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深海魚

作者: 糸井翼

 ぼくがなめりんに会ったのは、…もう覚えてない。確か、なめりんは、転校した。それ以来会ってない。彼女が同じ高校に入ったのは、正直いやだった。

 中学で私立に行った。そのときはそれなりにしっかりとした連中が私立にいると信じきっていた。だから、小学校の頃のように、相性の悪い、不良の一歩手前みたいな人と離れて、親友みたいなものを見つけたかった。自分の性格を考えれば、そんなことは無理だとわかっていたのに。ひたすら耐える日々を逃げるように、高校受験をした。今さら人付き合いなんて、できるわけではない。

 小学生の頃のイメージがあるなら、なめりんは驚いただろう。彼女は、昔はよく話したけど、今は会っても声すらかけられない。彼女も、話しかけて来なかった。そっちの方が、ぼくも楽だった。

 でも、電車で声をかけられた。

「塩川くん」

 小学生のとき、彼女はぼくをくん付けでは呼んでいなかった。そう、当時のあだ名で呼ばれていたのに。その距離感が少し悲しい。でも、そんな気持ちを察してほしくなかった。

「えっと、誰でしたっけ」

 意識して声をかけなかったのも悟られたくなかった。もちろん、前から気づいていたけど。

「滑川つばさって覚えてない?小学校のときに一緒だった…」

「ああ…なめりんか、久しぶり」

 何を話せばいいのか、全くわからなかった。

 

 それから彼女は時々声をかけてきた。彼女は何を思っていたのだろうか。小学校のとき、ぼくは、おとなしいせいか、かわいそうとよく言われていた。その都度、悲しい気持ちになった。彼女はいま、ぼくをかわいそう、と思ってるのか。ぼくからしたら、話を続けるのが苦手なぼくと話そうとしている彼女の方がかわいそうだ。

「学校でいつも勉強してるね」

「ああ…することないし」

「つまんないでしょ」

「まあ…」

 答えようがなかった。友達がいないぼくに何をしろというのか。


 気づくと、段々、彼女に自分の思っていることを話すようになっていた。誰にも話さないようなことだった。

 「ぼくはさ、生まれ変わったら、深海魚になりたくてさ」

「深海魚?アンコウとか?」

 ぼくの思い描いたのは、アンコウではないな。

「静かに一生を終えていきたいから。暗いから、変に周りを気にしなくていいし」

 ただひたすら、暗闇の中で、何も思わず生きていく。そこに幸せも不幸もないんだ。

「寂しい…」

 彼女の目をちらりと見た。

「一番寂しいのはさ、たくさん人がいるところで、一人のときじゃないかな」

 自分でも、なんでこんなことを言ったのか、わからなかった。彼女に甘えていた…


 その頃になると、自分が、彼女のことが好きなようだと気づいていた。それに伴って、彼女に甘えていたせいで、孤独に耐えるのが辛くなってきた。前は、我慢の方が楽だったのに。

「ついこの間まで、一人はつらくなかった。耐えるのはむしろ楽で…。けど、なめりんがいると、一人がつらいって思うようになってさ」

 彼女は驚いて、黙ってしまった。


 卒業して、大学は彼女と別々になった。そこで、仲のよい人もできた。きっかけがあれば、ぼくも人と仲良くできるようだ。それまで、自分が幸せそうに見えるのすら恐れていた。でも、今は自分が幸せだと、見せつけたい、なんて思うときもある。

 そんなとき、街で彼女を見かけた。ぼくは友達と一緒だった。彼女はこちらに気づいたようだったが、声はかけて来なかった。



 私が塩川くんに会ったのは、小学校四年以来だった。私は転校したから、彼がその後どんな経験をしてきたのか、全然知らない。小学校のときの彼は人見知りで、それほど仲のよくない人が近くにいると黙るような感じだったけど、明るい性格だったと思う。

 今の彼は、空気のような人になってしまった。五年、長い時間が経っている。変わってしまった彼に声はかけられなかった。彼は悟っているように見えた。誰とも話さず、ただ宿題とにらめっこしているだけ。授業中も、ただ窓の外、遠くを見ていた。

 彼を見ていて、中学生のときに水族館で見た魚を思い出した。なんでだろう…、その魚は、群れを作る他の小魚を横目に、一匹で泳いでいた。一人で来ていた私と目があった。魚は憂鬱そうだったけど、決して不幸せそうではないと思えた。むしろ、悩み事もなく泳いでいるであろうその魚が少しうらやましかった。どんな見た目だったかもよく覚えてないのに、その印象だけははっきりと思い出せた。


 あるとき、彼と偶然同じ電車に乗った。勇気を出して、声をかけた。

「塩川くん」

 彼はひどく驚いた感じだった。それでもほとんど表情は変わらない。

「えっと、誰でしたっけ」

まあ、忘れてても無理ないよね。

「滑川つばさって覚えてない?小学校のときに一緒だった…」

「ああ…なめりんか、久しぶり」

 どきっとした。私のことをなめりんと呼ぶ人はもういなかったから。

「同じ高校だったのか」

 制服を見ながら塩崎くんは言った。

「というか、同じクラス。気づかなかった?」

「ああ…」

 彼の目は私の後ろ、はるか遠くを見ていた。振り向いてみたけど、誰もいなかった。


 それから、彼と少しずつ話すようになった。学校ではほとんど話さなかった。彼は明らかに少し浮いていたから。そんな彼と学校で親しげに話す勇気は、私にはまだなかった。

「学校でいつも勉強してるね」

「ああ…することないし」

「つまんないでしょ」

「まあ…」

 彼との会話は繋がらないことが多かった。私との会話にもそれほど興味がなさそうだった。私のことはほとんど何も聞いてくれない。でも、学校で誰とも話をしない彼がかわいそうだし、少しくらい人と話すべきだし。そう思って、ぽつぽつ話していた。

 そういえば、彼は自分の内面を他の人に見せたがらなかった。私も色々話してみたけど、彼の趣味とか、好きなものは全然わからなかった。


 少し経ってきた頃から、彼は少しずつだけど、自分の思っていることを言うようになってきた。それは、私が最初に持った、悟っているかのような印象とは少し違った。

「ぼくはさ、生まれ変わったら、深海魚になりたくてさ」

「深海魚?アンコウとか?」

「まあ、そんなような。ヒトデとかね」彼は少し笑っているように見えた。

「なんで?」

「静かに一生を終えていきたいから。暗いから、変に周りを気にしなくていいし」

 今だって、ほとんど気にしてないでしょ。そう言いたくなった。でも、それ以上に、冷たく、音も光もない、果てしない深海で一人生きる彼の姿が悲しかった。私には耐えられない…

「寂しい…」

 私がつぶやくと、彼はちらりとこっちを見て、また遠くに目を移した。見下された気がした。

「一番寂しいのはさ、たくさん人がいるところで、一人のときじゃないかな」

「えっ」

 彼の心が一瞬見えた気がした。何か根深いものを感じた。暗い…でもそのミステリアスな中身が私をどこか引きつけている気もする。彼は、寂しかったんだ。


 ある日彼は疲れきった顔をしていた。卒業も近い日、天気は曇り。その曇り空のせいで、そう見えただけかもしれない。

「疲れてるね」

「いや…普通」

「本当に?」

 彼は少し黙って、

「ついこの間まで、一人はつらくなかった。耐えるのはむしろ楽で…。けど、なめりんがいると、一人がつらいって思うようになってさ」

 それって、告白…?

 ぎこちない沈黙が続いて、私は駅に降りた。大きなため息。私は…

 

 卒業して、大学は離れ離れ。少し思い出すのは、彼のミステリアスな雰囲気。

 偶然、彼を街で見かけた。友達を連れて、大学生活を楽しんでるみたいだ。もう、かつての雰囲気はなくて、彼は普通の人だった。声はかけられなかった。

 


読んでくださってありがとうございます。

思いつきでささっと書いてみました。

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