責任と覚悟
覚醒。
エムバは目を覚ました。
「……ここは、ギルド?」
見覚えのある天井。見覚えのある壁、床、クローゼット、テーブル、ベッド。
ここはエムバのギルド内での自室だ。
そして自分がパジャマなのに気づく。
とりあえずエムバはベッドを降りて、クローゼットを開け、着替えを済ます。
部屋を出るとやはりいつもの廊下がある。エントランスの方からは賑わいが聞こえてくる。時間的には昼頃だろうか。
―――ここは誰の世界だろう?
とりあえずエムバは全員の部屋を見る。カエデとエントンは居ないはずだから、北条、ミセバヤと後藤、アンさんと見ていく。が、どこにも誰も居ない。
首を傾げつつ、とりあえずエントランスに移動する。
エントランスに入ると、あのいつもの喧騒に近い賑わいが耳に流れ込んでくる。ギルドを出てそんなに経っていないのに、この騒がしさが嫌に懐かしく感じる。
クエストのボードには人が群がり、受付には列があり、食堂では冒険者が英気を養うために食事にがっついている。
と、その食堂の中に、見つけた。
そして向こうもエムバに気づいたようで、
「よお。こっちだ」
「アンさん」
どうやらここはアンの世界のようだ。
手招きされ、エムバはアンと対面するよう、同じテーブルに就く。
アンの前には、まだ昼だというのに葡萄酒と生ハムがあり、彼女はそれを口に運ぶ。しかし彼女の顔に酔いは見られない。そう言えばアンが酒を飲んでいる姿をエムバは初めて見た。
と、アンは素っ気なくエムバに訊く。
「で、今のところ誰と話してきたんだ?」
「……エントンさんとカエデさんです」
「ああ、あの二人か。どうだった? って、その顔だとそれなりに揉めたみたいだな」
「まあ、はい」
揉めたというか、正論をぶつけられたというか。
何が間違っているのか、何が正しいのか、あなたには分かるのか?
その問いが、今も心に重い霧のように漂っている。
「正しい世界って何って、聞かれました」
「ハッ」
エムバがそう吐露した瞬間、それをアンは鼻で笑った。そして口に生ハムを運びつつ、
「正しい世界、か。まるで哲学者だな」
葡萄酒でそれを胃に流し込む。そして彼女はギルドのエントランスを眺める。
「ようは好き嫌いの問題だ、正しさって言うのは」
「好き嫌い、ですか?」
「私はそう思う。私はこの世界が好きだし愛着がある。私がもと居た世界では『人間は結局自身が好んだ様にしか世界を感じられない』って言ってた人がいたな。まあ厳密には主観とか客観とか、もっと複雑な違う意味なんだろうけど、私はそう解釈した。ああ、『事実はなく、ただ解釈があるだけ』って言っていた人もいたな」
「えっと……ああ、そっか。アンさんは転生者だったんでしたね」
ああ、とアンは頷く。力のチート。もとは他の世界の住人。
「だから私は、少なくてもここの他にもう一つ世界が存在してることを知ってる。今でも思い出すよ」
そう、彼女が口にした瞬間、世界は色を変える。
ギルドから、エムバが見たことのない世界へ。
灰色の木々が立ち並び、奇怪な箱状の馬車に似た何かが灰色の地面を滑走し、人々は剣も盾も弓も持たず、鎧の代わりに様々な薄い布を纏って忙しなく闊歩していく。
そんな中で生まれる雑踏。五月蝿いながらも冷ややかな喧騒。
そしてそんな『街』を、エムバとアンは通りに面したカフェテラスから見ていた。アンの前には葡萄酒と生ハムの代わりに、コーヒーとアイスクリームが添えられたパンケーキが。
「……こ、これが、アンさんのいた世界……」
「つまらない世界だ」
アンはそう口にし、世界を一瞥するとパンケーキにフォークを乱暴に差し、がぶりと喰らう。ナイフは綺麗なままだ。
「魔法は無く、剣での争いも基本的にない。まあ、銃撃戦はたまにあったな。大抵下らない理由が引き金だが」
「なら、平和な世界だったの?」
「見かけだけだ」
甘いパンケーキを喰らっている彼女の顔にしわが寄る。
「暴力・戦争って単語の前に『言葉の』とか『情報』ってついた。それだけの違いだ」
「言葉の暴力? 情報戦争?」
「こうして転生するまでは、情報が私たちの武器であり仲間であり拠り所だったんだよ。スマホ、パソコン、ゲーム機、VRって、名前だけ聞いても想像できないだろ?」
「はい無理です」
「頭から煙出てるぞ? 大丈夫か?」
「はい無理です」
「私のパンケーキ食べて落ち着け」
「はい食べます」
そうアンは苦笑いを浮かべつつ、ナイフを使って自分の食べていないところを切り取り、エムバに『あーん』してあげる。
エムバはそれをぱくっと食べて、
「柔らか!」
「そうだろう? ここのパンケーキは絶品だったんだ」
転生前は良く通ってた、と彼女はニコリと笑う。けれどその笑みの奥には微かに影がある。どこか寂しそうな、切なそうな。
ふと、それがもといた世界への愛着の証なのだとエムバは理解した。つまらない世界だ、と彼女は言ったが、それだけじゃない。楽しい、嬉しい、良い思い出だっていっぱいあったはずだ。
世界を塗り替えるということは、皆にそういう悲しい思いをさせてしまうということだ。悲しい思い出を残してしまうということ。
かといって前世界の記憶を消してしまうなんてこと、エムバにはできない。それはエムバが手を加えていない純粋なその人の思い出なのだから。エムバが勝手に改ざん、捏造して良いものじゃない。
でも、それならどうしたら……
「迷ってるのか?」
「え……」
そんなエムバの迷いが顔に出ていたのだろう。アンは真剣な目でエムバの顔を覗き込むように見る。
そしてコーヒーを飲みつつ、
「世界を食べる。お前はそう言ったな?」
「はい」
「お前はいつも突然突拍子もないことを言ったりやったりしてたな。なんだっけ、あの街? いきなり私を水でフッ飛ばして」
「ああ、66話ですね」
「具体的な数字出すんだな……思えばこんな話百話以上も続けてなぁ」
「初めは思い付きだったんですけどねぇ……ってアンさん、話脱線してますよ!」
「いやお前も乗っかっただろ!?」
ったく、と彼女は頭を掻いてため息を吐いて仕切り直す。
「まあとにかく、私はお前のそういう突然何かをし出すところが危なっかしいと思っていた。作戦も何もない。それこそ思い付きでやることが多い印象があるからな」
「うぅ……」
お説教かぁ、と身を固くするエムバ。
しかし次いでアンは小さく微笑む。
「けどな。それには全部意味があった。あの町のことだってそうだっただろ?」
「は、はい」
「だから私はお前を信用している。エムバ。お前は意味のないことをしない。だから今回のこの世界を飲みこむことにもそれだけの意味と必要性があるからするんだろう?」
「はい……はい! その通りです」
ならいい、とアンは再びコーヒーを口に運び、残りを飲み干す。
それ以上彼女はエムバに、世界の在り方とか作り変えられた後の世界についてなどは訊かなかった。
「私にとっては、転生と変わらないからな。自分が死んで世界が変わるか、誰かが飲んで世界が変わるか、それだけだ。さほどショックはない」
「……本当にそんな感じでいいんですか?」
あまりにも軽い判断に見えたため、エムバはそうアンに問う。しかしそれに彼女は、
「ない」
はっきりと答えた。そしてその目は、エムバを再び見る。
「迷ってるのはお前の方だろ?」
「……」
さっきも言われたことを、再び言われる。
そう。迷っている。
世界は作り変えるしかない。エムバが壊れないよう新しい主になって作り変えなければ壊れてしまう。
世界も今までとできるだけ変わらない形で作り変えようと思っている。
けど、本当にそれでいいのか?
「いや、違う」
「え……?」
そう悩んでいたエムバを見て、アンは「違う」といった。エムバの悩みを見透かしているかのように。
いや、その実、彼女は見抜いている。
アンは言う。
「エムバ。お前が迷ってるのは自分にだ」
アンは席を立ち、エムバに迫る。
「お前はただ不安なだけだ。自分にその大役が務まるかどうか」
「そ、そんなこと……」
「いや、悩んでいる。今、その塗り替えを実現できるのはお前だけだということを頭では理解している。けど、心はそれを不安に思っている」
「……」
……その通りだと思う。
不安、だ。
不安だ。
この、皆が居る世界を壊して、私は世界を作り直さなくちゃいけない。
けど、この綺麗な世界以上に綺麗な世界なんて、私に作れるだろうか。
いや、そもそも、
北条が居て、ミセバヤと後藤が居て、エントンさんやカエデさん、アンさんたちが居て、皆が居て、笑っている世界、
そんな世界を一度は壊さなくちゃいけない。
この世界を壊す権利なんて、私にあるのだろうか。
「あるに決まってるだろ」
「ッ!!」
アンはエムバの頬をむぎゅっと掴んで、自分に引き寄せて、そう言った。
「お前は壊すしかないんだ。ただその覚悟がないだけだ」
「ッ――――――!!」
心臓をハンマーで叩かれたような衝撃だった。
同時にその言葉はエムバの胸にストンと入った。
覚悟。
覚悟がない。
アンは大きく息を吸い込み、
「自覚しろ、エムバ! お前は私たち全員の命を喰らってでも前に進まなくちゃいけない環境に立ってるんだ!」
「――――――!!!!」
涙が出そうだった。
目頭が熱くなる。それが怒りなのか、悔しさなのか、それとも悲しさなのか、判断できなかったが。
でもそれを、グッと堪える。
そうだ。その通りだ。
私は、エムバは、この世界を飲みこまなくちゃいけない。
迷う余地なんてもとからない。
やるしかないんだ!
「……そうだ」
アンは変わったエムバの目を見て、満足げに頷く。そして頬から手を離し、数歩下がる。
そして、腰にある短剣を抜く。
それを見て、エムバも席を立ち、構える。
「私を倒せるのか? エムバ」
笑みを浮かべるアン。しかし、それは挑発というよりは激励の笑み。彼女の、エムバの背中を押す気持ちの現れ。
エムバもまた笑みを返す。
「一度は魔法でフッ飛ばしたんです。今回も簡単ですよ」
そう返したエムバを見て、アンの口元に微かに安堵の笑みが浮かぶ。
しかしそれもつかの間、
「いくぞ!」
アンは地を蹴り、跳んでくる。
一瞬で距離は詰められ、短剣が振るわれようとする。
しかしそれを蠱毒が防ごうと恐るべき速さで黒を展開する。
アンはそれを見るとすぐさま身を捻り、紙一重のところで蠱毒を交わして再び距離をとる。
そして、
「せっかくだ! このビルを使って戦うか!」
と、今度は身を反転させて灰色の『ビル』と呼ばれる建造物に向かって跳躍する。
それをエムバも追う。が、途中でその足を止めた。
なぜなら、
ビルが倒れてきたからだ。
アンが一回部分の柱を破壊したのだ。
高さ五十メートルの巨塊がエムバに迫る。
しかし彼女は冷静に対処する。蠱毒をそのビルと同じくらいに広げ、コンクリートの巨塊を飲み込む。
「マジかよ」
その大きさ、速さ、旺盛な食欲にアンは呆れて苦笑する。が、アンの攻撃はこれで終わりではない。
彼女は再び地面を蹴り、今度は別のビルに移る。
そしてそのビルの各階を、だるま落としのように蹴り飛ばす。
二十数個のコンクリートが隕石のごとき速度でエムバに迫る。
しかしそれをも、
「同じですよ」
エムバの蠱毒は即座に飲み込んでしまう。
そして飲み込みつつ、蹴り終えて落下しているアンに向かって伸びる。
銃弾のように速く、達人の剣戟のように鋭く、正確に標的に向かって伸びる。
「ッ!」
が、アンはそれをまたも紙一重のところで交わす。
空中にあった瓦礫を足場に飛び退いたのだ。
そのままアンは短剣を構え、宙のある瓦礫とビルを交互にピンボールのように跳び回り、エムバと蠱毒に迫る。その速度はさきの蠱毒同様弾丸のごとく速く、鋭い。
とても目で追えるような速度じゃない。
そして、
「私の勝ちだな」
気づいたころにはエムバの背後。短剣を構えたアンが肉薄しており、
彼女は双つの剣が豪腕により振るわれる。
「――――――ッ!」
「……」
刹那、その足が、腕が、動かなくなる。
凍り付いて、動かなくなる。
『氷結する大地』。短剣に触れれば氷が消えてしまうので、魔力量を調節し、足元から腕までを凍らせたのだ。
アンは自分の状況、そしてエムバの落ち着いた様子を見て、すぐに察した。
「……罠、か」
「はい。例えアンさんでも、蠱毒を相手に正面から来る可能性は低いと思ったので」
予め背後に魔方陣を組んでおき、アンはまんまとそれに引っかかったということだ。
蠱毒に頼った戦いではない。
アンの動きを予想し、魔法の罠を張ったエムバが一枚上手だった。
「……完敗だな」
「……」
そう諦めて笑むアンに対して、エムバの顔に笑みはなかった。
ただ、
「……ありがとう、ございました」
感謝しかなかった。
今まで仲間として暖かく接してくれたこと、
引っ張ってくれたこと、一緒に戦ってくれたこと、
そしてさっきの会話の中で、エムバの迷いを指摘してくれたこと、
そして覚悟への後押しをしてくれたこと、
最後に体を張って激励してくれたこと……
「本当に……ありがとうございました」
「泣いてるのか?」
「いえ、泣いてません」
「よし」
そう顔を上げたエムバを見て、アンは満足げに頷く。
そして彼女は静かに目を瞑り、
「じゃあ、頼むぞ、世界の創造主。次の世界でもよろしくな」
「……はい」
蠱毒はアンを、食らった。




