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予兆を孕んだなにか

 梅雨が過ぎ、じわじわと夏本番へと近づいていく六月の終わり。

 ――――ドオォォーーーォン!!

 地響きと共に青波学園に轟音が響いた。離れた研究室でも部屋が揺れ、試験管の中の液体の表面が波立った。試験管をのぞいていた今西教授は目だけをきょろりと動かして壁掛けの時計を見上げ、授業日程を頭に浮べた。「第三実験室‥‥二年三組、真名木圭太か」と呟き、再び試験管に意識を戻した。



 生徒指導室から出てきた真名木圭太を待っていたのは、大塚慧一郎だった。「おつかれ」大塚は真名木の肩をぽんと叩き、隣に並んで廊下を歩いた。真名木よりもやや細身ながら、身長百八十近い真名木と並んでもそう変わらない。二人が並んだ姿は『デルタ科の双璧』と、さまざまな意味を込めてそう囁かれている。

 魔器開発科、いわゆる魔術研究家コースはΔ(デルタ)科と呼ばれ、政治家コースのΨ(プサイ)科、軍事家コースのΣ(シグマ)科と併せて青波学園を構成している。

 科学万能の時代が終わり、魔術隆盛の世界。今から約五十年前、太平洋の端に浮かぶ小さな島国の、いち研究者が発見した技術は、『魔術』と名付けられ、またたく間に世界を席巻していった。そして魔術を応用した機器―――『魔器』について学ぶのが、デルタ科だ。

「先生、なんだって?」

「しばらく実験室に立ち入り禁止だって。あの実験、まだ途中だったのに」

 ふくれっつらの真名木は、ぶつぶつと「もう少しだったのに」と唇を尖らせる。実験に失敗して爆発事故を起こしても、まだ懲りていないようだ。けが人はいなかったものの、実験室はしばらく使いものにならなくなってしまったというのに。

―――確かに、今回で懲りるくらいならとっくの昔に懲りているはずだな。

 大塚は心のうちでこっそりと苦笑した。



 放課後。

「ちわー。イマタクいるー?」

 がちゃっと研究室のドアを開け、真名木が顔を出した。そのうしろには大塚もいる。

「今西教授、だ。それにノックをして、失礼しますと言ってから扉を開けろといつも言っているだろうが」

 突然やってきた侵入者たちに視線も向けずに、イマタク――今西拓郎教授は淡々と答えた。彼の視線はただ試験管にのみ向けられている。真名木も悪びれることなく「はーい」と言って、ずけずけと研究室の中に入っていく。

 教授の研究にきりがつくまで待つために、研究室に備えられているソファに、断りもせずに腰をおろした。大塚もその隣に座る。勝手知ったる研究室だ。遠慮をすることなく、今にも壊れそうなぼろぼろのソファでくつろぐ。ソファを一つとっても、今西教授が研究以外に関心がない人物だと分かる。

 世事に関心を示さない今西教授は、変わり者で有名だ。わずらわしいからといって助手も置いていない。そのおかげで、この研究室に近寄るものは真名木たちくらいだ。しかし付き合い方がわかってしまえば、これほど分かりやすい相手はいない。要は、研究を邪魔しなければいい。それ以外のことは、口では細かく言うものの、全く気にしてはいないらしい。

 はじめてこの研究室をたずねたとき、そのことを知らずに何度も失敗した。部屋に入るなり「今西教授って、あの米沢教授と同級生だったんすか?」と話しかけた真名木を、教授は完全に無視した。あまりにも反応がないので、少し意地になってしつこく聞いていたら、部屋をつまみ出されて鍵をかけられてしまったのだ。

 普通の生徒ならそこで諦めるものの、真名木は次の日も今西教授の研究室をたずねた。その日も、その次の日も無視され、「このじーちゃん耳が遠くて聞こえてないんじゃないか」と真名木が思い始めたある日、今西教授は無言でソファを指差した。ソファに座ってしばらく待っていると、研究にきりがついた今西教授が「なんの用だ」と真名木に話しかけた。一週間後にして初めて、今西教授の声を聞いた瞬間だった。

「それで、なんの用だ」

 今西教授の声に、真名木の意識が思い出から現実に引き戻された。七十歳を超えているというのに、その声に揺らぎはない。白髪の髪はきれいになでつけられ、背筋はぴんと伸びている。今西教授はキャスター付きの椅子を回転させて、身体を真名木たちの方に向けた。

「と、いっても、聞くまでもないか。また派手にやったようだが」

 呆れたように言った。今西教授が言葉を続ける前に、真名木が身を乗り出して話し始めた。

「その、いろいろあって実験室が使えなくなったから、イマタクの研究室の設備を使わしてくんない?」

 ごまかそうと焦っても、無駄なあがきだった。隣の大塚が、そんな真名木をばっさりと斬る。

「真名木が実験に失敗して第三実験室が大破しました。幸いなことにけが人はありませんでしたが、実験室はしばらく使えないでしょうね」

 仲間に背後から斬りつけられた真名木は、恨みの目で裏切り者を振り返ったが、すぐに教授に視線を戻して言い訳を始めた。

「いや、なんかさただ組み立てただけじゃつまらないだろ?で、魔力増幅の回路が頭に浮かんで、つい‥‥。思いついたら、どうしてもやってみたくなって、さ。でも、そこまでは問題なかったんだよ。間違えて規定値の魔力で作動させちゃって、増幅された魔力に魔器が耐え切れなくなって、ドカン」

 両手をぱっと開いて爆発を身振りで示す真名木。今西は疲れたように人差し指と中指でこめかみをもみほぐした。真名木といつも一緒にいる大塚は、さぞ苦労していることだろうとその様子を覗き見た。真名木の隣に姿勢よく座った青年は、その視線に気がついて苦笑した。だがその顔は、むしろ楽しんでいるように見える。

「一体なんの魔器だったんだ」

「食器乾燥機だよ。それを自分で組み立てて、ちゃんと作動するかどうかやってみるって授業。ほら、あれなら使用する機材が、ランクFの俺でも扱える安全なものばっかだろ。久しぶりの俺でも参加できる実験だったから、楽しくなっちゃって」

「安全なはずの実験で爆発を起こすとは、ある意味天才だな」

 ランクはAからFまであり、そのランクによって使える機材が違ってくる。ランクが上がれば上がるほど、細心の注意を必要とする道具を使用できるようになり、実験の幅も広がる。逆にランクFとなれば、実験の幅は他の生徒に比べて極端に狭い。真名木は、みんなが実験を行っている間、ひとり昇級テストの勉強をしていることがほとんどだった。

「確か真名木は、先月ランクFになったんだったか」

「お、イマタク覚えてたんだ」

 世事に興味のない今西教授が覚えているのは意外だったのか、真名木が目を見開いた。

「珍しすぎてな。デルタ科でランクFが出るなんて、五年ぶりのことだ」

 青波学園は基本的にエスカレーター式の学校だ。デルタ科のクラスにいるのも、ほとんどが幼稚舎や初等部にいた生徒ばかり。そうした生徒はすでに魔器の勉強を始めていたため、高等部に上がる頃には大抵がランクBにはなっている。

 しかし真名木は高等部から青波学園に編入した。それまでは地元の岐阜の公立中学に通っていたため、専門的な知識は身につけていない。スタートラインから違っていた。だがそれでも、ランクDではあったのだ。それがこの一年と三ヶ月の間に数々のトラブルを起こし、とうとう先月、デルタ科にとって五年ぶりのランクFとなった。

 真名木がランクFになって、これで事件は起こらないだろうと教師たちが胸をなでおろした矢先、安全なはずの機材を使って爆発事故を起こした真名木に、お手上げ状態だった。

「‥‥つまりお前は、授業の趣旨もそっちのけで勝手に回路の実験を行い、挙句に失敗して、第三実験室を大破させたんだな」

 他の教師たちが聞いていれば逆上しそうだが、真名木はあっさりと「うん」と答えた。

「いやぁ、イチローがとっさに【シールド】を張ってくれて、助かったよ」

 まったく屈託のない声で、大塚に感謝する。

「【シールド】を持っているのか!」

 今西が驚きの目で大塚を見た。大塚は、真名木がしまったという顔をして口をつぐんだのを軽く睨んで、今西教授に向き直った。

「ええ、【シールド】を所持するための検定には合格していますし、僕はランクAなんで、【シールド】の魔器を使用する許可は出ています。爆発の時に怪我人が出なかったのは、他の指導の先生がたが【シールド】を張ってくださったおかげです。僕はそこまで使いこなせていませんので」

 大塚は制服のそでをまくり、二の腕に巻かれた魔器を今西に見せた。まるで装飾品のように小さくてデザインもいいそれは、一見では魔器だと分からない。

「しかし、それは一般に流通してはいないだろう。しかも小型化された最新式のものだ。どうやって手に入れたんだ」

「実は、他の生徒には内緒で学園から支給されたものなんです。‥‥必要になるだろう、ということで」

 それ以上説明する必要はなかった。今西は複雑そうな顔で何度も頷いた。

 大塚はそでを元に戻して、きょとんとした顔をしている真名木ににっこりと笑いかけた。大塚につられて、真名木もへらっと笑い返した。



 二人がいなくなった後の研究室。窓の外はすっかり暗くなっている。再び静かになった部屋の中で、ひとり今西は物思いにふけっていた。

「真名木、圭太。真名木‥か。なんの因果か。好奇心旺盛なところなど、米沢明良の若いころに、そっくりだ」

 米沢明良―――世紀の大魔術師であり、魔器を発明した研究家でもある。

 享年、六十八歳。その人物が亡くなってもう十年が経つが、いまだに彼を超える発明家は現れていない。米沢博士が発明した魔器を解明し、使用することはできても、新しいものを生み出すことができていないからだ。しかも米沢博士は魔器の設計図や魔術の理論をなにひとつ遺しておらず、生前発明した数々の魔器も、そのほとんどが“ブラックボックス”と呼ばれ、いまだに原理がわかっていない。

 今西教授も米沢博士のブラックボックスを研究しているうちのひとりだ。

「まさか米沢の思考を辿ることになるとは‥‥あの頃はまったく思いもしなかったな」

 どこか遠くを見るように目を細めた。

 米沢教授の生涯は謎に包まれている。人間嫌いでメディアにほとんど姿を現さず、隠れて生活していた。生きているうちから伝説になった男だ。自分が米沢博士の同級生だったという噂も、いったいどこからでたものか。

 米沢博士の若い頃を知っているからこそ、今西には分かっていた。米沢明良がどう感じ、どう考え、魔術を発見するに至ったのか、それを知ることは誰にも不可能なことをだと。あの希代の天才の思考を辿ることができるのもなど、この先あらわれるはずがない。わかることなど、せいぜい、彼の遺した魔器の技術くらいで、その根本である魔術は、永遠に解明されることはないだろう。

 知れば知るほど、遠くなる。届いたと思ったら、まだ先がある。まるで、釈迦如来に弄ばれる孫悟空にでもなったような気分だ。世界の最果てまで来たと思ったら、それは釈迦如来の手の平の中でしかない。世界の最果てにあるという深淵を覗くことは、永遠にできない。

―――しかし、本当にそうだろうか。本当に、あの大いなる叡智は、この世から完全に消えて、永遠に失われてしまったのだろうか。

 まっすぐな若い瞳がふっと脳裏に浮かんだ。

『拓郎、お前、本当に―――』

 かつてそう言った相手と、同じ瞳。あの瞳を見るたびに、心がざわつく。

 あれは、米沢明良が姿を消して、学園に残された研究を引き継いだときだ。どこから始めればいいのか分からなかった今西は、あの男―――運命から真っ先に逃げた男の住所を記憶の奥から引っ張り出して会いに行った。世界を牽引する人物の育成するこの青波学園で学んでいながら、その重責に耐えられずに自らの責任を放棄した、あの男だ。本当は二度と会いたくなかったが、彼なら米沢明良の行方を知っているかもしれないと思った。

 研究を引き継ぐために、米沢明良の助言が欲しいと理由を説明すると、行方を知らないと答えた後に、眉根を寄せて言った。

『拓郎、お前、本当にあそこに残って明良の研究を引き継ぐ気なのか?』

 日に焼けた肌と、爪の間に土の入った指。青波学園にいた生徒の未来の姿とは、とうてい思えない、ただの農夫に成り下がった男が、なにを言うのかと心の中で嘲笑した。

 胸がむかむかした。みじめの姿をこれ以上見ていたくなかった。かつては学園で、あんなに輝いていたというのに。彼に引き寄せられ、憧れる生徒はたくさんいた。自分もその一人だった。

『お前のすることに反対する気はねぇよ』

 踏み込んできたかと思うと、すぐに身を引くところは全く変わっていなかった。あっけらかんとして、残酷に突き放すのだ。

『でもな―――』

 応接用の机を挟んでいるのに、なぜか圧迫感があった。

『いつまで経っても答えの見えない、暗い淵を覗き込むようなものだぞ』

 深く黒い瞳が、まっすぐに拓郎の瞳を見詰める。

『深淵を覗きたいのか?』

 共に学んだものなら分かる。その言葉の意味することが。

“おまえが長く深淵を覗くとき、深淵もまた等しくおまえを見返すのだ”

 授業で習った、古い哲学者の言葉だ。

 あのとき、あの男の言葉に自分はなんと答えたんだったか。

 今西は片手を挙げて自分の頬に触れた。あの頃とは違う、乾燥し、しわの刻まれた肌。あれから、どれだけの年月が流れていったのか。わかっている。古い木は枯れ果て、新緑が芽吹く季節が巡ってくるほどの、長い時だ。

もう時間がない。

 今なら男の言葉に、はっきりと答えられる。

 覗きたい。闇に呑まれても、それでもいい。この世の真理を掴めるならば。それができないのなら、なんのための自分の人生だったのか。

 自分の思考に深く沈んでいたとき、入り口の扉をノックする音が響いた。軽く頭を振って、物思いを振り払った。時計を見れば、もう七時を回っている。こんな時間に研究室を訪れるのは誰だろうかと思いながら、「入りなさい」と声をかけた。

 ゆっくりと、扉が開いた。




失敗しても、とにかく明るい真名木……


……。


………。


「え、やんねーよ!?恥ずかしいだろ!」



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