ぞろぞろと忍び寄る
「あれ?」
授業後、今西教授の研究室を訪ねた真名木は、扉の取っ手を横に引こうとして、首を傾げた。扉に鍵がかかっている。
扉の横のプレートを見ると、しっかりと『在室』となっている。
「なんだ?トイレか?」
扉の前に座りこみ、待つこと15分。今西教授がやってくる気配はない。
今西教授が不在にすることは珍しい。
これが他の教授なら、学会やら視察やら、付き合いがあって外に出ているのかと思うところだが、今西教授に限っては考えられない。
単にお声がかからないのか、それとも断っているのかは知らないが、とにかく政産学界との付き合いをせず、ひたすら研究室にこもって、研究に没頭しているのだ。
真名木は首をひねりながら腰を上げ、管理課へ確認しようと階下へと足を運んだ。
今西教授の予定を確認するために管理課へ行き、真名木は受付の窓口の小さな小窓から、用件を伝えた。管理課の中は、生徒側からは見ることができない。個人情報や部外秘の資料を取り扱うことから、生徒たちとたちと小窓でやり取りをする窓口と、職員たちが働く場が明確に仕切られているのだ。
聞いてみると、管理課からの答えは「本日は、今西教授の予定は特にお聞きしていませんが」というものだった。
「あれ?じゃあ、やっぱ、ちょっとなにかを買いに出たとか、そんなんなのかな。鍵がかかってたんすよ、研究室。プレートは在室だったし」
職員が小窓の向こうで素早く機械のパネルを操作した。パネルの画面は見えないが、おそらく退出記録を見ているのだろう。
研究内容など、まだ世間に出すことのできない秘密を抱えるこの管理棟では、人の出入が厳しく管理され、記録されている。出入口には人物を特定するセンサーが設置され、資格のないものは扉が開かない仕組みになっているのだ。さらにそのセンサーは物に対しても働く。持ちだすことのできない物と、逆に持ち込むことのできない物も識別する。
流れるように動いていた職員の手が、一瞬止まった。そして再び忙しくタッチパネルを操作し始めと思えば、息を詰めて手を止める。そして「ちょっと待っていてね」と真名木に言うと、管理課の奥に引っ込んだ。
なにかあったのだろうかと、真名木の心に不安が忍び寄る。
少しして職員が戻ってきた。
「きみ……真名木くん。教授の研究室を確認してくるから、少し別室で待っていてくれるかな」
努めてなんでもない風を装っているが、その声は緊張を孕んでいた。
職員に案内されるまま、小さな応接間に入り、ソファに腰かけた。案内の職員が部屋を出ようとしたところで「なんかあったんすか?」と問いかけた。
扉を開けかけたところで振り返った職員は「大丈夫だから、ちょっと待っていてね」と笑顔を作って扉の向こうに姿を消した。
まさか教授は研究室の中で倒れていたのでは、と一人残された真名木の頭には、最悪なことばかりが浮かんでくる。
待たされたのは30分程度だったが、その倍くらい時間が経ったような気がした。いい加減じりじりしてきたところで、扉をノックする音が聞こえた。応接間に入ってきたのはガタイのいい30代くらいのスーツの男と、なぜかあの王子と呼ばれる桜井桜理だった。
スーツの男が真名木の正面に腰かけ、そのソファの背後に桜井が立った。
「真名木くん、お待たせしたね」
ちらちらと問うような視線を桜井に投げかけて真名木に、スーツの男が身を乗り出して声をかけた。
「いくつか聞きたいことがあるのだが、まず、今西教授とは今日会う約束があったのかどうか教えてほしい」
「あ、約束なんて、別に。今西教授、どうかし……」
「悪いが、きみからの質問は後だ。まずはこちらの質問に答えてくれ。では、今日会う約束はなかったと。それでは、どうして今西教授の研究室をたずねたのかね」
聞こうとしたことを遮られて、質問の答え以外の言葉を許さない、といわんばかりの強い口調で問いかけられた。少しの動きも見逃すまいとするその瞳は、まるで、猛禽類のようだ。
ここで、真名木は違和感を覚えた。どうも、この男は管理課の人間には見えない。命令することに慣れた口調も、微塵も揺るがない鍛えた身体も、まるで……。
「わたしのことが気になるかね。まぁ、おそらくきみが予想している通りだ。わたしは管理課ではない。セキュリティ部門に属している」
セキュリティ部門。魔術研究科コースのデルタ科とは縁のない、軍事家コースのシグマ科に関連する部門だ。そんな部門がなぜ。
しかし、疑問は口に出すことができなかった。
「えっと、質問は……」
「今日、真名木くんが今西教授の研究室をたずねた理由」
「そう、理由は……あの、俺、よく教授の部屋に行くんです。特に用事はないんすけど。遊びに、というか……」
男は片眉をぴくりと上げて「そうかね」とあっさり返事を受け取った。
「昨日の夕方も、教授のもとへ行っていたね」
どうして知っているのか、と一瞬思ったが、この研究棟のあちこちに監視カメラと出入記録が残されていることを考えれば、知っていてもなにも不思議ではないと思い直した。
「はい」
「どんな会話を?」
「俺、実験室がしばらく使えないんで、教授の機材を使わせてくれって……。断られましたけど」
「研究室を出たのは何時ごろだった?」
「出たの……たしか、6時ごろ……かな」
ぽんぽんと投げられる質問に、真名木は視線をさまよわせ、思いだしながら答えた。
「一人だった?」
そんなの、記録を見て知ってんだろ、と思いながら「大塚慧一郎と一緒っすよ」と答えた。
「そうそう。その大塚くんが、きみのことを心配して、さきほど管理課に来たそうだよ。彼に連絡したね」
「あぁ、はい」
この応接間に一人で待たされている間に、大塚に「イマタクいなくて管理課の人に別室に連れてこられたんだけど」とメールを送っていた。
はぁ、とスーツの男はわざとらしく頭を伏せてため息をついた
「今回は目をつぶるけど、このことは一切他の生徒にしゃべらないように。教授が不在だったことも、こうしてわたしと話したことも」
真名木は憮然とした態度で口を開いた。
「ずいぶん一方的な話だな。俺、あんたの名前も知らないんだけど。それで、もうこっちの質問に移っていっすか」
その瞬間、ぶわっと目の前の男の身体が膨れたように見えた。
真名木は目を見開いて身体を固くした。一瞬、なぜか殴られるかと思ったのだ。しかし実際は、スーツの男はただ顔を上げる動作をしただけだ。
「まだこちらの質問が残っている。最後の質問だ」
真名木はまだ動揺していて、ちらと男の背後にいる桜井に目を向けた。彼は微動だにせず、なんの感情も浮かばないガラス玉のような瞳でこちらを見ていた。
「真名木くん、研究室を出てからの行動を教えてくれ」
真名木は両手でぐっとこぶしを握り、スーツの男に向き直った。
「……ここを出てから、普通に循環バスで寮に戻って……そっから食堂でメシ食って寝ました」
食堂では桜井に会っている。特に疑わしいところはないはずだ。
スーツの男が軽く頷いた。すると唐突に、ピリピリしていた空気がふっとやわらいだ。
「これでこちらからの質問は終わりだ。きみからの質問だが、話せるところと話せないところがあるから、先にこちらから伝えさせてもらうよ。現在、今西教授とは連絡がとれず、どこにいるのか分からない。以上だ」
「……。」
真名木は言いたい言葉を飲み込んで、握ったこぶしを、ぎこちなく開いていった。
立ち上がった男は、真名木の両手を目にとめて「あぁ、びっくりさせて悪かったね。こちらも、普段はシグマ科の元気のいい男子生徒たちを相手にしているのでね。少し強めの態度に出ないと、指導できないことも多い」
つまり、なめられないために、意識して威圧していたわけだ。悔しいが、効果てきめんだった。
「なにか今西教授のことで思い出したことがあったら、管理課の小暮に伝えてくれ。それと、このことはくれぐれも他言しないように。他の生徒たちに動揺を与えたくないからね。では、桜井さま、わたしはお先に失礼させていただきます」
きびきびと軽い角度で頭を下げて、男が部屋を出ていった。
パタン、と扉が閉まった途端、真名木はずるずるとソファに倒れ込んだ。
大きく息を吐いて、それまで空気だった桜井を見た。
スーツの男は出ていったが、桜井はまだ部屋に残っている。
二人きりになっても、はしばみ色の無機質な瞳は色を変えることはなかった。
「はー……あの人、すっげぇ怖くない?」
とりあえず、話しかけてみることにした。
「シグマ科の指導教官をされているかただよ」
自分から話しかけておいてなんだが、返事があったことに驚いた。色付いた小さな唇といい、長いまつげといい、あまりに人形めいていたので、むしろ言葉をしゃべれたんだな、と失礼なことを考えた。
「それに、きみが実験室を大破させたときに調査に当たった人でもある」
ぴた、と真名木が止まった。
「それって、完全によく思われてねぇよな」
「思うところはあるかもしれないが、感情を仕事に差し挟むかたではないよ。あれは、もともとああだから」
本当は、本人がいないところで「セキュリティの面で考えさせられることを次々と起こしてくれる生徒だね。問題点に気付かせてくれて、逆にありがたいよ」と嫌味を言っていたのだが、それは真名木には伝えないでおいた。どちらにしても、彼のあの態度は、真名木に対してだけでなく、どの生徒に対しても同じだ。
真名木からの聞き取りを終えた男は、シグマ科へ戻る車の中で「デルタ科は本当に理解できないな。」と呟いた。
あの真名木圭太が今西教授の研究室を訪ねた理由が、研究をするためだと聞いた時は、説教をしそうになった。実験室を大破させた直後だというのに、反省はないのか、と。
これがもしシグマ科だったら、そんなことを考える気も起きないように、徹底的に指導してやるのに。
研究者とは、あれくらいでないといけないのだろうか。
セキュリティ部門に保管されている門外秘の資料の中に、かの米沢明良が在学中に破壊した設備や建物の記録がある。その資料から、大規模な爆発を起こしながら、それでも懲りずに何度も実験していたことがうかがえる。
とにかく、自分はデルタ科の教官でなくてよかったと心の底から思うのだった。