い『ヴ』を継承したばかりで、学校中でも数少ない『ロ』ではない真正の敬称保持者であった事から、そのプライドは天にも届かんばかりに高まっていた。

だから、まさか拒絶に遇うとは思わなかったのである。

コルサノスは、この屈辱を忘れなかった。

そして、いつかこの『思い上がり者』に対して目にもの見せてくれようと、堅く心に誓った。

その機会は、すぐにやって来た。

たまたまコルサノスが通り掛かった時、クロテオは友人と話し込んでいて、気付かなかった。

この失礼を、彼は大袈裟に騒ぎ立てたのだ。

士官学校には、「無位無官の者は、常に称号保持者・継承予定者ならびにその被傅育者に対して、然るべき敬意を払う事」という学則がある。

学則ではあるが、『然るべき敬意』という曖昧な記載に留まる物であるから、過去にこれに基づいて処罰が行われた事はなく、ほぼ死文化していた。

これを引っ張り出して、騒ぎ立てたのである。

トロワノスは、コルサノスの品行に関して芳しからざる噂は色々と聞いていたが、それでもブルガン達にお灸を据える機会として、この話に乗る事にした。

パトリカは、早速半ば死文化していたこの学則を担ぎ上げて、クロテオの処分を学校に対して要求した。

当初トロワノスが考えていた落とし処は、クロテオを公の場に引き出してコルサノスに謝罪させる事であり、その際に言わば身許引き受け人として協同友愛会代表のブルガン達もその横に並ばせよう、というあたりだったのだが、コルサノスの山よりも高いプライドは、それでは収まらなかった。

彼は、パトリカ執行部を引っ張り出す事が出来たという成功に味をしめて、この生意気な平民を完膚泣きまでに叩き潰して溜飲を下げようと考えた。

コルサノスは、学校側の(更にはトロワノス達の)非公式な説得に耳を貸さず、クロテオの退校処分を強硬に主張した。

「これは、私一人に収まる話ではなく、『ゴールハイム』の名誉に関わる問題なのです!」というのが、その言い分であった。

学校側としては、非礼という何とも曖昧な行為でそこまでの処分をしたくはないのだが、何分なにぶんにも『ゴールハイム』の名を出されると、そうもいかない。

このままでは内々に済ます事ができなくなり、退校処分とせざるを得なくなる、という時点で、ブルガンからトロワノスと二人だけで話し合いたい、という申し入れが来た。

パトリカのクラブハウスに単身で訪れたブルガンを、トロワノスは会長室に通して、執行部員を全員退席させた。

敵地に単身で乗り込んできた勇気を評価して、対等な立場で対応する事にしたのだ。

ブルガンは、単刀直入に尋ねた。

「今回の件について、どう思われますか?」

「良い事ではないが、こうなってしまった以上、仕方がないだろう。」

ブルガンの質問に、トロワノスとしては戸惑いつつもそう答えた。

「マーレア候補生は、大変優秀な男です。」

「それは、私も知っている。」

ブルガンは、トロワノスも今回の強硬な姿勢に賛同はしていないようだと見て取ったので、説得の余地があると判断した。

「こんなつまらない事でその将来を閉ざすのは、帝国にとって大きな損失となるでしょう。」

退校処分となると、彼にとっても面白い話ではないが、コルサノスが退かない以上、仕方がないと考えていた。

「しかし、身分制は帝国の基礎だ。話がここまで来てしまってからうやむやにしては、それこそ帝国のためにならない。」

ブルガンは、道理を説いてその翻意を求めようとした。

「軍人の本分は、御上おかみ御一人ごいちにんに対して忠誠を尽くす事であり、その忠誠に貴族も平民も関係無いでしょう。」

これが、こいつらの思い上がりなのだ、と彼は思った。

「貴族の忠誠と、平民の忠誠を同列に扱うとは何事か!」

トロワノスの叱責に、ブルガンは拳を握り締めた。

ブルガンの沈黙を反論不能の印と判断した彼は、更に言い募った。

「私達貴族は、皇室の藩塀たるべき事を期待され生を受けたのだ!君達平民とは訳が違うのだぞ!」

ブルガンは、拳を震わせながらも無言のままでいる。

「君達の死と私達の死の重みは、比べ物にならない・・・」

彼は、言い終えないうちに後ろへ吹っ飛んだ。

尻餅をついた体勢から両手を床について立ち上がりながら、左頬の痛みを認識した。

そのときやっと、自分が殴り飛ばされた事を理解した。

不様に立ち上がると、頬に手を当てながら叫んだ。

「何をする!」

ブルガンは、先程の暴挙が嘘のように穏やかに言った。

「どうです?痛いでしょう。殴られれば、私達平民も貴殿方貴族も、同じ様に痛いんです。ましてや、忠義のために死ぬ時に流れる血の色には、何の違いもありません。」

その穏やかに諭す様な言い方から、ブルガンは激情に駆られて思わず手を出してしまったのではなく、きちんと状況を理解した上で、明確な意思を持って手を上げたのだと判った。

今度は、トロワノスが黙る番だった。

「貴方の考えるその差は、本当にマーレア候補生程の優秀な人材を失うという損失を払ってでも、守るべき価値が有りますか?」

トロワノスは、今回の件が始まった時から、何とも形容し難いもやもやした澱の様な落とし処の無い感情に気付いていた。

それでも貴族制度を守らねばならない立場として、それを強いて圧し殺して来たのだったが、今のブルガンの言葉は、すとんと胸に落ちた。

私は、一体何をしようとしているんだ?

マーレア候補生を犠牲にしてコルサノスを満足させて、それで何が得られる?それが、帝国に対する忠誠なのか?いや、断じて違う!私が忠誠を誓ったのは皇帝陛下とゴールハイム朝にであって、ヴ・ゴールハイムにではない。

更に何か言いたげなブルガンを制して、彼は言った。

「判った。ヴ・ゴールハイム候補生は、私の方で説得しよう。だから君は、マーレア候補生を説得して、謝罪させるんだ。」

トロワノスがあまりに呆気なく宗旨換えした事に、拍子抜けした。

ブルガンは、彼の理解力を過小評価していたのだ。

一呼吸おいて、状況を把握したブルガンは言った。

「マーレア候補生を説得する必要はありません。彼は、今回の件が全て自分の不注意から起こった事であると自らを責め続けており、自発的に退校願いを出そうとするのを、皆で止めているくらいです。」

「そうか。それなら私が、ヴ・ゴールハイム候補生を説得している間に、早まった事だけはしないように、注意していてくれ。」

「勿論です。」

「しかし、君も思いきった事をするね。」

その言葉には、怒りは全く含まれていなかったが、いささか呆れてはいた。

「大変ご無礼申し上げました。」

深々と頭を下げるブルガンに、トロワノスは尋ねた。

「君のやった事は、マーレア候補生の失敗とは比べ物にならんよ。退校処分になったらどうする気だった?」

「その時は、一兵卒として軍に入り直して、陛下に忠誠を尽くします。」

その言葉には、全く躊躇いは無かった。

「君は、候補生として大変優秀だし勇気もあるが、もう一つ考えが浅いな。」

彼の指摘に、ブルガンは尋ねる。

「と、言いますと?」

「私が、ヴ・ゴールハイム候補生がやった様に、それこそ鉦と太鼓で騒ぎ立てれば、君は退校処分では済まなかった。不名誉除隊扱いとなって、未来永劫軍務に就けなくなる所だったんだぞ。」

ブルガンは、やはり躊躇なく答える。

「もしそうなれば、それはそれで仕方がありません。私はそれだけの事をしたのですから、軍務以外で帝国に忠誠を尽くす道を探しましょう。」

そのやり取りをしながらも、二人はどうやってコルサノスを説得するかに意識が囚われていたので、トロワノスは過去形で、ブルガンは未来形で話している事に、互いに気付かなかった。


「ヴ・ゴールハイム候補生、貴方もそろそろこの辺りで矛を納めてはいかがですか?」

下級生とはいえ、相手は真正の敬称保持者であるから、それなりに丁寧に対応しなければならない。

しかも、その名が『ゴールハイム』なのだから、尚更である。

「何を仰るんですか?各々、特に平民がその分を蔑ろにする事は、帝国の基本を揺るがす事です。我々が貴族の誇りを護らなければ、帝国の未来はありません。」

そう言って胸を聳やかすコルサノスの仕種とあいまって、貴族の誇りという言葉自体が醜悪な物に思えた。

判った、もう良い、この甘やかされ切ったお坊ちゃんを穏やかに説得するのは無理だ、トロワノスは心中で毒吐どくづいて、決意を固めた。

「今回の件に関する貴方の態度を見ている限り、貴方の『ゴールハイム』姓の私的な利用は目に余る物である、と言わざるを得ません。」

いきなりトロワノスの調子が換わった事に、コルサノスは軽く戸惑ったが、所詮は『ロ』であり、家督を継いでも『カ』でしかない(コルサノスの『ヴ』はそれより下だが、彼の姓はゴールハイムなのだから、それを補って余りある価値があると信じていた)のだから、何が出来るものか、と侮っていた。

それでも反論くらいはしておこうと、余裕の笑みで言った。

「私的利用と言われても、ゴールハイムは私の姓ですから、私が名乗って何が悪いんです?貴方のアルキレイアと違いはしないでしょう。」

ゴールハイムが普通の姓と同じだという発言は、不敬としか言い様がない。

しかも、当人が全くそう思っていないのは明らかなのだから、彼の不快さは更に増した。

「帝国におけるゴールハイムの意味は、アルキレイアなどとは比較になりません。」

コルサノスは、雲行きが怪しくなってきた事に警戒しつつ、反論しようとした。

「それは、貴方の個人的な考えでは?」

トロワノスは、物分かりの悪さに辟易しつつ、とうとう言わざるを得なくなった。

「陛下も、そうお考え遊ばされる事でしょう。」

何を大袈裟な事を、とコルサノスは笑いたくなった。

「それは、貴方が忖度する事ではありませんね。」

コルサノスは嘲笑う様に言ったが、トロワノスは、全く怒りを見せる事なく尋ねた。

「クラブ・パトリカの名誉団長は誰だかご存じですか?」

「貴方でしょう、それがどうしたんです?」

「私は団長であって、名誉団長ではありません。」

何が言いたいのか判らないコルサノスは、少し苛つき気味に尋ねた。

「じゃあ、誰なんです?」

「大元帥閣下です。」

それは、帝国の軍人全てを統轄する軍人の頂点という立場での、皇帝の肩書である。

「だから、我々パトリカの執行部は、大元帥閣下と私的に交流する機会があるんですよ。」

それは、ほぼはったりであった。

名誉団長だとしても、士官学校の私的団体と一々話をするほど皇帝は暇ではないのだ。

しかし、士官学校に入ってから『ヴ』となったばかりのコルサノスには、その辺りの機微はまだ身に付いていなかった。

俯いて考え込むコルサノスをしばらく放置していたが、そろそろ良かろうと、持ち掛けた。

「どうですか?マーレア候補生には、我々パトリカ執行部と協同友愛会執行部の、なんならプレビアも呼びましょうか、その立ち会いの許で、謝罪させましょう。それで納めませんか?」

やがて、コルサノスは力なく頷いた。


謝罪が済み、コルサノスもそれを不承不承ながら受け入れて、ようやくかたが着いたと思っていたトロワノスは、校長からの呼び出しに頸を捻った。

今回の件でコルサノスの怨みを買ったのは確かであり、後々面倒になるかもしれない、とは感じていた。

心当たりと言えばそのくらいしかない。

その点については、それで優秀な候補生の未来が守れたなら、まあ良しとせねばならないだろう、という結論に達していた。

一応こちらだって『ロ』なのだから、コルサノスも彼を退校処分に追い込む様な無茶も出来まい、と思いつつ彼は、校長室の前で大声を上げた。

「アルキレイア候補生、参りました!」

「入りなさい。」

促されて入ってみると、驚いた事に校長の前に立っていたのは、コルサノスではなく、ブルガンであった。

思わず、なぜ君がここにいる、と言いそうになったが、校長の前であるから、辛うじて抑えた。

「ロ・アルキレイア候補生、君に尋ねたい事がある。」

嫌な感じがした。

「何でしょう、閣下?」

「ディーワ候補生が、君を殴ったと言っているのだが、本当かね?」

しまった、この男の融通の利かなさを甘く見ていた、と焦った彼は、思わず尋ねてしまった。

「彼は、どうして殴ったか、説明しましたか?」

普段なら、質問に質問で返すな!と雷が落ちるところだが、今回は何故かそうならなかった。

「ディーワ候補生は、ロ・アルキレイア候補生を殴りましたので処分してください、の一点張りで、それ以上何も言わんから、君に聞くしか無いと思ってな。」

よし、それならなんとかなる、とトロワノスは胸を撫で下ろした。

「まず始めに、つまらない事で閣下のお手を煩わせてしまった事をお詫びします。」

そう言ってトロワノスは、校長に最敬礼した。

校長は珍しく当惑した様子で、尋ねた。

「何故、君が謝る?君を殴ったというのは事実ではないのか?」

トロワノスは、わざときまり悪げな風を装って答えた。

「殴ったという点についていえば、それは事実です。」

その言葉に僅かに表情を曇らせた校長に向かって、トロワノスは話を続ける。

「実は、この男は自分の従卒でして。」

その言葉に、校長の表情が少し明るくなった。

普通の平民が貴族を殴ったとなると、公的には軍内の規定云々以前に重犯罪扱いとなって、刑罰の対象としなければならなず、それは自動的にディーワ候補生の軍歴が不名誉除隊で強制終了となる事を意味する。

しかし、従卒であればパトロノス・クリエント関係の中での私的な関係性が勘案されるので、主人の従属民に対する懲戒権で片付ける事も出来る。

ただし、その行動が私的領域で収まっていれば、の話ではあるが。

「先日、彼を連れて飲みに行ったんですが、少々量を過ごしてしまいました。その結果、私は記憶をなくしたのですが、聞いた話では隣席の御婦人に、些か無礼な振るまいをしそうになった、とかで、彼は私を止めるために殴ったのです。」

言い切ってからしまった、と思った。

咄嗟に他の説明が思い付かなかったのだが、この人はこの手の、特に酒にまつわる不品行が大嫌いなのだ。

とはいえ、言ってしまった以上は、それで押し通すしかない。

「閣下もご存知の通り、この男は融通が利きませんので、貴族を殴ったという罪を逃れる事は出来ない、などと思い詰めて、閣下のお手を煩わせる次第となってしまいました。」

その言葉に校長は、二人の表情を見比べつつ少し考えてから、おもむろに言った。

「ロ・アルキレイア候補生。酒は呑むものであって、呑まれる物では無い。」

そら来た、このあとは長く厳しい説教があって、それから罰の言い渡しとなる。

良くて大障害50周、悪ければ反省室という名の独房入りだろう。

しかし、続く言葉は驚くほどあっさりしていた。

「が、今回は君達の友情に免じて不問とする。」

呆気に取られる二人に、校長は付け加えた。

「次は、もう少し当たり障りの無い言い訳を考る様に・・・二人とも帰って宜しい。」


退室した後、トロワノスの後について歩きながらブルガンが言った。

「私は、貴方の従卒となった覚えはありません。」

トロワノスは立ち止まると、振り向きながら言った。

「そりゃそうだ。私は君にそう言った事は無いからな。」

ブルガンは、トロワノスの意図が判らず、黙ってその顔を見つめる。

「私は、君を従卒とする事に決めた。だから、君をパトロノスとして庇護する。ただし、それは私が勝手に決めた事だから、私にクリエントとして忠誠を尽くすかどうかは、君が自分で決めれば良い。」

「それでは、貴方には何の得も無いのではないですか?」

トロワノスは、笑いながら答えた。

「有るさ。これで帝国は君という優秀な人材を失わずに済んだ。これは帝国に忠誠を誓う私にとっては、何物にも代えがたい利益だ。」

ブルガンは、苦笑いした。

「それは、些か買い被りでは?」

「君の価値を決めるのは、君自身ではない。」

トロワノスはたしなめる様に言うと、肩の力を抜き、砕けた調子で続けた。

「それはともかく、もう言ってしまった以上、今後は君が何かしでかせば、それは私の責任にもなる。だから、こういう事をする前に、必ず相談してくれ。」


「そうして、パトリカ、プレビア、協同友愛会の執行部が話し合った結果、士官学校の学生互助団体として統合学生団を立ち上げ、三団体は、その下部組織となったんだが、ブルガンは、多数の推薦を蹴って会長の座を私に譲り、自分は副会長となった。そうして、統合学生団は、身分による格差を学校から無くすべく活動した。実際に奔走したのはブルガンだが、彼は公の場では常に私を立てて黒衣くろこに徹したんで、全て私の手柄という事になったのさ。」

トロワノスについて語るブルガンの実に愉しそうな様子を思うと、その言葉は謙遜としか思えなかったが、いずれにせよ、この人が父を大事に思ってくれている事は判った。

しかし、続く言葉に軽い失望を覚えた。

「ブルガンは、光栄にもこの私を親友だと思ってくれている様だが、私は、彼をそう思ってはいない。」

カッツの父ブルガンは、トロワノスを深く敬愛している。

だから、トロワノスが彼を従卒に指名したとき、大喜びで取って置きのシャンパンを抜いて祝いの席を設けた程だったのだが、それは片想いだったかと、少し寂しく感じた。

「私にとってブルガンは、終生掛けて目指すべき軍人の理想像なのさ。」

その言葉は、カッツを軽く驚かせた。

「私は、何事か有る度に、ブルガンならどうするだろうか?と自問し、その答に従ってきた。私の古武士の風とかいう評判は、その結果なんだよ。そのブルガンの息子を死なせたくは無いんだ。それにな、私は君個人を大いに気に入っている。出来ればマーシアを嫁に貰って欲しいと思うくらいにね。」

今度は本気で驚き、息が詰まった。

マーシアは、トロワノスの末娘である。

「そんな・・・閣下、ご冗談が過ぎます。」

彼は、ようやくそれだけを言った。

カッツは爵位とは無縁の平民だから、それでは貴濺結婚になってしまう。

つまり彼女は、『レ』ではなくなり、カ・アルキレイア家の一員としての特権を全て喪うのだ。

「冗談を言っているつもりはない。マーシアは君になら嫁いでも良いと言っている。」

余りの衝撃に、何も考えられなくなりかけたが、この取り乱し様を父に見られたら、どれ程のカミナリが落ちるかと思い、大きく息を吐いて正気を取り戻した。

「閣下のお心は涙が出る程ありがたく思います。しかし、父は私がここで艦を降りる事を喜ばないでしょう。」

ここでブルガンの名を持ち出して反対するのは、トロワノスにとっては想定外であった。

「何故だ?」

「父は、私を閣下の許に送り出すに当たって、申しました。」

「ほう?」

「お前は、一朝事あれば、躊躇う事なくヴァルハラの野まで閣下にお供するんだ。あのお方には、それだけの値打ちが有る、と。」

まさか、それ程の覚悟で自分に仕えていたとは思いもよらなかったトロワノスは、何とかして翻意させようと言葉を探しつつ、とにかく喋り続けようとした。

ここで黙れば、認める事になってしまうのではないかと恐れたのだ。

「いや、しかしな・・・」

良い募ろうとするトロワノスを、非礼を承知で遮って、彼は続けた。

「父は、閣下のヴァルハラへの旅路のお供をする事が、自分の使命であると肝に命じておりましたが、幸か不幸か、その機会に遇わない内に退役しました。そこで、その使命を私に託したんです。」

今度は、トロワノスが驚く番だった。

「ですから、ここで閣下を置いて生きて帰れば、私は家に入れて貰えませんよ。」

どうやら諦める他は無いと覚ったトロワノスは、笑いながら言った。

「判った。異動願いは取消しておく。君を宿無しにする訳にもいかんしな。」


強襲艦隊司令官アルノドス・カ・グロニエ中将は、苦悩していた。

そもそも考える事が多過ぎる。

まず、帝国の総力と言える程の大艦隊の遠征準備となると、恐ろしく沢山の作業を要する。

更に、今回の作戦機動の要締はただ一点、一分一秒でも早くヴェネビンシアの中核であるヴェネビント宙域に展開を完了する事である。

そのために、本来なら七回はジャンプしなければならない距離を、三回のジャンプで済まそうというのである。

ジャンプ自体は、距離が延びるほど多くのエネルギーを消費するが、戦艦や巡洋艦は長距離を航行するのが前提なので、この程度で燃料切れを起こしたりはしない。

しかし、ただ単に遠くまで跳べば良い、という訳にもいかない。

例えば、飛び出した先に敵が待ち構えているかもしれない。

ジャンプ前に、超空間スコープで跳び先の状況を確認するのだが、距離が遠くなると、ハイゼンベルグの不確定正原理がその影響を幾何級数的に増し、スコープの映像は明瞭さを失って行く。

今回のコースを三回で跳ぶとすると、均等に1/3づつ跳ぶとしても、その距離ではスコープは全く像を結ぶ事は出来ない。

つまり、完全に盲目状態でのジャンプとなる。

しかも、ジャンプから飛び出す際の脅威は、そこに敵が居るかどうかだけでは済まない。

もし恒星に突っ込んでしまえば、艦隊がまるごと燃え尽きて終わりとなるし、そこまで行かずとも、惑星近傍に出てしまえば、重力場の影響を受けて、ジャンプ座標が圧縮される。

その結果、僚艦同士が接近しすぎて衝突を起こす可能性がある。

だから通常は、そういうジャンプはジャンプ先に味方がいてリアルタイムでの観測情報が得られる場合にしか行われない。

しかし今回は、どんな手を使ってでも三回のジャンプでヴェネビント宙域までたどり着かねばならない。

そのために、二ヶ所の中継ポイントと目的地点の恒星をはじめとする質量点の配置を、既知の座標データから予測する事になる。

ただし、これを実用レベルの精度で予測するには、大変な困難を伴う。

もし、恒星一つと惑星一つだけならば、その運動は簡単に計算出来る。

関係する質量点が2体の相互運動なので、これを二体問題と呼ぶ。

しかし、ここにもう一つの惑星が入ってくる、つまり三体問題となると、途端に話が変わってくる。

人類は未だに三体問題の一般解法を発見出来ていないのである。

だからこの場合は、恒星と各個の惑星の二体問題に分解して、個別にその軌道を求めた後、その軌道を重ね合わせた上で、それぞれの惑星の軌道上の位置から互いに惹き起こされる重力の影響つまり摂動を計算して補正を入れる必要がある。

それでも正確な計算は不可能なので、どうしても近似値に留まるのだ。

そして扱うべき質量の数が増えると、解くべき二体問題の数が幾何級数的に増加して、その計算と補正の量は膨大な物となる上に、近似の精度も急激に低下する。

その上、どうしても予測不能の要因が入り込んできて、更にその精度を下げるのは避けられない。

それでも、可能な限り高い精度の配置予測を立てなければならない。

その精度が足りなければ、なにもしない内に艦隊が全滅する可能性もあるのだ。

だから、せめて予定されるポイントに関して、得られる限りの情報を集めなければならない。

どこの国も、航行の安全性を保障するために、自国領域内の主要な航行ポイントの重力分布状況は開示している。

いわゆる『海図』である。

しかし、そんな所を通れば、奇襲艦隊は即座に発見されてしまうので、それを利用する事は出来ない。

最後のポイントとなるヴェネビント宙域以外は、全てろくな海図が無い場所ばかりなので、情報は自力で集めるしかないのだ。

だから、少しでも成功率を上げるために、全力で情報収集を行っていた。

とはいえ、それらは彼がやる事ではなく、方針を決めて下命すれば参謀達が(不眠不休で)何とかするであろう。

しかし、どうしても彼が自分の責任においてやらなければならない事があった。

それは、殿軍しんがりの司令官の人選である。

強襲艦隊は、無事にヴェネビント空域に侵入出来たら、後も見ずに一目散に突撃するのみなのではあるが、流石に全艦隊が前だけを見て進むという訳にもいかない。

もし、陽動艦隊が時間稼ぎに失敗したら、ヴェネビンシア艦隊は速攻で帰って来る筈だから、背後から叩かれるのは間違い無い。

アルノドス自身は、突撃を始めたらもう何があろうと中断する気は無かったが、それでも背後からの奇襲は好ましくない。

そして、最後のジャンプ先は、もう誰が見てもここ以外にはない、と思われる場所だ。

大艦隊を一気に実体化させる事が可能で、ヴェネビントまで指呼の距離である唯一のポイントなのである。

だから、当然かなり防備を固めているだろうが、そこは遮二無二突っ込む以外にはない。

ヴェネビンシアの主力が帝国にある間なら、突破も可能であろう。

こちらも、帝国のほぼ総力なのである。

しかし、そこが唯一の最終ジャンプ先なのは敵にとっても同様なのだ。

引き返して来た敵艦隊もここで実体化するだろうから、何も考えずに全艦隊でヴェネビント目指して直進すれば、背後からまともに追撃を受ける事になる。

だから、どうしても両翼艦隊の会合地点である最後のジャンプ先に殿軍を残さない訳にはいかないのだ。

だが殿軍に割けるのは、どう計算しても精々五百隻がいいところだ。

その程度の戦力でヴェネビンシア艦隊全軍を引き受けるとなると、陽動艦隊と大差無い運命が待っている事は明らかである。

配下の将軍達の顔を次々と思い浮かべつつ、苦悩を続けていた。

その時、ドアの向こうから声が掛かった。

「ソルベイオス・ロ・ロルフです。お時間を頂けますか?」

「何だ?」

「失礼します。」

入ってきたのは、軍務卿の子息である事を鼻に掛ける事のない、万事に控え目な将軍であり、ついぞ自分から前に出てくる事の無い男だった。

「ご多忙中恐れ入ります。取急ぎお願いの段だけ宜しいでしょうか?」

この男が『お願い』とは珍しい。

「うむ。」

「殿軍の指揮官ですが、もしまだ決定していなければ、私にやらせて頂けませんか。」

まさか、志願者が出るとは思っていなかったアルノドスは驚いた。

「なぜ、志願する?」

勿論それ自体はありがたい申し出ではあるが、動機が気になる。

「閣下は、父が陽動艦隊司令官に志願した事はお聞きですか?」

お聞きどころの騒ぎではない。

軍どころか政府まで総出で説得に当たった末に、ついには皇帝が出てやっと収めた話なのだから、知らない者はいない。

「ああ、そうらしいな。」

話を進めるために、一応肯定はしてみた。

「ご存知の通り、父はその望みを断念せざるを得ませんでしたが、今回の件の最大の責任は自分にあるのは疑い様がないのだから、私に自分の代わりにその責任を負ってくれと頭を下げたのです。」

「別に、デ・ロルフ閣下お一人の責任ではないし、敢えてそうと見なしたところで、君がその責任を負う話でもあるまい。」

「父は、自分が賛成したがために多くの将兵を死に追いやる事となった以上、前線で共に生命いのちを懸ける事が出来ないという事自体が無念でならないのです。ですから、父の名代として殿軍は私に務めさせて頂きたく。」

その理由は納得できるとは言いがたいが、断ったとしても誰かはやらねばならない事なのだから、本人の意思を尊重する事にした。

「判った。君に任せよう。」

「ありがとう御座います。」


ソルベイオスは、早速殿軍となるロ・ロルフ支隊の全艦に指令書を出した。

それは冒頭で、支隊の目的が「石にかじりついてでも敵艦隊の帰還を食い止める事」である事を明確にした上で、想定される敵艦隊の相対的な出現位置に基づき、上下左右前後ごとにプランAからプランFまでの大まかな機動と出現位置までの距離による補正指針が詳細に記してあった。

「慎重な閣下らしいな。」

と各艦の指揮官たちは言い合っていた。

それに続いて、ソルベイオスから各艦の艦長及び艇長へ晩餐会に出席する様に、との通達が来た。

ロ・ロルフ支隊の全艦長・艇長となると、軽く千人を越える。

通常ならこういう場には、直接の戦闘を担う戦闘艦の艦長だけを集めるのだが、今回は何故か、規模の小さな補助戦闘艇から、更には戦闘能力を持たない補給艦等の純粋な補助艦艇の艦長・艇長までが集められた。

全員が入ったら、宇宙軍交流会館の大食堂は一杯になった。

ソルベイオスは立ち上がると、食前酒のグラスを手にして語り始めた。

「諸君、多忙な中で時間を割いて貰った事に感謝する。今日は、我がロ・ロルフ支隊の非公式な発足式だと思ってくれ。この中には、互いに旧知の者も、初対面の者もいるだろうが、今回の作戦で最も重要なのは、緊密な連携だ。そのためには、互いに腹を割って話そうではないか。」

「今日は、閣下の奢りですか?」

誰かが茶々を入れる。

艦長・艇長といえば大佐から大尉なので、それなりの俸給は出ているのだが、なにしろ面倒を見るべき部下の数が多いから、皆懐は楽ではないのだ。

これから始まる筈のフルコース、それもデ・ロルフの息子が手配したとなれば、そのレベルは恐ろしく高いだろうから、支払も相応に高い筈だ。

これくらいの皮肉は良かろうと、全員がどっと笑った。

「当たり前だ。」

平然と答えるソルベイオスに会場は一瞬静まり返ったが、すぐに称賛の声が沸き起こる。

「足らなければ、いくらでもお代わりが出るぞ。好きなだけ食え。」

そう言って一旦言葉を区切った後、付け加える様に言った。

「ただし、食後に少し話があるんで、そこまでは素面でいて貰わねばならん。話が終わったら酒は飲み放題だぞ。交流会館の酒蔵を空にしろ。」

再び歓声が沸き起こった。


食後のコーヒーがサーブされたところでソルベイオスが目配せをすると、給事達が全員退出した。

どうやらその『話』とやらは、艦長達以外には聞かせられない物らしい。

実は、何となく話の内容に心当りがある艦長もいた。

今回通達された機動プランは、敵の出現位置ごとに前後左右上下と六通りだが、もう一つ提示されていない出現位置がある。

それは、殿軍艦隊の『中』である。

そこに出てくる確率は低いが、0ではない。

万事に慎重なソルベイオスがそれを失念しているとは考えがたいので、何かそれについて考えがあるのだろうと思っていたのだ。

気心の知れた艦長が尋ねた。

「プランGですか?いや、プランXと言うべきですかね?」

七つ目のプランであるが、秘密めかしているので、少し揶揄してみた。

「いや、プランZだ。」

その名の不吉な響きに、会場は静まり返った。

「まず始めに言っておくが、このプランは強制ではない。」

益々ただ事ではない。

「納得する者だけが参加してくれ。そして、この場で参加の応拒も確認しない。私が現場でプランZの発動を宣言したら、その時点で各自が参加の可否を判断し、不参加と決めた者は戦場から距離を取って自立行動に入れ。」

その真剣な様子に、会場はしわぶき一つ無くなった。


やがて酒宴となったが、艦長達(特に上級貴族ではない者達)は、話にしか聞いた事が無いような高級酒が次々と栓を抜かれるのを見て、始めの内は恐る恐る盃を差し出していたが、飛びきり味が良いとはいえ、詰まるところ酒は酒であると気付いて、どんどんと飲み干していった。

途中からソルベイオス自身がいで廻っているのに気付いて、甚だ恐縮しつつもペースが落ちる事はなく、全員が痛飲した。

しこたま呑んでへべれけとなって帰艦した艦長達は、翌日(あるいは翌々日)二日酔いがめると、判で押した様に、大量の転属願いを起草しはじめた。

全員が、必要最小限以外の要員を地上勤務に回すと共に、必要な要員も可能な限り入れ替えようとした。

その結果、艦同士で独身者の取り合いになり、奇襲艦隊本隊でそれなりの地位にいた独り身の人間は、全て殿軍艦隊の家庭持ちと入れ替わってしまった。

そうして、ロ・ロルフ支隊は誰言うともなくチョンガー艦隊とあだ名される事になった。

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