突撃
洞窟内は真っ暗で奥に行けばいくほどその暗さは増していった。エムバの魔法がなければ完全に視界が絶たれていただろう。
ひっそりと音がない。聞こえるのは自分たちの足音だけ。
エムバは緊張した面持ちで足を進める。
瀬戸はどこかウキウキした様子だ。
北条は肩の力を抜き、リラックスしている。しかし決して油断をしているわけではない。
「モンスターっていつ出てくるんだ?」
「そんなの分かるわけないだろ」
「そーか……なんか俺にセンサーとかついてないかな」
瀬戸は歩きながら自分の体を探っている。そんな彼にため息を吐く。そしてチラリとエムバの方を見る。
「おい」
「ひゃいっ!」
彼女はビクンッと背筋を伸ばし、振り返りざまに拳を放つ。さすがの彼も味方からの不意打ちには反応できず、
「ひでふッ!」
もろに顔面に受けてしまう。それに気づいたエムバは「あ、」と漏らし、一瞬驚いた顔をするが、
「え~っと……ドンマイ!」
「まず謝れよ!」
「お、おろろか……驚かす方が悪いのよ!」
「呂律回ってないぞ」
「う、うるさい!」
彼女は涙目で睨みつけてくる。しかし少し肩の力が抜けたように見える。
北条はため息を吐き、
「緊張することは悪いことじゃない。が、し過ぎはかえって動きを鈍らせる。心地よい緊張がベストだ」
「分かってるわよそのくらい」
「ま、全部受け売りだけどな」
そういう彼の顔は少し、懐かしんでいるようでもあり、悲しんでいるようでもあった。
と、突然彼は右肘を返し、右手を左腰に居合いのように引くと、
「『氷刺』」
目の前の空気を薙ぐように振る。それに沿って無数の氷の針が前方の天井に飛んでいく。
普通に天井に当たったなら氷が割れるような音がするはずなのだが、
キィィイイイイッッッ!!!
そんな甲高い鳴き声とともに、湿った音、次いで大量の何かが地面に落ちる音が聞こえる。
しばらくして静かになり、エムバは恐る恐る音がした場所を照らしてみる。
そこには数えきれないくらい大量の、コウモリの魔物『ヴァンプ』の死骸が転がっていた。
「ひっ――――――!!」
思わず息を飲む。
瀬戸もその光景に気分を悪くしたのか顔色が悪い。
北条はざっと天井を見回し、生き残りがいないか確認する。どうやらここにはこれ以上いないようだ。
「ど、どうして分かったの?」
北条が報告しようとしたとき、エムバが訪ねてきた。
彼は自分の目を指すと、
「あいつら少し光があると、目が赤く光るからな。もうここにはいないようだし、残りがいるなら奥だな」
ここからが本番だ、と彼は腰の剣の鞘に左手をそえる。その言葉で、エムバは切り替え辺りに意識を集中する。 瀬戸は大きく深呼吸すると、
「よし、どっからでもかか――――――――――――」
そこで――――――――――――――――――言葉は途切れた。
それに気づいた二人はとっさに振り返る。
そこに、瀬戸の姿はなかった。
エムバが彼のいた場所に立って辺りを照らしてみると、壁に大きな穴が開いているのを見つける。この一本道にそれ以外の分かれ道はなかった。
彼らの頭の中に、二つの予想がたつ。
さらわれた。
食われた。
「セトさん!」
彼女は穴に向かって叫ぶが、返事はおろか、物音ひとつ聞こえてこない。
「クソッ!」
北条はそう吐き捨て奥を見る。
どんな姿であれ、彼がいるのはこの先だろう。 恐怖と焦る気持ちを抑え、彼らは奥に足を進める。
すると、
ザッ―――――――――――――――――――――――――――――――
「……構えろ」
北条は右手を剣の柄にそえる。
それに彼女が「え……」と声を漏らす。
刹那、
『ウボアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッ!!!!!!』
それは大量の魔物。
サルの魔物『アッフェ』。コウモリの魔物『ヴァンプ』。
牙の鋭いイノシシのような姿の『ヴォーア』。三メートルの熊の魔物『ベーア』。
見た目は普通の蟻と同じだが、人を襲い食べる『アーマイゼ』。それと肉食のバッタ『グラスホッパー』
まるで鉄砲水のように奥から魔物が湧いてくる。北条は剣を握る手に力を入れ、
「俺はタイミングを合わせられる。だからお前のタイミングで威力のある魔法を放て」
「はあ!? 勝手になに言って」
それだけ言うと彼女の反応を待たず、群に突撃する。
彼女は不安に思いながらも、距離をとって詠唱の準備を始める。
北条は居合いの容量でベーアの懐に踏み込み、一撃を放つ。不意を突かれたベーアは股から真っ二つに両断され、絶命。さらに北条はその死骸の間から手を奥にだし、それを盾にして『氷刺』を放つ。扇状に飛んでいく無数の針は射程圏の魔物を襲う。が、威嚇程度に放ったのでそこまでの威力はない。予定通り彼らはこちらの存在に気づき、一斉に襲い掛かってくる。
北条は剣を構えると、それに正面から突っ込んでいく。
弾けるように跳躍し、噛みつきを繰り出してきたグラスホッパーを掴み、鋭利なナイフのような形に凍らせ、それをアッフェの眉間に向かって投擲。突き刺さりピタリと一瞬硬直すると地面に倒れる。
間髪入れず、その横にいたヴォーアの前まで踏み込み、切り上げる一撃を繰り出し、ひるませる。
その回転の勢いを使い、流れるように足を払って転ばし、下のアーマイゼの大軍を潰す。
隙を見て背後から襲い掛かってきたベーアの攻撃。それを剣を構えてギリギリで防ぎ、また足を払って転ばせ、
「死ね」
ぐちゃっ、―――――と。
目を蹴って潰す。ベーアがそれに悶えているうちに、その足を掴んで奥の群れの方に投げ飛ばす。道幅と同じくらいの巨体ゆえに、魔物たちは回避することができず、前衛は巨体の下敷きになる。
「エムバ!」
北条が叫ぶと、彼女は詠唱を始める。
「『炎が示すは我が魂 業火が宿るは我が瞳 我この身に灯る灯火を解き放ち、眼前の全てを焼き払う地獄の轟炎を呼び起こさん!』」
そして地面に手を突き、叫ぶ。
「『灼熱濁流!』
魔法の名を口にした瞬間、彼女の前の地面から通路を埋め尽くすように溶岩が噴き出し、魔物の群れを押し流す。魔物たちは独特の悲鳴を上げ、溶岩に飲み込まれていく。
「あっぶねぇ……」
北条は天井に剣を突き刺し、間一髪で逃れた。そこから彼は流れる溶岩に向かって手を翳し、そこから水を放水する。水が当たったところは溶岩が固まり、魔物たちを閉じ込め、同時に足場を形成する。
北条はその上に下り、周りを固めていく。
エムバは安堵の息を吐く。
「何がタイミングは合わせられるよ! ギリギリだったじゃない!」
「あんなのを使うと思わなかったんだよ! 上級魔法じゃねえか!」
「フフン、どう?」
彼女はない胸を張る。そしてこのドヤ顔である。
北条はカチンとくるが、勝手なことを言った自分にも非はある。彼女も彼女なりに考えて使ったのだ。
彼はため息を吐き、納刀してきびすを返す。
「行くぞ」
「ねえ、ちょっといい?」
北条が歩き出そうとしたとき、エムバの声で振り返る。
見ると、彼女は何か腑に落ちないといった顔で、足元の魔物たちの残骸を見ている。
「……なんだ? 気になることでもあったのか?」
「うん……」
彼女はコクリと頷く。
「私魔法を使うために距離をとったんだ」
「ああ」
「で、全体を見たときに気づいたんだけど……」
彼女は北条の方を見る。
「あいつら、自分たちで食い合ってた」
その瞬間、じわりと彼女の心に確かな恐れが生まれる。
白い画用紙に黒い絵の具がにじむように。
その不気味な事態を声に出してしまったことで、自分で気づいてしてしまった。
「……共食いしてたってことか?」
エムバは迷い、そして首を横に振る。 魔物が魔物同士で食い合う。それは自然なことだ。魔物の中でも食物連鎖はある。 しかしさっきのあの画はそういう風には見えなかった。
そう、言葉にするなら……
「……殺し合ってた」
食べることを目的としない。いや、もちろん食すことも目的なのだろうが、それよりも相手の息の根を止めることを優先としていたような気がした。
そんな事例は聞いたことがない。
北条の顔に少しの緊張が生まれる。
「……エムバ」
「何?」
北条は歩き出し、それに彼女もついていく。今のはいったい何だったのか。そう問おうとしたとき、
「お前は……死ぬなよ」
その言葉には重みがあった。
それは彼の素直な気持ち。彼女はそう感じた。
はじめ、その言葉を聞いたとき驚いたが、
「もちろん!」
すぐにうれしそうにニカッと笑った。
隊列を変え、彼女が後ろから前を照らし、発見した敵を北条が倒すという形をとる。
奥に行くにつれ、魔物の数は減っていった。
始めは二十数対二だったのが、やがて十六対二になり、十対二……そして五対二の形に収まった。
しかしその分一体一体の強さが増していった。正直、初めよりも五対二の方が強く感じる。
『フゴゴゴッ!!!!』
ヴォーアはその鋭い牙を突き出し、詠唱中のエムバに突進していく。
北条はそれを『白氷の槍』で横腹から串刺しにして動きを止め、詠唱を終えたエムバが『火球』を掌打で叩きつけ、弾き飛ばす。
「……これで最後か」
北条は周りに散らばる魔物残骸を見回して、確認する。
「そうみたい」
エムバは安心して一息吐く。そして光の灯っているワンドを高くあげて、奥を照らす。
「……ねえ。あれなにかしら?」
彼女の発言に北条は反応し、その方を見る。その先は洞窟が急に狭くなっており、奥から何やら光がこぼれてきている。
それ以外に道はなく、二人はそこに入る。通路は人一人分の大きさしかない。
北条は剣に手を添え、摺り足で進む。
それに背中を合わせるようにエムバは後ろを警戒しながら下がる。
そして……
「……なんだ……ここ」
彼の目に飛び込んできたのは……
後ろの安全を確認した彼女も同じ部屋に入り、それを目にする。
そして思わず口を抑え、うずくまってしまう。
広い部屋の中央
そこには天井付近まで山積みにされた、大量の死骸があった。
充満する死臭。
鼻の奥にへばりつくような臭いは鼻が曲がるどころではない。昔、いたずらで爪を焼いたことがあるが、あれを何倍も濃縮し、強い酸味を加えたような、そんな不快感した与えない匂いが辺り一面から漂う。
肉が裂け、骨が飛び出している。古く、腐敗が始まっているものもあるが、まだ新しく、血が乾いていないものもある。そして積まれているのは魔物だけではない。
もはや肉塊と化しているが、動物や人間の部分のようなものも見える。
言葉も出なかった。この惨状に対する言葉が見つからなかった。
―――――――――――――――――ぺちゃッ……
何か、山から内臓らしきものが転がり落ちた。
その音に、二人は視線をそれに向ける。
そして北条はそれが何を示しているのかを察し、剣を抜く。それに驚いたエムバは何事か問おうとするが、彼の顔を見て、そしてその視線の先にあるものを認識して……
「…………え?」
思考が空白になった。
視界から入ってくる情報の理解が追いつかず、脳の記録にスペースキーが連打される。
「エムバ!」
北条は彼女の状態を知り、名前を呼ぶ。その声に反応した彼女。しかしまだ夢から完全に出ていないようで、
「へ?」
と抜けた様子で彼の方を見る。
その瞬間だった。
カキンッ―――――――
「!!」
彼女の前に北条がいた。そしてその前には『何か』がいる。
彼は剣を横に構え、『何か』の放った蹴りを防いだのだ。
そこでようやく彼女の心が帰ってくる。
そして恐怖心よりも先に、反射的に体が動いた。
『何か』に向かってワンドを翳す。
照らし出されたその顔を見た瞬間、彼らは驚きを隠せなかった。
エムバは震え声で『彼』の名前を言う。
「セ……ト……さん」
・・・
「ふぅ。あっぶねぇ……」
瀬戸は額の汗を拭い、安堵の息を吐く。
彼の前には巨大な蜘蛛の魔物『アトラク・ナチャ』の死骸が三体転がっている。
この魔物が瀬戸を連れ去った張本人だ。
が、それを返り討ちにして今に至る。
「さて、ここはどこだ?」
どうやら広い部屋のようだ。
ぐるりと見回すが、暗くて分からない。
とりあえず壁を探そうと、手探りかつ摺り足かつ腰が引けた状態で前に進む。 何とか壁にたどり着きそれを伝って移動していく。触った感じ、壁は薄く曲がっている。
もしこの部屋が円形だとすると、曲がり具合的にかなり広い。
と、考えながら歩いていると、出口らしき通路に行き着く。
とりあえず出入口のようなものがあり、ホッと胸をなで下ろす。
そして部屋から出ようと足を進めた。
次の瞬間――――――――――――
トッ―――――――――――――――――
その音に気づき、振り向く。
その時目に入ってきたのは獣よりもケダモノに近い、ギラついた人の目だった。
いきなりのことに反応できず、瀬戸は抵抗するまもなく地面に押し倒される。そして間髪入れず、口の中に手を突っ込まれ、無理やりのどの奥まで何かを押し込まれる。
瀬戸はパニックになりながらも闇雲に腕を振り回す。人影はすぐさま彼から離れると、闇に紛れて消えてしまう。
「うっ—―――――――――ゲホゲホッ!!」
四つん這いになり、胃の内容物を吐き出す。得体の知れないものを飲まされた。その事実だけで胃の中にひどい異物感を感じ、言い知れない恐怖と吐き気が込み上げてくる。
「おえぇッ―――――――――――!!」
吐瀉物が撒き散らされる。酸っぱい、そのあとに苦味が口内に広がり、ひどい臭いが鼻を刺す。
加えて直後、脳が直接揺らされているような感覚が襲い、視界が歪み、気が遠のきそうになる。冷たい汗が流れ、体が震える。
毒を飲まされた。そう確信したとき、彼は最後のモノを吐き出す。
べちゃり、と湿った音を立てて地面に落ちたそれは地面に落ちる。
最後に出てきたそれを見た瞬間、彼の中から全てが吹き飛び、それになぜか釘づけになる。
一瞬。彼はそれを理解することができなかった。そしてなぜか視線を外せず眺めてしまう。
そのせいで気づいてしまう。
自分がさっき飲まされたもの。その正体に。
「―――――――――――――――――――――――――――――ッ!!」
喉が変な音を出し、声にならない悲鳴を上げる。
それは…………………
魔物の死骸だった。
腐敗故に黒く変色し、ドロリと半液状になった何かの肉片に、バッタと蟻が乱雑に埋め込まれている。
グラスホッパーとアーマイゼである。
虫の中にはまだかろうじて息があるものもいるが、いくつか足が千切れてしまっている。
『キチッ、チチチッ……ヂッ――――――』
左右非対称になりながらも妙に滑らかに動く足。そのかぎづめから連想される、まるでのどの毛を逆撫でされるような、疼くような感覚。
刹那、恐怖も通り越し、生理的な嫌悪感、不快感が噴き出す。
そして、それが自分の体内から出てきたという事実は、崩壊寸前の瀬戸の精神に、容赦のない鉄槌の一撃となった。
心が――――――――――――――――――――――――崩壊した。
ブツリ、と彼の中で何かが切れ、
次の瞬間――――――――
「…………………………―――――—―――――――――――――ぅぅぅぁぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッッ!!!!!」
徐々に現実を認識し、悲鳴を上げ、逃げようとするが、腰が抜けてしまい立ち上がることが出来ない。
思考が昇華するように一瞬で真っ白になる。闇の中、目の焦点も合わないまま這う形で必死に部屋から出ようとする。
が、もう何をしても遅かった。
「あ……」
這っていた瀬戸の体の動きがピタリと止まる。
そして目から涙を流し、虚空に手を伸ばす。
「たす……け……て……」
それが、最後の言葉だった。
彼が言葉を言い終わるのと同時にぐりゅんと彼は白目をむく。そして彼の目、鼻、口、耳から黒い粘着質の液体が溢れ出てくる。それは顔を覆い尽くし、全身に広がる。
「あ……あ……」
そしてまるで貪るように肥大縮小を繰り返すと、元の大きさに戻り、再び口から体内に入り込む。
しばらくして、彼は立ち上がる。そこに全ての通路から大量の魔物が流れ込んでくる。
瀬戸はそれを見回すと、ニヤリと口の端を歪め、じゅるりと唾液を零す。
・・・
北条は剣で連撃を放つ。瀬戸はそれを避け、カウンターで拳を突き出す。
とっさに氷で壁を作るがそんなものごときで彼の怪力は止めることは出来ず、顔面に拳が突き刺さる。
まるて人形のように軽々と彼の体は宙を舞い、地面に叩きつけられる。
「ホウジョウッ!」
「大丈夫だ!」
慌てて駆け寄ってこようとするエムバに静止を促し、彼は立ち上がる。当たる瞬間に後ろに飛んで勢いを殺したが、それでもダメージは大きい。
フラフラになっている北条のところに瀬戸は人間だとは思えない、不気味な笑みを浮かべて歩いてくる。
北条は腰を落とし、足のバネを使って跳躍する瞬間、
「『氷刺』」
無数の氷の針が瀬戸に向かって飛んでいく。
瀬戸は地面に手を突き刺し、ちゃぶ台返しの要領で立ててそれを防ぐ。
しかし、その間に北条は彼の後ろに回り込んでおり、剣の柄のところで後頭部からうなじの辺りを狙う。
(ここだ!)
完璧なタイミングで放たれた当て身は彼のうなじに決まる。当たった瞬間、瀬戸の体はブツリとスイッチが切れたように力が抜け、地面に崩れる。
彼の体が倒れるのを確認し、北条は剣を納める。
「いったいどういうことなんだ……」
彼は倒れている瀬戸を見る。エムバを庇った後、彼は北条を食べようと襲ってきた。短い間だったが彼が人肉を好むような素振りをしたことは一度もなかった。
(誰かに操られてた可能性が一番高いな)
「エムバ。少し光量を増やすことはできるか?」
「う、うん……」
彼女はまだ整理がつかず、戸惑っているようだ。
「ねぇ。何でセトさんが」
「多分誰かに操られてたんだろう」
「誰かって?」
「それを今から」
「正確には操ってないんだけどねぇ」
粘っこい声に二人は振り向く。見ると、奥の闇から一人のフードを被った人物が姿を現す。声とフードから見える髪の長さからして女性であることは間違いない。
二人を見て女性は口元に、三日月を連想させる邪悪な笑みを浮かべる。
北条は剣に手をかけ、居合の体制を取る。
「……誰だ?」
「クスクスクス……お察しの通りよ。私は原因の張本人」
そう言い終わった瞬間、北条は手を離し、不意打ちの『氷刺』を放つ。
扇状に放たれた針は避けようがなく、確実に女性を殺しにかかる。
が、彼女は掌を前に翳し、
「『壁』」
途端に魔方陣が展開し、それで針は防がれてしまう。
が、それは囮。
針が防がれたころにはすでに彼は背後を取っており、そこから剣の柄が突き出される。瀬戸に使ったのと同じ戦法だ。
が、柄は彼女の体に触れる寸前で何か別のもの当たる。
壁の魔方陣だ。
「チッ! もう一つ張ってたのか!」
一度退き、距離を取る。
それを見た女性はクスクスと嘲笑し、
「同じ手を何度も使うなんて、芸がないのね」
女性は北条に掌を翳し、
「『黒の矢』」
彼女の手から無数の黒い矢が射出される。
北条はそれを『氷刺』で撃ち落とす。
が、それを打ちをとしたころには、
「ほら遅い」
「しまッ!」
背後を取った女性は持っていたナイフを心臓を狙って突き出す。
が、ゴウゥ、と『火球』が迫り、彼女はそれを避けるために後退する。
「エムバ!」
「余裕面してるからこうなるのよ! あなたは緊張して無さ過ぎよ!」
「……今のは言いたかっただけだろ?」
「う、うるさい! せっかく助けてあげたのに上げ足取らない!」
はいはい、と彼は剣を構える。
「さて、二対一になったが?」
女性はふぅ、と安堵の息を吐く。
「今のは中々よかったね。光のある魔法じゃなかったら当たってたよ」
が、その余裕の表情は崩れない。
北条は剣を構え、次の行動を考える。
見たところ相手は中遠距離型の魔法使いだ。さっき背後を取ったのは挑発のつもりだろう。
(なら、一気に懐に潜り込んでしまえば……いや、壁があるな。なら……)
北条の剣の握る拳に力が入る。そしてエムバだけに聞こえる声で彼女に指示をする。
「水系のなるべく大きな魔法を使って奴の気をそれに集中させてくれ。そのすきに懐まで潜り込んで殺る」
「……分かった」
彼女は指示された通り詠唱を始める。
「『水よ 我らが母なる水よ 我がために怒り狂え うねり、渦巻き、全てを飲み込め』!」
ワンドを両手で横に持って、高々と振り上げ、
「『轟流突波』!」
その掌をワンドごと女性に翳す。
刹那、直径一メートルほどの水の柱が彼女の手から現れ、女性に向かって伸びる。
「上級魔法か。まずまずね」
彼女はそう呟くと、それを左に飛んで避ける。勢いよく飛んできた水は壁に当たって弾ける。
が、そこにはすでに動きを読んでいた北条が迫っており、剣を振るう。
「壁」
しかし、その攻撃も壁で防がれてしまう。
しかし、彼の攻撃はまだ終わっていない。
彼女は気づく。北条の剣を持っていない方の手が水の柱に触れているのを。
そして思い出す。彼が水系の魔法ばかりを使ってきたことを。
北条はそのまま魔法名を発する。
「『氷樹木』」
それは彼オリジナルの魔法だった。
水の柱から突然鋭利な氷が飛び出す。女性はそれを壁で防ぐ。
が、
「なッ!」
その氷は回り込むように枝分かれし、陣を包むように乗り越え、再び襲い掛かる。
慌てて距離をとり、体制を立て直そうとする。が、
「終わりだ」
北条がそう言った瞬間、彼女の胸に何かが突き刺さった。
「え……?」
恐る恐る視線を落とす。そして目を見開く。
そこには氷の木が刺さっていた。
そして次の瞬間、全身を内側から突き破るように氷の針が飛び出す。
彼女の体がガクリと力なく地面に倒れる。
「なん……で……」
「中々しぶといな」
北条は納刀する。
「『氷樹木』は俺の魔力を受けた水を枝状の氷の刃にする魔法だ」
部屋を見てみろ、と北条は言う。彼の言葉に従い部屋を見回すと、
「水……」
部屋の半分くらいが水で濡れていた。
轟流突波で飛び散った水だ。
彼が触れ、魔力を注いだ水がそこら中に撒き散らされていたのだ。
女性は諦めたように笑い、何かを呟く。
「まあ……これでいいか。ごめんなさい……か……」
それは二人には聞こえなかった。それだけ言うと彼女は物言わぬ屍となってしまう。
大きく息を吐くと、その場に座り込む。
「ホウジョウ!」
エムバは慌てて駆け寄る。
魔力を注いだ水を武器にする『氷樹木』。
それは水一滴一滴に魔力を注ぐということだ。
あれほどの水を操る魔法。一体どれだけの魔力を使ったのか。エムバに限らず、普通の魔法使いでもそんな膨大な魔力は持ち合わせていない。
まさに規格外だ。
「大丈夫だ。少し休めば元に戻る」
しかし彼の顔には濃い疲労の色が見て取れた。
やはり無理の多い魔法なのだろう。
彼女は彼に肩を貸し、なんとか持ち上げる。それに北条は自嘲気味に笑い、
「まさかお前の世話になるとはな」
それにエムバは自慢げに鼻を鳴らし、
「泣いて喜びなさい」
とひと段落し、いつもの調子で出口に向かおうとする。
しかし二人は忘れていた。
彼女の……あの女性がいった言葉
『正確には操ってないんだけどね』
出口の光が見えてきた。
そのころには北条も歩けるほどには回復していた。肩には瀬戸を担いでいる。
「ちょっと稼ぐつもりで来たのに、とんだ大仕事になっちまったよ。早く戻って瀬戸の手当てしないとな」
「あなたもね」
なんてことを話しながら歩いていると、瀬戸の体がピクリと動いた。
それに北条は気づく。
「お、目が覚めたみたいだぞ」
ゆっくりと地面に仰向けに寝かせる。
そして心配そうに見守る二人の目の前で、瀬戸は目を覚まし――――――――
「よかった。心配したんです―――――――――――――――」
その瞬間、言葉が切れ、刹那の空白が生まれた。
「え……」
何が起こったのか脳の理解が追い付かなかった。まるでゼンマイ仕掛けの人形のようなぎこちない動きで、エムバは自分の肩を見る。
まず最初に、瀬戸の頭が見えた。
……どうして彼の顔がそんなところにあるんだろうか、と頭の端に疑問を抱きながら、視線は自然とその奥に進んでいく。
そして視線が彼の頭から、彼の口の辺りに移される。
そして気づく。
彼女の肩に歯が突き立てられていることに。
そこから赤色の液体が広がっていることに。
「きゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッッ!!!!」
それを血を認識し、激痛と、人間に食われるという恐怖が湧き出す。
北条は慌てて彼を離そうとするが、噛みついたまま離そうとせず、動かせば動かすほど肩の傷は深くなっていく。
「クソッ! おい瀬戸ッ!」
「いやああああああああああああああああああああッッッ!! 痛い痛い痛い痛いッッ――――――痛いいいいいいいいいいいいいいああああああああああああああああああッッッ!!!」
最後に悲鳴を上げる。そして次の瞬間、エムバは大きく目を見開き、電池が切れたように目を閉じて動かなくなってしまう。
それと同時に瀬戸の歯も離れ、彼は地面に倒れて動かなくなってしまう。そして瀬戸の体はひどい腐臭と悪臭を放ち、ドロドロに溶けてしまう。
北条はその光景を目の当たりにし、動けなくなってしまう。そして彼が完全に溶けてしまった頃にようやく硬直が解け、エムバのところに駆け寄る。
呼吸を確かめ、脈を確かめると、どちらも問題ない。気絶しているようだ。
しかし、彼は気づく。彼女の噛まれた肩の傷から黒い何かが、皮膚を這うようにして広がっているのを。
触ってみるが手に付着したりはしない。まるで刺青のようだ。
「なんだ、これ……」
それはゆっくりと、ドロリと流れるように彼女の服の中にも入っていく。
北条はエムバの服を脱がせる。服の下には細い胴体があり、肌も透き通るように白い。
しかし、その上を『黒』が這う。
「クソッたれ! 呪いか!」
北条は急いで教会のありそうな場所を考える。この世界の教会は、言わば医者だ。解呪も行ってくれる。
しかし、ハザドには教会はなかった。あるの場所もここから遠く、刺青の広がり具合から全身に回るまでに間に合わない。
「クソが!」
そう吐き捨て、北条は肩の傷に掌を翳す。
彼の使う水の魔法は『浄化』の意味を持つ。解呪はできなくはない。
しかし今まで北条が使ってきた魔法はどれも攻撃、すなわち『傷つける』魔法だ。回復系の魔法は攻撃系の魔法より魔力操作が難しく、失敗する可能性の方が圧倒的に高い。
時間の無駄か。
急げば間に合うか?
しかしそんな葛藤を払い飛ばし、彼は魔力を集中する。
急いでも間に合わない。
時間の無駄?
「やってみないと、分からないだろうが!!」
手から清らかな光が現れる。
北条は焦りを押さえ、慎重に魔力を操作し、解呪をしていく。
その光が傷口に当たった途端、まるで生き物のように『黒』は痙攣し、ギコチナク、縮まるようにもとに戻っていく。
それに手ごたえを感じているような余裕はなかった。魔力の操作に全神経を集中し、魔法を維持する。
強くてもいけない。弱くてもいけない。
頬を伝う汗も気にせず、彼は処置を続ける。
そして『黒』は徐々に傷の中に引っ込んでいくように縮まっていき、やがて消えた。
北条はそれでもしばらく魔法を使い続け、様子を見る。そして少しずつ様子を見ながら弱めていき、魔法を解く。
そして様子を見て刺青が現れないことを確認すると、急いでおぶり、近くの町に向かった。
・・・
ん……ここはどこだろう。真っ暗ね。
頭がぼーっとする。なんだか眠い。
私何してたんだっけ……
確か私はホウジョウとセトさんと洞窟に入って……それから……倒して……噛まれて……
「そう。噛まれたんだ」
……誰? ここはどこなの? ……ひどく眠いわ
「そりゃあ眠いだろうさ。そんなところにプカプカ浮かんでたらね」
浮かんで……る? ……あ、ほんとだ。
「ここは『蠱毒』。君は『蠱毒』に飲まれたんだよ」
蠱毒……?
「そう。この世で最も力のある毒、呪いの一つさ。本来は虫や蛙などをツボに入れて殺し合わせ、最後に残ったものを使って発動する呪いなんだけどね。今回はまあすごいことになったね。彼がいなかったら君は確実に飲み込まれていたよ」
彼……?
「それはすぐに分かるよ。大分浄化されちゃったよ。おかげでこんなに幼い姿になっちゃって。さすがチートと言ったところかな」
あなたは……誰なの?
「ん? 僕? 僕かい? 僕は『蠱毒』さ。孤独な蠱毒」
そう……なんだかかわいそう
「どうもありがとうと答えておくのが正解かな? 別に寂しくはないさ。何せ『蠱毒』なんだから。アハハ」
特に面白く……な……
「あ、そろそろ限界みたいだね。じゃあまた、ということにことにならないように祈っている、っていうのが今回は正解だね」
……
「お休み。そしておはよう……」
・・・
目を開けて入ってきたのは天井だった。
どうやらベッドに寝ているようだ。
エムバはまだ少し朧気な意識で起き上がると、
「いっ……」
チクリと頭が痛む。
窓から外を見ると、どうやらここはどこかの町のようだ。
自分はどうしてここにいるのだろう、と考えて、瀬戸のことを思い出す。
彼に突然噛みつかれて、気絶したのだ。そのあとに何かあったような気がするが、思い出せない。
「お、やっとお目覚めか」
入口から声をかけられ、振り向くと北条がお盆に料理を持ってきていた。
彼はエムバの前に盆を置くと、隣の椅子に腰を下ろす。メニューはお粥だ。
「傷は大丈夫か?」
「傷? ああ」
「……忘れるくらい大丈夫ってことだな」
エムバが自分で確認すると、肩の傷は大きな染みのようなものなって、塞がっていた。それを見た彼女は慌てて服を戻して隠す。自分がこの痛々しい傷を見たくないし、見せたくもないからだ。
彼は安堵の混じったため息を吐く。
彼女はお粥を口に運びながら笑って誤魔化す。
「……セトさんはどうなったの?」
「……死んだよ」
彼は一言、少し答えにくそうに言った。それに彼女も「そう……」と返し、その話題は終わる。
「……そういえば私ってどのくらい眠ってたの?」
「まる三日だな。その間に報酬は俺がもらってきてやったよ」
と、北条はコインの入った袋を取り出し、彼女に見せる。振ると中からじゃらじゃらと音がする。
彼女はスプーンを口に加えたままそれを目で追う。それを見た北条はプッと吹き出す。
「どんだけ金が欲しいんだよ」
「あ、あなたには言われたくないわ!」
プイッと照った顔でそっぽを向く。それに北条は笑う。が、そのあと少し沈んだ表情になる。
違和感を感じたエムバが振り向くのが分かると、すぐに表情を作る。
そして真剣な顔になり、
「エムバ。俺と組まないか?」
「え……?」
彼は頭を掻き、少し「あー、えーっとー」と間を稼ぐと、
「お前との相性はいいと思ってる。あの『氷樹木』も一人じゃ厳しいし、俺としては仲間がいるほうが楽っていうか……」
「……」
その様子を黙ってみて、クスッと彼女は笑う。
しかしニヤリと嫌味な笑みを浮かべ、
「ついてきて欲しいなら素直についてきて欲しいっていえばいいのに~」
「はあ!?」
「このは・ず・か・し・が・り・あ・さん(笑)」
「あ?」
北条は腰に差していた剣を少し抜く。それに彼女は気づき、
「じょーだんじょーだん! 流してよ」
「うるせえ」
剣をしまうと北条は席を立ち、部屋を出ていこうとする。
「どこいくの?」
「食べ物買いに行くんだよ。金も入ったし、お前も起きたし、少し奮発してやるよ」
「ホントに!? やった!」
「ただし、ここでな」
北条は床を指さす。つまりこの部屋で、ということだ。
ええ~、とエムバは不満げな顔をするが、「ダメだ」と一蹴し、北条はドアを閉める。
「ケチー!」
頬を膨らませ、そっぽを向くと再びベッドに横になる。その顔は少し赤く、とてもうれしそうだった。
こうして二人はパーティを組むこととなった。
・・・
「これはひどいですね」
運ばれてきたエムバを見て、神父は苦い顔をする。
そして回復の魔法を唱え、傷を治すと、
「……私にはこれくらいしかできません」
「そんな!」
なんとかならないのか、と言おうとしたが、神父の顔を見て飲み込んだ。彼も辛いのだ。
北条は悔しさに歯を食いしばり、そして彼女を見る。
噛みつかれた肩には大きな傷痕が残ってしまっている。いや、見た目は傷痕だが、明らかに噛み付き痕ではない。
白いカーペットに広がった染みのような。
これを彼女は一生を引きずっていかなければならないのだ。
「私の力ではこの呪いは……力足らずで本当に申し訳ありません……」
「いえ、悪いのは俺なんです。俺がもともと一人で行っていれば……それに俺がもっと解呪の魔法を知識を得ていれば完全に消せたかもしれないのに……」
「……今、なんと言いましたか?」
「え?」
その神父の言葉に北条は驚き、一瞬呆けてしまう。
「え、だから、俺は応急処置をしただけで」
「あなた、この呪いを抑えることができたんですか!?」
神父は彼の手を強く握る。そして目をまっすぐに見て、
「彼女を救えるのはあなただけです! どうか、私の代わりにこの子を……この子の命を救ってあげてください」
神父は手を握って、まるで自分のこのように深々と頭を下げる。
それで北条の心の中に一瞬迷いが生まれる。
言ってしまえば無理やりついてきたのは彼女だ。今回のことも彼女のただの不注意、それだけがが原因ともいえる。それに冒険者として生きているならそれくらいの危険も覚悟しておかなくてはならない。
が、眠っているエムバの顔を見て、その肩の傷を見て、北条の脳裏にある単語がよぎる。
(仲間……か)
その響きは久しく、胸の中がなんだか暖かくなるような気がした。
そして彼はクスリと笑い、神父の方に向き直る。
「当然ですよ。こいつは俺の仲間なんですから」